第8話「最強のバディ」

 AA級ダンジョン【カ・ディンギル】は、空高く聳え立つ塔の形をしていた。

 その高さは果てしなく、グレンの立つ地上からでは、分厚い暗雲に阻まれて、全容を見通すことができない。

 壁面の所々が崩れ落ちた半壊の建造物ではあったが、その巨大な姿はまるで神が作り出した怪物のようで、恐怖を覚えるほど圧倒的な存在感を放っていた。


「危険なのは分かっている。本当に命の危機を感じたら、引き返せばいいだけだ」


 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、グレンはダンジョンの中に足を踏み入れた。


 しかしながら、超高難度ダンジョンは、仕掛けられたトラップのほうもAA級だった。


 地上階を探索し始めてまもなく、唐突に足元の床が一気に崩れ落ち、グレンは奈落へと真っ逆さまに落とされた。


 落下中に機転を利かせ、ウンディーネの水の剣を召喚し、放った水流で落下の衝撃を和らげて即死を防ぐ。

 少し足首を捻っただけで済んだのは不幸中の幸いだったが、死の危険はまだ続いていた。


 グレンが落ちた場所は、魔物の巣窟だった。魔物たちの殺意に満ちた無数の眼が、グレンを囲い込むようにギラギラと光を放っている。


 そして相手の魔物の中には、見慣れぬ凶悪そうな大型ケルベロスもいた。当然ながら行動パターンや弱点が不明で、そう簡単には倒せないだろう。

 さらに、その化け物に付き従う中型の魔物グリムリーパーのほうも、下位ダンジョンでは深奥のボスを張っていたような連中で、決してザコだと軽視していい敵ではない。


 三十六計も何もない、取るべき選択は撤退のみだった。


 グレンは静かに鞘から剣を抜いて防御姿勢を取りながら、周囲に視線を這わせて退路を探す。


 しかし見つかったのは絶望だけだった。

 この部屋に出入り口など初めから無かった。外界へと繋がる道は、遥か天にある落とし穴の闇のみ。


 冒険者を確実に殺すための、二重のトラップだった。

 落とし穴による高所からの転落死に加え、仕留めきれずとも密室に閉じ込めそこに配置した強力な魔物の群れに襲わせる――


 四面楚歌である上に八方塞。グレンがこれまでに経験したことのない、絶対的なピンチだった。


「これはさすがに不味いな……」


 ピンチといえば、くだんのストーカー女騎士ソフィアのことが思い出されるが、彼女が登場する気配はなかった。この閉鎖された空間では、助けに来ようともその術がないだろう。


 辺りを良く見れば、そこら中に人間の頭蓋骨が転がっていた。グレンと同じように、このトラップに引っ掛かってしまった冒険者だろう。傍らには錆びついた剣も落ちていた。


 グレンの脳裏に、死という文字が浮かぶ。剣を持つ手が震えていた。


 魔物の群れの先兵として、小型の魔物スケルトンが列を成して襲いかかってくる。

 剣や槍で武装した骸骨の戦士であり、C級ダンジョンにも出現するザコで脅威度は低い。

 一辺倒な攻撃を軽くいなして、鋼の剣で反撃、骨の体をバラバラにして次々と葬っていく。


「これで……全部か」


 軽く息を切らしながら、ポーションを服用してスタミナを回復する。しかし飲めたのは一つだけ、ゆっくりと休憩している暇は無かった。


 次に襲ってきたのは【グリムリーパー】――黒いローブを身に纏い、大鎌を持ったスケルトンのような見かけだが、脅威度は極めて高い。

 骨張った体のどこにそんな怪力があるのか、大鎌の薙ぎ払いは剣でガードしても吹き飛ばされるほどで、さらに宙を浮遊して移動できるため、行動も素早い。 B級ダンジョンのボスとして出現することが多く、冒険者うちでは死神の名で通っている強敵だった。


 B級をソロで踏破したグレンも、もちろん対峙したことはあったが、それはあくまでも一対一の話である。

 同時に三体のグリムリーパーと戦うなど想像もしたくなかったが、今こうして現実のものとなっていた。


「焼き尽くせ、火焔!」

 気合の声と共にグレンはサラマンダーの炎の剣を召喚、猛火の一撃を繰り出すが、浮遊する死神は危機を察知してスッと後ろに引いた。回避される。


「くそっ!」とグレンは思わず悪態をついた。

 グリムリーパーの弱点は炎だと分かっているし、行動パターンもとっくに研究済みだ。今の反撃も奴らの間隙を突いた必殺の一撃だったが、強敵三体を相手にしていては、防御との兼ね合いでどうしても精度が落ちる。仕留め切れない。


「せめて二体一ならば……!」


 力が拮抗したまま、ひたすらに体力が奪われていく。このままではジリ貧だ。しかもこのあとには謎の大型ケルベロスが控えている。万全の態勢でも勝機が薄い相手なのに、疲労困憊の状態で戦うなど自殺行為だった。


 そのときだった。焦りが油断を生んだのか、グレンはグリムリーパーの大鎌の薙ぎ払いをモロに喰らってしまった。刹那の瞬間に剣でガードして致命傷は避けたものの、防御姿勢が不十分で大きく吹き飛ばされ、地面を転がってしまう。


 そして、地面に伏したグレンが力を振り絞って顔を上げると、目の前には、今にも大鎌を振り下ろそうとするグリムリーパーが迫っていた。


 ――これで、終わりか。


 グレンは死を覚悟した。

 宝物に目が眩んで魔物に殺されるなんて、なんてありふれた冒険者の死に様だろうか。


“伝説”には程遠い、未熟者だったのに、高みを目指して焦り過ぎたのかもしれない。

 最後の最後になって、それを痛感した。


「信念だけでは、伝説には届かないか」


 ソロで有り続けることに執着せず、一時的にでも誰かと組んでいれば、あるいは違う結末もあったのかもしれない――


 そう思い直してももう遅いが、とグレンが潔く目を瞑った、そのときである。


 地響きがした。


 下から来る地震ではない。何かが何かにぶつかる、大きな衝撃音だ。

 少しの間を置いて、「ドォン! ドォン!」と二回、三回と繰り返される。


 それは、グレンの背後から響いてきていた。


 グレンが目を開ける。グリムリーパーたちも、異変を察知して動きを止めていた。


 そして、四回目を数えたとき。一際大きな衝撃と轟音が響き渡った。


 ――巨大な長槍を突き立て、ダンジョンの壁をぶち破ってきた、ソフィアのド派手な登場と共に。


 その豪快で無茶苦茶な登場の仕方に、グレンは口をあんぐりと開けて驚愕した。

 きっとそれはグリムリーパーも心情としては同じだっただろう、そのうちの一体はソフィアの先制攻撃に全く反応できずに、


「穿て、ユニコーン!」


 ソフィアが再び構えた魔法の長槍に、体を貫かれていた。金切声のような断末魔の叫びを上げ、一体のグリムリーパーが消滅する。


「グレンくん、ご無事ですか!?」


 ソフィアは【ユニコーンの槍】を一旦魔力還元させ、グレンの元へと駆け寄って来た。


「あ、あぁ……お陰様で」


「では、片方のグリムリーパーをお願いします。このダンジョンの魔物は、私でも苦戦を強いられるので」


 そう言われてグレンは我に帰る。驚いてばかりもいられない。まだ戦闘は続いているのだ。


 ソフィアが腰の鞘からミスリルソードを引き抜く。それに続いてグレンも立ち上がり、鋼の剣を構えた。


 背中合わせになるように二人は並び立ち、左右に分かれて二体のグリムリーパーとの戦闘を開始するのだった。


「サシの勝負なら負けはしない!」


 過去に同種と戦ったこともある。グレンは大鎌の一撃を見切って懐に潜り込むと、鋼の剣でフェイントを加えて敵の挙動を誘導、本命の攻撃である炎の剣でグリムリーパーを焼き払うのだった。


「お見事です。やっぱりグレンくんはお強いですね」


 そう言うソフィアのほうが数秒先にグリムリーパーを斬り伏せていたが、グレンは素直に褒め言葉を受け取っておく。


「ありがとう、光栄だ。だが、一番厄介な相手がまだ残っているぞ」


「ケルベロスですね。師匠と一度戦ったことがありますが、私一人で倒したことはありません。非常に危険な魔物です。攻撃は背面に回り込めたときのみに絞ってください」


 ケルベロスという魔物は、人間の身の丈倍以上はあるだろう巨大な黒い犬型の化け物だった。特筆すべきは、首が三頭あり、口から火の粉を吐き散らしていることだ。

 それ故に、正面や側面からアプローチした場合、一頭をいなしても、残りの首にカウンターで鋭いキバか火炎放射を喰らわされるということだろう。


「弱点は分かるか?」


「師匠は雷の魔法剣で体を痺れさせ、動きを鈍くしていました。あとは物理で首を残らず斬り落とすのみです」


「分かった。任せろ」


 グレンは再び鋼の剣を構えて戦闘態勢に入る。

 ケルベロスが丸太のように太く筋肉質な四つの足をドスドスと踏み鳴らし、二人のほうへ駆けて来ていた。


「牽制します」


 ソフィアはペガサスの翼を背中に広げると、剣を逆手に構え、一陣の風のような速さでケルベロスに向かって飛び掛かる。

 すれ違う刹那、ソフィアはスライディングして攻撃を避けながら剣を横薙ぎに一閃、ケルベロスの足に傷を負わせた。


 華麗な一撃である。が、感心している場合ではない。怯んだケルベロスに向かって、グレンはライジュウの雷の剣を使い、電撃で痺れさせる。


 ケルベロスの背後に回ったソフィアは、その隙を突き、魔犬の黒い体毛を引っ掴み、宙返りしながら強引に背中の上に転がり登る。

 そして、三頭の首のすぐ後ろに立つと、両手で天高く剣を振りかぶった。


「はあああああ!!」


 気合の声と共に、渾身の力で剣を振り下ろす。


 ケルベロスの首が、一つ、ぶった斬られて回転しながら飛んで落ちる。


「――あああああああ!!」


 力任せに、もうひと振り。続け様に二つ目の首を刎ねる。


 残るは、一つ。


 ソフィアは最後の首にも剣を振り下ろすが、


「ぐっ!!」


 ソフィアの動きが止まる。

 最後の首には、刃が浅く入っただけで、断ち切ることはできなかった。


 さすがに筋力が持たなかったらしい。魔物の巨大な首を二つも連続で斬り落としたのだ、無理もない。


 攻め急いだか、とソフィアがケルベロスからの反撃を覚悟した、そのときだった。


「うおおおおおお!!」


 グレンが鋼の剣を振り下ろす。ケルベロスの最後の首が刎ねられた。


 戦闘不能になった魔犬が結晶化していく中、ソフィアはその体から飛び降り、つま先から優雅にふわりと着地する。


「すみません、助かりました」


 グレンは鋼の剣を鞘に収めながら、首を横に振る。


「気にするな。ほとんどきみが倒したようなものだしな。しかも、巨大な魔物に跨って、続け様に二つも首をぶった斬るなんて。豪快にも程があるぞ」


 まるで伝記で読んだヴァンのように勇猛な戦い方だった。そしてそんな面もあれば、その美しい容貌に相応しい華麗な戦闘スタイルを見せたり、ソフィアは二面性を持っていた。


「昔私の師匠をしていた人が、けっこう豪快に戦っていたので、その影響を受けたのかもしれません」


「そういえば、その“師匠”ってどんな人なんだ? きみに強さから察するに、そうとう高名な人物のように思うが」


 死を覚悟した修羅場をくぐり抜けた安堵感からか、グレンは軽い気持ちで話題を振っていた。


 しかし、次の瞬間、ソフィアが口にした師匠の名前を聞いて、目を丸くした。


「私の伯父、ヴァン・ガードリオンです」


 思わず、言葉を失う。息をすることすら忘れるほど、衝撃的だった。


 だが、そう考えるとソフィアの天才的な強さにも納得がいく話だった。


 伝説の冒険者の血筋ならばその才覚を受け継いでいても不思議ではないし、さらにその伝説の男から教えを受けていれば、戦闘スタイルのクセを含め優れた戦術を身につけていてもおかしくない。


 とはいえ、あまりの信じがたい事実に、グレンは震えた声で聞き返す。


「ヴァ、ヴァン・ガードリオンって……きみの師匠は、あの伝説の冒険者と同姓同名なんだな」


「同姓同名ではなく、本人です」


 ハッキリと断言するソフィア。

 しかしグレンは、きっと事実なのだろうと頭では納得していても、どうしても受け入れられなかった。


 なぜならば、ヴァンはグレンの憧れの人であり、人生の師だった。彼のような伝説の男になることが、子供の頃からグレンの夢だった。

 それなのに、それなのに――


 グレンは本音をぶちまけたい衝動に駆られながらも、ソフィアに理屈で食い下がる。


「ちょっと待ってくれ。ヴァンは弟子を取らない主義だったと伝記には描いてあったぞ? 弟子希望の冒険者はたくさんいたが、全員断っていたって」


「伯父さんも最初はそんなつもりなかったみたいなんですけど、姪っ子の私を色んなところに“観光旅行”に連れていくついでに。【ブルーケイヴ】なんて、綺麗な場所だけど完全にダンジョンだし、自分の身を守るために、ある程度の戦闘スキルは習得しておく必要がありまして……」


「ダンジョンにも一緒に入ったのか!?」


「はい。とはいえ、一緒に旅をしたり弟子だったのは、十二歳から五年間だけですよ。ここ二年ほどは会っていません」


「ご、五年も師事してもらったのかよ、あのヴァンに。冗談だろ……冗談だと言ってくれ……」


「冗談じゃないです。こんなことで嘘つかないです」


“別のことではあからさまな嘘をつき続けているだろうが、このストーカー女騎士め!”という言葉が、グレンの喉元まで出かかった。


 子供の頃から憧れている伝説の冒険者、ヴァン――

 あのヴァンの唯一の弟子が、このストーカー女騎士だというのか?

 しかも血縁で、姪にあたるだと?


 よりにもよって、このストーキング騎士が?


「……なあ。ヴァンの姪であり弟子であるソフィアさん。きみは今日も俺のストーキングをしてたのか?」


「へっ!? い、いえ……私には、なんのことだかさっぱり……」


 先程まで涼しい顔をして雑談に興じていたソフィアの表情が一変する。忙しなく視線を右往左往、体を縮こまらせる。いたずらがバレた子供のようだった。


「じゃあ、落とし穴に落ちた俺を、どうやって見つけたんだよ?」


「それは、その……ぐ、偶然です」


 いつものフレーズが出た。ダンジョンの壁をぶち抜いてまで助けに来てくれたくせに、今日もそれですべて済ませるつもりか。最早ここまで来ると、見上げたストーキング魂である。


 そしてやはり、話の都合が悪くなってきたため、ソフィアはペガサスの翼を背中に展開させ、


「じゃあ、私はそろそろ行きますね。さよなら~」


 呼び止めても無駄なのは分かっているし、今日は捕縛系の魔結晶を持ってきていない上に命の恩人には使えない。

 だから一言だけ礼を言った。


「今日は助かった。ありがとう、ソフィア」


 ソフィアは驚いたように一瞬だけグレンのほうを振り返ってから、けれどいつものように風の如く姿を消した。

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