後編
俺がバイトとして働いている喫茶店は、久我塚高校から歩いて15分ほどの所に建っている。趣のあるその喫茶店の名は〝クレイドル〟。クレイドルはゆりかごのことだ、とマスターである
『僕はね? 学生時代、喫茶店で勉強する学生ってかっこいいなーと思っていたんだよ。生憎と当時の学校近辺にはこんな洒落たお店なんてなかったからね。折角だし僕がやってみようかなって。それがこのお店を開いたきっかけだ』
とは、槙本さんの話である。
学生時代の憧れを現実にしたいというマスターの思いから、ここでは学生に割引をしたり、学生しか利用できない時間を設けたりとか、学生に対するサービスが多い。それがクレイドルの個性でもある。なんだかんだで俺もこの店を気に入っているし。
さて、そんな話はこのくらいにして、だ。
「いつものお願いします」
「俺も同じく」
少し付き合いなさい、と悠月に半ば強制的に引っ張られ、俺は客としてこのクレイドルへとやって来た。俺が働いているのは月・火・木・土の週4日。今日は金曜日なのでオフの日だった。
「2人で来るなんて珍しい。あれ、もしかしてそう言うコト……?」
「違います」
「冗談でもやめてください。愛莉さん」
「にゃははー。ごめんごめん」
そう言って笑っている彼女は
「はいお待たせ―。ブレンドコーヒー2つね。後これ、マスターから」
そう言って、テーブルの上にコーヒーとクッキーが置かれた。俺が厨房の方を見ると、槙本さんがにこやかにこちらを見ていたので、悠月と2人で会釈を返す。マスターは満足げに頷くと、また厨房の方へと消えていった。新作スイーツでも作ってるのだろうか。
「それじゃ、ごゆっくり~」
愛莉さんは間延びした声でそう言って踵を返した。休憩室にでも引っ込んだんだろう。
それから暫しの間、俺と悠月は喋ることなくコーヒーを飲み、クッキーを食していた。10分くらい後だろうか。先に静寂を破ったのは、俺をここに誘った悠月の方だった。
「突然誘って悪かったね」
「それにしては強引すぎやしなかったか?」
「いや、2人っきりのところを見られるのは嫌だったから」
「俺といるのは嫌だってか」
「そうは言ってないじゃん」
「……冗談だよ」
「蹴るよ?」
「怖いこと言うなよ」
一応言っておくが、別に悠月と付き合っているわけではない。確かに他の人間よりかは親しくさせてもらっているが、それだけだ。敢えて名前を付けるとしたら、やっぱり友人、が適切だろう。あるいは同族。
俺が悠月と初めて直接話したのは、6月下旬。期末考査前だった。彼女は、ここクレイドルに勉強をしに来た。そしてその時接客したのが俺だった。きっかけはその程度。何か劇的なことがあったわけじゃない。ただどこにでもあるような、そんな何気ない1日がたまたま交わった、それだけのこと。
そこから彼女はちょくちょくこの喫茶店に来るようになった。同学年の、それも同じクラスの子がいたし、とは彼女の言っていた言葉だ。学校では周囲に壁を作り自分の殻に籠りっきり、というイメージが定着している(あるいはそうさせられた)彼女だが、ここにいる時は打って変わってよく喋る。学校での自分が偽物だ、と言わんばかりに。俺と趣味や考え方が似ていたこともあったのだろう。元から似た者同士なのだ。距離が縮まって、8月になるころには苗字呼びで敬語だったのが名前呼びで気さくに話す仲になるのは必然のことだった。
それから3か月近くこうして仲良くしているが、今のところ俺達の中が学校の連中に知られたということはない。そこはお互い目立つことを嫌う者同士、上手くやって来た。まぁ、今後もそうだという確信は全く持ってないが。
と言うわけで、当然俺は疑問を持つわけだ。俺との関係を知られ、邪推されるのを嫌う悠月が、なぜ俺を引っ張ってまで、つまり俺と一緒にいながらクレイドルに来たか、という事だ。今まで俺と悠月が話すのはこのクレイドルにいる時だけで、学校にいる時はおろかプライベートで連絡し合ったりもしたことも無かった。
だが今日は違う。告白の場面を俺が覗き見していたとはいえ、誰が見ているか分からないあの場所で俺に声を掛け、しかもここまで引っ張ってきたのだ。気になるのも当然というものだろう。
「で、なんで俺をわざわざ連れて来たんだ?」
「あぁ……」
おもむろにそう答えた悠月は、カップをソーサーに置くと、言った。
「少し、愚痴を聞いてもらおうと思って、ね?」
「愚痴ねぇ……」
十中八九さっきの告白のことだろう。
「そう、愚痴。残念なことにそう言ったくだらないことを話せるのが宗稀くんしかいなかったの。告白されてたの聞いていたんだし、私のお願いを聞く義務はある筈だよ?」
「まぁ、な」
それはもっともの話だ。ただ、わざわざ理由が無くても、愚痴ぐらいは聞くぞ、俺。
「何度も話したことだけれど。と一応言っておくけど」
「あぁ。いつもの〝青春とは何か〟ってか」
「そうね」
〝青春とは何か〟。多くの少年少女を悩ますその難題が、もっぱら今日の議題と言ったところか。
「それじゃ、始めるよ?」
悠月はそう言って、挑戦的に笑った。
「いつも聞いているけど。宗稀くんは〝青春〟って何を指すと思う?」
「……部活。友人との会話。皆で遊園地に遊びに行ったりすることもそうか」
「確かにそう。でも、一番最初に浮かぶものは?」
「――恋愛」
「そう、恋愛。恋し愛する。誰もが一度は憧れ、手を伸ばす彼氏・彼女の関係。親友とも、家族ともまた違う、特別なつながりを追い求める。それが、〝青春〟が表す一番のもの」
「確かにそうだな」
「…………」
「……でも悠月は違う」
「別に違うと言いたいわけではないよ。ただ……」
「それに自分を巻き込むな、ってことか」
「……話が早くて助かるわ。さすが宗稀くん」
「基本的に思考回路が同じだしな、俺とお前は」
「だからこそ、宗稀くんとはこうして素の自分で話すことが出来る」
「まったく、いい関係だよ」
「ええ。いい人を見つけた」
俺が皮肉げに、悠月が無邪気な笑みを浮かべる。あぁ。やっぱりいい関係だよ、俺とお前は。
「で? 結局のところ何が言いたいんだよ」
「……それだけだけど?」
「……すみません御令嬢。聞き間違いでしょうか。もう一度お願いしても?」
「……だから、話はそれだけだってば。他人の〝青春〟に私を巻き込むなって、そういう話」
「はぁ……」
「何か不満でも?」
「いえいえ滅相もございません」
今度は思いっきり皮肉る。それにしてもこいつは、その話をするためだけに俺を連れて来たというのか。意味が分からん。いくら思考回路が同じとはいえ、乙女心はいまだによう理解できん。
「そういや悠月。勉強の方は大丈夫なのか……って、聞くまでもないか」
「そうね。宗稀くんは人の心配よりも自分の心配をした方が良いんじゃないの?」
「失敬な。考査前に勉強付けにならなくてもいい程度には頭いいし。それに、そもそも俺をここに連れて来たのはお前の方じゃねぇか」
「……くっ、くふふ……っ」
「おい何笑ってんだお前」
「あははは……! ごめんごめん、少しツボに入っちゃって……」
「こんにゃろう……!」
悠月は少し涙目になりながら必死に声を押さえている。その顔は学校での姿よりも数倍、女の子らしい、可愛い顔をしている。
「……なぁ悠月」
「……ふぅ。何かな、宗稀くん」
俺は悠月をもう一度しっかり見る。今からする質問は、もしかしたら彼女の気分を悪くさせるかもしれない。それでも聞かなければならない。俺は何故か、そう思った。
「どうして、学校ではそうやって自然にしないんだ」
「…………」
悠月は儚い笑みを浮かべたままコーヒーを一口飲む。その所作はとても洗練されていて、彼女がコーヒーを飲み慣れていることが窺える。
雨宮悠月と言う少女ははっきり言って可愛い。端正な顔立ち、艶やかな髪。肌はとても瑞々しく、体形も良い。それにここで話しているときはとても明るく、感情も豊かだ。学校でもこの態度なら、とっくに多くの友人を作り、多くの笑顔を見せていたはずだ。
だが現状は違う。いくら告白をすべて切り捨てているとはいえ、わざわざ口調を変え、全ての人間に対して壁を作り、関係を構築しようとしない。こう言っては何だが、俺でさえ学校ではこの少女と話さない。
であるならば。何がこの少女を〝薔薇の女王〟たらしめているというのか。おそらく、関係を作らずひとりでいるのは自分の意志だ。俺と同じように。本当は俺が踏み込んでいい場所ではない。理屈で考えれば俺が引くべきだ。
だが……それでも俺は問う。何故、本来の自分を覆い隠すのか、と。
「宗稀くん」
悠月が顔を挙げる。彼女は、悲しそうな、でも少し嬉しそうな、複雑な表情をしていた。
「私はね……突き付けられたんだよ」
それは、彼女と話すようになってから、初めて見た表情で。
「それだけの話、だよ」
そして、俺の心をひどく掻き乱すものだった。
「――さてっ、そろそろお開きにしようか」
「あぁ……」
再び無邪気な笑みを浮かべ、悠月が立ち上がる。そして丁度休憩室から出てきた愛莉さんにお会計を頼む。そんな彼女の後ろ姿を見ながら、俺は―――
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