中編
時刻は飛んで4時半頃。野暮用があって少し残っていた俺は、帰宅するため学校を後にしようとしていた。この時期になると日が沈むのも早いもので、テスト期間もあって人気の少ない廊下を夕日が暁に染めている。趣のあるその光景は、結構好きだったりする。
感傷に浸っていた俺は、通りかかった教室から声が聞こえるのを聞いた。少し気になった俺は、閉まっているドアの隙間からこっそりと中の様子を見た。中にいるのはひと組の男女。上履きの色を見るに同学年だ。このシチュエーションを考えるに、おそらく告白をしようとしているのだろう。
好奇心を押さえきれなかった俺は、バレない様に注意しながら耳を傾けた。
「それで、私に何の用かしら、多田君」
少年の名は多田、と言うらしい。聞き覚えはないから少なくとも俺のクラスではない。そしてその雰囲気から察するに、普段は物静かな、内気な性格をしているのだろう。本来だったら雨宮と関わることなど絶対にない、遠く離れた場所に存在する
「……まっ、まずは、呼び立ててごめん。それと、来てくれてありがとう、雨宮さん」
驚いた俺は思わずドアの隙間から再び覗く。逆光で見ずらいが、言われてみれば確かに雨宮に見えなくもないが……。と、そんな時だった。
不意に。雨宮と、目が合った。
「――――っ!」
俺はすぐに身を翻し、息を押し殺す。もしかしたら勘違いかも知れない。しかし、確かに一瞬、雨宮の双眸がこちらを見た。危機感を抱いた俺は、しかしその場から離れることもできず、廊下に座り込んで再び中の会話に聞き入る。
「大丈夫よ。それで?」
雨宮の声が響く。多田はその声で覚悟を固めたのか、息を吸い込むとその言葉を吐き出した。
「ずっと前から好きでしたっ! 俺と付き合ってください!」
静寂が場を支配する。俺は直接見ていないが、今の状態を想像することは簡単にできる。多田は眼を閉じ、頭を下げて差し出した右手を震わせている。対する雨宮は、その光景をじっと見据えながら、どう返答しようものか考えている。誰でもできる想像だ。
そして、雨宮の答えがなんであるのかもまた、分かり切っている事だった。
「――多田君」
「はっ、はい……っ」
顔を挙げた多田が息をのむ音が聞こえた。雨宮の声から察するに、おそらく今の彼女の視線は〝無〟である。言葉通り、文字通りの〝無〟だ。そこに感情は一切入っておらず、ましてや今しがた告白してきた
「そもそもの話、どうして初対面同然の相手に対して告白なんてするのかしら」
「そっ、それはっ」
そこから始まったのは毒をたっぷり含んだ〝薔薇の女王〟の追撃。
「それは、何」
「それはっ、俺が雨宮さんに一目惚れして」
「はっ。一目惚れなんて何の理由にもならないわ。第一、よくもまぁ人となりをそんなに知らない相手に対して恋心を抱けるわね。控えめに行ってもあり得ないわよ」
「――そんなの!」
「もう一度言うわ。あり得ない。あなたの人間性を疑うわね」
「う、あっ……」
崩れていく。多田が築き上げた覚悟と、その支柱となっていた淡い恋心が、一瞬にして、根底から破壊されていく。
「多田、と言ったわね、あなた」
おぅ。とうとう呼び捨てにしやがったよこの御令嬢。
「あなた、一目惚れされたこと、ないでしょ。もちろんあるはずないわよね。だとしたらここまで脳内お花畑ではないはずだし。だから分からないでしょ? 一目惚れされた側の気持ち。はっきり言っておぞましいわよ。突然よく知らない異性から呼び出されて、『あなたの時間を私にください』なんて言うのよ? あり得ない。えぇ、あり得ないわ。そんな過程を全てすっ飛ばした告白なんて応じるわけないでしょう。悪いのはあなたよ。あなたがもっと過程を踏んで、距離を近づけて、それで告白ならまだましだったわ。まぁ、答えは変わらないけれど」
「――――――っ!!」
雨宮から放たれる侮蔑・軽蔑の塊を正面から浴び、多田の精神は既にぼろぼろの状態だ。もはや意識を保つだけで精一杯だろう。しかも、言葉はきつくとも言っていることが全て正論だというのだから余計にたちが悪い。
もはやライフが尽きかかっている多田に、雨宮は最後のとどめを刺す。
「出直して来い、なんて言わないわ」
生気の抜けているであろう多田の顔がゆっくりと上がり、虚ろな目が雨宮を見る。その眼を見据えながら、雨宮は、ただ冷静に、冷徹に、言い放つ。
「二度と関わらないで」
……オーバーキルにも程がありますね。
「…………」
多田はゆっくりとした足取りで雨宮に背を向けると、そのまま俺がいる方とは逆側のドアを開け、ゾンビの様な足取りで昇降口へと消えていった。
再び静寂が場を支配する。これはあくまで推測だが、憐れな多田は友人に唆されでもしたんだろう。どうせ無理だと分かっていながら、それでも告白をさせられた。9割方その友人たちの悪ふざけ。今頃結果を待つ彼らに散々馬鹿にされているんだろう。これが俺達の〝青春〟だ、と言わんばかりに。
その光景もまた、息をするかのように想像できた。そして、そんな自分自身に嫌気が差す。
「――いつまでここにいるつもりかしら」
「……げっ」
軽く自己嫌悪に陥っていた俺は、上から見下ろしてくる雨宮の姿を確認し、思わず顔をしかめた。その反応が気にくわなかったのか、雨宮もまた俺を睨んでくる。
「……にしても、やっぱり気付いてたか」
「そうね。ばっちりと。まさか最後まで聞いていたとは思わなかったけれど」
「まぁ、気になっちまったし」
「最低ね、あなた」
「心外な」
俺はそう答えて立ち上がる。時計を確認すると、長針が9を指していた。たった15分しか経っていない。その事を認識して、俺は戦慄した。
「にしても、相変わらず追い打ちがひどいな、〝薔薇の女王〟は」
「その呼び方止めてくれないかしら。気に入らないのだけど」
「はいはい、分かったから睨むなよ御令嬢」
「その呼び方もあり得ない」
「はぁ……」
思わずため息を吐いた俺に対して、雨宮の視線は鋭く、冷たくなっていく一方だ。これ以上は命の危険にかかわると知っている俺は降参の意を込めて彼女の名を呼んだ。
「……機嫌直せよ、
「初めからそうすればよかったんだよ、
端的に言い表すとすれば、だ。俺と雨宮、もとい悠月の関係は、下の名前で呼び合うくらいには仲のいい友人、という事になるのだろう。
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