第11話
体育祭の日。
五月だというのに30℃に迫ろうかという暑さですでにやる気が失われていく。
やる気満々の人たちは身を乗り出して競技に出ているメンバーを応援しているが、俺からすれば暑くてテントに避難しておかないと干からびてしまいそうだ。
「暑い……。部活してないとこんなに体力って落ちるのか」
先ほどクラス全体でのリレーがあったのだが、競技が終わって数分経っても息が整わない。
勝負もかなり競り合っていて、50メートル走でそれなりに走れることを知られてしまっているために、手を抜く事は出来なかった。
選択した競技以外にこんな落とし穴があったとは。
「桑野くん、お疲れ様です」
「ん? おお、吉澤か」
ヘロヘロになっているのを見かねて、吉澤が労いの言葉をかけてくれた。
他の男子が見れば嫉妬されそうな場面だが、みんな体育祭に夢中で特に俺たちが話していることに気が付いていない。
「足、本当に早いですね。選抜リレーに出る理由も分かります」
「そ、その割には運動神経ないけどな……」
足は早いが球技やマット運動、ダンスなど何をやってもダメ。
出来るのはバレーのサーブと野球のバッティングくらいのもの。
サッカーやバスケをすると大体しれっと筋をやってしまう。
我が妹の運動神経を見ると、なぜ自分がここまで間抜けなのか考えば考えるほど悲しくなる。
「この体育祭でそれは影響しないので大丈夫ですよ」
「ま、まぁな……」
そんな話をしていると、最前線で応援しているイケイケ組の男子が一層盛り上がっている。
「葵ちゃんがパン食い競争をしてるぞ!」
「可愛いし、女子がパン食い競争してるのってエロいよな」
ちょうどうちのクラスが応援しているテントの目の前にパンが吊り下げられており、そこに各クラスの女子が必死にパンにかじりついている。
そんな女子達の中で一際注目を集めていたのが葵のようだ。
「春川さん、やっぱり男子に人気なんですね」
「あー、女子には嫌われるけど男子からするとああいう女好きなやつ多いからな」
トラックの方に目をやると、ピョンピョンと跳ねながら必死にパンにかじりついている葵の姿が見える。
小さい体を生かして、可愛さを醸し出していると言ったところか。
それだけはなく、手が使えない中で必死に頑張る姿がより色気を出していると言うか……。
まぁ男子が見て一番喜ぶ光景なのは間違いないのだろう。
「……由奈はああ言いましたが、私には分かりません。どう考えても彼女の考えていることは理解できません」
「それはあいつと幼馴染である俺も同意見だ。男に媚びるようなあの態度は到底理解できないし、出来たらいけないと思ってる」
「でも、由奈の人の見る目が間違った試しは無いんです」
「言ってたな」
「でも今回ばかりは……。友人の言葉を信じられるか分かりません。それぐらいやはり私は……春川さんの事が嫌いです」
「別にそれでいいだろ。無理して理解できないやつに歩み寄る必要はない。もし古山の言葉が信じられそうなら、信じてみればいいし」
「適当ですね……」
「考えても解決しない問題だからなー。むしろ考えれば考えるほどしんどくなる」
葵が一際大きくジャンプすると、何とか吊り下げられたパンをゲットすることに成功した。
大分手間取ったために高順位は期待できないが、男子からすれば大満足だったようで大歓声が響いている。
「さて、そろそろ二人三脚の準備を始めますかね。春川さんと違って私は失敗すると文句を言われかねませんから、頑張らないと」
正直なところ、吉澤が失敗しても責める男子はいないとは思う。
「頑張ってな」
「あら、私に応援している暇があるのでしょうか? 次は由奈の出る借り物競争ですよ? あの子は条件に合えばあなたを容赦なく引っ張り出しますので覚悟しておいた方がいいですよ」
「もう覚悟は出来てるよ」
そう言うと、吉澤は少し笑ってそのまま集合場所へと向かっていった。
トラックではパン食い競争が終了して、借り物競争を行う生徒たちが入場している。
「この学校の借り物競争のお題って結構攻めたやつ多いらしいな」
「マジで!? 借り物競争って由奈ちゃんが出るんだよな!? もしかしたら……そういうこともあるってことか??」
葵のパン食い競争を見てテンションの上がった男子たちは、高嶺の華に課せられるお題に自分が駆り出されるのではないかと妄想を膨らませているようだ。
そんな様子をため息をつきながら見ていると、パンを咥えた葵がクラスのテントにこそっと帰って来た。
そしてそのまま俺のとなりに座った。
「何でわざわざ俺のとなりに座るんだよ」
「いいじゃない。ここでゆっくりパンでも食べて午前の部の残りを見るのよ」
「あっそ。それならそれで好きにすりゃあいい」
「ええ」
発砲音とともに、第一走目の生徒たちがお題の書かれた紙が置かれた台に向かって走り出す。
ちなみに古山は第三走者。まだもう少し出番まで時間がありそうだ。
「ねぇ」
「何だよ」
「パン半分食べない?」
「全部一人で食べたらいいだろ」
「量が多いのよ。亜弥のこと感謝してるなら大人しく受け取りなさい?」
「……ならもらうよ」
妹のことを持ち出されると、葵には頭が上がらないので素直にもらってやることにした。
「確かにデカいな……」
「女子がやる競技なのにサイズが男向けっていうところに配慮が無いって感じね。はい」
袋を開けてパンを取り出すと、それを半分にして片方を俺に渡した。
それをお互いに頬張りながら競技を見つめる。
「ありがとね、代わりに謝ってくれて。吉澤さん、苦虫噛み潰したような顔してたけど一応和解って流れになったから」
「……実を言うと、吉澤の説得に俺はそんなに貢献できてない」
「え? でも彼女は一応許してくれたわけだけど?」
「それは古山のお陰なんだ。俺の言葉だけじゃ納得出来なさそうにしてたときに、あいつがアシストしてくれたんだよ。お前は悪いやつだとは思えないってな」
「……」
「吉澤は古山とずっと友人で信頼も厚い。そんな彼女の言葉だから何とか考え直したって言うのが本当の答え」
「あっそ。じゃああんたは結局のところ、役に立ってないわけだ」
「そういうことだな、残念だけど」
「まぁいいわ。あんたに迷惑をかけたことは事実だし、チャラってことで」
「あいよ」
借り物競争はどんどんと進んでいく。
現在、第二走者がお題に合った人を必死に探している。
時折激しい盛り上がりと、ヒューヒューと囃し立てる声も聞こえる。
やはりお題はえげつないものが含まれているらしい。
「しかし、この私がまさか高嶺の華に救われるとはね」
「ああ。俺も最初聞いたとき、正気か疑った」
「分からないものね……。何があるかなんて」
「ま、お前がどうのこうの考えるのは勝手にしてくれて構わん。でも、古山のフォローを無駄にするようなことはするなよ」
「分かってるわよ、それぐらいは」
どんどんと借り物競争は進む。
遂に第三走者にバトンが繋がりだした。
うちのクラスも早い内に古山へとバトンが繋がった。
「由奈ちゃんいけー!」
「お題は!? よかったら俺が行くよー!」
遠く離れた古山に聞こえるはずもないが、必死に声援を送る男子たち。
それだけではなく、多くの女子も古山のことを応援している。
古山は手に取ったお題の紙を見ると、そのまま俺たちのクラスが待機するテントの方に駆け寄ってきた。
「お、おい! 由奈ちゃんマジで来たぞ!?」
「だ、誰を駆り出すんだ!? もし俺だったら気持ちの整理がついてない!」
そんな慌て出す男子たち方に向かって古山は駆け寄る。
そして期待に胸を踊らせる男子を掻き分けて俺と葵の元に来た。
「桑野くん! 約束通り来てもらうよ!」
「直前までやっぱり駆り出されないんじゃないかって期待してたんだけど……」
「そんなわけない! 早く!」
俺は古山にしっかりと腕を握られてそのままトラックへと引きずられて行く。
「ふふ、いってらっしゃい」
「「……」」
そんな様子を葵が楽しそうに見ながらパンをかじり、男子たちが呆然と見送っていた。
「古山由奈、ね。私がなれなかった存在になった女……」
パンを食べながらそんなことをポツリと誰にも聞こえないように呟く葵。
「憧れて、手を伸ばしてなれなかった存在に助けられる……か」
古山由奈という存在が"今"の春川葵にとってはあまりにも眩しすぎる存在。
分かり合えない幼馴染を引きずるそんな存在を眩しそうに目を細めて見つめた。
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