第7話 導き

「って、言う話を自分から振るくせに言うと怒るよね」

 なんとなく車内の会話にも困ってきたので昔話を繰り広げてみた。 

 と、言うか皐月はたまに確かめるように昔の話をしたがる。

「私は、あなたがどんな私がいいか再確認しているだけ。経緯まで話してなんて頼んでいない。だいたい、あの時のあなた汗臭かった。ちゃんとシャワー浴びた?」

「そんな昔のこと憶えているわけないだろ」

 実はちょっと期待して色々省略してしまったかもしれません。

 今、僕たちは皐月のお父さんから譲り受けた軽自動車を走らせていた。

 世界が終わる直前。当然道は混んでいて、快適なドライブとは行かなかったが、都市部から離れるほど交通量は少なくなっていった。

「もう皆、目的地に着いたのかも」

 彼女がボソッと、そう言った。

 その通りだったらいいのに、と僕も思う。

 最後の日に一緒にいたい人と過ごせているのなら、今日はきっと人類にとって幸せな一日だ。絶望の中でも温もりを感じられるのなら、それがいいに決まっている。

 料金所から人が消えた高速道路を降りて、二時間ぶりの下道を走っていると、皐月が「止めて!」と叫んだ。

 もはや僕らの軽自動車しかいない道路だ。遠慮なしにブレーキを踏む。

 タイヤがアスファルトを切りつけて、慣性が僕らを前に押し出す。頭をハンドルにぶつけることは無かったが、首筋を傷めてもおかしくないほどの勢い。ここで思っていたよりスピードが出ていたことに気が付く。法定速度四十キロに対し、七十キロ近く出ていたんじゃないか。ほとんど車が無いからって、これは危なすぎる。気を付けよう。……それより、

「な、なに?」

「あれ、人……」

 皐月が窓越しに指さす方。歩道の上にスーツ姿の男がうつぶせで倒れていた。

 顔を見合わせ、二人で車を降りる。

 世界が終わるまで時間は少ないが、見たふりして通り過ぎれるまで、僕らは焦っていなかった。そこにいる人が死んでいるのかどうかわからない心残りを抱いたまま、終わりたくなかっただけかもしれないけれど。

 駆け寄って近寄ると、男を囲むように、歩道の荒い舗装の溝に血が溜まっているのがわかる。

「大丈夫ですか!聞こえますか!」

 皐月がスマホを取りだしてどこか──恐らく消防──に電話をかけだす。

 起き上がらせることや、向きを変えることすら危険かもしれないので左頬を地面に付けた顔を覗き込む。

 その顔には見覚えがあった。

「本谷……さん……」

 かつて、皐月と不倫関係を築いていた男だ。

 あの夜以来会っていなかったけれど、なんでこんなところに。

「……っ」

 よかった、意識はある。

「本谷さん、本谷さん!聞こえますか⁉聞こえるなら返事をしてください!」

「あぁ、誰かと思ったら……君だったか……」

 耳も聞こえている。まだ間に合うかもしれない。

「憶えていてくれたんだな……」

「あなたもね」

 忘れるわけがないだろ。横に皐月も一緒だよ。見えていないのか。

 目が虚ろだ。焦点があっていない。とにかく傷口を抑えないと。

 歩道に設置した側の頭から血を流している。

 持っていたハンカチを傷口と歩道の間に挟めば、すぐに端が赤黒く染まる。傷口が広いのか。それとも、怪我をしてから時間が経っていないだけか。いや、これだけの傷で溜まりを作るほどに血を流せるわけがない。

「他は……」

 今いる場所は地形的に坂になっていて、頭が下で、脚が上の位置にある。そして、血は強いて言えば脚から頭の方へ流れてきている。

 視線を頭のほうから脚の方へ滑らす。

 あった。太ももだ。

 ズボンの高い位置から大きく切り裂かれて口を使っている。

 その口の奥、目を反らしたくなるほど開かれた傷口が見える。

 上着を脱いで……。いや、上着じゃダメだ。大きすぎて縛るには適さない。

 その下に着こんでいたシャツを脱いで、できるだけキツく縛る。応急処置だ。完全な治療じゃない。早く病院へ。

「ダメ。繋がらないわ……」

 皐月が首を振る。もう、インフラが機能していないんだ。皆、会いたい人へ会いに行った。誰も責められない。

「だいたい、どうしてこんなところに……」

 あんたの家は僕の家の近く。こんなところじゃなかったはずだ。

「──ッ、恥ずかしい話……、結局家族に皐月さんのことがバレてね……」

 自嘲気味に笑う。血を失って、乾いた笑い声が嫌な結末を予期させる。

「めでたく別居さ……」

 力無い腕が彼のポケットに入り込み、一冊の手帳が取りだされる。

 最初のページを開けば、家族──小学生ぐらいの娘と奥さん、それに本谷本人──が映った写真が挿まれている。

「会いに行こうと……思ったんだ……」

 もう、諦めたかのような口ぶりだ。

「連れて行きますよ!だから黙ってて!」

 本谷は口を止めない。もしかしたらもう聞こえていないのかもしれない。

「……車を走らせていたら……、襲われている女性がいてね……、このザマだよ……」

 また、ハハッと笑う。バカなことしたな、と戒めているような。本当にバカだと思う。そんなの見つけても通り過ぎればよかったんだ。見逃したとしても、誰も咎めない。あと六時間もすれば日本に世界の終わりがやってくる。例え、上手く助けられたとしても、そのぶん家族と一緒に過ごす時間が減るだけだ。

「なぁ、頼みを聞いてくれないか……。娘と、妻に……。すまないって伝えといてくれ……」

「すまないってなんだよ!自分で伝えろ!連れて行くから」なんでお前のお願いを聞かなきゃいけないんだ。

「無理だ……。仕事柄わかるんだ……、この傷は致命傷で、もう長くない……」

 弱々しく拒む僕の手に、びっくりするほど力強く手帳をねじ込む。三万円をねじ込まれたときと変わらない、力強い手。

 こんなに動くんだったら大丈夫だ。自分で渡しに行け。手伝うから。なあ、知らない人間が突然現れてもあんたの家族は困るだけだろ。それに、皐月だっている。お前、皐月が原因でこうなってるんだろ。会わせるのか。そんな無責任があるか。

「…………」

 青白い顔が笑みのまま動かなくなった。力強かった手が落ちそうだった。

 拒んだはずなのに、なぜか今は離したくなかった。

 もっと彼と話しをしてみたかった。

 彼のことを嫌いで、憎たらしいはずなのに。

 彼のことを見ないで、知るなんてこともせずにいたのに。

 永遠に機会が失われた喪失感を埋めたがっている。

 強い風が三回吹いた。

「行きましょう……」

 皐月が助手席に乗り込む。

 開いたままの目を掌で眠らせて、ジャケットをかけて僕も運転席へ。せめて、この世の果てがここに到達するまで、安らかに眠れるように。

 エンジンをかけて、ハンドルを握っても、本谷の最後の手の感触は消えなかった。

「あの人が助けたって言う人、無事だといいね」

 ようやく作れた話題がこれだった。

「そうね……」

 確かめる術は僕らには無かった。

 名も知らぬ女性が、今どこでどうしているのか。できれば笑顔でいて欲しい。本谷の犠牲の上だとしても、彼が望むことだから。 

 でも、なんで本谷は見知らぬ女性を助けに出られたのだろう。無視してもよかったのだ。さっきも思ったが、誰も咎めない。黙っていれば、誰も調べないはずだ。

「本谷は、刑事よ」

 答えのようなものは皐月が教えてくれた。

 彼女の口から本谷と発せられたのは、あの日以来初めてだった。

「え……?」

「あなた、あの日、投げ飛ばされたでしょ?あれ、そう言うことだから」

 そう言うことだからって、警察官として柔術とか備えていたからってこと?

 いいの、それ?僕バリバリの一般人ですけど?

「掴みかかって行ったけれど、やろうと思えば刑務所にでも連れていけたのよ」

「いや、けど、あれは向こうが……」 

 あまりにも無責任な行動をしたからで……。

「だいたい、皐月のことを隠さなきゃいけないし、やっぱり無理でしょ」

「私が証言しなかったらいいだけよ」

「…………僕の味方じゃないの?」

「あのときはまだ敵みたいなものよ」

「そうですか……」

 今がいいならいいのよ、と彼女は結んだ。皐月の今がいいなら僕もそれでいいよ。言わないけれど。今をずっと続けていければいい。その今ももうすぐ永遠になるけれど。

 本谷はその職業を全うして死んだ。

 世界が終わる直前まで闘い、永遠にその職に就くこととなった。

 僕たちはこの事実を彼の家族に告げなければならない。それが、彼の最期を見送った僕たちの役目の気がする。義理なんて捨ててもいいかもしれないはずなのに、大事にしたいものの一つになっていた。

 けれど、本谷は彼の義務と責任を出せなかった。その意志を僕たちは継ぐ。眠らせる墓標は作れなかったが、彼の思いを家族まで運ぶことぐらいはしなくては……。

 もう一つ、疑問があった。

「車はどうなったんだろう」

 本谷は車で向かっていたと言っていた。

 だけど、あの場所にそれらしき車は無かった。

 襲っていたやつらが奪っていった?

 女性の件と違って、結果はすぐに判明する。

「あ、」

 皐月が声を上げた。

 何かを見つけたようだが、今度は停車を求めてこない。

 僕もすぐに見つける。

 進行方向の先に、ガードレールに突っ込んでひしゃげた乗用車が一台。

「本谷の車よあれ……」

 中に人がいるかどうかは見えなかったけれど、ドアは開いていたから、きっと捨ててどこかへ逃げたのだろう。

 事故ったとき、そこに本谷が助けた女性がいなければいいと、もう一度願う。

 本谷の家族が住む場所は、彼が眠った場所から一時間で到着した。

 彼は場所のことなど一言も言わなかったが、手帳に挟まっていた名刺サイズのポップでなんとか辿り着けた。本谷の妻の実家は喫茶店だった。

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