第21話 偵察
百聞は一見に如かず、という
……いや、意味はほとんど同じだな。ちょっとひねくれて考えればすぐにでも出てきそうなことだが、今はそれが真実になることを願っている。これから実際に百聞を一見することになるのだから。
そんな考えを巡らせて僕が立っているのは、我らが私立尾夜賀瀬高校の体育館、その入り口だ。
どうして学校に居るのかを説明するとかなり長くなる。しかも、そのほとんどが癒月と葵との下らない会話で占められることになるのだが……とりあえず端的にまとめると、緑川を悪者にしようと躍起になっていた僕を見かねた二人が、じゃあ一度実物を見て来いと送り出したわけなのだ。先にも言った百聞はなんたらというやつである。
因みに僕以外の二人は、捕まったら面倒くさいとか照れて顔向けできないとかの諸々の理由で特別棟の文研部部室に引きこもっている。僕の家から持ってきた僕のお菓子でのんびりくつろぎながら……いやもうほんとあの二人何なの。
葵は「とにかくいい人」と連呼するばかりだし、癒月まで「悪い人じゃない」なんて言ってくるし。こっちの立場も少しは考えてほしい——とはいっても、さすがに手ぶらで戻るわけにもいかないのが現状だ。
気を取り直して、シューズの擦れる音が絶え間なく響く体育館をこっそり覗いてみる。
手前側は女子バレーボール部の練習領域のようで、青と黄色に塗り分けられたボールがポンポンと少女たちの頭の上を跳びまわっている。そしてその向こう、緑のネットで仕切られた奥の領域では、男女のバスケットボール部が上手いこと狭い敷地を活用し、踊るようにボールを操っていた。
……さて、一度整理しておこう。
今回ここに来たのは、緑川が部内でどんな扱われ方をされているのかを覗くことが目的だ。つまり本人を観察するのではなく、その周囲の人間をじっくりまったり眺めることで、客観的に緑川の人となりを知る。あの癒月が人格者だと褒め称える人物なのだから、部内でもそれ相応の地位に居るはずだ。
頭の中でイケメンで性格の良いクソ野郎の想像図を組み立てながら中に入り、二階の傍聴席、俗にキャットウォークと呼ばれる場所に梯子を伝って登る。女バレの視線が不審者に向けられる物のようで少し痛かったが、普段癒月と歩いている時に感じるものと比べればそよ風に等しい。さらりと無視して奥まで向かうと、先のバレー部とは比べ物にならない熱気が空気を通して伝わってきた。
キュ、キュッ、と足裏のゴムが擦れる音を背景音楽に、だん、だだん、と重いボールが叩きつけられるドラムが響く。
鍛えられた体は俊敏にコート内を飛び回り、霞む腕先が繰り出すドリブルは目で追っていくのがやっと。あちらでパスが出たかと思えば一瞬でこちらのゴールに球が入り、またボールの奪い合いが始まる。
ルールは良く知らないが、選手たちが本気の本気で対戦していることは十分に感じられた。流石はインターハイ出場経験のある部活といったところだろうか。今は模擬戦の真っ最中らしいが、どうやら他校との練習試合というわけではなく、部内で紅白戦のようなものを行っているらしい。全体の半数の選手がユニフォームの上に白い薄地のベストのようなものを着用し、敵か味方か見分けがつくようになっている。暑さで動きが落ちたりしないのかが唯一の気掛かりだ。
そう思った直後、ベストを着用したチームのほうから馬鹿でかい声が響いた。
「よっしゃあ白! 盛り上げてくぞぉっ!」
声の主はチームでも一際背の高い男で、試合では頭一つぶん抜けて活躍している男だった。背番号の数字は5。
「しゃあっ!」
「おっす!」
便乗するようにメンバーが叫ぶと、チームの雰囲気がピリピリと引き締まる。
そして次の瞬間、コート内にボールが再び現われ、殺し合いのようなゲームが再開された。
「圭介!」
「圭介そっち!」
「5番マークしっかりしろ!」
どうやら、白チームに発破をかけた5番の名は圭介というらしい。というか、どこからどう見ても緑川である。あんなイケメンそうそういるものではない。
そう思った矢先、緑川が物凄い速度でコートを走り抜けた。
「上がって上がって!」
「急げ急げ!」
「そこっ! おい!」
ベストを着ていないチームが必死に防ごうとするが、緑川はドリブルと巧みなフェイントでその全てを躱し、あっさりゴールを決めてしまった。仲間たちにはそれが当然らしく、緑川と素早くハイタッチをかわしている。
「ナイス!」
「ああ。次準備!」
「おう!」
……この光景を見ていると、天は二物を与えないとかいうのは嘘っぱちだと嫌でも理解できる。
現に顔も良いうえに運動も勉強もできる奴がそこにいるのだ。残るは性格だが、チームメイトから一目置かれている上に、一人で無双しているのを咎める奴もいないって事は、あいつがカーストの頂点に君臨している、もしくは部員全員の信頼を得ているってことになる。部内のカースト制度は基本的に年長者が上になるシステムだから、まだ三年が引退していない四月の今、二年は上に立てない。となると、必然的に後者の理由が当てはまる。
つまり緑川圭介は、文武両道才色兼備で、さらに素の性格もよくカリスマ性も有するという天衣無縫の天才ってことだ。クソ羨ましいというか、絶対勝てないというか……もはや本当に高校生かと疑いたくなるレベル。生徒会長にでもなれば学内の歴史に名を残すくらい簡単にするんじゃないだろうか。
ひねくれ文化部の脳内でそんなことをぶちまけていると、突然鋭いアラーム音が鳴り響くのが聞こえた。いつの間にか試合が終わっていたのだ。これから選手たちは休憩に入るらしい。
緑川はどこかと目を走らせると、ベストを着てない選手と笑いながらハイタッチしているところだった。笑顔で対話しているところから見て、やはり相当な人望とコミュ力の持ち主らしい。あの二人が手放しに誉めるのも理解できるわけだ。
おおかたの情報収集が終わった僕は視線を外し、汗まみれの男どもが肩を組む光景をぼんやりと眺めた。
そしてふと、中学の頃に在籍していた剣道部を思い出す。とにかくきつい稽古を繰り返すだけの日々だったが、もしかすると僕らも、傍から見れば彼らと同じように見えていたのだろうか。
まだ終わっていないはずの青春に懐かしさのようなものを覚えていた時、ゾクリと背筋が震えるほど強い視線を感じた。
「……」
目線を動かして出所を探すが、二階の隅の僕に気が付いてる奴なんかどこにもいない。気が付いたとしても気にも留めない。が、見間違いの線は薄い。常日頃から癒月の隣にいれば、そういう視線には自然敏感になるのだ。
再びしらみつぶしにコート内を探ってみるが、やはりそのような人間はいない。しかし、疑心暗鬼で夢中になりすぎていたのか、それとも単に感覚が鈍っていただけなのか、僕は隣から近づいてくる人影に気が付かなかった。
「……見てて面白い?」
「っ!」
思わず飛び上がって横を見ると、人好きのする微笑を浮かべた今日のターゲットがそこにいた。
「あ、ごめん。びっくりしたよな」
「いや、別に……」
大丈夫だ、と続けたがそいつには聞こえなかったようで、
「俺は緑川圭介。ここの副部長をさせてもらってるんだ」
と、さらりと自己紹介を済まされた。それにどう反応しようかと迷っていると、「君は?」と実にスマートに尋ねられる。話しやすいように誘導したのだと気がついた僕は少しだけ感謝しながら、自分の名を伝えた。
「那珂川君っていうのか。……ああ、俺のことは普通に圭介って呼んでくれ。みんなそう呼んでるから」
「いや、名字で呼ぶよ。なんか馴れ馴れしいし」
緑川はそんな僕の反応に驚いたようだった。
「そうかな? まあ人ぞれぞれだし、好きに呼んでくれてかまわないよ」
「ああ、そうさせてもらう」
僕が答えると、緑川はふっと微笑んでキャットウォークの手すりにもたれかかった。
何も話すことの事もない時間が無為に過ぎる。
「……」
「……」
沈黙に耐えかねたのか、それとも別の意図があるのかは分からなかったが、緑川は爽やかな声でこんなことを言ってきた。
「突然こんなこと言って気を悪くしたら申し訳ないんだけど……最初、君のことを女の子だと思ったよ」
なぜ? と問おうとしたが、わずかに覗く憂いを帯びた横顔に言葉が途切れる。
緑川は変化の無い声色で続けた。
「たまに来るんだ。大抵一人で、毎回違う子。俺は部活終わりに呼び出されて——」
「……」
「ほぼ確定でこう言われる。「好きです、付き合ってださい」って。それで俺はいつも……って、ごめん。こんな話するもんじゃないよな。いつもの所に君がいたから、つい……」
そして何を思ったのか、一言「ごめん」とだけ言って頭を下げる。
僕はそれにのろのろと言葉を返した。
「いや、別に謝る事じゃない……と思う。そんな気持ちだったのかって、初めて知れたから」
緑川は不思議そうに首を傾げた。
「……どういうことだ? 君と話すのはこれが最初のはずだが……」
「そうだよ。でもまあ、似たような奴を知ってるんだ」
お前と似ていて、でも正反対の奴を。
「へえ……」
緑川は今度こそ本当に驚いたらしく、
「それはぜひ一度会ってみたいな。今度紹介してくれる?」
と、無邪気に尋ねてきた。
もちろん断る。
「絶対に嫌だ」
「無理じゃなくて嫌なのか……」
緑川は苦く笑うと、ちゃぷちゃぷと水筒を揺らした。もう残り少ないらしい。
僕らが再び沈黙に入ろうとしていると、
「でも、幸せ者だな……その人は」
突然緑川がそんなことを言った。
「は? なんで幸せなんだよ」
緑川はくくっと楽し気に笑う。
「いや、もう少しその友達をよく見てあげたら分かるかもしれないな」
「え、ちょっと訳が分からないんだが……」
「そうか? なら――」
緑川が何か言いかけた瞬間、ピピピピッ! とけたたましいアラームがそれを遮った。タイマー代わりの点数装置が発した音らしい。
「ごめん、もう行かないと!」
緑川は水筒から素早く一口飲んでそう言うと、ひらりと手を振って梯子を駆け下りた。下から先輩らしき人が怒鳴っているのが聞こえる。
「圭介遅えぞ!」
「さーせんっ! すぐ行きます!」
部員達には先程までの弛緩した雰囲気は一欠けらも無く、既に試合前の緊張感が場を支配していた。緑川がそれに一瞬で対応すると、部長らしき人が前に出る。
「次は圭介と怜が交代な! お前らエースが急に変わってもちゃんと対応しろよ!? じゃあ始めっ!」
指示を受けた部員たちは各々返事をしながらそれぞれの場所に散っていく。
僕は緑川が反対のチームに移るまで見届け、その場を後にした。来る時と同じように垂れ下がった緑のネットを潜り抜け、梯子を下り、特別棟に向かう。もうバレー部の視線は気にならない。
言葉を交わしたことで、なんとなく緑川の人柄は理解できたような気がした。
最初はどんなにいけ好かないイケメン野郎だろうかと思っていたが、なんとも筆舌に尽くしがたい奴だったと思う。ただ少なくとも、葵が言っていた「いい人」というのは少し違うような気もするが。
「どっちかというと、癒月の言ってた事のほうが近いよな……」
癒月は緑川のことを「悪い人ではない」と評していた。
それは一見葵の評価と同じように見えて、実は違う。「良く」はないのだ。しかし悪いということでもなく、つまり両方の評価に足る理由が存在しているということ。癒月が噂の如き絶世の美少女というだけではないように、緑川の本質もまた別にある。豊かな才に恵まれていて、多少生き方が上手いというだけでは人ひとりを言い表すのには到底足りないのだ。
ならば、緑川を良い人だと断じた葵は、一体あいつの何を見ているのか。
何をもって堂々と好きだと、僕の気持ちに応えられないと宣言することができたのだろうか。
そして、緑川が憎むべき悪でないことを知ってしまった僕は、これからどんな気持ちで二人の糸をつなげていかなければならないのか。
考えても答えは出なかった。
否、このような中途半端なことをしている僕に答えなど出せるわけがなかった。今でさえ、癒月に相談すればいい、なんて最低な考えが頭に浮かんでいる男なのだ。こんな奴は苦悩の海に溺れて死んでいくのがお似合いだろう。
だからこそ、特別棟の入り口にもたれていた人影が彼女ではないと分かった時、思わず安堵のため息が漏れた。なぜこの時間、この場所にいるのかという素朴な疑問も吹き飛ばすほどに。
二日前のお礼を言わないといけない。
まずはそう思いながら、僕は退屈そうに空を見上げている未知留先輩のもとへ急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます