第20話 会議

 次の日。那珂川なかがわ家の居間。

 時計の針が正午を回ったところで、ちゃぶ台に座る女性が厳かに口を開いた。


「では、これより緑川圭介を恋の奈落に引きずり落とす大作戦、第一回会議を始めたいと思います。拍手」

「わー」


 パチパチパチ、と全校集会でやってしまった感溢れるような音が空虚に響き渡る。

 もちろん僕は微動だにせず、この物騒な名の集会を開催した癒月ゆづきさんも本当に拍手されると思っていなかったのか無表情。二人で懸命に手を叩く葵を眺めていると、いまさら恥ずかしくなったのか赤くなってうつむいた。


「相変わらず天然だな」

「う、うっさい! 拍手って言われたからしただけだって!」

「天然は認めるのね」

「違うってば!」

「というか昔の僕はともかく、葵はアレだろ。理性なかったよな」

「キィィ……」


 怒り狂ったオコジョみたいな葵は、何を血迷ったか拳骨を握って僕につかみかかってくる。それをひょいとかわしてそのまま癒月に押し付けてやると、なんだかんだ言って仲は良いのか、癒月は何度かその頭を撫でただけで大人しくさせてしまった。将来はペットショップの店員とかいいのではなかろうか。白シャツに黒エプロンを着せて髪を一振りポニーテールにしてしまえば、ペットだけでなく男もわらわら寄ってこよう。癒月が片っ端から潰していく未来が見えないでもないが。

 店員癒月が肩の上に猫を載せている所まで想像した時、目の前の癒月は葵の頭に手を置いて女神のような微笑みを浮かべて言った。


「大丈夫よ、葵さん。いまどき養殖じゃない天然なんて希少なんだから。みんな違ってみんな良い。それは誇るべき才能なのよ」

 葵はパッと顔を明るくさせたかと思ったが、すぐにんん? と首を傾げた。

「なんだか言いくるめられてる気がするけど……まあいいや。実はちょっと気にしてたんだよね」

「別に気にする必要はないわ。もしかするとその天然属性が緑川君を落とす時に役立つかもしれないし」

 ……ん? いや、確か糸島から聞いた話では……

「……緑川って、僕的には知的なイメージがあると思ってたんだが……あっ」

 まずいと思ってとっさに口を塞いだが、葵は何も分かっていないのか無邪気に首を傾げた。

「? どういうこと?」

「あ、いや、えっと――」


 必死に何か別の言い訳を探していると、癒月がこっちを向いて口パクしているのが見える。


『あ・ほ』


 ……否定できないのが悔しい。そう思って睨むと、何に満足したのか癒月はにんまりと笑い、人差し指で唇の端から端までを素早くなぞった。アホは黙っておけということだろうか。


「ねえ葵さん、綾人の言うことなんて信用に値しないわ。ほら、こっちに来て一緒に考えましょう」

「えー……うん、わかった」


 あっさりと思考の矛先を変えたのは、葵が素直なのか。それとも僕が言われたようにアホの子なのか。いや葵のアホは今に始まったことでもないし、癒月に対してだから素直なのか。

 一難去って安心した僕はのんびりとちゃぶ台に頬杖を付き、癒月が葵を宥めて座らせるまでを眺めていた。が、突然パンと軽く両手を打ち合わせる音で現実に引き戻される。


「それじゃ、今度こそ会議を始めましょう」


 乾いた空気に当てられた僕と葵が生真面目に頷くと、癒月はロングスカートのポケットから携帯を取り出した。そのまま事務報告でもするかのように淡々と内容を読み上げていく。


「まず、緑川圭介を落とす前に、やらなければならないことが幾つかあるわ。まずは当たり前だけど現状確認。私が知っている緑川圭介の情報と、葵さんが知っている彼の情報を突き合わせる。恐らく私の方が古い情報だと思うけど、葵さんが知っていることとあまり変わりは無いはずよ」


 癒月は言葉を切り、葵を見た。


「葵さん」

「は、はいっ!」

「もし私とあなたの認識に齟齬そごがあったとしても、あまり気にすることはないわ。もう何年も前のことだから」

「はいっ!」


 まるで社長に声をかけられた平社員だな。いや、それだけ癒月の雰囲気が変わってるってことなんだろうが。


「綾人」

「はい」

「これからは主に情報収集に当たってもらうことになるわ。顔が割れていないのがあなただけだから」

「……具体的には?」

「簡単なことなら、あなたの友達に聞き込みを行うことでしょうけど――あっ」

 癒月はきゅっと悲しそうに眉に皺を寄せた。問題に気が付いたらしい。

「……そうよね。あなた、クラスに友達がいなかったものね」

 そっとを目を逸らすな。いつもの事ながら余計傷つくだろうが。

「お前も似たようなもんだろ。光属性か闇属性か。ベクトルの違いだ」

 すると癒月はあごに細い指を当てて考え込む。

「……つまり、綾人はネガティブな印象を持たれて引かれていて、逆に私はポジティブな印象を持たれて引かれている、そう言いたいのね?」

「わざわざ説明してくれるなよ……」

「あらそう? ……といっても、別に聞き込みをするのは綾人じゃなくても構わないんだけど」

 ……あえてそれを最後に持ってくる辺りとてつもない悪意を感じる。というか先に言えよ、先に。



 癒月はその後、友達どころか知り合いすら少ない僕に対して、いかにクラスメイトと直接触れ合わずに情報を読み取るかという講義を垂れてくれた。が、その内容は完全に諜報機関が行うような物騒なものだったため、とてもじゃないが学校で実践するなんてことは無理だった。一体誰が望んで正しい拷問方法なんてものを知りたがるんだ? 「一、相手に恐怖を与えるために目つぶしで視界を奪いましょう」とか、こいつは僕が見てない所でどんな学校生活を送ってきたんだよ。謎の暗部との抗争に明け暮れていたりしてないよな。


「……とりあえずはこのくらいかしら」

 しばらくせっせと数多なる拷問方法をスマホに記録していた癒月は、書き終えるとそれをためらいなくこちらに差し出した。

「いまから緑川君の情報を私たちで出し合うから、綾人は議事録をお願い。……あ、議事録といっても、大体の内容が後で分かればいいから。あなたの好きに書いていいわよ」

 そう言って僕にスマホを押し付けた癒月は、紅茶でもいれるつもりなのか台所の方にさっさと行ってしまった。

「えぇ……」


 面倒臭さに思わずため息が漏れるが、実際に会議をするのはこの二人なので仕方がないと言えば仕方がない。とりあえず僕は色々と書き込まれた電子ノートから議事録とやらを探してみたのだが、そこには「昨日の晩御飯の食材」や、「緑川、落とす方法」と銘打たれた物騒なタスクリスト、更にはさっきのおぞましい苦痛を伴う尋問方法が明朝体の文字で淡々と記録されていただけだった。

 ……こうなればもう僕の独断と偏見で書くしかない。多少緑川に関して荒っぽいことが書かれているかもしれないが、礼の如く異論反論抗議質問は認めないってやつだ。葵の幼馴染としてそれくらいのことはさせてもらう。議事録というのはあってないようなものらしいしな。


 十五分ほどの休憩を挟んだ後、癒月と葵の情報交換会議が始まった。


「私が思う緑川君はね、端的に言えばとにかく誠実で優しい人だと思うの。もうね、なんか悟りを開いてるくらいに」

「……緑川圭介、女子の視点からは一見誠実で優しそうな人柄に見える、と」


 葵が熱弁するのをフリック入力で書きとりながら、頭の中で緑川に対する想像を膨らませる。

 ——恐らく、奴はクラスの誰よりも、いや学年の誰よりも顔は整っているのだろう。しかし、裏では常に周囲に女子を侍らせる帝王のような憎むべき存在なのだ。もしくは、誰にでも優しくできるペルソナを被った計算高い精神の持ち主か。


「……誰かがペンを落とせば一番に拾ってくれるし、何か相談事があれば自分のことのように真摯に考えてくれる。クラスの誰とでも仲良くしてるし、内向的な人も彼とはよく話をしてるの」

 ……なるほど。

「誰かが私物を落とすのを常に血眼で探している上に、積極的に人の弱みを収集している。自分と正反対のグループを手懐ける話術もあり……まるでどこかの詐欺師みたいだな……」

 頭でまとめるためにぶつぶつ言いながら全て書き留めた所で、こちらをじっとり睨む葵と目が合った。

「なに?」

「……別に」


 何か言いたそうな様子だが、まあ多分ろくなことじゃないんだろう。「緑川君はそんな人じゃない!」とか。ならば頼れる癒月さんの意見を聞くことにしたほうがよっぽど良い。そう思って向かいを見れば、癒月が苦笑いを浮かべてちょっと引いていた。


「ま、まあ、予想はしてたけどそうなるわよね。別に彼の事がどう書かれようとも私はどうでも良いんだけど」

「なんだ、拡散希望かと思ったのに」

 冗談で言ってみたのだが、癒月はすっと表情を消した。

「……ねえ、そのスマホが誰のものだか分かって言ってるの? もしそんなことをしたら……消すわよ?」

「いや怖いな!」

「あなたが悪いのよ」

「すいませんでした」

「はい、よろしい」

 いつものやり取りを終えた僕らは再び本題に戻った。

「で、癒月はどう思うんだ。緑川のこと」

 癒月は「不本意ながら」と聞こえてきそうな深いため息をついた。

「……残念かもしれないけど、第三者的な視点から見れば彼の人格はほぼ葵さんの説明通りよ」

「つまり、甘いマスクを被った今世紀最大のペテン師というわけか」

「違うわよ……というか、よくあんなに解釈を捻じ曲げられるわね、逆に尊敬したいくらい。将来はテレビ局なんてどうかしら?」

「僕のコミュ障をなめるなよ。一日誰とも会話しない日なんてザラだし、昼休みは部室に籠って誰かさんと二人メシだ」

 よく分からん戦いを強いられなかったら最高なんだが、と言いかけたところで、ぽかんと僕たちのやり取りを眺めていた葵が初めて反応らしきものを見せた。

「あ、教室に行っても居なかったのって、そういう……」

 なんだか可哀そうなものを見る目で見られているような気がするが、状況をかんがみるに友達ゼロのろくでなし二人が身を寄せ合っているだけである。交際相手の見つからない男が「できないのではない。作らないのだ」と言ってるようなものだ。

 しかし癒月は事実を受け入れられなかったようで葵に喰ってかかった。

「ねえ葵さん、違うのよ。別に私に一緒にお昼ご飯を食べる友達がいないというわけではないの。ええ、だってそうでしょう? 自分の好きな人が片っ端から半自動的に失恋していくのを見て、嫌な気持ちになる女なんて皆無なはずだもの」

「あー、確かに癒月ちゃんは滅茶苦茶にモテるもんね……」

「外見と中身が比例してないよな」

 ぽつりとこぼすと、瞬時に悪寒が全身の神経を駆け巡った。ポンと肩に手を置かれ、恐ろしいほど明るい声色で話しかけられる。

「綾人、今日の晩御飯おしおきは何が良い? 挽き肉? サイコロステーキ? それともソーセージ?」

「間違えました。外見と中身は相関関係にあると言いたかっただけです」

「あらそう。言い間違えには気をつけてね?」

「イエス、サー!」

「早速言い間違いよ」

「そ、ソウリィ、マム」

「以後気をつけなさい」

「はい……」

 傍で見ていた葵は力関係がはっきりしているこのやり取りを見て何を思ったのか、

「やっぱり仲いいよね! 二人とも」

 なんてことを嬉しそうに言っていた。暗喩という表現技法を知らないのか、それとも理解したうえで言っているのか……長い付き合いがあっても分からないことはあるものらしい。

 ちょっとしみじみとした感覚を抱いた僕は湯呑みから一口緑茶を飲み、

「……って、そうじゃないだろ! さっきから話がそれてるけど、これは緑川と葵をくっつけるための会議だろうが!」

「うわっ!」

「っ!」

 癒月と葵が小さく飛び上がるほどの大声を上げてしまった。流石にかの有名なちゃぶ台返しはやらなかったが。

「あ、あの、綾人? ちょっと目が怖いんだけど……」

 世にも奇妙なものを見てしまったという表情の葵が言い、

「まるで獣ね。でも確かにそのことについては全然話してなかったわ」

 と今日は何故か毒舌過多気味の癒月。

 そんな二人に僕は重々しく頷き、久々に心の底から本当の笑顔を掘り出した。

「……そう。だからこそ、今からは本気の作戦会議と行こうじゃないか……なあ、葵さんよ?」

 猫に睨まれたネズミのように葵はびくりと震えるが、それに追い打ちをかけるのは……振られた者としての当然の権利だろう。遠慮なく踏み込んでいきましょう。

「そういえば聞いてなかったが……葵はこの僕たちに恋路を切り開く手助けをしろと言ってるんだよな。つまり、振った相手を更にこき使っているってことで……相応の対価を持ってきているとみなしていいんだよな?」

「ひっ!?」

 ズザザッと刺激されたザリガニのように癒月の元に逃げ込む葵。

 僕はにこやかに笑っているつもりだったんだが……。

 まあ、そうはいっても世の中そんなに甘いものではない。”渡る世間に鬼はなし”ということわざがあるが、実はあれは途轍もなく恐ろしい存在がこの世界には潜んでいるから鬼は近づくことさえできないというある種の暗示なのではないかと僕は何度も考えたことがある。そしてそれが今まさに、葵の目の前で証明されていた。

「葵さん……まさか「やっぱりやめる」なんてことは言わないわよね? 私、知ってるんだから。葵さんが毎日下駄箱で誰かが来るのを隠れて待っていることくらい」

「!?」

「それに……そうね。例えば、この前のバスケ部の練習試合のこととか。あれは凄かったわよね。私、葵さんが来てたこと知ってるのよ」

「ま、待って癒月ちゃん。もうやめ——」

「あとは願懸け消しゴムとか、星占いの本とか。まるで小学生ね。あ、それと――」

「待ってっ! お願いだからそれ以上はやめてくださいっ!」

 涙目で葵が癒月に縋りつくと、ようやく癒月はそれ以上続けるのをやめた。発端を作り出したのは僕だが、正直ここまで癒月が調べているとは……

「……分かったわ。乙女の秘密を守るのは当然の義務だものね」

「あ、ありがとう癒月ちゃん……」

 なぜ葵がお礼を? 悪いのは癒月だろうに、と僕が思ったところで突然癒月が立ち上がった。

「でもね、その代わりに色々聞きたいことがあるの」

「ど、どんな?」

 癒月は葵の耳元に顔を近づけると、何事かこそこそと囁いた。するとみるみる内に葵の耳が真っ赤に染まっていく。

「……いいわね?」

 癒月がそう言うと、葵はこくりと小さく頷いて立ち上がった。そのまま二人は僕に何も言わず寝室のほうに行こうとしていたのだが、癒月が思い出したように振り返った。

「綾人はここで待ってて。覗いたら……分かってるわよね?」

「誓って何もしません」

「その方がいいわ」

 そうして開かずの扉が閉じられたあと、残された僕は何をするでもなく二十分待った。遅かったのは別に構わなかったのだが、正直僕だけ話の中身を知ることができなかったことの方が堪えたような気がする。というかこれ、本当に僕は必要とされているのだろうか?

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