第17話 似た者同士
パッ、とスイッチがつくように目が覚めた。
視界には一面の夜空と、それを遮る白い二つの丘。……丘?
首を傾げると、丘の間からひょこっと見覚えのある顔が覗く。アーモンド型の目が綺麗な半月状を描いて微笑んだ。
「葵……?」
「おはよ、アヤト」
「ここは……?」
首を回そうとすると、後頭部が何やら柔らかいものの上に乗っていることに気がついた。疑問に思って触ろうとすると、ペシっと葵に叩かれる。
「変態」
「は?」
「取り敢えず一回起きたら?」
「え、ああ」
訳もわからず上半身を起き上がらせると……ん? 上半身?
「どうしたの?」
「いや、これって膝枕……あ」
「あって何。寝かせてあげてたんだよ?」
「え、あ、うん。ありがと、うん」
いや、決して照れてなどいない。うん。僕はこんなことで照れたりしないし、そもそも葵とは昔一緒にお風呂に入ったことも……
「今変なこと考えたでしょ」
「……………いや?」
何故バレる。
「なんでバレるかって? 幼馴染だから?」
「それは理由になってないと思う」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「………」
……もう何も思わないぞ。なんか全部藪蛇になる気がする。
「まあ、アヤトの寝起きがゆるゆるってことと、表情が分かりやすいってところかな? さっきまでもうなされてたし」
「……うなされてた……ああ」
「心当たりがあるの?」
「まあ、ね。昔のことをちょっと」
顔を顰めて言うと、葵も同じように顔を顰めた。
「嫌だね。いくらアヤトが悪くないからっていっても、あれは堪えるよ……」
「いや待て。僕が悪いだろ、あれは」
そう言うと、葵はきょとんと首を傾げた。
「何言ってるの? アヤトは私を助けてくれたじゃん。全く悪くないよ」
「いやでも……」
言いかけると、葵が待ってと手を突き出した。
「ねえ、もしかしてさ。これって私が引きこもってた時と同じじゃない?」
「何が?」
「お互いに主張が食い違ってるってこと」
「……たしかに」
「でしょ?」
いや全くその通りだ。
葵が家から出て来なくなった時も、僕は勝手に自分の中で想像を膨らませて、勝手に理由を作り出してしまっていた。もしもあの後もう一度、お互いに対する認識に齟齬があったとしたならば……
「ね、アヤト」
俯いていた顔を上げると、電灯にきらめく焦茶の瞳と視線がぶつかる。何かとても大事なものを心の中から絞り出すように、葵はゆっくりと言った。
「多分ね、私達って似たもの同士なんだと思うんだ」
「……似た者同士?」
「うん」
「……んん?」
言っている意味がよくわからない。僕と葵は別段似たところなどないはずだ。
そもそも性格からして、僕と葵はまるっきり別人だ。葵は明るく社交的で、僕は根暗な日陰者。しかし、葵はそんな事は分かっているとばかりに首を振った。
「私が言ってるのは外面のことじゃないよ。もっともっと、深いところ。心の奥の部分のこと」
「それって、深層心理とか、潜在意識とかいうやつか?」
葵は唇に指を当て、悩ましい声を出した。
「んー……そんなに難しく考えなくてもいいと思う。無意識の中の本当の自分、みたいな」
「なるほど。……それで?」
しかし、葵は少し躊躇った様子を見せる。
「それなんだけど、怒るかもしれないんだよね……」
「誰が」
「アヤトが」
「? ……なんでだ?」
訳が分からず聞くと、あははと葵は微妙な笑いを浮かべる。何か後ろめたい事がある時にする笑顔だった。
「……実を言うと、私の自己評価って結構ボロクソなんだ。だから、結果としてアヤトのこともそう思ってるってことになるから……」
「……ああ、そういうことか。別にいいよ、僕は実際にボロクソな人間だしな」
すらすらと滑らかに言葉が出てきた。多分、これも葵が言う「無意識の中の僕」ってやつなんだろう。自己中な発想が一番に出てこなくてよかった。
そう思っていると、葵はムスッとした顔で僕を睨んだ。
「……どうした? そんなに見つめて。もしかして僕のこと好きになった?」
冗談混じりに笑うと、葵は慌てたように真っ赤になり、わたわたと手を振った。
「ちがっ、違う! 私はただ、アヤトはそんな人じゃないと思ってるだけだよっ!」
「そうですか」
「そうなのっ!」
表に出せば絶対に不機嫌になるので、内心で僕は笑う。それでも唇がヒクヒク動くので、缶を煽って表情を誤魔化した。冷めて酸っぱくなったコーヒーを流し込むと、頭のスイッチが切り替わったような気がする。
缶の残りを全部飲み干した後で、葵の方を向いて先程の続きを促す。まだ葵は不満そうだったが、話し始めるとそれもスッと消えた。
「どこまで話したっけ……あ、そうそう。私がボロクソだって話からだ」
「色々言いたい事はあるが……つまりは心の在り方みたいなものだろ?」
「そ。だから、そこの部分で私達は似てると思うの。具体的に言うと……その、身勝手っていうか……自分本位っていうか」
「……自己中?」
助け舟を出すと、葵はビシッと指さした。
「そうそれ。私もアヤトも特に子供の頃そんな風だったなって」
「おお、全く否定できない……」
諦めたように言うと葵はくすくすと笑い、すぐに表情を引き締める。
「……でもさ。自己中だから、自分しか見えていないから、私達はすれ違ったままなんだよ。たぶん」
「………」
なんとなく、葵が言いたい事は分かった。
僕は自分のやりたいようにやって、その結果をすべて自分自身のせいだと思っている。恐らく葵も同じような経験があるのだろう。
目に映る世界には沢山の人がいるのに、実際に見えているのは自分一人だけ。相手のことを知ろうともせず、全て推測で片付けようとする。
一言で言えばエゴイスト。だけど、その表現はどこかずれているような気がしないでもない。他者を自分の世界に入れることができない傲慢な人間を、僕たちは一体なんと形容すればいいのだろうか。
お互い黙りこくっていると、なんとなくしんみりとしてしまった。そんな空気をぶち壊すように葵は言う。
「ま、まあ、だから何って話なんだけどね! 言いたかったのは、今度何かあった時はちゃんと話し合おうってこと!」
「……ん。それがいいな」
そうして僕たちは顔を向き合わせて笑った。と、そこで葵のポケットから携帯の通知音が鳴る。スマホを取り出すと、葵は安心したように微笑んだ。
「よかった。もう着くって」
「え、着くって誰が」
葵は何故かニヤリと口角を上げる。
「誰だと思う?」
その表情から僕は答えを悟ったが、首を振ってため息をついた。
「こんな時間に迎えに来るなよ……」
「もしかして、心配してくれてるの?」
「当たり前だろ、女性なんだから」
「絢斗のそう言う紳士な所、すごく好きよ」
「…………」
「…………」
ギギギッ、っとロボットみたいに首を回すと、満面の笑みを浮かべる癒月が。思わずザッと後ずさると、待ち構えていた葵にぐいと背中を押し返された。
「ほらほら、帰って介抱してもらっちゃえ」
「いや、介抱って……」
言いかけると、今度は前からずいと迫られる。
「そうよ。今日はわたし帰らないから」
「いや帰れよ!?」
「嫌よ。今日も絶対泊まるから」
「癒月ちゃんもしかして……」
「葵、違うからな!? 癒月は一度も泊まったことなんてないぞ!」
「あー……うん。そうだね」
葵はスッと目を逸らした。絶対信じてない。
「……あ」
突然、癒月は思い付いたように葵に言った。
「絢斗のことはいいとして……葵さん、ここから家までどのくらい?」
葵は少し考えるそぶりを見せた後、一瞬僕の方を見た。その目がニタリと弧を描く。諦めろと言っているかのようだった。
「……多分、ここからだと五分もかからないんじゃない?」
「そう。……なら、私たちも一緒に行くわ。いいでしょ、絢斗」
「ああ」
「えっ!?」
想定外だったのか葵は目を丸くする。
「……いいの?」
「良いわよ。送らないとこっちが不安になるから」
「そっか……」
堂々とする癒月を、葵はどこか眩しそうな眼差しで見上げた。
「ありがと。癒月ちゃんはやっぱり優しいね」
「……どういたしまして」
ふいっとそっぽを向き、髪で顔を隠す癒月。街灯に照らされたその耳は少しばかり赤みを帯びていた。
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