第10話 三日月
二人の少女が僕の面前に立っている。
一人は癒月。余裕の微笑を浮かべながら黒髪を靡かせている。もう一人は葵。困惑しながらも、少し怒ったような表情をしていた。
僕は頭を下げる。
「ごめん。盗み聞きみたいなことして」
「盗み聞きみたい、じゃなくてそのものなのだけど」
「うんうん。趣味悪いよアヤト」
癒月からは楽しそうな笑顔を浴びせられ、葵からは軽蔑したような声をかけられる。
いや、もう返す言葉もありません。
頭を下げたまま、どうやって二人の機嫌を取ろうとあれこれ思案していると、癒月が助け舟を出してくれた。
「ねえ絢斗。どうして私があなたに気がついたのか、気にならない?」
「や、めちゃくちゃ気になります」
「よろしい。説明してあげましょう」
癒月は嬉々として説明を始めた。
「まず、手紙がロッカーの中に入ってた時、そして差出人が葵さんだと分かった時。中身の大体の内容は予想できたわ。絢斗からは事情を聞いていたし、葵さんが緑川くんを気になっている、と言うことも、普段から葵さんを観察していたから気がついていたしね」
そこで癒月は言葉を切り、葵に笑いかけた。
「随分と積極的なのね、葵さん。あなたと緑川くんが同じ美化委員だったと知った時、結構驚いたのよ?」
「い、いや、それは成り行き上で……」
葵はしどろもどろで目を泳がせていたが、全く聞いていないかのように癒月は続ける。
「何でも、誰もなりたがらなかった美化委員に立候補したのが、貴方達二人だけだったらしいじゃない」
「なんでそんなこと知ってるのっ!?」
「ちょっとね。情報通の知り合いがいるのよ」
癒月はさらりと黒髪を掻き上げる。シャンプーの甘い香りが微風に混じり、視覚のみならず嗅覚からも彼女の魅力を伝えてくる。癒月は今度は僕の方に振り返った。
「話を戻すわ。手紙の内容を予想した時、私は思ったの。『依頼を受けるとして、絢斗の気持ちはどうなるの?』とね。好きな人にフラれた原因も分からないなんて、ちょっと可哀想でしょう?」
僕は素直に頷く。
「確かに、知りたかった部分はあるな」
癒月は更に笑みを深めた。
「でしょう? 結果として絢斗を騙すようなことになってしまったけれど、私は少し役者を演じることにしたの。大袈裟に腕を震わせていたのも、あなたに冷たい態度で当たったのもそう。絢斗は優しいから、私を追って来てくれるんじゃないかと思ったわ。そして、実際にあなたは来てくれた」
癒月は再び話を切って、僕を見て嬉しそうに、そして少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「私のことが心配だったのよね? 急いで来てくれたみたいで嬉しかったわ」
「……否定はしない」
そう言うと癒月は本当に嬉しそうに笑ったので、少しばかりの罪悪感が芽生えた。流石に未知瑠先輩に励まされてなければ行かなかった、とは言えない。
満足したのか、癒月はまた葵の方を向き、白魚のような人差し指をピンと立てる。
「話は変わるけど、葵さん。実はあなたの恋路を手伝ってあげるのには、後一つ条件があるの」
「な、なに?」
葵が緊張に体を強張らせるのを見て、癒月は安心して、と笑う。
「条件は、絢斗ともう一度、幼馴染としての関係を結び直すことよ。あなた達ならまだやり直せるわ」
「え、でも……」
葵はちらとこちらを見る。そんなことしてもいいのだろうか、と言わんばかりの表情だ。僕は彼女を安心させるために頷き、自らの意思を再び伝えた。
「僕としては是非、といった所だ。それにあの時、いつでも葵を助けるっていっただろ?」
「っ!」
目を見開いた後、葵は嬉しそうに笑う。そして、何かを噛み締めるかのように何度も頷いた。
「うん……うんっ。ありがとうっ……ありがとう……っ……」
「お、おいっ、なんで泣くっ!?」
「だ、だって……ひぐっ……もう……アヤトと話せないかもって……思ってた……から……」
「いや、それは………確かに」
「納得……するなっ!」
「……ごめん」
玉粒のような涙を流し続ける葵は本当に嬉しそうで、原因は僕の方にあるのにもかかわらず、こんな思いをさせてしまっていた事を本当に申し訳なく思う。
「葵さん。これで拭いて……ほら」
癒月が葵に近寄り、真っ白なハンカチを手渡す。葵は泣きながら礼を言い、涙を拭った。その間、癒月が葵の背中を優しくさする。なんだかんだ言ってやっぱり癒月は面倒見が良い。少しほっこりした面持ちで眺めていると、不意に癒月が葵から離れ、こちらに向き直った。
「……絢斗」
「な、なんだ?」
癒月にしては珍しくしおらしい様子だ。
「ごめんなさい。あなたを騙して、勝手にこんな事までしてしまって」
「あぁ……」
葵とまた話せることが嬉しくて、全く気にしていなかった。
「もし嫌だったなら……」
言いかけた癒月を手で制す。
「いや、寧ろ感謝したい。癒月がこんな事を思い付かなかったら、葵とは自然消滅してたかもしれないから」
「……そ、そう。なら、私としても嬉しいのだけれど……」
「ああ。ありがとう」
「…っ……」
癒月はぷいとそっぽを向いた。どうやら照れているらしい。夕日に照らされた顔が少し赤く、素の白いきめ細かな肌が良く目立った。
「……顔、赤いぞ」
少し揶揄うつもりで言うと、ムッとした様子の癒月に睨まれる。いつもの迫力は皆無だった。
「言うようになったわね、絢斗……葵さんとの問題が一先ず片付いた以上、もう容赦はしないわよ……」
「容赦?」
思わず聞き返すと、癒月は先程とは一転して不敵な笑みを浮かべた。いつもの悪戯っぽさが含まれている上、どこか自信に溢れた笑み。思わず見惚れてしまう。
そんな僕の様子に気がついたのか気がついていないのか。自信に満ち溢れた声色で癒月は言う。
「絶対に、私に惚れさせてみせるから」
「……っ」
思わず息を呑む。それ程までに彼女の表情は魅力的だったのだ。
蜂蜜色の瞳は夕日を反射して煌めいていて、気を抜いたら引き込まれてしまいそうで。
艶やかな黒髪を通して流れてくる微風は甘やかな匂いを湛えていて、あの時癒月に抱きしめられた時の感覚を思い出す。
何も言い返せずに癒月を見つめていると、ふと、何かに気が付いたかのように彼女は顔を上げた。目を丸くして、ゆっくりと腕を上げて僕の後ろを指さす。
釣られるようにして後ろを振り向くと--そこには、東の空に優雅に浮かぶ三日月。
「……ねえ、絢斗」
名前が呼ばれた。静かに彼女の方に振り返る。
「っ!?」
そこには、背後の月にも勝るとも劣らない、絶世の美貌があった。まるで隠してあったとっておきの宝物を見つけ出したかのような、満面の笑みを湛えている。言葉を失ったままその笑顔を見つめていると、輝夜癒月--かぐや姫はどこか蠱惑的な声色で、僕にそっと告げた。
「月が綺麗ね」と。
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