第9話 対峙②


 息を殺して柵の影に隠れていると、癒月が会話の火蓋を切った。


「来たのはいいとして……頼み事ってなに?」


「それなんだけど」


「ええ」


 葵は真っ直ぐに癒月を見据えたあと、突然勢いよく頭を下げた。


「お願いします。私と、あなたの幼馴染の緑川くんの橋渡しになってください」


「…………」


 癒月は葵をじっと睨め付けるように見下ろし、軽蔑混じりの声を漏らした。


「条件を幾つか付けて………と言いたいところだけれど、その前に色々と言いたい事があるわ」


 葵は頭を下げたまま、微かに頷く。癒月は葵を見つめたまま、静かに言い放った。


「どういうつもり? あなたは叶う望みもないことの為に、こんな最低な行いをするほど馬鹿じゃなかったと思うけれど」


「………」


 葵はスッと頭を上げると、癒月を真っ直ぐに見据えた。その瞳には迷いは一切ない。はっきりとした声で告げる。


「私は、自分の気持ちに従っているだけ。アヤトのことは本当に申し訳ないと思ってる。けど、やっぱり好きって気持ちには変えられないの」


 癒月は葵を見定めるかのように見つめた。葵も同じく屹然と見つめ返す。身長差があるせいで、まるで姉と妹のような構図になっていた。


「……………」


「……………」


 十秒か、二十秒か。かなり長く二人は見つめ合う。先に口を開いたのは癒月。出てきたのは、側から見ている僕でも驚くような内容だった。


「……分かったわ。さっきも言ったけれど、条件付きである程度までなら協力してあげる」


「えっ!?」


 目を見開く葵に、癒月は先程と同じく厳しい口調で言う。


「勘違いはしないで。絢斗を傷つけたことを許したわけじゃないわ。……ただ、私は、あなたが自分の気持ちに正直な人だということを信じただけ。それと……私もあなたと同類だから、かしらね」


「同類? それってどういう……」


 葵が不思議そうに尋ねると、癒月は苦笑して言った。


「……私も、あなたと同じような経験をした事があるということよ」




 × × × ×





 その後はとんとん拍子だった。葵が具体的にどんなことをして欲しいのかを癒月に提案し、癒月がその可不可を返す。僕はその様子を影から覗いたまま、先ほどの問答について考えていた。


 緑川が癒月の幼馴染だということは、本人から聞いて知ってはいたが……正直彼が相手となると、僕には一切の勝ち目がない。

 ……いや、もう諦めているけれども。


 緑川圭介。

 彼を一言で例えるならば……恐らく、男版の社交的な輝夜癒月、といった所だろうか。僕も会話と呼べる会話はした事がないが、表面的な情報なら知っている。


 まず、恐ろしく顔が良い。更に昔癒月に聞いた時には、成績優秀で運動神経も良く、非常に誠実な人柄をしているので人望も厚く、生徒会の副会長を勤めている、と言っていた。幼馴染だと言うのに他人事な言い方だったが、あの癒月があれほど人を褒めていたのは、今も昔も彼以外は知らない。


 そんなパーフェクトでブリリアントな超人ならば、もちろん葵が惚れても何ら不思議はない。応援するぞ……と言いたいところだが、僕の正直な感想は「大丈夫か?」だ。


 校内屈指の優良物件とあらば、それはそれは競争率が高いことだろう。女性の裏の世界は、引き摺り落としや嫉妬の地獄だと聞く。あの緑川が在籍する教室であれば、内部が平安の後宮のようになっていることは想像に難くない。流石に汚物は撒き散らされていないと思うが。


 そこまで考えた時、ふと周りが静かなことに気が付いた。ハッとして前を見ると、葵が厳しい顔をして癒月を見つめている。


「……どういうこと? 条件は一つじゃないの?」


 癒月は微笑を浮かべている。何か面白いことを思いついた時の、あの悪戯っぽい笑顔だ。


「私を利用するのはそんなに安くないわ。まして依頼が依頼だから尚更ね」


 葵は少し迷ったようだが、すぐにはっきりと頷く。


「……分かった。もともと何でもするつもりだったから、この際よ」


「そう。なら、覚悟はいいわね?」


 癒月はニヤリと笑った。葵はごくりと生唾を飲み、僕も一緒になって柵を掴む。


 癒月は一秒、二秒と間をとった後、しなやかな右腕をスッと上げた。葵の目がその動きを追い、僕も固唾を飲んで見つめる。

 人差し指が天上を突き刺した瞬間、ヒュッ、と音がしそうな程の速さで振り下ろされた。


 その指先が示していた先には……



「そこに隠れている盗聴魔さんにも、しっかり協力してもらうこと。それが条件よ」


「え……あ、アヤトっ!? なんでっ」


「あー……」


 ……何となくそんな気はしていたが、やはりバレていたらしい。


「えっ、えっ? どういうこと? ちょっと癒月ちゃん!?」


「ほら、早く来なさい絢斗」


「無視しないでよっ!」


 パニックになっている葵と、くいくいと手招きする癒月。色々な意味で、僕は大人しく従うほか無かった。






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