第8話 対峙①

 


 生徒会長、そしてかぐや姫が並んで歩いているのは相当に目立つようで、下駄箱に向かう道で誰かにすれ違う度にギョッとした目で見られている。

 未知瑠先輩は外面は明るくて可愛らしいアイドル的生徒会長として見られているので、クールビューティーな癒月との組み合わせは異色なのだろう。  


 しかし、一番奇怪なのは横を歩いている僕らしく、十人中十人がこちらを見て異口同音ならぬ異口同顔をしていた。


 即ち、『お前は誰だ』と。


 生徒、そして先生との邂逅が更に数回起こったところで、ようやく下駄箱に辿り着いた。三年生である先輩は三列ある下駄箱の一番左に、僕たちは真ん中の列に靴を履き替えに行く。


 緩んでしまったスニーカーの紐を結び直していると、癒月が立ち止まったまま不思議そうに呟いた。


「……それにしても、どうして今日は未知瑠先輩が来れたのかしら」

「多分、仕事が終わったとかそんなんじゃないのか。一昨日くらいに学校主催のイベントか何かがあっただろ」

「ああ。確か、一年生向けの勉強会だったわね」


 未知瑠先輩は一応文研部に所属しているが、彼女自身が生徒会の長ということもあって、殆ど部活には顔を出さない。逆に言えば、こんなゆるい部活だからこそ入ってくれたのかもしれない。あんな激務の生徒会と部活との両立は普通不可能だ。しかも、三年生の先輩は今年受験が控えている。どこの大学を受けるつもりなんだろうか。


「なあ、そういえば未知瑠先輩が受ける大学って………」


 言いかけて振り返ると、異様な光景が目に映った。


 癒月が、下駄箱を開けたまま凍り付いている。ロッカー式の扉を掴む右手は何故か微かに震えていて、琥珀色の瞳は一点を凝視したまま微動だにしない。


「……癒月?」


 聞こえていないのか、全く反応が無い。


「なあ、ゆづ--」


 再び呼びかけようとした時、絶対零度の低い声が発せられた。


「先に帰って」

「え、どうした……」


 反射的に理由を尋ねようとするが、鬼神の如き迫力に気圧されて息が詰まる。それでももう一度口を開いて尋ねようとしたが、癒月の被せるような声によって遮られた。


「いいから。先輩と帰ってて」

「……わかった」


 カバンを拾い上げて、片方しか結んでいない靴紐を引きずるようにしながら外に出る。先輩はまだ出てきていないので、靴を履いている途中らしい。

 振り返ってみると、癒月はもうそこにはいなかった。カバンも持って行っている辺り、やはり靴箱の中に何かがあったのだろう。


 それが一体なんなのかは全くわからないが、少なくとも癒月にとって良く無いものであることは分かる。あんな表情をする癒月は中学の時以来、一度も見たことがない。


「何がどうなってる……」


 西向きに開かれた出入り口からは、コンクリート階段の下に広がるグラウンドが一望できる。忙しなく走り回るサッカー部や野球部、ラグビー部の部員たちの影が、沈みゆく夕日に照らされて長く伸びていた。


 何とも言えない気持ちでそれらを眺めていると、突然背中をポンと叩かれる。振り返ると、ショートボブの黒髪をさらりと揺らす未知瑠先輩の姿があった。


「よ、絢斗くん」

「あ、先輩。癒月は今……」

「うん、分かってる。聞こえてたから」

「……そうですか」

「ごめんね、盗み聞きみたいになっちゃって」


 そう言って先輩はちょっと困ったように笑った。首を振って否定する。


「構いません。しばらく帰ってこないと思いますし、先に帰りましょう」

「え、でも……」

「癒月には癒月の事情があります。それに首を突っ込むのは感心できません」

「…………」


 そう言い切ると、黙って聞いていた未知瑠先輩は僕に近づき、そっとブレザーの両袖を掴んだ。上目遣いで瞳を覗き込まれる。


「……何ですか」


 しばらくじっと僕の目を見つめていた未知瑠先輩は、突然はぁ、と大きくため息をついた。そして、まるで教師が生徒を諭すかのような瞳でこちらを見据える。


「やっぱり。絢斗くん、今、すっごく不安そうな顔してる」

「……僕、そんな顔してましたか」

「うん。もうすっごく。『友達とは言え女の子、何かあったらどうしよう?』って顔をしてる」

「なんでそんな具体的なんですか。あとそれ僕の声真似ですか」

「ふっふっふ。私が何回生徒からの相談を受けてきたと思っている。私は既に公認のカウンセラー。後輩の悩みなんてチョチョイとわかっちゃうんだよ。……声真似は練習したけど」

「さいですか……」


 どうやら僕達が見ていない所で、未知瑠先輩はちゃんと先輩していたらしい。いつも忙しそうにしていたのも、生徒の相談に乗っていたからかもしれないな。……うん。ちょっと見直した。


 先輩のくりっとした大きな黒目を見つめて、少し迷ったがお礼を口にする。


「……参考になりました。ありがとうございます」

「うん。それじゃ……行って、くるよね?」


 不安そうに先輩は首を傾げる。


「そんなに心配しなくてもちゃんと行きますよ。……ただ、踏み込むかどうかは彼女次第、ですけどね」


 すると、パッと花が咲いたように先輩は明るく笑った。バシバシと背中を叩いてくる。


「よしよし! それでこそ絢斗くんだ! 先輩は嬉しいよ!」

「痛いですって。もう行きますから、袖離してください」

「ああっ、ごめんごめん」


 先輩はぴょんと後ろに一歩跳んだ後、ビシッと教官の如く敬礼した。


「では! 行ってらっしゃい!」

「行ってきます……」


 踵を返して、小走りで下駄箱に戻る。上履きを突っ掛けるようにして廊下を走りながら、僕の思考は別のモードに切り替わっていた。


(癒月が行く可能性のある場所は……)


 まず挙げられるのは、人目につかない場所だ。例えば体育館裏。ここは影になっていて人目につかない。人に知られたく無い何かをする場所には適している……いや、真向かいの校舎には吹奏楽部が練習している教室がある。となればここは除外だ。


 ならば次。食堂の裏の自転車置き場。ここは人通りも少ない。が、今の時間はまだ生徒が学校に残っているわけで、全く人通りが無いわけでは無い。却下。


 次………って、こんなこと考えなくても、明らかに人が来ない場所が一箇所あるだろ。


 もし癒月がそこに行ったとすれば、下駄箱から少なくとも歩いて五分はかかる。走ってでもいない限り、ギリギリ追いつくことはできる。問題はその後どうするか。


 そもそも、危険な状況に癒月が自ら飛び込んでいっているという証拠は無いのだ。僕にできることは彼女にバレないように後をつけ、相手が誰か、危険かどうか判断すること。もしも無害そうな赤の他人だったなら、盗み聞きしたり介入したりするのは完全にプライバシーの侵害だろう。癒月も良い顔をするまい。



 非常階段が見えてきた。三日前の記憶が脳裏によぎるが、今はどうでも良いこと。頭から振り払う。


 階段の段数が見えるくらいの所まで近づいた時、見慣れた姿が階段を登っているのが見えた。癒月だ。

 癒月は少し俯き加減に階段を登っている。ここからでは顔色も窺い知れないのでどうとも言えないが、どこか緊張しているように見える。僕は側に植えられている桜の樹の影に潜み、じっと癒月を観察した。


(告白を断る時とは……また違った雰囲気だな)


 彼女が誰かにラブレター、もしくは言伝に呼び出された時には、大抵うんざりしたような顔をする。そしていざ告白される時には、冷徹にバッサリと切り捨てるのだ。


 何故知ってるのかって? 


 それは昔、癒月が良くない噂が立っている先輩に呼び出された時に、用心棒代わりプラス百十番通報係に任命されたからだ。因みに癒月は合気道を小学校の頃から習っている。僕がいる意味は無かった。


「……っ!」


 癒月が屋上に続く踊り場に辿り着いた。少し立ち止まって何かを考えていたようだが、すぐに前を向いて残りの五段を登って行く。

 今しかない、と僕は全速力で駆け出し、非常階段の麓まで来た。音をなるべく響かせないように抜き足差し足で登っていく。


 屋上の踊り場までどうにか辿り着くと、風向きのおかげか話し声が微かに聞こえてきた。


「……の……よう?」

「……私の……の……」


 どうやら相手は女子らしい。これで危険度はぐっと下がった。後はどんな相手かを確認して、危なそうじゃ無かったらそのまま癒月にバレないように帰ろう。


 そうして僕は、転落防止柵の隙間から屋上を覗いた。瞬間、あっと声が出そうになる。







 そこには凛として佇む輝夜癒月。そして、艶やかなセミロングを風に靡かせる濱里葵が対峙していたのだ。




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