弦月の章

第11話 帰宅

 


 癒月にそう言われた直後、その隣に立つ葵が笑いを堪えているのに気づいた僕は、思わず顔を背けた。


「……確かに、夕日と月のコントラストは綺麗だな」


 すると、あからさまに頬を膨らませた癒月が不満混じりの声で言う。


「そうじゃないわ。文研部員とあろう者がこれしきの意味も分からないの?」


 明後日の方向を向いたまま適当に答える。


「分からないなー、うん。多分僕は馬鹿なんだ、うん」


「そう。……別に良いわよ、ええ。直ぐにもっと気の利いた返事ができるようにしてやるんだから」


 そう言って癒月はフンとそっぽを向く。拗ねてしまったらしい。それを見ていた葵が口を開き、フォローしてくれるのかと思えば……


「ま、まあまあ、癒月ちゃん。アヤトも照れてるんだよ」


 前言撤回。面白がってるだけだった。


「葵、僕は別に照れてなんかない。単純に癒月が言ったことに返事をしただけだ」

「えぇ……で、でも、普通に顔赤くない?」

「……夕日のせいだろ」


 平然と、何も動揺してないように装ったつもりだったのだが、何故かそれが癒月には受けたらしい。相好を崩し、くすくすと笑いながら葵に言う。


「もう良いわよ、葵さん。満更でもないってことが分かっただけで大きな収穫だわ」

「いや、満更でもないって……」

「それ以上続ければ墓穴を掘ることになるけど、いいの?」

「…………」


 ここまで来てこの余裕。一体彼女の頭の中はどうなっているのだろうか。一度覗いてみたい。

 だんまりの僕を見て癒月がまた可笑しそうに笑うので、話を逸らす為に腕時計をトントンと叩いた。


「……ほら、もうそろそろ良い時間だし、早く帰ろう」

「ふふっ……分かったわ。いじめるのもこのくらいにしておいてあげる」


 癒月は僕の顔を見てもう一度だけぷっと吹き出すと、床の鞄を拾い上げた。掌の上で転がされている気がしてならないが、言えば藪蛇のような気もするので、大人しく帰る準備をする。しばらく黙って空を見ていた癒月だったが、何か思い付いたのか葵に声をかけた。


「葵さん」


 どこか機械的に動かしていた手を止め、葵が顔を上げる。


「え、私?」

「ええ。実は今日、絢斗の家で夕飯を食べる予定なんだけれど……葵さんも来ない?」

「え、えっと……」


 葵は目を泳がせて思案している。おろおろと癒月と僕の間で視線を彷徨わせて、最後に僕の方を見た。どうやら許可を求めているらしい。


「僕はいいよ。久しぶりに葵と話したいし」


 そう言うと、葵はなんとなく気まずそうに目を落とした。


「……うん。じゃあ、久しぶりに行こうかな」

「……?」


 葵のその反応の意味を考えていると、癒月がパンと両手を打った。


「決まりね。じゃあ、早くここから出ましょう。下校時刻が近いわ」

「ああ、了解」

「……うん」


 僕たちは屋上を後にして、校門を出た。




× × × ×





 三人で学校の話や、教師の愚痴、誰それの噂話などの無難な雑談をしていると、あっという間にマンションにたどり着いた。鍵を取り出して、エントランスのオートロックを解除する。エレベーターに乗っている時、誰もが無言だった。


「お邪魔します」

「おじゃまします」


 家の中に二人を招き入れて、リビングに通す。葵はキョロキョロとあたりを見回していた。


「別に変わったところはないだろ?」


 そう言うと、葵はんん? と疑問の声を漏らす。


「なんか違和感あるなぁ、って思ったんだけど」

「そうか? 別に普通だと思うけど」


 葵は素早く振り返った。


「それだ! 絢斗の部屋にしてはなんか普通すぎる。散らかってるはずなのに、こんなに綺麗なのはおかしい!」

「や、あれだよ……そう、あれだ。片付けに目覚めたんだよ」

「ふーん……」


 咄嗟に癒月がほぼ毎日来ている、ということを隠してしまった。隣からじっとりした視線を感じる。

 葵はしばらく部屋の中を見回していたが、突然我に返ったようにハッとした後、気まずそうに目線を落とした。それを見ていた癒月が葵の肩をポンと叩く。


「葵さんはソファーにでも座ってて。ご飯ができるまで待ってるといいわ」

「……うん。ありがと」

「…………」


 その様子を静観していた僕だったが、ひとまず気を取り直して癒月と打ち合わせをする事にした。目配せすると、癒月もコクリと頷く。


「絢斗。夕飯はなんにするの?」

「そうだな。三人で食べられて、後片付けとかも楽なものといえば……鍋とか?」

「……そうね。それが良さそうね」


 自炊能力がない僕でもできるような簡単な料理といえば、それくらいしか思いつかない。癒月が夕飯を作りに来てくれていることを隠すためにも、自力で作らなければならないのだ。幸いにも、何日か前に癒月にスーパーに連行された時の食材が残ってはいる。


「じゃあ、適当に作ってくるから葵と待っててくれ」


 そう言うと、突然癒月が身を寄せてきた。ふわりと甘い香りが漂い、耳元で鈴のような声がする。


「大丈夫? 一人でできる?」

「で、できるって。最悪スマホで調べるから」


 僅かに身を退け反らせると、癒月が怪訝そうに眉をひそめた。


「……どうしたの?」

「……いや、なんでもない。それより、葵の方に行ってやってくれ。多分、今は僕が行かない方がいいだろ」


 癒月は振り返り、リビングの方を見た。リビングの後ろにキッチンがある配置になっているので、ここは葵から死角になっている。葵はテーブルにスマホを置いて、その真っ黒な画面をぼんやりと眺めていた。それを見て複雑そうな表情を浮かべた後、癒月が再びこちらに向きなおる。


「……そうね。あの様子だし、彼女なりに色々と思うところがあるのでしょうね」

「ああ。……じゃあ、頼むな」

「分かったわ」


 そう言って癒月はリビングの方に向かった。ソファーに腰掛けて微笑みながら葵に話しかけ、葵もそれに応じていたので、とりあえず僕は目の前のことに集中する。


 鍋といっても、今日作るのは昆布やかつお節などの出汁から作るようなものではない。煮立った鍋に乾燥キューブをポンと入れて、食材を入れて終わり。そんな手抜き料理だ。いや、そもそもそれは料理と言えるのだろうか……

 ともかく、食材は揃っているので早速作り始めることにした。まずは野菜を切っていくのだが。


「……か、硬っ……芯が硬い……」


 白菜の芯を切り取ろうとする所で既に苦戦していた。そもそもこの切り方が合っているのかすら分からない。

 なんとか適当に白菜を切り、他の野菜も切っていく。あやふやな知識でざっくりと切ったせいで、一つ一つのカケラがバラバラの大きさだ。野菜を全部切り終わると、今度は豆腐。ぐにゃぐにゃしていて形を崩してしまった。


 全ての食材を切り終わり、冷凍していた豚肉と共に食卓に持っていく。大きさも形もまばらな食材を見て癒月がピクリと反応したが、何も言われなかった。ちゃんと切れてきただけマシということだろう。


「お鍋、久しぶりに食べるなぁ」

「私もしばらく食べてないわね」


 二人が楽しそうに言い合っていたので、ひとまず僕は安心した。

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