第6話 勝敗



 五限が終わり、その後の説法のような古典の授業を耐え切ると、掃除の時間になった。僕は図書委員だったので、掃除は図書室の本棚を整理するだけだ。と言っても、元から司書教諭がきっちりと整理しているのでまともにその仕事をする人はいない。僕も十五分間適当な本を読み、終わりを告げる放送を待った。



 掃除が終わって教室に戻ると、連絡事項だけの簡単な終礼があった。全員で声を揃えて担任に終末の言葉を告げ、めいめいが下校の準備を始める。僕も何冊かノートを机から取り出してカバンに入れた。一ヶ月後には中間考査が迫っているので、範囲の確認くらいはしておいてもいいだろう。


 少し重くなったカバンを肩にかけ、前の席に声をかける。


「糸島」


 糸島はこちらを向いて僕の姿を認めると、適当な感じで手を上げた。


「おお、帰るのか、那珂川」

「いや、今日は部活だよ。また明日」


 手を振って糸島と別れ、急ぎ足で特別棟の方に向かう。

 昼休みの時と同じような上下運動を繰り返し、木造校舎の四階に到着すると、ちょうど癒月が部室の鍵を開ける所だった。間に合わなかったか。


「遅いわ、絢斗」


 気づいた癒月が不満そうに言う。普段運動をしない僕は、少しだけ息が上がっていた。


「これでも急いできたんだ」

「分かってるわよ。私に会いたかったのよね」

「……読みかけの本があった。それに、一応努力はするって言っていたからな」

「否定しないのね」

「『友達』に会いたいって気持ちは誰にでもあるだろ」

「そうね。でも、友達の前に『女』が付いたらどう?」

「……もしかして、男女の友情が成り立たないと思ってるタイプか?」

「まさか。でも、大概が恋愛に発展するわ」


 意味深く言いながら癒月は鍵を回す。僕はふんと鼻で捨てた。


 いつもの席につき、本に挟んだ栞を取り出す。癒月があの昼休みに座っていた窓際の席。僕がその二つ前の、同じく窓側の席。かなり距離が空いているのは、お互いの読書を邪魔しないようにするためだ。




 おおよそ二時間。それが僕達文研部が活動している時間である。文芸研究とかいう大層な名前がついているが、やっているのは単純に本を読むだけ。文化祭に文集を出すとか、毎月テーマを決めて小説を書くとか、そんな部活っぽいことはしていない。そもそも、この部活の創始者本人がそこにいらっしゃるので、活動内容も彼女の気まぐれによるものなのだ。


 完全下校時刻一時間前のチャイムがなる頃には、太陽はすっかり傾いていた。本に栞を挟む。


「そろそろ帰ろう。もうすぐ下校時刻だ」

「ええ。あと五分」


 癒月はページに目を落としたまま、反射のように返事する。僕は机の端をかつかつ爪で叩いた。


「あと五分じゃなくて、あと三十分は居座るつもりだろ、癒月。ほら、早く帰らないと警備員さんに怒られるぞ」

「分かった。あと十分ね」

「聞いちゃいない……」


 ……他の手を使うか。


「癒月」


 一心不乱にに本を読む癒月に言う。


「先に帰るぞ」

「…………」


 む、まだダメか。ならば……


「あーあ。仕方ないなぁ。せっかく早く帰ったら--」

「何をしてくれるの?」

「癒月に数学教えてもらえると思ったのに」

「…………」


 癒月はスッと前髪で目元を隠したあと、パタンとハードカバーを閉じた。カバンにそれを突っ込んで、不機嫌そうに立ち上がる。


「……今回は、期待した私の負けね。私の気持ちを弄ぶなんて……ついに惚れたの?」

「それは無い。僕は………」


 そこまで言ってはたと止まる。

 僕は好きだった葵にフラれて……で、その後はどうなるんだ? もしかして、まだ未練があるのか。だとしたら僕は……


「初恋の傷を引きずる重い男?」

「ナチュラルに人の心を読むな」

「だって分かりやすいもの。あなた、思った事がすぐに表情に出るから」

「表情に出る……」


 思わず頬を触るが、鏡でもない限り分かるはずがない。癒月は勝ち誇ったように笑った。


「今回も私の勝ちね」

「いや、相打ちで引き分けだ」

「そういう時は女性に譲るものよ。男らしくないわね」

「はぁ……分かった。譲るから」


 癒月は小さくガッツポーズをした。意外に負けず嫌いなところがあるかぐや姫である。




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