第4話 ペイバック・テレパシー 4
自分は必要な人間である。だから捨てられないと思っていた。
事実と異なる思い込みである。
燕二が桜庭さんを殺そうとしたのは、何か恨みがあってのことではない。父親からそうするよう言われたからである。母の仇だと教えられたのである。燕二は父の記憶も桜庭さんの記憶もくり返し確認したが、どれほど好意的に見ても単なる逆恨みであった。しかし、父がそう思い込んでいるのなら、彼の恨みを晴らさせてやる必要があると思ったのだ。
結局はステラに説得されて、彼女が完全に正しかったから、計画を中断した。父ともう一度しっかり話し合おうと思って、彼のもとに戻ったのだ。
「お前は駄目だな。もう要らない」
父が言った。
こうして燕二は捨て子となった。
燕二さんのフラッシュバックだ。急になんでこんなことを思い出したのか、原因はまあ明白ではある。津我さんが「もう要らない」と言ったからだ。この言葉が燕二さんの記憶を揺らした。棚上げにしていた不愉快な記憶が、ぐらぐらと揺らされて落っこちてきたというわけだ。
「気に食わないな……」
燕二さんがつぶやいている。
二人が物陰に隠れたのは、敵が恐ろしい暴力団だからである。力の差は歴然で、燕二さんだってもちろんその事実を理解している。彼は人一倍臆病なのだ。逃げられる場面では逃げることが最優先事項だと考える傾向にある。
「要らないだと? そんな筈はないんだ」
「燕二さーん」
しゃがみこむ彼の目の前に手を振ってみた。正気に戻すための動作だが、燕二さんは彼女の手を見ていない。爆撃を受けている兵士みたいに頭を抱えこみ、どこだかわからない虚空をずっと睨んでいる。
「燕二さんが言われたんじゃありませんよ」
必要だと言え。助けてくださいと懇願しろ。
わかっていないだけなんだ。どれだけ助けてきたと思っているんだ。
誰かをなじるような思考が沙羅の頭の中にも鳴り響いている。
「要らない子は沙羅ですよ。私です。しっかりしてください」
沙羅は今や燕二さんの目の前に来て、抱き着く寸前みたいに寄り掛かっている。否応なく目線は交差し、彼はようやく虚空ではなく、彼女の目を見ることになった。目玉はギョロリと動き、やがて逃げるようにそっぽを向いた。
「すみません……」
「正気に戻りました?」
彼の思考は未だにぐにゃぐにゃとした不定形である。
何を考えているのやら、沙羅にも細かくは掴めない。
「行きましょう」
燕二さんが言った。
「よかった。戻っていますね。逃げましょうか」
「津我さんと話を着けます」
「戻っていませんね……」
立ち上がろうとする彼を、沙羅はすがりついて止めた。どうも思考が悪い方向に固まりつつある。この人は過去に囚われているのだなと思った。過去に囚われたままだから、今をマトモに生きられずにいるのだろう。
「わかっています。僕が言われたわけじゃない」
「……そうです」
「でも、ああいう物言いは気に食わない」
「…………」
沙羅は閃く。もしかして、燕二さんは自分のためではなく、沙羅のために怒っているのではなかろうか。彼には彼女の全人生の記憶があるのだ。同情して怒りが湧いてもおかしくはない。そう考えると悪い気はしない。ややうれしい。
沙羅だってあれだけ尽くしてきたのに、「もう要らない」とは、考えてみればひどい言われようである。たしかに。必要だと思い知らせてやりたくもなりそうだ。どちらかと言えばどうでもいいが。
沙羅の不意を突き、燕二さんは立ち上がった。
片手で首根っこを掴み、沙羅のことも立たせた。
「立たせ方が乱暴……」
「気に食わないんだ」
「あ。はい」
「まったく気に入らない」
「え、あ、待ってくださいっ」
置いて行かれそうになったので、沙羅はあわてて彼の背中を掴んだ。全然待ってくれる気配がない。覚束ない足取りで懸命について行くほかなかった。
どうも沙羅のことは、眼中にないようであった。
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手に取るように人の思考を弄ぶことでお馴染みの沙羅としても、燕二さんの考えがイマイチわからなくなってきた。この人は一度にたくさんのことを考えすぎなのだ。
一度にたくさん言われてもわからないように、一度にたくさん考えられてもわからない。
怒りに駆られて津我さんのところに行ったかと思えば、「杖を買ってください」とねだり始めた。あの杖は沙羅へのプレゼントなのだから、当然燕二さんが買うべきである。沙羅は憤慨している。
「沙羅はなんで怒っているんだ?」
津我さんが聞いた。
「煙草が切れたのでしょう」
燕二さんが答えた。
車の後部座席に三人で座っている。沙羅が真ん中である。沙羅は右耳が不自由なので津我さんの声はやや聞こえにくい。まあ思考はわかるのでフォロー可能である。
「煙草吸うんだっけ?」
「吸わせました」
「えぇ……。未成年なのに」
「必要なんですよ。エスパーには」
「そうなの?」
津我さんが沙羅を見ているので、沙羅が答えることにした。
「知りません」
「知らんそうだが」
「教えました。憶えが悪いのです」
「あー。たしかに」
我慢強い沙羅とて火に油を注がれ続ければ怒りもする。沙羅の境遇は大変可哀想なので、だいたいの男の人は優しくしてくれるのに、両隣の男たちはあまりにも意地悪すぎる。
「燕二さんは何がしたいんですか。意味わかんないです」
「何がですか?」
「大人しくついて来ちゃって……仲良くお茶する気ですか」
車は村田興業の事務所に向かっている。沙羅の監禁部屋がある場所だ。
「なんでお前にわからないんだ?」
津我さんが疑問を挟んだ。彼女がテレパスだと知っているからである。テレパスが人に行動の意図をたずねるなどというのは道理に反する事態ではある。
「この人の頭がおかしいからです」
人差し指を槍みたいに突き出して燕二さんの頬を刺す。
燕二さんは虫を払うみたいに沙羅の指を払った。
「おそらく僕がエスパーだからでしょう」
「へぇ。それでなの?」
「え。それでなんですか?」
意表を突かれた。そんな原因は想定していなかった。
「エスパーは個々の第六感を持っています。あるエスパーの第六感は、他のエスパーの第六感にとってノイズになる場合があります。僕が僕の第六感を使用した際の思考は、沙羅さんにとってワケのわからない思考になるのでしょう」
「なるほどねぇ」
「な、なるほど」
言われてみれば、急にスカートをまくり上げられたときもワケがわからなかった。あのときも燕二さんは第六感を使っていたから、スカートの中のスタンガンの存在を知っていたのである。だから躊躇なくそこから奪ったのだ。あんな風に驚かされたのは初めての経験であった。
「それで、虚木くんはなんでついて来たんだ?」
津我さんが話を戻した。
「津我さんに言ってほしいことがあるからです」
「何かな。沙羅をいじめてごめんなさいとか?」
「助けてください、ですよ」
言葉を咀嚼するように津我さんは眉を動かした。
しかし、よくわからないようであった。
「と言うと?」
「村田興業のシノギは売春産業です」
「そうだね」
「法規制が強化されて、売春産業は下火です。組の存続も危ぶまれている。頼みのエスパーも肝心なときにダウンしていますから、はっきり言ってあなた方はピンチなんだ」
「よくご存知で」
「あなたが知っていることは僕も知っています」
「そう言われればそうか」
どういうわけか津我さんは燕二さんの能力を知っているらしい。燕二さんは他人の記憶を盗み見られるそうである。どうにも話が難しくなってきたので、沙羅は燕二さんの様子でも眺めることにした。
内壁にぐにゃりともたれかかりながら、彼は窓の外を眺めている。すぐ隣に可愛い可愛い女の子がいるから、妙に意識してできるだけ身体を離していると見える。膨大な人生経験を記憶しているくせに、そのあたり思春期の少年相応である。
「あなたが助けてくださいと言うなら、助けてあげてもいい」
「ふぅん。条件はそれだけ?」
津我さんはとくに怒る様子がない。怒るのを見たことがない。
「条件はもう一つ。沙羅さんを解放することです」
自分の名前が聞こえたので、沙羅は「お。はい」と返事をしてみた。しかし誰からも反応はなかった。よくわからないのでやっぱり黙っておくことにした。
「沙羅は病気だぜ?」
「治ります」
「あ。そうなんだ」
津我さんは右のこめかみに二本指を当てて考えている。
「治るなら渡したくないなぁ」
「この人が必要ですか?」
「治るなら必要だ」
燕二さんが満足そうに微笑んだ。帽子で隠しているけれど、窓に映っている。
必要不要にまつわる発言が燕二さんの中で重要らしいのはわかってきた。でもこんなぞんざいな言い方でいいのだろうか。基準がよくわからない。
「使いたくなったら使えばいいのです。僕らには拒むほどの力がありませんから、言われた通りにはします。単に、監禁をやめてほしいというだけのことです」
「それを言うなら、君も含めて無理矢理に監禁することもできる」
「それは情報屋の使い方としては下策です」
自分は情報屋だったのか。沙羅はわかっていなかった。
ただ、両隣の二人がどうやらすでに共通の結論に辿り着いているらしいことはわかった。それなのにこうやって回りくどく交渉しなければならないのだから、テレパシーがない人は不便である。
「機嫌が良いときの沙羅さんと、乗り気じゃないのに無理矢理仕事をさせられたときの沙羅さんで、どちらが有益な情報を集めてくれたかを思い出してください」
沙羅は憶えていない。
「それはもちろん前者だなぁ」
「であれば、あなたは許容可能な範囲で機嫌を取るべきだ」
「しかし、生意気なガキは気に入らない」
「それはそうでしょうが、だからこそ沙羅さんの世話も面倒でしょう」
「ハハハ。たしかに」
なんだか沙羅を挟みながら二人が仲良くなってきている。
「面倒な世話はこっちで引き取ります。便利な能力だけ使えばいい」
「それは助かる。虚木くんの能力も?」
「必要なら手を貸します。正直言って僕の方が便利ですよ」
「うん。そうかもしれない」
バックミラーに映る運転手の顔が面白い。津我さんの腹心の部下である彼は、呆れかえって眉をハの字に垂らしている。沙羅もどちらかと言うとこの人に共感した。
暴力団との交渉はこんな風に和やかに進むものではないと思う。
「よし。言うぞ」
「はい」
津我さんが例の台詞を言おうとしている。
「助けてくだ――――」
「津我さーん」
運転手が口を挟んだ。
「何だよ」
「君たちの力を借りたい、にしてください」
「どう違うんだ?」
「威厳が違います」
「あのねぇ。言葉で済むなら安いものだぜ?」
「安売りせんでください。あんたは若頭なんだ」
「安買いしてるんだが……」
ヤクザ側が揉めているのを見て、燕二さんが助け舟を出す。
「別にどっちでもいいですよ」
「え。いいの」
「意味は同じです」
ヤクザの二人が(いいんだ……)と同時に思考した。
沙羅も同じ感想を持った。
「わかった」
津我さんは狭い車内で姿勢を正し、燕二さんの方を向いた。燕二さんもちょっとだけ津我さんに向き直っている。沙羅は明白に邪魔なので小さくなっておいた。
「君たちの力を貸してほしい」
「わかりました。助けてあげますよ」
こうして交渉は成立した。燕二さんは沙羅を平和的に譲り受けることになる。津我さんもこれと言って痛手を受けることなく、エスパーの協力者を得ることができた。まさしくウィンウィンの交渉である。
「沙羅さんも言ってください」
「え、あ。助けてあげますよ。津我さん。ふふん!」
燕二さんがそう望んでいたので、沙羅はできるだけ高慢ちきな言い方をしてみた。彼はこれで満足してくれたらしく、帽子でも隠しきれないぐらいに嬉しそうにしている。
だんだんわかってきた。この人は変な人だ。
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