第2話 ペイバック・テレパシー 2

 火傷して使いものにならない右耳を、長い髪で隠すことにしている。男の人が見たがる場合は少しじらしてから見せてあげるとよい。そうすると案外喜んでくれる。

 子どものころ人に突き飛ばされて轢かれた。両足の腱が傷ついてしまったので、立ち上がるときはいつもみっともなく男の人に抱き上げてもらっている。そうすると愛着を持ってくれるらしいのである。

 彼女は小栗沙羅(オグリ・サラ)という名前の少女で、テレパスである。他人の心が読めるその能力をとくに惜しむことなく使い続けた結果、幼少期は出会ったあらゆる人物に嫌われてしまった。もちろん彼女の両親にすらである。

 どこに出しても恥ずかしい唾棄すべき一人娘であった彼女は、家の地下に隠されて育った。これは実のところそんなに嫌じゃなかった。人の多い場所にいると、頭の中に大勢の思考がずぶずぶと入り込んできて気持ち悪い。その点で地下室は平穏であったのだ。

 やがてその両親はなぜだったか忘れたけれど暗殺されて、沙羅はヤクザの津我(ツガ)という男に拾われる。それまで疎まれ続けてきた彼女の特殊能力が、津我からは大変魅力的に見えるようであった。やたらと褒めてくれるので、沙羅はこの人物を気に入った。彼のために能力を活用し、ヤクザの中で成り上がれるよう手伝ったのである。

 であるが、成り上がった途端に津我は沙羅への興味をほとんど失ったように見える。一切会ってくれなくなってしまった。彼女にはこれが誤算であった。もうちょっと長く可愛がってもらえるものと思っていたのである。

 ショックな出来事は重なるもので、どうやら彼女は寿命が近いみたいである。近ごろずっと頭の中で何かがねじ切れそうな具合に痛い。子どものころから他人の思考が過剰に入ってくるとこんな風に痛くなることはあった。脳の限界が近いような気がする。

「先生」

 先生とは苔芝(コケシバ)医師のことである。

 沙羅は自分の服をたくし上げて、胸に当てられた聴診器を眺めている。

「外に出てみたいの。手伝ってくださる?」

 苔芝は沙羅の目を見て、首を傾げた。

「津我さんに言わずに?」

「止められてしまうもの」

「…………いいよ。手伝う」

 苔芝は沙羅の世話役の中でも津我に信頼されている人物である。にもかかわらず裏切り行為を簡単に承諾したのは、沙羅のテレパシー能力あってのことである。彼女は相手が言われたがっていることがわかるし、されたがっていることがわかるのである。

 苔芝が彼女を解放したのち、自殺する気であることもわかった。

「ありがとう」

 その点については言及しない。彼女には関係ないことである。

 苔芝のおかげで外に出たあと、杖でコツコツと地面を鳴らしながら歩き回った。太陽と人ごみが嫌いで読書が好きな引籠り気質とはいえ、じきに死ぬとなれば気晴らしに外を歩きたくもなる。ただ、人が多いところは嫌なので避け続けた。

 避けども避けどもやっぱり人はそこら中にいるもので、頭はどんどん痛くなる。とうとう一歩も歩けなくなってしまった。こういうときはおんぶしてもらうに限る。できるだけ男の人の方がよい。女の人は力が弱いし優しくしてくれない。

 丁度よく、独りで歩いている男の子を見つけた。同い年くらいに見える。

 野球帽の上にフードを被っていて、目線は常に地面を見ている。

 やや非力そうではあるけれど、たぶん優しくはしてくれる。

「あの、お兄さん。助けてください」

 沙羅は声をかけるのであった。

「なんでもう外にいるんだ……」

 少年は心底迷惑そうに言った。



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 助けを求められたばかりに、燕二の計画は完全に破綻した。

 悪いことに彼女を追うヤクザはすぐそこまで来ている。これでは馬鹿みたいに敵の本拠地に突っ込んだのとさほど変わらない。小栗沙羅を連れ出すという当初の目的は奇しくも達成しているが、こんな形ではすぐに取り返される。

「えっと。私のことを知っているんですか?」

 まるで無害な小動物のように首をかしげているが、実際には藪から襲い掛かってきた蛇に近い。敵情視察なんかするんじゃなかった。事態が悪化する前にこの場を離れるべきである。

 燕二は少女を無視して逃げ出そうとした。

「待って」

 意外に強靭な力で服を掴まれた。

「行かないで。助けてください」

 燕二は意地でも顔を見ない。しかし、ふるえる声とすがりつく手の感触から、彼女の必死さを想像できてしまった。こうされてしまうと、振り払って逃げるという方が勇気の要る行動になってくる。

 追手はもう目の前である。彼女のすぐ背後に立っている。

「捕まったらひどいことをされます」

「しないよ」

 追手の男が言った。もう一人が道の逆側から来ている。

 前後から挟まれた。狭い路地であるからこれだけで逃げ道を塞がれてしまう。人ごみを避けてこんな場所を歩いていたのが仇になったのだ。遅くとも沙羅に声をかけられた時点で逃げ出すべきだった。まったく何もかも後手に回っている。

「坊や、この子は俺たちの身内なんだ」

 前のやつが燕二に向けて事情を説明してくれている。この説明は事情を何も知らない人物が聞けばバレバレの嘘だが、おおよそ知っている燕二が聞けば単なる事実である。実際彼らの身内なのだ。燕二には今のところ関係がない。

「僕は通りがかっただけです」

 燕二は言い訳しながら、野球帽を深く被り直した。顔を見られるのはよろしくない。

「虚木燕二さん。助けてください」

 沙羅が燕二の名前をばらした。テレパシーで情報を抜き取ったらしい。はたからすれば、まるで以前からの知り合いで、彼女の脱走を手助けした人物みたいに聞こえる。

「その少年にも来てもらった方がよさそうだな」

 後ろのやつが前のやつに要らぬ助言をした。

 これで燕二だけで逃げる目はなくなった。何とも呆気ないことだ。綿密に準備していた計画が一瞬で崩壊した。それもこれも小栗沙羅というこの少女のせいである。困り果てている燕二に、にやにやと笑いかけているように見えるのも気に食わない。

「燕二さんってエスパーですか?」

「……………………」

 身柄を拘束されるのは困る。生殺与奪を握られた状態では交渉もクソもない。

 仕方がない。作戦を変更しよう。

「私、他のエスパーなんて初――――」

 燕二は沙羅を突き飛ばした。彼女の細い首が身体について行けずガクと揺れた。

 その身体を、ヤクザの男が両手で受け止めた。

「おいおい。女の子に乱暴な――――」

 このあたりが燕二の姑息な手管である。武器がなければ喧嘩なんか絶対にしたくない。つまり武器があれば最終手段としては考慮に入れる。彼は武器など持ち歩かないけれど、幸いにも目の前に持ち歩いている人がいた。

 燕二は沙羅から奪った杖を振りかぶって、両手がふさがった男の顔面を容赦なく殴りつけた。

 さらに物騒なことに、沙羅は銃型のスタンガンを持ち歩いていた。米国のアクソン社が販売しているいわゆるテイザー銃である。この銃が開発された当初はテイザー社という名前だった。米国では市販されているが日本では銃刀法違反である。

 沙羅から奪ったテイザー銃で後ろの男を撃った。彼も銃を構えてはいたが撃たなかったので、あえなくビリビリと痺れて動けなくなった。

 最初に殴った方の男は昏倒してくれた。

 残りの脅威はビリビリしている方である。動きは鈍っているけどそれだけで気絶まではしてくれない。燕二は彼に歩み寄り、沙羅の杖が折れるまでボコスカと殴り続けた。そうしたら、ようやく気絶してくれた。

「困るんですよ」

 大いに息切れしながら、燕二は沙羅に声をかけた。

 落ちた帽子を拾って被り直す。

「ちゃんと。監禁されていてくれないと」

 何しろ杖がないので、地面にペタリと座り込んでいる沙羅は立つこともできない。

 そんな無力な少女に近寄るのは、息が荒く返り血を浴びた少年である。

「行きますよ。立ってください」

「あの、……杖がないと」

 燕二が自分で握っているものを見たところ、杖は無残にへし折れている。初めて気づいたかのように眉をひそめてから、深く深くため息をついた。不本意な方向にどんどん流されている気がする。

 血まみれの上着を脱いで、顔の血はそれでぬぐった。

「ではタクシーを拾いましょう」

 そして彼女に煙草を吸わせなければならない。一本でも吸わせればしばらくは動ける筈である。沙羅は血を見て怯えているかと思いきや、なぜか嬉しそうに燕二を見ている。

「おんぶしてください」

「…………僕はひ弱なので」

「ふふっ。では抱っこしてください」

「同じことでしょう」

 両腕を燕二に向けて伸ばしている。抱っこをせがむポーズである。

「立たせてください。移動はするでしょう?」

 たしかに、こんな凄惨な現場にタクシーを呼ぶわけにはいかない。燕二はしぶしぶ膝を折り、彼女を脇から抱き上げる形で立たせた。沙羅は燕二に抱きついて、「ふふっ、うふふ」とずっと不気味に笑っている。

「何がおかしいので?」

 燕二がたずねる。

「素敵な出会いがありました」

 沙羅が答えた。

 燕二としてはまったく、逆の意見であった。

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