エスパーと個々のパンタシア

紺野 明(コンノ アキラ)

第1話 ペイバック・テレパシー 1

 エスパーは十五から喫煙する。吸わなきゃ頭がおかしくなるからである。

 個体差はまちまちながら、常人を遥かに超える情報量をエスパーの頭は処理し続けなければならないのだから、この負荷が積み重なればおかしくもなる。煙草の成分がこの負荷を軽減するとわかったので、特例として認められることになったのである。

 はじめは必ず医者から処方することになっていたのが省略されて今にいたる。要するに実質上はともかく、これは単なる医療行為というわけだ。法的には喫煙ではない。

 施設の裏手で煙を味わっている虚木燕二(ウツロギ・エンジ)は十七歳ではあるが、これも喫煙ではない。医療行為なので合法である。たとえうっかりすれば中学生の喫煙に見えるとしても、合法である。

 怯えて膨らんでいるときの猫のように、燕二はいつも着膨れしている。彼は寒がりである。淡白な坊主頭の上に野球帽を被り、その上に外套のフードを被っている。人と目を合わせるのを嫌がる傾向にある。

 そして、エスパーである。

「燕二さんは、復讐をやった方がいいと思います」

 話しかけた少女はステラという。これもエスパーだがまだ十四なので煙草は吸わない。

 彼女が来たので、燕二も煙草の火を消した。

「フクシュー、というと?」

「リベンジの復讐です」

「なるほど。復讐ですか」

 復讐と言われても、思い当たる節がない。

「誰に復讐するのでしょう。桜庭(サクラバ)さんですか」

 桜庭さんは燕二の母の仇だと言われていたことがある。

 しかしあれは冤罪であった。

「それは、わかりませんけど……」

 ステラは言い淀んだ。

 彼女の表情が気になって、燕二はちょっとだけ帽子のつばを上げた。ちょっとだけにしろ燕二が自分から誰かの顔を視界に入れるのは滅多にないことである。ステラに対してはこういう行動を取ることがある。彼には彼女がこの世でいちばん大事なのである。

 ステラが横を向いていたので、二人の目線は合わなかった。

 言い出したことを後悔しているのか、彼女はどうやらバツが悪そうである。

「燕二さんの中で、過去のことが引っ掛かっているようだから……」

「僕は何か引っ掛かっているのでしょうか」

「…………はぐらかしていますか?」

「えっ。いえ」

 まったくそんなつもりはなく、真剣に何のことかわからなかったのである。とはいえステラを困らせるのはまことに遺憾であった。どう応えたものか、目をぐるぐるさせながら必死で考えたが、良案は浮かばない。

 ステラは燕二の目を見て待った。彼の目線はずっとぐるぐるしていた。

「もういいです。余計なことを言いました。ごめんなさい」

「あえっ。いや。とんでもない」

「会えてうれしかったです」

「それは。どうも」

「今度ここに来たときは……私と会う前に、コッソリ帰ろうとしないでください」

「あ」

 燕二はようやく思い当たる。ステラはそれを怒っていたのだ。

 言われてみれば、喫煙所で呆けている燕二を見つけたときの彼女の眉はピクピクと痙攣していたし、歩み寄るときの歩幅はやけに大きかった。それでか。それでだ。挨拶もなしに出て行くのは礼を失しているということだ。

 避けていたのではなく、ステラが自室で休んでいるのなら、邪魔をしない方がよいと思っただけである。

「いや。それは」

 燕二は弁明を試みる。

「お願いします」

「はい」

 弁明を放棄した。

「では、お邪魔しました」

 ステラが踵を返して、だんだん遠くになって、小さくなっていくのを、燕二は帽子を取って見送った。彼なりに最大限の敬意の表明である。彼が人前で帽子を取るのは、ステラに挨拶をするときか、頭蓋骨が木っ端微塵になったときぐらいだろう。頭の形が合わなくなるので取ると思う。

「そうだ。燕二さん」

 彼女がくるりと回って燕二を見た。不意打ちであった。

 汗がにじむ。燕二は人と目が合うと不安になるのだ。

「何でしょう」

「十五になったら、煙草を教えてくれる約束です」

 古い記憶をさかのぼり、そんな会話をしたと思い出した。

 喫煙の要否には個人差がある。ステラは十四になっても変調が見受けられないので、おそらく喫煙の必要はない。こんなことは言うまでもないが、煙草というものは吸わなくてすむなら吸わない方がよい。

 そのように進言してみよう。

「でも、ステラの場合は」

「約束しました」

「はい」

 やめよう。

「私の誕生日はわかりますか」

 記憶力だけは誰よりも備わっているので、西暦から日付と時刻まで正確に解答した。

 彼の答えを聞いて、ステラはにっこりと笑った。ともすれば気色悪いほどの記憶力だが、彼女は燕二の努力をすべて肯定してくれる傾向にある。

「次にお会いするときはきっと十五ですよ」

「大きくなりましたね……」

 幼少期から現在にいたるまでの彼女をすべて瞬時に追憶し、燕二は感慨深く思った。

 ステラは口をへの字に曲げた。

「……もうっ。お父さんみたい」

 そのように小声で言って、そっぽを向いてしまった。

 また怒らせてしまったようであった。



 復讐について金良(カナラ)さんに相談してみることにした。金良さんは全エスパーの保護を自分の使命だと信じ込んでいる一般女性である。彼女自身は五感しかない非エスパーだが、ときどき非凡な情報収集能力を発揮することがある。

 燕二は彼女の家に居候しているので、彼女から依頼があれば引き受けなければならない。

「何についての誰への復讐?」

「わかりません」

「どっちも?」

「何もかもわかりません」

「あらそう」

 生気に欠ける蛙のように弛緩した表情で二人は煙草を吸っている。この場でやる気を発揮しているのは煙を誘導する換気扇ぐらいのものである。真上で一生懸命に回っていてややうるさい。

「そんな君にピッタリの仕事がある」

「何でしょう」

「テレパスを見つけたのよ」

「テレパスというと……」

 一般的にテレパシーの能力者のことをテレパスと呼ぶ。他人の思考や感情を自分のもののように感じ取るたぐいのエスパーである。エスパーにも多様な種類があり、燕二はエスパーだがテレパスではない。ついでに言うとステラも桜庭さんもテレパスではない。日本にテレパスが存在するとは初耳であった。

「他人の心がわかるのだから、君の復讐心がどんなものかもわかる理屈になる」

「どこで見つけたのですか」

「村田興業という会社の事務所がある」

「そいつは……」

 記憶を探るために目線をななめ下に向けたところ、灰皿に灰の山ができていた。この灰の分だけ有害物質が十代の身体に蓄積されているのだと考えるとやや恐ろしくはなる。目をそむけることにした。

「そいつはヤクザの事務所ですよ」

 思い当たった記憶にもとづいて指摘する。

「その地下に女の子が監禁されている」

「そいつはまた」

 読めてきた。嫌な予感がする。

「その子がなんとテレパスなのよ」

「…………」

「だから君の仕事は、悪の組織から不思議系美少女を救うこと」

「…………なるほど」

 燕二は短くなった煙草から灰も落とさずに考え込んでいる。

「できない?」

 金良さんがたずねる。

 どちらにしろ、金良さんの役に立てなければ捨てられるだけである。できなくともやらねばならない。たぶん、ヤクザを叩き潰すとかヤクザから盗み出すとかよりは、交渉で譲り受けるというのが妥当な線だろう。エスパーというのは交渉には有利だが、腕っぷしはたいてい凡人以下なのである。

「難しくはあります」

「私は、燕二くんならできると思うな」

 金良さんは吸い殻を捨てて、新しい煙草に火を点けている。この、ポイッと捨てられている方の煙草が自分を暗示しているような気がする。燕二が無用になれば金良さんは新しく優秀なエスパーを助手に迎え入れることだろう。

 燕二は自分の持つ吸い殻をじっと眺めた。

「まずは情報を集めます」

「何しろエスパーだからね」

「はい。少し時間をいただきます」

 綿密な計画を立てなければならない。

「あんまり時間はないと思うよ」

「なぜですか」

「その女の子は十五なのだけど」

 金良さんは自分の煙草をつまみ上げて示した。

「煙草を吸っていない」

 それは健康によくないことであった。とくにテレパスの場合は精神への負荷が大きいため、十三で発狂した事例すらある。ステラのような例外を除けば、エスパーは十五になったら喫煙を始めなければならないのである。

「よろしく頼むぜ。燕二くん」

 野球帽を持ち上げられて、燕二は瞳を覗き込まれた。

 臆病な犬のように彼の瞳はゆらめいている。

「お役に立ちますよ」

 渇いた声で返事をした。

 捕まっている女の子というのを連れ出して、誰からも追手がかかることのないよう交渉をする。何もかも完璧にこなさなければならない。そのためには詳細な情報収集と、綿密な計画が必要である。

 有用性を示さなければならない。

 そうでなければ、捨てられてしまうのだから。

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