第5章 調査報告

 6時を回り、井村家へ報告に行くのかと不二恵が思っていると、エリーゼは「住之江署へ行って訊いていただきたいことがあります」と言う。

「そういえば後で訊きに行くって言うてたね。でもあそこでは私のことが評判になってるらしいから、行きにくいなあ」

 不二恵は交番巡査の反応を思い出していた。「敵の本拠地に乗り込む」かのような印象を持ってしまっている。

「今日の調査を終えるのに必要なのですよ。よろしくお願いします」

「もうちょっと早い時間にしてくれたらよかったのに。夜勤の時間帯に入ったから、同期は帰ってしもうたかもしれへん。それとも寮で訊いてきたらいい?」

「いいえ、ドロボーの捜査をしている人に訊いてきてほしいのです」

「捜査課かあ。明日やったらあかんのかな」

「明日はフジエちゃんはお休みではないのでしょう?」

「それはそうやけど」

 不二恵はなおも渋ったが、「良い情報を聞いてきてくれたら、夕食をおごりましょう」とエリーゼが言うので、行くことにした。

 住之江署は住之江公園駅から西へ300メートルほどのところにあり、女子寮から徒歩5分。すぐ近くに、大阪に6ヶ所ある女性専用の留置施設“大阪府警察本部・新北島別館”がある。ただし不二恵は行ったことがない。

 夜勤の受付係は、不二恵の顔を知っていて挨拶してきた。提示した警察手帳をろくに見ようともしない。

 刑事課に行くと当直の日田巡査部長が応対してくれた。会議室に通された上、「すぐにお茶を持って来させるから」と愛想よく言われてしまった。巡査部長だから当然不二恵より階級が上。階級社会である警察で、この待遇は普通ならあり得ない。「最近の事件やまについて一つ伺いたいだけで、長居するつもりはないんです」と不二恵の方から言ってしまったほど。

「すぐ近くの女子寮に入ってるよね?」

 しかも相手は関係ないことを訊いてくる。

「はい。あの、それはそれとして、最近の事件のことで」

「臨海署に関係する事件やまはなかったと思うけど」

「いえ、住之江署の管内に私の友人が住んでいて、被害届を出してるんですが」

 不二恵が“バラマキ事件”のことを説明すると、日田は不思議そうな顔をしている。

「それ、生活安全課が対応してると思うけど、何で刑事課に?」

「住所は御崎みさきなんですけど、そこか周辺で刑事課が扱ってる事件やまはありませんか?」

「あるよ。宵空き(夜間の空き巣)。それと関係してるって? どういうことやろ。ちょっと待ってて」

 日田は会議室を出て行き、すぐにファイルを持って戻ってきた。捜査資料だろう。地図を広げ、バラマキ事件のあった場所を訊いてくる。不二恵が井村家の位置を指差すと、「現場の真東やな」と呟いて考え込んだ。

「どういうことやろ。逃走経路あとあしの途中? なんで薔薇なんや。関係あらへん。ん、待てよ、この住所、どこかで……」

 日田は何か思い付いたのか「ちょっと待ってて」とまた言って、会議室を出て行った。なかなか帰ってこず、不二恵はほったらかされた気がして、こっそり出ていこうかと思い始めた頃に、ようやく日田が戻ってきた。笑顔になっている。

「つながりが見えてきたで。鑑識は明日の朝からになりそうやけど」

 そう言われても、意味がわからないのは不二恵の方だ。しかしエリーゼから託されたメッセージがもう一つあるので、それを言っておかねばならない。

「鑑識は朝からでもいいですけど、今夜も変な人が来るかもしれませんから、付近を重点的に警邏けいら(パトロール)して欲しいんです」

「うん、それはもちろんやることになってたけど、やらんかったら来るかもしれへんし」

「は?」

 不二恵にはますます意味がわからない。どうやら日田は不二恵の言ったことの“行間”を勝手に読み取り、独り合点しているらしい、と不二恵は気付いた。あるいは同僚と相談してきたのかもしれないけれど。

「まあまあ、悪いようにはせえへんから、安心しとって。いやー、ほんでも田名瀬くんってすごいなあ。こんなこと思い付くんや。臨海署の上司の仕込みがええんかなあ」

 私、何も思い付いてませんけど、と不二恵はつい言いかけたが、余計なことを言ってボロを出しても困る。おそらくこれもエリーゼの策の一部だと思い、「よろしくお願いします」と頭を下げて、帰るために腰を浮かせた。

「そうそう、今度、合コンせえへん?」

「はい? ……あのー、それなら寮住まいの女性警官あかポリを通じて誘っていただければ」

「臨海署が多めの方がええねん。板東バンちゃんと飲みに行きたいっていう同僚が多いし、森村巡査部長デカちょうも人気があって、それに……」

 どうやら不二恵よりも評判のいい女性警官がたくさんいるらしい。不二恵の評判は“つい最近”広まったのだろう。不二恵はほっとしたような、がっかりしたような気分だった。


 住之江署を出てエリーゼと合流。「ご苦労様でした。どうでしたか?」とエリーゼが訊いてくる。近くで空き巣があったこと、その後、相手が独り合点したことを、不二恵は告げた。

「グートです。どうやら私の仮説は当たっていたようですね」

「仮説なんかあったんや。何で私に言うてくれへんの」

「当たってなかったら困るからですよ。後で依頼者のところで言います」

 すぐには行かず、ファミリーレストランで夕食を摂って、8時に井村家に行った。リビングで千絵と多絵を前にして、薔薇がどこで見つかったかを説明。二人の反応は「そんな家知らんわ」。

「それで、なんでうちの前にそこの薔薇が撒かれたんですか?」と千絵が訊いてくる。

「犯人は、家の前を掃除してもらいたかったのですよ」

「え、掃除のために薔薇を撒く?」

「掃除なんか毎朝してるけど」

 千絵が驚き、多絵が不思議がる。不二恵にも訳がわからない。

「多絵さまはホーキで花を掃いて、捨てたのでしたね。しかし犯人はその後、水を撒いてほしかったのですよ」

「夏場でも朝からは水は撒きませんわ。夕方なら涼しくするために撒くけど」

「そうではなくて、汚れを水で洗い流して欲しかったのです。ただ、そのために薔薇を使ったのは失敗だったと、私は思いますね。もっと花粉が散らばるような花を使うべきでした。近くになかったからだと思いますが」

「花粉なら道が黄色く汚れたりして、水を撒きたくなると思いますけど、何でそんなことさせようとしたんです?」

「汚れと一緒に流れて欲しかった物があるのですよ。犯人の落とし物です」

「落とし物なんかあったかしら。全然気ぃ付きませんでしたけど」

「見てわかるなら犯人が拾ってしまったでしょう。小さな物で、落としたときは暗くてよく見えなかったのです。さて、夜中にこの家の前で交通事故がありませんでしたか?」

「交通事故? さあ……あら、そういえば近所の人が、何か言うてはったわ。明け方に、そこの四つ辻でバイクがコケたような音がしたって。私らは寝てて気ぃ付きませんでしたけど」

「それです。おそらく急いで走っていて、交差点で横から出て来た車にぶつかりそうになったのでしょう。転倒して、車体に傷が付いたのです。塗料の欠片が落ちてしまいました。薔薇と同じような、赤い色だったに違いありません。犯人は、それが見つかって欲しくなかったのです。警察が調べれば、単車の形式がわかって、持ち主が特定されてしまいます。しかし明るくなってから探しに来たのでは、不審者として通報されています。だから犯人は明け方に薔薇を撒いて、それと一緒に塗料の欠片を洗い流してもらおうとしたのです」

「あらまあ、そんなことのために!」

 千絵と多絵が驚く。不二恵も驚いたが、同時に今日の“聞き込み”でエリーゼが写真を撮りまくっていた理由を理解した。あれは“赤いバイク”を探していたのだろう。

「ていうことは、犯人はこの近くで発生した空き巣の犯人?」

 不二恵が訊くとエリーゼは「どうぞ、お二人にも話してあげてください」。住之江署で訊いてきたことを不二恵が千絵と多絵に話すと、多絵は「どこのマンションですか?」。

「はっきりとは教えてくれへんかったんですけど、『この家が真東』って言うてましたから、前の道をずっと西に行ったところのどこか」

「そしたらたぶんあそこやわ」

 多絵が独り合点し、千絵と話し合っているが、不二恵にはわからない場所だった。しかしそれは不二恵が気にしなくていいことだろう。

「もしかしたら明日、刑事が来るかもしれませんから」

「来るんはええけど、うちの家がテレビに映ったらどないしょ」

「犯行現場でも犯人の家でもないのに映るわけないやん」

 多絵と千絵の興味は別のことに行ってしまった。自分たちの家が空き巣の狙いになっていないと安心したからか。

「とにかく明日の朝は家の前を掃除しない方がよいでしょう。さて、フジエちゃん、我々探偵団はそろそろ撤収した方がよさそうです」

「そしたら千絵ちゃん、多絵おばさん、失礼します。夜分におしかけてすいませんでした」

「いいえ、一日でここまで調べてもろうて。そうやわ、依頼料の残りは?」

「事件が解決してからで結構ですよ。私のさっきの推理は大外れかもしれませんからね」

 エリーゼは言ったが、外れているとはこれっぽっちも思っていないのが、その得意気な表情から不二恵には伺えた。



 翌朝、不二恵は通常勤務なのに、朝7時に起こされてしまった。寮の同僚が部屋のドアをノックしたから。

 ドアを開けると住之江署の同期が、不二恵と同じように眠そうな目をこすりながら、スマートフォンを持って立っていた。「不二恵ちゃんに電話」と言う。「もしもし、替わりました」と不二恵が言うと、聞き憶えのある声が。

「おはよう、日田やけど、事件やま解決しそうやで」

「何の事件やまですか」

「昨日君が訊きに来た宵空きに決まってるやんか」

 まだ頭はっきりしていない不二恵に、日田があらましを説明する。

 井村家の周辺を交番巡査の警邏ルートから外し、代わりに刑事が周囲の家の庭などに潜んで待っていたところ、未明に不審者が現れ、バケツで液体を撒き始めた(のちに水性ペンキで赤く染めた水と判明)。刑事がすぐさま出ていって職務質問。相手は前日朝に薔薇を撒いたこと、未明にバイクで転倒したことを自白。

 侵入窃盗(宵空き)についてはまだ自白していないが、マンションの防犯カメラ映像によく似た風体の男が写っているし、逃走に使用したバイクのタイヤ痕が一致しているので、後は時間の問題であるらしい。

「張り込みしてたんですか」

「うん、だからわざと警邏を外して。やらんかったら来るかもしれへんって言うたやろ」

「ああ、はい。そういうことでしたか」

 つまり誘いの隙を作ったということだ。しかし犯人が昨日の今日で来るとは。

「詳細はそのうち資料で回すわ。とにかく情報ありがとうな。それと合コンの件、考えといてや。バンちゃんと森村巡査部長デカちょうは絶対外さんといて」

 日田は言うだけ言って電話を切った。不二恵はまだよくわかっていなかったが「後で考えよ」と呟き、二度寝してから7時45分に起きて、着替えて朝食を取り、出勤した。

 そしてまだ人影の少ない生活安全課の自席から、エリーゼに電話をかけた。

「もしもし、エリちゃん、事件解決したって」

「それはよかったです。探偵団の推理どおりだったですか?」

「私は何も推理してないから、ようわからへんけど」

 不二恵は日田の話をエリーゼに伝えた。エリーゼは「グート」を繰り返しながら満足そうに聞いている。

「ところで、今朝また犯人たゆうさんが来るって、なんでわかったと思う?」

「それは我々の行動のせいですよ。薔薇屋敷を調べているところを、犯人が目撃したのです」

「目撃って、どこから」

「知りません。ですが、近くのマンションの上の階でしょう」

「ああ、屋敷の庭が見えそうなところ。で?」

「我々は屋敷へ2度行きました。そして2度目はかなり長くいましたね? 目立つようにも行動しました。それを見て犯人は、自分の行動がバレたと思い、気になって千絵さまの家の前を見に行ったのです。そして自分が想定したとおりになっていなかったため、今度は夜中に水を撒きに行ったということでしょう」

「赤い水は赤い塗料を誤魔化すためなんかな。たぶん無駄やろうけど」

「千絵さまのところにはもうしばらく後で連絡が行くでしょうか? たぶんフジエちゃんに電話してくるでしょうから、私は後で依頼料の残りを受け取りに伺いますと伝えてください」

「わかった。また何かあったら美少女探偵団やろーな」

「機会があればいいですね」

 電話が終わる頃に他の署員が出勤してきた。そして門木も来た。

「あ、門木さん、おはようございます」

 彼は前夜から夜勤だったのはもちろん不二恵も知っている。仮眠から起きた直後か、眠そうな顔をしているが……

「朝礼で署長が言うらしいで」

「はい?」

 挨拶の返事の代わりがそれだった。不二恵は何のことか全くわからない。

「朝の7時過ぎに、住之江署から電話があって」

「はあ。……ああ」

「何かやったらしいな。他の署から感謝の連絡が来るなんて、めったにないけど。課長に上げたら署長まで行って、下りてきたわ」

「はあ」

 つまり、他署の捜査に協力して感謝されたので、他の課員の前で署長が褒める、ということだろう。そんなことになって本当にいいのか、と不二恵自身が戸惑うばかりだが。

「一人でやった? まさかと思うけど、誰かに手伝ってもらった?」

「……えーと」

 考え直すと、表に出る部分は全部不二恵がやったのだった。交番で訊く、喫茶店で聞き込みをする、住之江署へ相談に行く……エリーゼが介入したのを知っているのは、井村家の人たちと、渡利鑑識。だからたぶん臨海署まで伝わってくることはない……

「もっかい訊くけど、誰かに手伝ってもらった?」

「それは業務上の秘密です」

「何でやねん!」

 門木が突っ込んでくるが、エリーゼはだんまりを決め込むことにした。

 湾岸美少女探偵団やから、秘密厳守やねん!


(第17話 終わり)

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