第4章 聞き込み

「この辺に薔薇がいっぱい咲いているお家があるって聞いたんですけど、知ってますかぁ?」

 不二恵は愛想のいい笑顔を作って喫茶店のマスターに話しかけた。この笑顔は練習している。といっても“臨海署のアイドル”としてではない。生活安全課が主催する防犯教室で住民の前に出て話す機会があるから。不二恵の笑顔は「警察官に見えない」「癒やされる」となかなか評判がいいのである。

「ああ、はいはい、上沢さんのお宅ね。そこに見えてる、あの黄色の家がそう」

 案の定、マスターも愛想よく応じてきた。不二恵が警察官であると気付いている様子は微塵もない。

「あー、やっぱりそうなんですね。でも、私がさっき見に行ったとき、ほとんど咲いてなかったんですよぉ」

「えー、そうなんかなぁ。この時期やったら、庭中が真っ赤になるくらい咲いてるんやけどなぁ」

 マスターは店員(一人しかいない)を呼んで訊いた。彼はこの近くに住んでいるらしく、マスターと同じく「この時期は満開で見に来る人も多いですよ」と答えた。

「時々、ここに来て、場所どこ?って訊く人もいますよ。そこに見えてるのに」

「最近も来ましたかぁ?」

「ええ、一日に一人くらいは来てるんちがうかな。ねえ、マスター」

 マスターは同意し、続けて「このマンションの上の階から、庭が見えるんやけどね」と言った。

「もちろん自動ドアが付いてるから、マンションの住人でないと入られへんよ。でも、こっそり忍び込む人もいるんちゃうかなぁ。上から撮った画像をSNSにアップしてる人もいるって聞いたし」

「わあ、そんな人もおるんや。防犯的にちょっと問題がありそうですねぇ。そういうときは警察に知らせる方がいいですよ」

 いつもの癖で、不二恵はつい啓蒙活動をしてしまったのだが、相手が気付いた様子はない。

「ドアの横に貼り紙はしてあるけどね。でも忍び込む人には無意味やろうね」

「ところで、上から見えるのを知ってるんは、マンションの人だけやないですよねぇ?」

「うん、この辺に住んでる人ら、ほとんど知ってるんちゃうかな」

「最初、間違って住吉さん(住吉神社)の方へ行ったら、誰も知らなかったんですよぉ」

「そら、そうかもなぁ。この道路の向かい側の人は知ってる人も多いやろうけど、それよりちょっと遠くなったら知らんのやろなぁ」

 聞き終えてマスターと店員に礼を言ってから、不二恵はエリーゼに内容を報告した。しかし、大声で話していたので、エリーゼに全部聞こえていたらしい。

「グートです。これで範囲が狭くなりましたですね」

「つまり、この辺の人が犯人なんやんな」

「あるいは友人がこの辺りに住んでいる人ということになりますね。しかし、それは単に可能性の問題であって、犯人が友人に薔薇が咲いているか訊いてから花を切りに行くというのも変ですから、やはり住民の誰かが犯人なのでしょう」

「なるほどね。普段から見てたから、思い付いたんや」

 二人はいったん店を出た。ケーキも食べて、エネルギー充填完了、という感じ。

「じゃあ、今からこの辺の聞き込みするん?」

「そうしたいところですが、私はフジエちゃんと違って警察手帳を持ってないのですよ」

「私も無闇に見せるつもりはあらへんよ。正規の捜査活動以外で使ったのがバレたら、後で怒られるし。そもそも非番やから署で保管してもらわなあかんかったのに、うっかり持って帰ってきただけやねん」

「では、やはり探偵団の立場で聞き込みですね。まずはこの辺りをよく観察しましょう。薔薇を撒きそうな人が住んでいるかを見るのです」

「そういう人って見るだけでわかるんかなぁ」

「私はいくつかの仮説を立てているので、それを確認しようとしているのですよ。フジエちゃんも仮説を立ててみてください」

「なるほど。ロマンチックなことする人やったら、ロマンチックな家に住んでるかもしれへんとか、そういうのね」

「そういうのです。では、行きましょうか」

 二人で連れだって、“三角地帯”の中を歩き始める。狭いながらも色々な建物があり、高層マンションや中規模マンション、小型のワンルームマンション、安アパートに一軒家といった住宅だけではなく、電力会社のビル、病院、信用金庫、中小企業のビルやプレハブ、保育所など様々だ。いわゆる“商業用地”なのだろう。

 エリーゼは歩きながらその全ての建物を写真に撮っている。近景と遠景だけではなく、建物の横に停まっている車、さらには月極ガレージにまで入り込んで(もちろん入ることが可能なところだけ)写真を撮りまくった。

 それから道路を渡り、隣の区画でも同じことをした。三角地帯は南北に長い二等辺三角形で、“薔薇屋敷”はその底辺である北側(つまり地図上では倒立三角形)にあるため、三角地帯の東側と西側の区画、そして北側の区画とその両隣の計5区画をくまなく歩き回った。その範囲の住民なら“薔薇屋敷”の存在を知っているであろうと思われるのは、不二恵にもわかる。しかし、“聞き込み”は?

「人にはほとんど会わへんけど、訊かなわからへんのとちゃうの?」

「フジエちゃんはご自由に訊いてくださって構いませんよ。私も何かわからないことがあれば訊くつもりです。ただ、住人と思える人を見かけないように思いますけれどね」

「ほんまやね。学校帰りとか会社帰りなら、もっと遅い時間にならんとあかんかな」

 ぐるりと一回りして、屋敷の近くに戻ってきた。しかしエリーゼはまた歩き出す。不二恵はそれに付いていく。さっきとほとんど同じルート。しかし写真は撮らない。人と会うと、話しかける。ただしそれは不二恵の役目。やはり外国人が訊くよりいいという考えから。

 質問は「薔薇がたくさん咲いている家を知りませんか?」。これまでと同じだ。知らないと答える人が多い。知っていると答えた人には、どの辺りに住んでいるか訊く。皆、正直に答えてくれるのがありがたい。不二恵の“怪しい人に見えない”笑顔の効果か。

 そして2周目が完了。わかったのは、「薔薇屋敷を知っているのは、屋敷から約200メートル以内に住んでいる」ということだった。それより少し離れたところに住んでいても知っている人がいたが、「通勤・通学に、屋敷の前の道を通るから」という単純な理由だった。

 それから、さっきと別の喫茶店に入る。夕食の時間が近いので、飲み物だけ注文した。エリーゼはコーヒー、不二恵はオレンジジュース。

「聞き込みっていうより、ほとんどずっと歩いてばっかりやったね。喉渇いたわ」

 ジュースの前にもちろん、水が来たのだが、不二恵はそれをすぐに全部飲み干してしまった。それくらい喉が渇いている。オレンジジュースにしたのは、糖分補給のため。

「目的もなく歩いたり訊いたりしたわけではありませんよ。ちゃんと頭を使いながら歩いたのです」

「うん、近くの人はよう知ってるっていうのはわかったけど、近くでも知らん人は知らんもんやね」

「知らない理由は想像が付きますよ。低い建物に住んでいると知らなくて、高い建物に住んでいると知っているのです」

「あ、上から見えるから。本人が下の階でも、上の人に聞くことがあるんやろうね」

「そういう建物の特徴を知るために、最初に一回転したのですよ」

「なるほど、そういうことかあ。でも、ロマンチックな家は結局なかったね」

「それについては残念でしたね。私がときどき単車で走っていると、ヨーロッパの城のような建物を見かけるのですが、この辺りにはありませんでした。色が変なので、何なのだろうといつも疑問を抱いているのですが」

「あ、それはねえ、マンションとかの住むところやなくて、ホテルやねん」

「ホテル?」

「うん、恋人どうしが二人で泊まるホテル」

 ラブホテルの存在を、エリーゼは知らなかったらしい。しかし不二恵が「二人で泊まる」と言ったので、気付いたようだ。ただし、大袈裟に感心したりせず、唇の端を少し吊り上げただけ。

「そういうものでしたか。勉強になりました」

「エリちゃんは使ったことがないから知らんかったんやろね」

「フジエちゃんは使ったことがあるのですか」

「ないけど、いろいろ教えてくれる友達もおるから」

「わかりますよ。高校生や大学生の頃ですね。私はその頃、友人すらいませんでしたから」

「杏ちゃんが一番詳しいから、知りたかったら訊いたらええわ」

 臨海署の女子署員は(事務員まで含め)全員知っていることだが、森村杏はラブホテルのエキスパートで、京阪神の主要なホテルを全制覇コンプリートしたと言われている。もちろん、結婚前の時点で。だから最近の情報は知らないかもしれない。

「了解です。さて、今日の調査はこれで大部分終わりました。あとは帰る前にもう一度薔薇屋敷を見に行って、その後、依頼者の家へ中間報告に行くことにしましょう」

「え、もう一度見に行くん? 何しに?」

「夕方になったので見に行くのですよ」

 不二恵は何をするか訊いたのに、エリーゼはなぜ行くかを答えた。しかし、何か意図があるのだろうと不二恵は思った。訊くと「考えてくださいよ」と言われるだろうから、訊かなかった。しかし事件を解決した後で、嬉しそうに話してくれるに違いない。エリーゼはそういう性格だ。だから、それまで待っていればいい。

 喫茶店を出て薔薇屋敷へ行く。エリーゼは建物を色々な角度から眺めた。もちろん、また写真も撮る。さっき同じような写真を撮ったのでは、と思えるような角度でも。

 それから、土塀をじっくりと観察する。外壁塗装業者が塗り替えのための査定をするときよりも遥かに時間をかけている。塀のひび割れの数を数えているのではないかと思うほどだった。もちろん、正門と通用門の扉も隅から隅まで眺めまわす。

 そういうことをしている間に、何人もの近隣住民(たぶん)が道を通っていった。みんなエリーゼのことを怪しんでいるようなのだが、「何をしてるんですか」などと声をかけてくる者は一人もいなかった。

 あるいは、この家の前にこういう人が来るのはそう珍しいことではないのかもしれない。私も一緒になって真剣に見てたら恥ずかしくないんかなー、と不二恵は思った。

「もう一度肩車してくれませんか」

 エリーゼが言うので、不二恵は肩車をしたが、今度はさっきよりもかなり長い時間かけて、エリーゼは写真を撮っていた。しかも、もう少し右とか左とか注文を付けてくる。エリーゼはスレンダーでさほど重くないので(しかしたぶん胸の重さだけは普通の人より余分にあるだろう)、不二恵はしんどくはなかったが、やはり人目が少し気になった。

「フジエちゃんも肩車してあげましょうか?」

 不二恵の肩から降りてから、エリーゼは言った。

「えー、私はもうええわ」

「そうですか。しかし、もう少し写真を撮っておきましょう」

 エリーゼはそう言って不二恵を正門の前、通用門の前、そして家の角に立たせ、写真を4、5枚ずつ撮った。しかも笑顔やポーズを要求してくる。まるで記念写真だ。不二恵は普段着なので、傍目に見れば不自然な感じがしただろう。

 最初にここへ来たときは15分ほどで調査が済んだのに、2度目は終わってみれば小一時間経っていた。夕方とは言っても日が長い季節なので、家の前の道を通った人だけでなく、かなり遠方からも見えたはず。通算何人に見られたかわからない。

「探偵ってもっと目立たへんように行動すると思ってたんやけどなー」

「ここだけは仕方ないのですよ。重要な証拠物件ですからね。それに、人目を気にして夜中に来ると、何も見えませんから」

「それはそうやけど」

 後でこの辺りの人の噂になったら嫌やな、と不二恵は思ったが、さすがに臨海署まで伝わってくることはないだろう。


(続く)

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