第5章 籠から外へ

 中央展望塔に着くと、探偵は言った。

「想像ですが、あなたは物置に閉じ込められるまで、青い鳥と一緒にいたのではありませんか?」

「そうだよ。それにこのメジロも……」

 メジロを保護したところからの顛末を、尊は探偵に話した。もちろん両親にも言っていないことだ。探偵は聞き終えてから「フェルシュテーエン、了解です」と言い、大袈裟な笑みを浮かべた。

「そのオールリという鳥は、物置を出てから野鳥園まで飛んで戻ってきたのでしょう。そしてある人物に、あなたの危機をのです。もちろん言葉でなく、あなたのところへ導こうとしたのでしょう。ですが、あなたの保護は私の仕事なので、その人物は私にオールリを送り届けてきた、というわけです」

「オオルリにそんなことができるわけないよ」

「でも現実にあなたは助かったのですよ。私が行ったときに、鳥が屋根に止まっているのをあなたは気付きませんでしたか?」

「それは確かに見たけど」

「だったら鳥があなたを助けたということになりますね」

「そうかあ……」

「そして“ある人物”にも感謝してくださいよ。私のところへ鳥かごとヒントを送ってくださった方です」

「それって誰なの? 鳩村さん?」

「違います。あちらにいらっしゃいます」

 探偵が北の観察所を指差す。尊は持ってきた双眼鏡で、そちらを覗いた。すると観察所の壁の前に――本来、そこに立つべきではないのだが――紫色のサングラスの男がいるではないか。

「あの人、悪い人だよ!」

 尊は双眼鏡を目から外し、横の探偵に言った。尊の大声に驚いたのか、鳥かごの中のメジロが羽ばたいて「チィチィ」と鳴く。

「ナイン、そうではありません。彼は驚くべき感覚と洞察力を持ち、全てを見通す方です。そして彼こそがあなたの隠れたガーディアンです。あなたの能力にも気付いているはずです」

「僕の能力?」

「あなたはとても耳がよいのではありませんか?」

「僕はそう思ってるけど、誰も信じてくれないんだ」

「でもいろいろな鳥の声が聞き分けられるのでしょう」

「うん、それは得意」

「おそらく目や鼻も他の人より利くでしょう」

「それはどうかわからない」

「彼も同じなのです」

「そうなの?」

「もちろんあなたより何十倍も優れていると思いますが、それは自分の能力を絶えず磨いているからです」

 そう言う探偵の顔は、まるで自分のことを自慢するかのように得意気だった。

「彼は仕事の合間にここに来て、鳥の声を聞く訓練をしているのですよ。もちろんそれは耳だけではなく記憶力を鍛えることにもなります。鳥だけではなく、魚や昆虫、その他の小さな動物についても、その声や動きを観察しているはずです。そしてあなたのこともです」

「僕のことも?」

「あなたがいつこの野鳥園に来て、どこで鳥の声を聞いていたか。おそらくあなた自身よりも彼の方が詳しく憶えているに違いありませんね」

「本当かなあ」

「一度話してみるとよいでしょう。さて、そろそろヤチョーを放しに行きましょうか」

 中央展望塔を出て、さえずりの丘へ行く。メジロを“保護”したところだ。今日もたくさんの鳥が鳴いている。まるでメジロに「お帰り」を言って歓迎してくれているかのよう。

 探偵が、どこにメジロがいたのか訊くので、そこへ案内する。立ち木の下の茂み。しかし探偵は茂みではなく、立ち木の上の方を見る。

「アハン、やはりありますね、枝に、紐で縛った跡が。ご覧なさい」

 尊が見上げると、いくつかの木の枝に、こすったか削ったかしたような跡が付いていた。

「あれは網を仕掛けた跡です」

「網を?」

「鳥を捕まえるためですよ」

「そんなのしちゃいけないんだよ」

「ですが、していた人がいるのです」

「さっきのサングラスの人じゃないの?」

「違いますと言ったら違います。彼は、網が張られているのを見つけると、外しているのですよ。そしてその鳥ですが」

 探偵が鳥かごを見る。尊も見た。メジロがその視線に答えるかのように「チィ」と鳴く。

「おそらく網にかかって、抜け出そうとしたときに、怪我をしたのでしょう。しかし、本来なら助けてはいけないのでしたね?」

「そうだよ。そこの府庁舎の野生動物グループっていうところに知らせないといけないんだ」

 もちろん尊は先週の時点では“知らせないといけない”ことは知っていたけれど、“どこへ”かは知らなかった。だから保護を優先したのだ。“どこへ”かはあのあと、家に帰ってから調べた。

「ですが、できるだけ自然のままにする方がよいのです。あなたの目の届かないところで、もっとたくさんの鳥が怪我をしたり死んだりしています」

「そうだね、でも……」

「あなたが鳥を助けたことを責めているわけではありませんよ。あなたが優しい心を持っているのは十分にわかります。けれど先週は、そのせいであなたが危ない目に遭ったと言ってもいいのですよ」

「うーん……」

 トラックの荷台に乗ってしまったのは尊の不注意だけれど、それもメジロを助けようとしたことがきっかけと言われれば確かにそうだ。そしてオオルリも助けようとした。

 いくら野鳥を助けるためでも、してはいけないことがいっぱいある……

「さて、網のことに話を戻しましょうか。もちろん、ヤチョーを捕まえるのは、愛好家に売るためです。そういう悪い組織があったのですよ。そして捕まえたヤチョーの隠し場所が、あの物置の近くにありました」

「ええっ! 野鳥を研究しているところじゃないの?」

「違います。あのとき、救急車が来る前に、私は周りの建物を調べました。そうしたら住人がいたと思われる建物の中に、たくさんの鳥がいたのですよ。薄暗い中、汚れた鳥かごをいくつも置いて、おそらく100羽近くも。ですから私は警察に、違法行為が行われていると通報しましたよ。捜査状況は知りませんが、犯人の集団は逮捕されたと思いますね」

「そんなひどいこと……」

 言ったあと、尊は考え込んでしまった。若草色の作業服の男も、犯人の一人なのだろう。あのとき一緒にいた、茶色いスーツの男も。そうするともしかして、頼田も仲間なのだろうか? 野鳥の観察のためと言って、いつどこでどんな鳥が鳴いていたかを尊に聞いてきたが、捕まえるためだったのだろうか? 頼田の指示で、作業服の男が網を仕掛けていたのだろうか?

 確かに、あの倉庫には網もあったし、鳥かごも……しかしその汚れ具合を尊は思い出した。あれはとても、鳥を研究する施設のものに思えない。動物園だってもっときれいにしている。じゃあ自分は頼田に騙されて協力していたのだろうか。だとしたら、鳥たちに謝らなければならない……

「しかしこれでこの野鳥園にも平和が戻ってくるわけです。そのメジロも、捕まって売られなくてよかったではありませんか。そろそろ放すことにしましょう」

「うん、そうだね」

 尊は何とか気を取り直すと、持ってきた鳥かごを地面に置き、出し入れ口を開けた。メジロは止まり木に止まったまま、出てこない。尊が指を入れると、ひょいと跳んで乗ってくる。そのまま外に出してやったが、飛び立とうとしない。

「どうしてかなあ」

「あなたに慣れてしまったのかもしれません」

「1週間世話しただけなのに?」

「それだけではありませんよ。あなたは1年以上もほとんど毎日ここへ鳥を見に来ていたのでしょう? だから鳥もあなたを憶えているのです」

「まさか!」

「そうでなければ、オールリがあなたを助けようとしたことの説明が付きません」

 尊にはとても信じられない話だ。しかしメジロは尊の手から飛んで行かない。じっと尊の目を見て、行っていいのか迷っているようにも見える。

 飛ばせるために放り投げるのではあまりにも乱暴だと思ったので、尊は手を頭の上まで差し上げて、「行っていいよ!」と言ってやった。するとメジロは「チー」とひと鳴きして飛び立ち、すぐ近くの木の枝に止まった。しかししばらくして舞い降りてくると、急に姿が見えなくなってしまった。

「あれっ、どこ?」

「あなたの帽子の上ですよ」

 横から探偵がおかしそうに言う。いつもの麦わら帽子を尊は被っていたのだが、メジロがその上に止まっているというのだろうか。

「その鳥を、しばらく帽子の中に入れていたと言いましたね? もしかしたらそのとき、とても居心地がよかったので、自分の巣のように思っているのかもしれません」

「野鳥なんだけどなあ」

 追い払うのは可哀想なので、尊は頭も動かさずにいたが、そのうちメジロは機嫌よくさえずり始めた。頭の上から鳴き声が聞こえるなんて、初めてのことだ!

 そしてしばらく鳴いた後で、メジロは遠くへ飛んで行った。ようやく仲間のところへ帰ったのだろうか。

「あなたと別れるのが寂しくて、お礼の意味も込めて、最後に歌を唄ってくれたのでしょう。これかもここへ来るたびに、飛んできてくれるかもしれません」

「そうだといいなあ。あっ、オオルリ!」

 近くの木から木へ飛ぶ、青い鳥が見えた。普段なら鳥を見つけても尊は黙って見ているだけだが、そのときは思わず指差して叫んでしまった。あのときのオオルリに、あまりにもよく似ていたから。もしかしてあのオオルリなのだろうか?

「あの鳥も、あなたに挨拶しに来たのかもしれませんよ」

「そうだといいなあ」

 そのまましばらく、尊は鳥の声を楽しんだ。今日はやはりひときわたくさんの声が聞こえる。メジロが帰ってきただけはなく、尊が来たのを歓迎してくれているのだろうか。

「さっきの人って、僕が会いに行っていいの?」

 横に立って、同じように鳥の声を探偵に、尊は聞いてみた。彼女はとても美人で(尊は認識を改めた)とてもかっこいい服を着ているけれども、ここの風景とは今一つ調和していない、と思いつつ。

「もちろんです。先ほど言ったとおり、彼はあなたと同じ優れた感覚を持っていますから、あなたを理解してくださるに違いありません。そして彼はその感覚を用いて、いろいろな問題を解決してくださるのです」

「その人も探偵なの?」

「そうではありませんが、困ったことがあれば相談するとよいでしょう。事務所の場所を教えてあげましょうか。いえ、これから会いに行って、あなたから直接聞く方がよいでしょうね」

「うーん、じゃあもうちょっと鳥の声を聞いてから」

 しかしここではなく、隣のはばたきの丘へ行くことにした。そして鳥の声を聞きながら、その人に何を聞くか考えてみようと、尊は思った。

 その人は、どれくらいの種類の鳥の声を知っているだろうか? 尊よりも詳しいのだろうか。鳴き声で、鳥が何を言っているのかわかるのだろうか。

 もしかしたら、もっとたくさん野鳥がいる場所を、知っているのではないだろうか?


(第16話 終わり)

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