第4章 籠の鳥 (後編)
次に尊が気が付いたのは、ベッドの上だった。部屋はわりあい明るかった。すぐ近くに、知った顔が……尊の母がいた。
「あら、気が付いたわ、よかった!」
「……メジロは?」
自分がどういう状況なのか、尊にはよくわからない。しかし自分のことよりも、なぜか怪我したメジロのことが気になった。
いや、待って。尊の頭で何かが閃いた。メジロのことは、さっきも聞いた記憶がある。どこで、どういう状況だったか……少しだけ思い出した。白いヘルメットを被り、水色の服を着た人が周りに何人かいて、尊はどこかに寝かされていた。そのときにも「メジロは?」と聞いたはず。誰かが何か答えた……何だったろう? 「大丈夫、一緒に病院へ連れて行くよ」だっただろうか。そのあと尊はもう一度気を失ったようなのだ。
「あらまあ、この子はえらい目に
「怪我したメジロを助けたんだよ。どこにいるの?」
「さあ、そういえば誰かが何やら言うてたような……鳩村さん、何やったかしら?」
母が誰かに向かって話しかける。そのときにようやくその場にもう一人いたことに気付いた。鳩村という名前も聞き憶えがある。尊が、探偵事務所の場所を聞いたおばさん。
「それやったらエリちゃんがあんじょうやるて言うてたような気ぃしますわ」
声がした方を尊が見ると、やはりそのおばさんだった。化粧の厚い顔に見憶えがある。なぜここにいるのだろう。というか、ここはどこ?
「エリちゃんて誰ですのん?」
「尊ちゃんを探してくれた子ぉですわ。私の知り合いで、外国人の若い女の子ですけど、ほんまようできた子ぉで」
「それやったら病院のどこかで私も
「私らが来たときにはもう動物病院探しに行ったん違うんかしらん。どこで何してるんか、スマホで聞いてみますわ」
「ここ、病院?」
母とおばさんが二人だけで会話していて、ほったらかされかけたので、尊は聞いてみた。ベッドの横にカーテンがあったりして、確かにそれっぽいとは思っていたが。
「そうやで。あんた、憶えてへんのやろな。お母さんも詳しい状況がわかってへんのやけど」
母が話すところによれば、ここは東大阪市の救急病院で、尊は三浦さんという女性からの通報により運び込まれ、単なる失神と診断されたが、念のため病室で寝ていた、ということらしい。
「エリちゃんは動物病院で鳥を診てもろうて、もうすぐここへ来るらしいですわ」
電話のために病室を出ていたおばさんが、戻ってきて母に言った。そして尊にも言う。
「尊ちゃん、あんた、助かってほんまによかったなあ。こないだ、おばちゃんのところへ探偵のこと聞きに来たやろ。小学生でそんなん聞きに来る子ぉはおらへんから、ちょっと心配になって、その探偵さんに尊ちゃんのこと気ぃ付けといたってって、頼んどいてん」
「探偵が僕を見張ってたの?」
「そやで。上手にやってはったみたいやから、あんた気付かへんかったんやろな」
確かに、尊は全く気付いていなかった。まさか猿顔の警察官ではないだろう。あの警察手帳が偽物だったというのでなければ。
その他に尊のことを見張っていたのは、サングラスの“悪い人”と白い服の女スパイだけだ。そして尊はようやく思い出した。その女スパイに捕まったはずなのに……
気を失っていてよくわからないのだが、あの場へ探偵が駆けつけて、女スパイをやっつけてくれたのだろうか?
「気ぃ付いたんやったらすぐ退院できるんか、先生に聞いてこよかしら」
「それやったらナースコールで先生か看護師さんを呼んだらええん違いますのん」
「あら、そうゆうたら呼んでくれて言われてましたわ」
母がナースコールのボタンを押し、また尊をほったらかしておばさんと二人で話しているところへ看護師がやって来た。しばらくしたら医者も来て、尊に問診をして体温や脈拍、血圧などを計ったら「帰っていいですよ」ということになった。入院ではなく外来扱いとのこと。たった2時間ほど寝ていただけらしい。まだ3時前だった。
浴衣のような検査着を着せられていたので、尊がベッドの周りのカーテンを閉めて元の服に着替えていると、「グーテンターク、皆様」と声がして、誰かが部屋に入ってきた。聞き憶えがある声だ! 尊は慌ててカーテンを開け、そこに立っていた白いスーツの女に向かって「その人、スパイだよ!」と叫んだ。
「アハン、スパイですか。言ってくださいますね。しかし一度は尾行に失敗して怪しまれてしまったのですから、そう思われてもしかたないことかもしれません」
「尊ちゃん、何言うてんの。この人がおばちゃんが頼んだ探偵さんやがな。三浦エリちゃんや」
帽子の庇に右手をかけて、気障なポーズを取っている女の横で、おばさんが言った。その隣では尊の母が呆然と口を開けている。
「えっ、探偵?」
「そうやで。あんたを助けてくれはったんや」
「ナイン、ハト様。私はある人物からの情報によって、指定された場所へ行っただけなのです。そこにこの少年がいたのですよ。今朝、野鳥園に彼がいないので、どこか他のところへ遊びに行ったと思っていたのです。その情報がなければ私は大失態を演じるところでした。ですからもしお礼を言うなら、その人物にお願いいたしますです」
しかしそのあと、女はおばさんに向かって唇の前に人差し指を立てた。「その人物」の名前をおばさんも知っているが、ここでは言うなという意味だろうか。おばさんは「ああ、そうかいな、そうかいな」と笑顔で言いながら何度も頷いている。
「それよりも彼が気にしているのはこの黄緑の鳥のことでしょう。ご安心なさい、大きな怪我ではなくて、ヨクカンセツのダッキューとのことでしたが、それを治したので、1週間もすれば飛べるそうです。ゾーヴィゾー、土曜日に診察をしている動物病院を近くで探すなんて、とても大変でしたよ。払った治療費は誰に請求すればいいのでしょう?」
「そんなん、私が立て替えといたるがな。後でまとめて、わ……うん、あの人に請求するわ」
「それではタケル様、この鳥をお受け取りください。聞けばそのヤチョーという鳥は、本来は家で飼ってはいけなくて、怪我を治す間だけしか置いておけないそうですね。置くにも手続きが必要だそうですが、それはどうぞご自分で。お父様かお母様が協力してくださるでしょう。ただヤチョーを自然に帰すときには私が立ち会うつもりですので、ぜひご連絡を」
女は尊に向かってうやうやしい仕草で鳥かごを差し出し、尊がそれを受け取ると、帽子を右手で取って胸に当て、一礼して、また帽子を被ってさっさと病室を出て行った。おばさんは「エリちゃん、またね」と笑顔で見送っているが、尊の母はさっきからずっと口を開けたままだ。
「本当にあの人が僕を助けてくれたの? どうやって?」
母とおばさんに尊は聞いたが、母は開いた口がようやく塞がっただけ。おばさんが「それはまた今度話してくれはるやろ」と言う。
「今度って?」
「その鳥を自然に帰すときには連絡をて言うてはったやろ。そやからそのときやわ」
そのときになれば何もかもわかるという感じの、おばさんの言い方だった。なぜ今ではないのだろう。
しかし尊は、すぐにメジロに気を奪われた。病院で治療してもらったとのことだが、メジロは真新しい鳥かごの中で止まり木に止まっている。そして尊が覗き込むと、「チィ、チィ」と小さく鳴いた。助けてくれてありがとう、と言っている気がした。
それから1週間、尊は野鳥園にほとんど行かなかった。行ったのは最初の日曜日だけ。怪我したメジロを連れて(鳥かごに入れたまま)。そうしたらメジロは外を飛びたくなったらしく、かごの中でバタバタと羽ばたいていた。それでは怪我の治りが遅くなってしまうので、「我慢して」という意味を込めて、連れて行かないことにしたのである。もちろん、尊も鳥の声を聞くのを我慢しなければならなかった。
尊の部屋に鳥かごを置いて、毎日水や餌をやって世話をしたら、金曜日には部屋の中を飛び回れるようになった。それで(鳩村のおばさんを通じて)探偵に連絡し、土曜日の朝に野鳥園へ行くことにした。もちろんメジロを放すために。
探偵は「駐車場で待っている」とのことだったので、約束の八時に尊がそこへ鳥かごを持っていくと、大きなバイクが止まっていて、横に探偵・三浦エリが立っていた。これまでとは違って、紺色のスーツを着て紺色の帽子を被っている。
「さて先週、何があったかお話ししましょう」
中央展望塔へ向かって一緒に歩きながら、探偵が言った。
あのあと、彼女は顛末の一部を尊の母に話したらしいが、そこでは尊が「生駒山へ鳥を見に行って日射病で倒れた」ということになっていたようだ。トラックの荷台に潜り込んで……という肝心な部分がなかった。しかしそれは尊の母を(あとで話を聞いた父も)変に心配させることがないように、という探偵の気遣いだと、尊は察したのだった。
そして今日全てを話してくれると思っていた。もちろん、真実は両親に隠したままにするつもり。
「と、言いたいところですが、実は私も詳しいことを知らないのです。私がわかっているのは、あなたの持っているその鳥かごに、青い鳥が入れられて、私の事務所へ届けられてからなのですよ」
「青い鳥って、オオルリ?」
尊は、自分を大変なことに巻き込んだあの鳥を思い出しながら尋ねた。それがどうやって探偵の手に渡ったのか、不思議でならない。
「そういう種類の鳥なのですか? 私はよく調べなかったのです。ただ一緒に手紙が付いていて、『イコマへ行って、あとは鳥に聞け』と書かれていたので、それを実行したまでです。ちなみに手紙はドイツ語でした」
「鳥に聞け……」
尊には全く意味がわからなかった。探偵は鳥と話ができるのだろうか?
「もちろん私には鳥の言葉なんてわかりません。ですが、鳥が私をどこかへ連れて行こうとしてくれるなら、それを追いかけることくらいはできます。そしてイコマといえば神社です。私があの神社まであなたを尾行したのを憶えていますね?」
「やっぱり尾行してたんだ」
「それが仕事ですからね。とにかく私はそこへ行って、かごから青い鳥を出しました。予想どおり鳥は私を導くかのように飛んで行くのです。そしてあの古い建物までたどり着きました。神社から500メートルほど山の方へ行ったところにある、農家の敷地でした。住人はいなかったので、申し訳ないと思いながら無断で入り、物置の屋根に青い鳥が止まっているのを見て、そこにあなたがいるのだろうと思い、扉の南京錠を開けたのです」
「オオルリが僕の居場所を……」
尊はオオルリが屋根と壁の隙間から出て行ったのを、思い出した。外へ逃げただけと思っていたのに、あそこに尊が閉じ込められていることを、誰かに知らせに行ったというのだろうか。飼い鳥ならまだしも、野鳥がそんなことをするなんて、尊にはとても信じられない。
(続く)
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