第4章 籠の鳥 (前編)
車はすごいスピードで走っている。外が見えなくても、音と振動でわかるのだった。ときどき小さく跳ねて、鳥かごが床の上で動いてガタガタと音を立てる。鳥を運ぶときには、もっとゆっくり運転して欲しい、と尊は思った。
帽子を床に置いていると、振動でメジロの怪我が悪化するかもしれないので、尊は両手でつばを持って膝の上で抱えておくことにした。メジロは首を傾げながら尊のことを見ている。
そのうちに、荷台の中がだんだん暑くなっている感じがした。換気用の窓から、外の熱風が入ってくるからだろうか。それとも荷台に当たる太陽光の熱が、中まで伝わってきたのか。
その暑さと、どこへ行くかわからない不安とで、尊は喉の渇きを感じていたけれど、お茶を飲むのはなるべく我慢することにした。今、全部飲んでしまったら、後で喉が渇いたときにつらくなる。小学校の遠足で、そういう思いをしたことがあるのだ。そのときは友達からお茶を分けてもらったけれど、ここにはいない。
どこに行くのだろう。どこでもいいから、早く止まって欲しいと、尊は思っていた。しかし車は止まる気配がない。もう何分走っているのだろうか。1時間か、2時間か。それとも本当はもっと短いのを、長く感じているだけなのか。
止まったとしても、全く知らないところなら、どうやって帰ろうか。今日は財布を持ってきていないのだ。着いた先に頼田がいればいいけれど、もしいなかったら? 作業服の男は話をしたことがないし、茶色のスーツの男は今日初めて見た。尊が帰るのを助けてくれないかもしれない。
頭がだんだんぼんやりしてきた。身体に力が入らなくなって、車の揺れよりも、身体が大きく揺れてしまう。でもメジロが入った帽子を落としてはいけないので、尊はそれだけはしっかりと両手で持っていた。メジロはずっとおとなしくしているし、オオルリの声も聞こえない。
気が付くと、車のスピードが落ちていた。高速道路から、町中の道に入ったような感じ。カーブも多い。ときどき止まるけれど、エンジンがかかったままなので、信号待ちだろうか。それを何度も何度も繰り返し、やがて坂を登っているような傾きを感じた。
ゆっくり走っていて、タイヤが砂や砂利を踏む音がする。ときどき大きく傾く。路面の溝にタイヤが落ちているのだろう。カーブも多い。めまぐるしく変わる遠心力のせいで、尊はだんだん気分が悪くなってきた。もう泣きそう、と思っていたら、車が止まり、エンジンが切られた。明かり取りからは光が射さなくなった。車庫に入ったのか……
前でドアが開く音がして、話し声が聞こえて、それが車体の横を通過していく。声は後ろへ回った。閂を外す音がしたときに、尊はとっさに帽子で顔を隠した。しかし扉が少しだけ開けられて、何か放り込まれたようなドサリという音がしただけで、扉はまた閉じられた。声は聞こえなくなって、足音だけが車の前の方へ戻っていく。それから少し遠くで、ドアが開け閉めされるような音がして……
大失敗だ、と尊は気付き、慌てて立ち上がった。荷台から出してもらわないといけなかったのに。扉の近くへ移動して、開けてもらうために扉を叩くとか(そうしなくても開けられただろうが)、開いたらすぐに声をかけて気付いてもらうとか、しなければならなかった。
「大変だ……」
尊は呟きながら扉の方へ行った。開けられるだろうか? さっき閉められたあと、閂をかける音はしなかったのでは?
両手で力いっぱい押すために、帽子を足元に置く。2枚の扉の境目を手探りで確かめて、押したら……意外にあっさりと開いてしまった。
外は薄暗かったが、荷台の中よりはましだ。そして気温もずっと低い。微かに山の気を感じる。
出る前に、尊は周りの様子を確かめた。車庫のようだが、壁との間はけっこう広く、棚があっていろいろなものが置いてある。天井も高い。ただ壁や天井の隙間から光が漏れてきているので、古い物置なのかもしれない。そして人の気配はない。
尊は荷台から飛び降りると、帽子を手に取った。メジロを忘れていくわけにはいかない。そのとき、中から羽ばたきの音がして、青い影が上へと飛んで行った。オオルリも外へ出たようだ。
出られてほっとしたので尊はため息をついたが、息を吸うときに、鳥の匂いを感じた。動物園の鳥小屋の匂い。しかし鳴き声は聞こえないし、動く音もない。ただ、近くの棚をよく見ると、鳥かごが置かれていた。地面にもいくつか積んである。そして汚れた鳥の羽が散らばっていた。
荷台にも鳥かごが入れてあったし、車でここに鳥を運び込むのだろう。そうすると、やっぱり「鳥を飼っている場所」に来られたのか? いや、ここはたぶん車庫兼物置で、他の建物で飼っているに違いない! 尊は気分が回復するだけでなく、わくわくしてきた。
そういう場所なら、怪我した鳥を診てくれる医者もいるだろう。メジロを治してもらえるかもしれない。まずはここから外へ出ることだ。
車の横を通って前の方へ。改めて壁際の棚を見ると、鳥かごの他に網のようなものが丸めて置いてある。マンションで、カラスよけの網をベランダに付けている部屋があるが、それに似ている。野外で、動物園のように大きな鳥小屋を作るためかもしれない。
車の前に扉はなく、一面の壁だったが、周りから光が漏れている。横に開くのではなく、下から持ち上げるタイプの扉だろうか。下を押してみる。開かない。左右の端も押してみたが、やはり開かない。
壁の左側に、磨りガラスの付いたアルミ製のドアがあった。倉庫として使うときの出入り口か。しかしドアノブは回らず、押しても引いても開かない。外から鍵が掛かっているようだ。
尊はがっかりした。せっかく暗くて狭い荷台から出ることができたのに、もう少し大きなところに閉じ込められていた、というだけなのだ。
ドアを叩けば、外で誰か気付いてくれるだろうか? 試しにしばらく叩いてみたが、全く反応はなかった。車庫は「鳥を飼っている建物」から離れたところにあるのだろうか。
「ヒー」とオオルリの声が上から聞こえたので、そちらを見る。屋根と壁の交差部に隙間が空いていて――それで尊はこの建物がトタンでできていることに気付いたのだが――鳥が止まっていた。逆光でよく見えないが、シルエットはあのオオルリに違いない。
「いいなあ、君は。そこから出られるんだね」
尊は羨ましくなって呟いたが、オオルリはもう一度「ヒー」と鳴いて、姿が見えなくなった。外へ飛んでいったのに違いない。「さようなら」と挨拶してくれたのだろうか。
「君も飛べるなら、あそこから出て行けるんだけどね」
帽子の中のメジロを見ながら、尊は言った。メジロはとてもおとなしく、鳴きも羽ばたきもしない。小さな目で尊の方をただ見上げていた。
でも、このメジロが行ってしまったら自分は一人ぼっちになるな、と尊は気付いた。一緒にいれば少しは寂しさが紛れるだろうか。
とにかく、誰かがこの車庫に来るのを待つしかない。そしてときどきドアを叩いてみよう。尊はそう考えて地面に座り込んだが、急にお腹が減ってきた。もうすぐお昼なのだろうか。お茶を少し飲んで凌ぐ。
野鳥園で時間が経つのを忘れて鳥を見続けて、お昼に家へ帰るつもりが3時頃になることもあるので、母は尊が遅くなってもあまり心配しない。今日もそうだろうと思う。野鳥園へ見に来ることもないのだ。万が一、母が野鳥園へ行って尊がいないのに気付いても、こんなところにいるとは絶対にわからないだろう……
「君は、こういう暗いところでは鳴かないの? そうか、声を聞かせる相手がいないからだね。それに、鳥目だから僕のこともよく見えないんだろうなあ」
鳴かないメジロを相手に、尊は語りかけた。いつもは黙って見ているだけだが、話してみたいと思ったことはたくさんある。もちろん、鳥には尊の言葉はわからないだろうし、尊も鳥の言葉はわからないけれど。
どこかで砂利を踏む音が聞こえた気がして、尊は目を覚ました。メジロに向かって独り言を呟いていたはずなのに、いつの間にか寝てしまったようだ。暗い荷台に閉じ込められて運ばれるという慣れない苦行を味わったので、疲れていたのだろうか。
膝から落としかけていた帽子をしっかりと持って(メジロは落ちていなかった)立ち上がり、ドアの方へそっと近付く。やはり外から足音がしている。磨りガラスにぼんやりと影が映って、少しずつ大きくなる。けれどさっきの二人の服の色……薄緑色でも茶色でもなかった。頼田がよく着ていたスーツの紺色でもない。白っぽいだろうか?
足音は、ドアから少し離れたところで止まったようだ。影もそこにある。尊は自分の方からドアを叩くべきだと思ったのに、なぜか身体が動かなかった。危険な感じがする! 外にいるのは、尊の味方ではないような、つまり頼田やその仲間ではない気がするのだ。
白っぽい影は再び動き始め、ドアの前に立った。今度こそ、白い服だということがわかった。ドアからガタッと音がした。ノブをガチャガチャと捻る音もするが、開かなかった。そうすると白い影は、磨りガラスをコンコンとノックした!
中に誰かいるのを確かめているのか? しかしここの人ならそんなことをする必要はない。鍵を持っているはずだから、開ければいいのだ。
白い影はしばらく動かなくなった。ドアを開けようとも、立ち去ろうともしない。しかしまた上の方から「ヒー」と鳴き声が聞こえた。オオルリの声。まさか、あのオオルリが戻ってきたのだろうか? だとしたら、何かの中に入るのが好きな性格なのか。あるいは鳥小屋か巣箱などで飼われたことがあるのかもしれない。
少しだけ、白い影が動いた。おそらく顔の辺り。やはりオオルリの声を聞いて屋根を見上げたのだろうか。
それからわずかに遠のいたが、再びドアに近付いてきた。そして急に背が低くなった。かがみ込んだのだろう。ドアの真ん中辺りから、金属を引っ掻くような音が聞こえてきた。鍵を開けようとしている? しかしなかなか開かない。
鍵でないものを使って、無理に開けようとしている! 尊はなぜか閃いた。泥棒がよくやるのだ。学校で防犯について習ったとき、先生が“何とかキング”という技だと教えてくれた。
つまり、外にいるのは泥棒? この中に入って、何かを盗もうとしているのか。しかし尊が見る限り、何もあるはずがない。車くらいしか……
パチン、とひときわ大きな音がして、白い影はまた立ち上がった。鍵が開いたのだ。尊は車庫の奥へ逃げた。帽子の中のメジロが、しばらくぶりに「チィ」と鳴いた。尊の様子に、危険を感じて怯えているのかもしれない。「大丈夫だよ」と言ってやれないのがつらい。
そして上からも「ヒー」。オオルリが、尊に危険を知らせてくれたかのようだ。しかしそれを遮るかのように、ドアが開く音。そのときには尊は既に車の横を駆け抜け、一番奥までもう少しというところだったが、そこから先に隠れる場所はない。もう一度、荷台に潜り込むくらいしか……
尊は荷台によじ登った。内側から扉を閉めようとするが、細い隙間が空いたままになってしまう。しかたなくそのままにして、メジロの入った帽子を抱いて、荷台の奥へ行った。だが身を隠すものは何もない。鳥かごを積み重ねたって、丸見えのはずで……
荷台の奥の、隅っこでしゃがみ込む。外の足音は車の横を通っているところ。尊が逃げた足音には気付いているだろうから、すぐ見つかってしまうに違いない。尊は恐ろしさで胸がドキドキしてきた。
「ごめんな、君の怪我、治してあげられるかどうか、わからない」
尊はメジロに謝まった。メジロはまた小さく「ヒィ」と鳴いたが、どういう意味の返事だったのだろうか。
足音はついに車の後ろまで来た。しばらく止まったのは、荷台以外のどこかに隠れていないか、確かめていたのだろう。
おもむろに、扉が両側に開いていく。薄暗い中でもはっきりとわかる、白いスーツに白い帽子。女スパイだ! 尊は心臓が今までにないくらいものすごく速く打っているのが、自分でわかった。
「グーテンターク、ヒイ・タケル様。ご安心なさい。私は決して怪しい者ではありませんよ」
その言葉に続きがあったかどうかは、尊にはわからなった。頭痛と耳鳴りがして、意識が遠くなってしまったから。
(続く)
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