第3章 少年の冒険 (前編)

 その週の間、尊はいろいろと考えた。学校の授業中も、休み時間も、放課後も、自分の部屋でも。そして土曜日に、決行することにした

 生駒へ行ってみよう。

 もちろん、頼田が言う「鳥を飼っている場所」を探すため。一人で探すのは無理だけれど、いろんな人に聞けば、誰か知っているかもしれない。探偵が探すときだって、きっとそうするんだろう。

 計画はこうだ。まず生駒山の、大阪方の麓へ行く。石切という地区。石切神社の近く。その駅前と、神社の近くで町の人たちに尋ねてみる。駅前はもちろん人がたくさんいるからで、神社は山に近いから。

 問題はお金。といっても誰かに報酬を払うわけじゃない。交通費だ。

 尊は毎月お小遣いをもらっている。1000円で、一応平均的な金額。けれどほとんど毎日、野鳥園に行くだけだから、使うことがない。銀行に預金していて、その他にお年玉も貯めているので、それなりの額になっている。

 とはいえ、無駄なお金は使いたくない。石切へ行くのに、一番安い方法を探した。もちろん、電車で行く。コスモスクエア駅からだと、地下鉄中央線に乗って、相互乗り入れしている近鉄線の、新石切駅へ行くのがよさそうだ。小児運賃で320円。往復で640円。それならまずまずだろう。

 ただ、一日で探せるとは思えないから、何度か行くことになるだろうけれど、そうそう何度も行くわけにはいかない。しかしとりあえず今日が第1回だ。

 外で昼食を摂るのはお金がもったいないので、昼から出掛ける。もちろん、普通の土曜日は、朝食の後で野鳥園に行って、昼食のために家に帰るけれど、食べたらまた野鳥園に行って……としているので、午後から出掛けることを、尊の親は気にも留めない。

 途中で喉が渇いたときのことを考えて、水筒に麦茶を詰めていく。それだって、夏場に野鳥園へ行くときには、いつもやっていること。むしろ最初の頃は母が「持って行きなさい」と用意してくれたくらいだ。

 いつもと少しだけ違うのは、デイパックにおやつを詰めること。たくさん歩くことになるはずなので、お腹が減るかもしれない。ただし家にはおやつの買い置きがないので、駅に向かう途中のコンビニで買うしかなかった。100円のチョコビスケットにした。もし食べなければ、次回にまわせるだろう。

 そしてコスモスクエア駅に行き、切符を買う。実は尊が一人で電車に乗るのは初めてだった。買い物や旅行に行くときは、家の車に乗せてもらうから。

 簡単なように思えて、実は少し難しい。しかしわからなければ、ちょっと勇気を出して、駅員に聞けばいいのだ。むしろ石切に着いてからの方が大変なはずで、電車に乗るくらいで困っていてはいけない。

 生駒方面行きは、生駒行きと学研奈良登美ヶ丘行きがあるが、どちらでも新石切には行くはず。1両目の、一番前に乗る。

 地下から出発するが、隣の大阪港駅の手前で地上へ出て高架になり、弁天町駅でJRの環状線の上を越え、阿波座駅でまた地下に潜る。

 そのあとは長田駅までずっと地下。各駅停車なので、とても遅く感じる。長田駅からは近鉄線なのだが、もちろん乗り換えずに直通。荒本駅を出てしばらくしたらまた地上へ。そして高速道路の下を高架で走る。次の吉田駅の、その次が新石切駅なのだが、尊は吉田駅を電車が出る前から胸がドキドキしていた。次で絶対に降りなければ!

 すぐに、上の高速道路が両側に分かれて“天”が開き、線路が高速道路と同じ高さになったら、前方の見晴らしがよくなった。生駒山が立ちはだかり、そのすぐ麓まで来たことが、ようやく尊は実感できた。ただし、本当の冒険はこれから始まるのである。

 車内放送があるよりもずっと前から席を立ち、ドアの前に陣取って、降りる準備。電車が止まって、ドアが開いたらすぐ降りた。

 階段を下り、改札口を出て、北側の出口へ。駅の外に出ると、尊が期待した風景とは少し違っていた。道路とビルばかり。緑が少ない。店もほとんどないし、歩いている人も少ないから、聞き込みもできなさそう。

 しかし本番はもっと山に近付いてからだ。東に向かって歩き出す。一応、地図は用意してきた。友達がたまたま持っていた、東大阪市の地図をコピーさせてもらった。

 それによれば、石切神社の参道まで歩いて1.5キロほど。30分くらいで歩けるだろう。まず線路沿いの道を行く。緩やかな上り坂。しかし乗ってきた電車の線路は真っ直ぐ山の中に突っ込んでいき、トンネルの中に消える。

 そのトンネル入り口の真上にある交差点で、北へ折れる。と、そこに鳥居が建っていて、その向こうにお寺の山門のような建物が見えた。地図には絵馬殿とあるが、やはり門なのだろう。通り抜け、道路を渡るともう一つの鳥居。そこが石切神社の本殿だ。

 ここが目的地ではないのだが、神社に来て何もしないのは気が引けるので、とりあえず本殿に行って賽銭箱に10円玉を投げ込み、「鳥を飼っている場所が見つかりますように」と願をかける。土曜日で、特に祭日でもないはずだけれど、人が多い。ただしおばさんとおばあさんとおじいさんが多い。みんな近所の人と思われる。しかし、聞くならそういう人が親切に教えてくれるはずで……

 最初は勇気がいる。知らない人に話しかけるときは、いつでもそうだ。けれど尊は、勇気をふるって、なるべく優しそうなおばさん二人組に「すいません」と声をかけた。

「あら、どないしたん、僕」

 お参りのあと、二人で話をしながら歩いていたが、すぐに尊の方を見て返事をした。

「この辺に、鳥をいっぱい飼っている家を知りませんか?」

「鳥? ニワトリかいな」

「そうじゃなくて、小鳥です。ウグイスとか、メジロとか、ヒバリとか……」

 なるべく普通の人でも知っていそうな鳥の名前をいくつか挙げる。おばさんたちは「さあ、知らんなあ。あんた知っとる?」「私も知らんわ」などと言い合っていたが、そのうち通りがかった別のおばさんに声をかけた。その人もすぐ話に乗ってくるが、知らないらしい。

 しかし「誰それさんやったら知ってるかも」「いや、あっちの誰それさんの方が」などと話が発展していき、さらにそこへ通りがかった4人目のおばさんが勝手に話に加わってしまった。

 おまけにどこの誰ともわからない通りがかりのおじさんが「あっちに交番があるで」などと言い出す。道に迷ったとでも思われたか。尊は断ることにした。

 10分以上もおばさんたちの話し合いは続き、その間に一人が携帯電話で知り合いに聞くことまでしたけど、結局「わからんわ」ということになってしまった。

「ありがとうございました」

 尊は丁寧に礼を言った。わからなくてもそうするのが礼儀である。しかしおばさんの一人が「あんた、この辺の子やないわなあ。どこから来たん?」と言う。南港からと言おうものなら「そんな遠いところから一人で来たんなら危ないで」などと注意されかねない。それこそ交番へ連れて行かれるかも。乗ってきた電車の駅名を思い出し、「長田から」ということにして尊は切り抜けた。

 神社から出る。近所の人が多いとは言え、遠くから来ている人もいるだろう。「この辺のことは知らない」という人に当たったら時間の無駄だ。それにここは町中で、鳥を飼うのならもっと山の上の静かなところのはず。

 神社前の参道を東へ歩く。石切参道商店街。石切神社はこの“本社”の他、ずっと東に“上之社”があり、尊としてはむしろそちらに期待していた。

 それでも念のため、歩いている途中でも聞いてみることにする。食べ物屋がたくさんあるが、そこで聞くと何か食べて行けと言われそうなので、店には入らない。歩いている人に聞く。誰も彼も親切で、さっきのような大騒ぎにはならないが、やはり何もわからない。しかしだんだん慣れてきた。

 坂道が少しずつ急になっていき、近鉄の(奈良線。さっき乗ってきたのは“けいはんな線”)が見えてきた。上之社は線路の向こうにある。線路の下をくぐる前に(その辺りは山の斜面沿いに作られた築堤の上を走っている)またおばさん二人組に聞くと、「交番で聞いたら」と言われた。すぐ近くの石切駅の前にあるらしい。しかし尊は断って、線路をくぐった。

 さらに坂が急になり、鳥居を通り抜けて上之社の本殿へ。また賽銭を投げて願をかけて、お参りに来た人に聞く。しかしわからない。この辺りは本社よりもずっと静かで、緑も多い。鳥の鳴き声もたくさん聞こえる。もう少し上の方へ行けば、飼うのにちょうどいい環境と思えるのに。

 その鳥の声に惹かれて、神社の中を歩き回る。本殿の背後は小高い山で、森になっている。そこからたくさんの鳥の声が。ウグイス、ホトトギス、ホオジロ、キビタキ、ジョウビタキ、コサメビタキ、サンコウチョウ……

 初めて聞くので、名前のわからない鳥もたくさんいる。咲洲は海の近くで、山鳥の声はあまり聞けない。「鳥を飼っている場所」が見つからなくても、この声を聞けただけでよかった。そう思えるような……

 歩き回って、小さな滝の前まで来た。滝というよりは湧き水なのだが、そこで尊は喉が渇いていたことを。立ち止まって、水筒から一口飲む。いつもの麦茶なのに、おいしく感じる。

 しかし急に人の気配がした。振り返ると、白いスーツの……女スパイの姿!

 近くの木にもたれ、帽子の庇に手をかけ、気取った格好を付けて立っている。声はかけてこないが、尊をけてきたのは間違いないだろう。やっぱりスパイだったのだ。

 助けを呼ぼうにも、周りには誰もいない。気付かないふりをして、こっそり逃げる方がいいかもしれない。尊は何気ない感じで歩き出し、女スパイから少し距離を取ったと思えるところから早足になって、そして駆け出した。

 神社を出て、線路までの坂道を駆け下りる。そして交番があると聞いたことを思い出した。こういう場合は、交番に行って警官に頼った方がいい。線路をくぐってから、駅までの道は上り坂に変わったので、途中でしんどくなった。振り返ったが、白いスーツは見えない。

 走るのをやめて早足になり、交番を通り過ぎた。助けを求めるのは、今はやめておく。しかし新石切駅までは遠いので、ここから乗るしかない。

 改札口で駅員に聞いたら、「鶴橋で地下鉄に乗り換えるのがいいよ」と言われた。鶴橋駅まで180円、そこから地下鉄でコスモスクエア駅まで170円。計350円。地下鉄は阿波座駅で千日前線から中央線に乗り換える必要があるけれど、運賃は行きと30円しか違わないのだった。次に来るときはこっちのルートがいいかもしれない。駅が山に近いから。


(続く)

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