第4章 図書室の床 (前編)
探偵は、二日続けてやって来た。昨日と同じスーツ姿で、帽子をかぶって。
今日は月曜日だが、雪美は仕事を持っていないので対応できる。ただ遺産整理のために弁護士に会ったり役所へ行ったりするので、暇というわけではない。それに、例の噂のことも……
「解読にはもうしばらくかかりそうですか?」
「そうでもありませんが、急ぐ事情が何かできたのでしょうか?」
「いえ、今週は訪問先がたくさんあるので、明日以降は図書室をお見せすることができないかもしれないんです」
「了解です。しかし、おそらく今日中に解読できるでしょう。昨日の私のやり方は失敗だったことがわかったのです」
「そうですか。それはどういう……」
「説明は解読の後にいたしましょう。それより、図書室に関して教えていただきたいことがあります。本の並べ方に、何か規則がありますか?」
「並べ方……ええ、あります。確か、図書館の並べ方と同じだと……」
日本の図書館では、“日本十進分類法(NDC)”という分類方法が使われている。その概要は、まず図書を内容で大きく10種類に分ける。これを“類”という。
「0 総記」「1 哲学・宗教」「2 歴史・地理」「3 社会科学」「4 自然科学」「5 技術、家庭、工業」「6 産業」「7 芸術、体育」「8 言語」「9 文学」
それぞれの類は、更に10種類に分けられる。それを“
つまり全ての図書は“類・綱・目”を表す3桁の数字により分類される、ということだ。
「なるほど、本屋ではなく図書館と同じでしたか」
「はい。ただ、図書館では背表紙に数字を書いたシールを貼ってあることが多いですが、ここではしていません。本としての価値が落ちますから」
「わかります。もう少し教えていただきたいですが、同じ“
「ええ、そうなっているはずです。娘が子供の頃、読んだ本を違うところに入れて、夫が叱ったことがあります」
「子供向けの本もあるのですね。ご主人は全ての本の並び方を憶えておられたのでしょうか」
「さあ、気に入った本がどこにあるかは憶えていたでしょうが、全部はどうかと……それに、書架を直接探さなくても、パソコンで索引が作ってあって、それで検索すればどの本棚にあるか、すぐにわかりますから」
雪美が言うと、探偵は大きな目を更に大きくした。
「ホップラ! 個人のお宅の図書室で、そんな便利なものが作ってあるとは思いませんでしたよ。やはり昨日は大失敗でした。それを使わせてくださいますか?」
「はい、構いませんが……」
と言いかけて、雪美は「あっ」と気が付いた。
「すいません、本の財産目録を作るために、そのパソコンを古書店の方にお貸ししているんです。ですが、並べ方の一覧表ならどこかに……」
書架のどの棚に、どの“類・綱・目”が入っているかという表があるはず。書籍の数が多いときは、著者名の頭文字まで記載されている。普通の図書館と同じように。
二人で図書室へ行き、入り口のすぐ近くにある棚から、雪美はファイルを取り出して、探偵に渡した。探偵はそれを広げ、目を通しながら弾んだ声を出した。
「ヴンダーバー、すばらしい! 日本の文学でも、小説と日記と詩が分けて置いてあったのですね。昨日は全く気付きませんでした。全てが著者名で並んでいるのだと思っていましたよ」
「それがあれば探せそうですか?」
「もちろんです。もしかしたら、10分で見つかるかもしれません。しかし、その本だけなくなっているかもしれませんので、リヴィングルームでお待ちくださいますか」
「なくなっている……というと、盗まれたとか?」
「そうとは限りませんよ。お客様が、この図書室を利用したこともあるのでしょう? その人に貸したかもしれません。現に『ゴクモントー』はハイダ先生に貸しておられたではないですか。あるいはさっきおっしゃったコショ店の人が、価値を調べるために持ち出したかもしれません。古書というのはときどきホーガイな値段が付くことがありますから」
「わかりました。とにかく、索引には入っているけれど、本がないこともあり得るということですね。ではリビングで待つことにします」
雪美は図書室に探偵一人を残し、リビングへ行った。家にいてもすることはある。遺産となる書画骨董のリストに目を通さなければならない。書や絵画はともかく、骨董をこんなマンションの上層階に置くというのは、不用心だと、雪美は思っていた。地震があったら、壊れてしまう……
探偵が図書室から出てくるには、1時間かかった。形のよい唇の端を吊り上げ、満足そうな笑みを浮かべている。普段から練習しているかのような、型にはまった笑顔だった。
「お待たせしました。やはり探している本はありませんでした。しかし、それを予想しておかなければならなかったのですよ。暗号の解読とは関係ありませんが、聞いてくださいますか」
探偵はソファーに座ると、雪美が紹介を受けた田之倉美里の件でも、暗号の鍵となる本が持ち出されていたことを話した。暗号の答えと一緒に保管してあったのである。
「つまり今回も、その本は貸金庫に入れてあるとか?」
「それは違うと思いますね。アマさまに確認したら、貸金庫など知らないとおっしゃってましたよ」
「ええ、確かに私もそんな物があるとは聞いていません」
「では本は暗号で示された隠し場所に置いてあるのでしょう。あるいはそこには、保管してある別の場所を示す文書が置いてあるかもしれませんね。本を隠すには、ちょっとフテキトーな場所と思えますから」
「えっ、ということは、暗号を解いたんですか?」
「もちろんです。答えだけを先にお教えした方がよろしいでしょうか?」
「いえ、天川先生も心配して下さっていますから、説明のためにも解き方から……」
「ありがとうございます。それを聞いていただくのは探偵ミョーリに尽きるというものです」
「でも、鍵になる本はなかったんですよね。どうやって……」
「なくても本の名前さえわかっていればいいのです。これです」
探偵はテーブルに本を置いた。見たところ洋書だ。英語でタイトルが書かれている。しかもわりあい新しい。
「本は……なかったのでは?」
「そうですよ。これは英訳本です。その元になる、日本語の本はなかったのです」
「でもこれで暗号が解けるんですか」
「いいえ、やはり日本語の本が必要でした。しかしそれはインターネットで読めるのです」
「インターネットで……本を買って?」
「そういうこともできますが。大変古い本ですから、チョサクケンが切れているのです。だからインターネットのデジタルライブラリーで、全文が読めるのですよ」
言いながら探偵は、スマートフォンを見せてきた。ブラウザアプリになっていて、萩原朔太郎の『月に吠える』が表示されていた。
「萩」と「月」!
雪美は驚いて顔を上げ、探偵を見た。探偵は最前からの得意気な笑顔を崩さない。
「昨日は見逃していたのです。私は小説ばかり探していました。名前に『萩』という漢字が入っている作家です。何人かいましたが、『月』とは関係がなかったので、『萩』も『月』も本の名前に入っているのかと思って、うんざりしましたですよ。しかし事務所に帰って、友人と雑談をしていたときに、思い付いたのです。小説とは限らないと。それは本当は、最初からわかっていなければなりませんでした。なぜなら、雪美様が持って来て下さった『ゴクモントー』の中で、『萩と月』は俳句だったではないですか」
「あ……そうですね」
では暗号が『獄門島』の本に挟まっていたのは何だったのか。
「それはミスリードというのです。要するに真相が他にあるのを隠すための、偽の手がかりです」
「そういうものですか」
「さて俳句は小説ではなく、詩に分類されます。ですから私は、詩人を探さなければなりませんでした。最初は俳句を詠む人……ハイジンというのでしたか? その名前に萩の漢字が入っている人を探したのですが、そのうちにこのハギワラ・サクタローという名前を見つけたのです。インターネットで調べてみたら、大変有名な詩人であり、『月に吠える』が代表作とありました。ところが本棚にはそれがなかったのですよ。それは正解を見つけたのと同じことです」
「有名詩人の代表作なのに、収蔵していないはずがないと……」
「そうです。そして、更に調べているうちに、チョサクケンが切れた作品で、インターネットで全文が読めるということもわかったのです。ただ、それでも少し自信がありませんでした。何しろ『殺人事件』なんていう言葉が入った詩があるとは思えませんでしたから」
「そうですね」
「しかし、その本を先を読んでくださいますか。『殺人事件』という題の詩があるのですよ」
「はあ……」
スマートフォンをスワイプしてスクロールする。確かに、『殺人事件』と題された詩があった。
とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびとのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍体のうへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。
しもつき
探偵は玻璃の衣裳をきて、
街の
十字巷路に秋のふんすゐ、
はやひとり探偵はうれひをかんず。
みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
「念のために、英訳本を探しました。それがこれです。そして"
探偵はメモ用紙を差し出した。数字の組み合わせの下に、小学生並みの下手な平仮名と漢字が書かれている。
8-3, 15-2, 4-1, 13-5, 6-11, 1-3, 3-4, 5-1, 10-1, 12-10
し よ こ に か い の 床 し た
「書庫2階の床下……」
「書庫というのは図書室のことですね。ここの図書室は3階建てでした。その2階の、木でできた廊下の中に、ご主人が何かを隠されたのでしょう。それが何かは暗号に書かれていませんので、私にはわかりませんけれども」
探偵は、指先で帽子をくるくると回しながら言った。
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