第3章 萩づくし (後編)

「要は最近、萩とか月とかに関係してる殺人事件があったか、訊かれたんですわ」

 言いながら不二恵は粒餡のおはぎを食べる。二つしかないのでふみや杏に分けるつもりはなく、六つある月見団子を二つずつ、ということになった。あんこが甘い上に、団子にも砂糖味が付いているので、舌がしびれそう……に美味しい。

「萩と月の殺人とは、まさに『獄門島』だな」

 杏も食べながら言う。唇の端にあんこが付いているが、気付いてないのだろうか。

「でもたぶん関係ないやろなって、言うてました」

「関係? 何のことだ」

「それがようわからへんのですよ。とにかく、萩と月と殺人事件」

「で、それ、調べてあげたの?」

 ふみは自分の分の団子を確保し、『萩の月』の空袋の上に載せておいた。そうしておかないと、不二恵が食べてしまうだろうと思ったので。

「調べようにも、最近市内で殺人事件なんか起こってへんもん」

「おそらく現実の事件ではないな。『獄門島』のように、小説の中のことだろう」

「萩と月はそれぞれ別の小説かもしれませんね。萩はなかなかなさそうですけど、月はありそうじゃないですか」

「萩……歌舞伎に『伽羅めいぼく先代萩』というのがあるな。仙台伊達家のお家騒動を題材にしたもので、中に毒殺未遂がある。しかも毒は、まんじゅうの中に入っているんだ」

「さすが杏ちゃん、博識。ちなみに毒は何ですか。トリカブトですか」

「エゴノキの実だ。エゴサポニンという」

「聞いたこともないです」

「月は……外国の小説だが、『月長石』。19世紀、イギリスのウィルキー・コリンズが書いた作品で、T・S・エリオットが『最初の最長の最上の探偵小説』と評している。インドで発見された黄色いダイヤモンド“ムーンストーン”を巡るミステリーだ。ただし殺人があったかは憶えていない」

「T・S・エリオットって誰ですのん」

「詩人だ。ミュージカルの『キャッツ』を知っているか。どうせ内容は知らんだろうが、その元になる詩を書いた」

「やっぱり杏ちゃんは博識やなあ」

「バン、団子を食べないのか。私が食べてやろうか」

「いえ、食べます」

 団子をかじる。小さいが、二口に分けて食べる。ヒロインたる者、大口を開けておやつを食べるなんてこと、してはいけない。そして十分に味わい、飲み込んでから言う。

「で、それがわかると何なんでしょうね」

「さあな。遺言状にでも書いてあったのか。それとも屏風に書いてあったか」

「屏風って、それこそ『獄門島』ですやん」

「伝聞のように言うな。お前が聞いてきたんだろう、田名瀬」

「うい。でも、依頼の詳細まではさすがに教えてくれへんから」

「とにかく萩と月と殺人事件という言葉だけがわかっていると」

 月見団子をやはり一口で食べ、3、4回噛んだだけでゴクンと飲み込んでから、杏は続けた。

「萩と月は、『奥の細道』の市振いちぶりで詠まれた句だな。そこに関係があるかもしれない。ただ、殺人コロシなど起こりそうにない小さな集落だが」

「どこですか」

「新潟の一番西の端。近くに親不知おやしらず子不知こしらずという断崖絶壁がある。昔の北陸道の難所だ」

「知りませんわ」

「お前は何も知らんのだな、田名瀬。バン、お前は知ってるか」

「親不知は聞いたことある気がします。見に行ったことはないですけど」

 子供の頃、『トワイライトエクスプレス』という豪華寝台列車に、家族で乗ったことがあった。そのときに通過したような気がする。断崖絶壁だったかどうかは憶えていない。

「市振には関所があったので宿場もある。芭蕉は桔梗屋という宿で泊まり、そのときに詠んだのが萩と月だ。越後から伊勢参りに行くという遊女と泊まり合わせたのだが、同行した河合曽良の日記には一言も書かれていないので、芭蕉の創作ではないかという説もある」

「え! 『奥の細道』って旅行記ですよね。その中に創作があるんですか。あきませんやん」

「紀行文とはそういうものだ。とにかくかつて桔梗屋があったところに、今は萩と月の句碑が建っている」

「見に行ったことあるんですか」

「もちろんだ」

「一人で」

「もちろんだ」

 しかし杏がそれを答えるときの、不二恵を見る目つきは、厳しかった。なぜ不二恵はわざわざ触れてはいけないことに触れるのか、ふみには理解できない。

「とにかく、その付近で殺人コロシがあったというを探してみる、という手はある」

「憶えときます。西村京太郎とちゃうんかな。でもエリちゃんに自分で調べてもらお」

「他には……そうだな、地名に萩や月が付くところで起こった殺人コロシ。もちろん小説の中で」

「萩というとそれこそ山口県の萩とか」

「大阪にも萩の付く地名があるだろう。萩之茶屋」

「新今宮の南の、ドヤ街があるところですね。確かに事件ヤマが起こりそうやわ」

「月が付くところ……月見町ならいろいろなところにありそうだな」

 スマートフォンで調べると、大阪(高槻市)にも京都(京都市)にもある。そして兵庫県(神戸市)には月見山町が。

 さらに高槻市には「萩谷月見台」という地名があった。

「萩と月が両方揃ってるなんて、すごいですやん。これはエリちゃんにぜひ教えたろ」

「他にも、萩の名所とか月の名所とか、ないですかね」

「何だ、バン、急にどうした。興味がなさそうだったのに」

「いえ、何となく」

 実際は杏がまだ何か言いたそうなので、訊いた方がいいかと思っただけなのだが。

「萩の名所……大阪では豊中の東光院が有名だな。ずばり『萩の寺』と呼ばれている。毎年9月に萩まつりが行われる。正岡子規がそこで詠んだ俳句の、句碑がある。『ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露』。句集に書かれている子規の筆蹟を再現したそうだ」

「見に行ったことあるんですか」

「もちろんだ。一人でな」

 訊かなくても、言うのである。不二恵はいちいち訊くことになっていて、杏はそれを待っていた、ということかもしれない。予定調和だ。

「じゃあ月の名所は」

「中秋の名月に『観月祭』が行われるところはたくさんある。大阪なら住吉大社、京都なら八坂神社、神戸なら須磨離宮。しかし古くから歌に唄われるようなところというと、宮城の松島と高知の桂浜だな」

「松島というと『みちのく一人旅』とか。確か歌詞に『月の松島』って」

「バン、お前、ずいぶん古い曲を知ってるな。昭和歌謡マニアか」

「父がよく唄ってただけです!」

「松島はもっと古くから有名だ。日本三景を知っているか。天の橋立、宮島、松島。宮島は『安芸の宮島』、松島は『月の松島』とも言う」

「天の橋立と同じように『の』を入れて調子を揃えたんですね」

「芭蕉は『奥の細道』の中で松島の句を詠んでいないが、以前から憧れていて、序文で『松島の月まず心にかかりて』と書いている。過去に詠んだ句もある。『武蔵野の 月の若えや 松島だね』」

「字余りですね。しかも2字も。憧れすぎて勢いが余ったんでしょうか」

「知らん。桂浜はよさこい節の中で『月の名所は桂浜』と唄われている」

「でも実際は月の名所ってもっといっぱいありますよね」

「そうだな。三池炭鉱の上に出る月まで唄われるくらいだ」

「それって何でしたっけ」

「『炭坑節』だ。そうそう、今思い付いたが、萩と月が両方出てくる歌があるな」

「何ですのん」

 久々に不二恵が声を出した。ふみが「萩の名所とか」と言い出したときから、黄粉きなこおはぎを少しずつかじってじっくり味わい、ようやく食べ終わったのである。

「『証城寺の狸囃子』。確か『証城寺の萩は月夜に花盛り』という歌詞だったはずだ」

「証城寺の庭は、じゃないんですか」

 しかしスマートフォンで調べると2番(3番?)の歌詞が杏の言ったとおりだった。

「でも証誠寺では殺人事件なんてないですよね」

「それは知らんが、狸は死んだな」

「は?」

誠寺の狸の昔話を知らんのか」

 一字違いの“證誠寺”は千葉県木更津市に実在する寺。そこに伝わる話では、歌とは違って、和尚は狸の腹鼓に合わせて三味線を弾き、毎晩一緒に歌い踊っていた。しかし腹鼓を頑張りすぎた大狸が、ある朝腹が破れて死んでいた。和尚は大狸を憐れに思い、手厚く葬ったという。

「でも和尚さんが殺したんやないですよねえ」

「違うな。自殺教唆でもない。不能犯だろう」

「いや、そもそも狸を殺すこと自体が罪に問えなくて」

「とにかく萩と月と殺人は、今のところ結びつかない。エリには、一人で頑張れと言ってやるんだな、田名瀬」

「うい。今日、仕事が引けたら行ってきます」


 しかし、5時15分の定時になると、ふみは不二恵から「一緒に行こー」と誘われてしまった。

「なんでですか」

「杏ちゃんに教えてもらったこと、忘れてるかもしれへんから、手助けして」

「はあ」

「ちゃんとお土産も3人分用意してんねんで、ほら」

 萩の月が三つ。生活安全課への割り当てはさほど多くなかったはずだが、それをさらにいたということか。しかも不二恵は自分用に二つ取っていたはずで、おやつに対する執着心に凄まじいものをふみは感じてしまった。アイドルは真似すべきではないだろう。

 とにかく、湾岸探偵事務所へ行く。コスモスクエア駅からニュートラムに乗り、ポートタウン東駅で途中下車(女子寮がニュートラムの終点住之江公園駅の近くにある)して歩く。

 例の工場の事務所ビルのような建物へたどり着いたが、近々、咲洲内のどこかへ移転すると聞いている。それがどこか、そしていつか、最も頻繁に出入りしている不二恵でさえも知らないらしい。しかし「たぶん一人科捜研の入ってる、あの法律ビルやと思うねん」と不二恵。

「なんでですか」

「だってこのへんで空いてるテナントってあそこしかなさそうやし」

「それだけですか」

「それにエリちゃん憧れのアキラ様の近くの方がええやろ」

「はあ」

 二人に何らかのつながりがあることはふみも知っているのだが、エリーゼは常々“一人科捜研”こと渡利のことを「畏れ多い」と敬っている。そして「一人前になったら会う」と。ただ、その時期が来たとは聞いていない。

 事務所に入るとそんなことは露ほども話題にせず、萩と月と殺人事件のことを話す。しかし不二恵は『獄門島』のこと以外、さっぱり憶えておらず、しかたなくふみが、杏から教えてもらったことをほとんど説明したのだった。

「情報提供、ありがとうございますです。しかし残念ながら、私が自分で調べたものと変わりありませんでしたよ」

「そうなん。最近は何でもネットで調べられるからなあ」

 不二恵はまるで自分が説明を終えたかのように、満足げに言った。

「これまでの依頼人には、日本の文化に詳しい方がたくさんいらっしゃるので、そのお知恵も借りたのですよ。しかしフジコちゃんには少し紛らわしい言い方をしてしまいましたね。萩と月と殺人事件ではなく、萩、月、殺人事件が正しいのです」

「フジコやなくて不二恵です。何が違うの。“と”がないん?」

「そうです。日本語というのは便利なようで難しいですね。いくつかの物を並べて言うときに、全て“と”を間に挟むのが普通でしょう。しかしドイツ語では最後の一つの前だけに“と”である"undウント"を挟むのです。萩、月ウント殺人事件、です。英語でも同じですよね」

「そういうことか。ほんでほんまはウントも要らんかったと」

「そうです。ですから、萩と月は別々の場所ではないか、という考えの方が正しいと思いますね」

「そうかあ、わかった。でもとにかく、京阪神で萩やら月やらが付く地名のところでは、殺人事件は起こってへんわ。小説で探して」

「そう思って今日、依頼人の家に行って、調べてきました。ですが調べきれませんでしたので、明日も行く予定です」

「いっぱい本持ってる人なん?」

「家の中に図書室があるのですよ」

「へー。でもそんな広い家、咲洲さきしまにあったかなあ」

「ありますよ、不二恵さん。坂森マンション。坂森建設の社長が住んでた……」

 ふみは口を挟んだ。

「ああ、最近亡くならはった社長さん。そうか、あのマンションの一番上に住んではったんやんな。あそこ、広いらしいから。そしたら社長夫人が持ち込んだ依頼なんや」

「困りますね。依頼人を推理しないでくださいますか」

「エリちゃんがヒントを出したんが悪いんやで」

 ふみもそのとおりだと思う。エリーゼはきっと、お金持ちから依頼されたことを、自慢したかったのだろう。

 ただ、くだんの坂森マンションは、土地建物関係法令違反の疑いがある、という噂があり、それは生活安全課の守備範囲なので、ふみは気にしているのだった。

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