第1章 被害者からの電話 (後編)

「もう一人、大江有香理ゆかりという名前が挙がっています」と天草は言った。

「それはどこから?」

とりのスマホからです。土曜日に、彼女のところへ電話をかけてるんです」

「かけた? かかってきたんやなくて?」

「はい。ただ、鳥毛自身がそれを憶えていなくて」

 土曜日の午前中。しかもその直前に城島実果みかにも電話していたらしい。もちろんそちらも、鳥毛は憶えていない。

「相手にその確認は?」

「しました。どちらも鳥毛本人からかかってきたことを認めています」

「内容は」

「一人でいるから遊びに来ないか、と」

「二人を誘った?」

「いえ、一人ずつだと思いますが、大江も城島も断ったと証言しています。つまり鳥毛は、最初城島を誘って、断られたから次に大江を誘って、それも断られたということのようです」

「通話時間は?」

「どちらもごく短いもの……数分程度だったと思います。正確な時間が必要ですか?」

「別に。気になったけど、調べはそっちでやって。ただあの男の性格を考えると、断られたら粘りそうやなと思っただけで。なあ、田名瀬」

「そうですねえ、見かけによらず、けっこう粘着っぽいんで」

 門木の思い付きを、田名瀬が補足した。

 鳥毛は27歳、独身。職業は広告プランナー、といえば聞こえはいいが、実際は広告代理店と契約している下請け会社のスタッフ。“見かけ”は爽やか好青年で、明るくはきはき、服装もおしゃれ、会話のネタも豊富。つまり女性にもてる。

 ただし、付き合い始めはとても優しいのだが、恋人になって付き合いが深くなると(つまり同居するようになると)、気分屋の本性が姿を現し、時折暴力を振るうようになる。

 相手がDV被害届を出すほどなのだが、その後のフォローが殊の外うまいのか、相手は別れもせずまた同居を続ける、という妙なことになっている。なにがしかの、離れがたい魅力があるらしい。

 しかし門木はそれが何なのかは知らず(知る必要もないと思っている)、田名瀬も「何であんなんがええんやろ」などと陰で言うほど。もっとも田名瀬の好みは容姿より“金持ち”が優先で、下請け会社の安月給サラリーマンなど歯牙にもかけない、というだけだ。

「そうですか。わかりました。相手が行くと言うまで、しつこく誘ったのではないかという疑いがあるんですね? 確かに、二人とも断ったというわりに、電話の後に外出していて」

「現場のマンションに行ける時間があった?」

「はい。同居人のつるぎ真衣を含めて、3人とも」

 大江と城島は「買い物に出かけた」。行き先は大江が梅田で、城島が難波。御剣は「知らない人から電話で呼び出されて、天王寺のある場所で待たされた。一ヶ所だけでなく、いくつかを移動させられた」。

 御剣は、最初実家(自宅の固定電話)に連絡があり、天王寺に行ってからはスマートフォンに指示が入ったらしい。番号は非通知。

「誰からかわからんのに、ようそんな指示に従ったなあ」

「鳥毛の“新しい恋人”だと言い張っていて、大事な話があるからと」

「二股問題かいな。まあ、あの男ならあり得るわ。なあ、田名瀬」

「ほんまですね。今の人も前の人も、二股かけられてるの知ってて付き合ってましたもん」

 つまり、御剣は城島のことを知っており、城島は大江のことを知っていた。しかしなぜか逆は知らないという妙な状況。

 だから御剣の知らない“新しい恋人”が、御剣のことを知っているのも、あり得そうな話である。

 ちなみに御剣と大江は、付き合っている時期が重なっていないので、お互いを知らない。……はずなのだが、女性というのは恋人が前に付き合っていた人のことを気にしたりするものだ。御剣が大江のことを知っているのは、あり得る。

「で、買い物やら待ち合わせやらの裏取りは?」

「まだこれからです」

 今は月曜日の午後。通報があったのは昨日だから、未確認なのはしかたない。天草がさっき言ったことも、今日の午前中あたりに聞き取ったことに違いない。

「で、結局、我々に何を確認したかったんです?」

「ですから、鳥毛や三人の女性が言ったようなことは、あり得そうなのかと」

「わしはあり得ると思う。なあ、田名瀬」

「私もー。ていうか、あいつやったら何でもありとちゃいますかねー」

 いくらDVの加害者でも「あいつ」と呼ぶのは言葉が過ぎるのだが、そう呼びたくなる気持ちもわからんではない、と門木は思う。正直、“女の敵”みたいな奴やし。

「やっぱりそういうものですか」

「ほんでも、それだけの確認やったら、ここへ呼び出さんでもよかったんと違う?」

「いえ、それだけじゃなくて、現場の状況についてもご意見が伺いたくて」

「何でしたかな。桔梗?」

「そうです」

 天草は持っていたタブレットを見せてきた。現場の写真で、ソファーとその周辺に撒き散らされた花びらのようなものが写っていた。

 殺人事件なら倒れている人、あるいは人型に貼った白テープが写り込んでいるものだが、これには入っていない(傷害事件なのだから当然だ)。ただ、何を写したのかよくわからない、という感はある。

 119番に連絡した鳥毛は、傷害事件の可能性に気付かされ、現場保全を図ったらしい。リビングへは戻らず、部屋のドアのところで救急隊員を待っていた。その後で駆けつけた鑑識員により、写真が撮られたというわけだ。

「この青紫のが、桔梗の花をちぎったもんですか」

「そうです」

 別の画像を表示する。ちぎられる前の、桔梗の花の写真。参考資料だろう。星のような形をしているのだが、花びらは五枚に分かれているのではなく、朝顔のように一つにつながっている。合弁花というらしい。

「それが、現場のものでは五つかそれ以上に引き裂かれているんです」

「なるほど」

 星型に見えないのはそのせいのようだ。拡大写真では、一つの破片はトランプのダイヤマークのような形になっている。全てがそうなのではなく、もっと小さいものや、ダイヤが二つくっ付いたような(ちゃんと裂かなかったような)ものもある。

 そんな破片が、全部で20ほども散らばっている。つまり、四つか五つの花が咲いていたということだろう。実際、桔梗は一つの株に複数の花が付く。多いときは十数輪にもなるらしい。

 テーブルの上に載った植木鉢の写真もあって、一つも花がなく、茎だけになっていた。

「鉢は元々あったものっちゅうことでしたが、いつ頃から?」

「数ヶ月前です。同居人に確認しました。彼女が種を買ってきて育てたものだそうです」

「部屋に入ると、すぐ目に付くようなもんですか」

「そうです」

「ちぎって撒いた理由がわからんので、わしらの意見を聞きたいんでしょうが、心当たりはありませんなあ。田名瀬?」

「ないですねえ。鳥毛さんが暴力を振るうときは、いつも殴るとか蹴るとかだけで、道具は使わへんかったはずです。被害者の方も、逃げるだけで抵抗とか反撃とかはしたことなかったんとちゃいましたっけ」

「そうですね。この資料でも、そうなっています。やっぱり心当たりありませんか。鑑識が花を調べても、指紋も出てこなくて」

「出えへんのですか。指でちぎったように見えますけど」

「ゴムかビニールの手袋を着けていたのだろうということで」

 さらに現場のリビングからは、指紋がほとんど見つからなかったらしい。どこもかしこも綺麗に拭いた形跡があり、その後で鳥毛が触ったところに指紋が残っていただけだと。

 玄関のドアノブも内側だけに鳥毛の指紋、外側は綺麗に拭いてあったらしい。

「用心深いですなあ。そこまでして花をちぎって撒きたかったんかいな」

「でも、何か手がかりになるという気がするので、もう少し調べてみたいんですよ」

「はあ、どうぞご自由に」

「それで、一人科捜研……渡利鑑識を紹介していただけないかと」

 さっき「鑑識」という言葉が出て来たときから、門木はこの依頼があるような気がしていた。

「別に、わしの紹介なんかいりまへんで。電話で予約して、行ったらよろしいんや」

「写真だけでなく、花の破片を見せてもいいものでしょうか?」

「どうぞご自由に。現物を見せるのは何度もやってまっせ」

「それに、現場を見て何かわかるかも聞いてみたくて」

「出張でっか。わしは依頼したことないけど、やってくれるはずでっせ。出張費を出せば」

「高いのでしょうか」

「聞いてみたらよろしいんですわ。現場は島内? そしたら千円もしまへんやろ」

「依頼の際に何か注意することは」

「既にわかってることは全部言うて、曖昧な頼み方をせんことですな」

 それだけは注意しておかないといけなくて、部屋に連れて行って「わかることを全部」などと頼もうものなら、数え切れないくらいの結果を出してきて、数万円から十数万円を請求されるだろう。

「桔梗の花のことだけでいいのです。ちぎったり撒いたりしたのなら、花粉も散らばっているはずで、それが何かの証拠になるのではと考えていて……」

「なら、そういう風に頼みなはれ。相手任せにせんと、細々こまごまとやりとりしながら、出したい結果だけ聞いたらええんです」

「今から依頼に行こうと思うのですが、付き添っていただけませんか? 門木さんだけで結構です」

「わしは別にあそこの係でも何でもないんでっせ」

「ですが、森村巡査部長は、付き添ってもらった方がいいと」

「森村……なんであいつがそんなことを」

 田名瀬だけでいいと思っていたのに、自分までがここに呼ばれた本当の理由が、門木にはようやくわかった気がする。

「もし断られたら、私が説得してやろうと、森村さんが……」

「なんのこっちゃ」

「えー、門木さん、もしかして、杏ちゃんに弱みでも握られてるんですか?」

「何を言うか! そんなもん、あるわけないやろ」

 間違いなく、心当たりがない。森村は同期で、最初に配属された天王寺署以後、数年後に転勤先した大淀署、そしてここと、3度も同じ所轄になっている。異動は同時ではなく、時期が1~2年ずれているのだが、奇妙な偶然ではある。

 だからといって、何か秘密があるわけでもない。ただ、森村の方から絡んでくることが多いのは間違いない。思いも寄らぬことを持ち出してきて、協力を迫ることは、あり得る。

「森村さんを呼んできましょうか?」

「この事件の捜査に入ってる?」

「いえ、別の班です」

「呼んできて訳のわからん問答をするのは時間の無駄やから、付いて行きまっさ。現場へ行くんと合わせて、30分くらいで済みますやろな?」

「それは鑑識次第ですが……」

「花も現場も、1分もあったら終わりまっせ」

「それなら30分で済むと思います」

 門木が横目で田名瀬を見ると、「何か隠しごとしてるんですか?」という野次馬根性丸出しの表情だった。鑑識へ行っている間に、森村へ聞こうとするに違いない……


(続く)

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