第14話 桔梗の花の謎
第1章 被害者からの電話 (前編)
電話が鳴る。
警察署内で電話が鳴るのは、何か事件が起こったときに決まっている。
しかし、110番通報は警察本部の通信指令室にかかるのであって、所轄の部署に直接つながるわけではない。まして生活安全課ともなると、緊急対応はほとんどない。
もちろん、外線はつながる。刑事も名刺を渡すことがあるが、署の代表電話番号が書いてあるので、交換台を通してかかってくる。
今鳴っている電話は、内線。外線からの転送とは、呼び出し音でちゃんと聞き分けることができる。
ちなみに、警察の外線電話番号は下4桁が0110のことが多い。が、大阪府内の警察署は全て1234である。
「門木さん、刑事課のあゆみちゃんから」
「誰や、それ」
“あゆみ”という名字の刑事を門木は知らない。響きからして下の名前だろう。田名瀬を始め、臨海署の女性刑事は互いに下の名前で呼び合うことが多い。もちろん、例外もいる。名字を呼び捨てにするとか。
ただ、下の名前であっても“あゆみ”は門木の記憶になかった。
「あれ、天草
「刑事課で性格がええと目立たへんからなあ」
窃盗、強盗、殺人、誘拐などに対応する課であるため、配属される刑事は気が強いのが特徴である。中には“その筋”の人と見分けが付かないような猛者もいる。
ただし臨海署の管轄で凶悪な事件が発生することは、あまりない。せいぜい引ったくりや空き巣。しかし2025年に予定されている大阪万博のときは、臨海署の管轄も広がり、事件も増えることが予想される。
ともあれ、門木は電話を転送してもらった。
『門木巡査部長、
いかにも真面目そうな女性の声だった。こんな落ち着いた声の刑事はなかなかいない。
「おりますな。
言いながら田名瀬を見る。田名瀬はおやつを口に含んだまま門木の方を向いたが、目が「替わらなくていいです」と言っている。そうはいくか。
『替わらなくて結構です。田名瀬巡査と一緒に話を聞いてほしいので、刑事課の会議室までご足労いただけますか』
田名瀬ではなく、天草の方から却下されてしまった。何か面倒なことになりそうな気が、門木にはした。
「鳥毛がまた何かしよったんですか」
『いいえ、彼が被害者なんです。とにかくご足労を。それと、資料を持って来ていただけますか』
鳥毛が被害者、というのは門木にとって意外だった。DV案件のほとんどは男性から女性に対する暴行で、この件もそうだから。
しかしDVに関係がありそうだし、他の事件がないからには、受けなければならない。「今から行きまっさ」と返事をして、門木は電話を切った。「田名瀬、行くで」と声をかける。
「またトリゲさんのところですか」
ちょうど口の中からおやつがなくなったのか、田名瀬がすぐに返事をした。彼女はなぜか鳥毛の“リ”にアクセントを置いて呼ぶ。本来(本人の読み方)では3文字全て“上”のアクセント。茨城県の“取手”とほぼ同じイントネーションだ。
「いや、刑事課会議室やって。しかもあいつが被害者の件やと」
「女性を巡って喧嘩でもしたんですかねえ」
デスクの抽斗からクリアファイルを探しながら、田名瀬が呟く。
「先入観はよくない」
そう言いつつも、門木も同じようなことを考えていた。ただし聞き取りによってわかっている彼の性格からは、外で喧嘩などしそうにないのだけれども。
資料を持って、門木と田名瀬が連れ立って刑事課会議室へ行くと、丸い眼鏡をかけた理知的な感じの小柄な女性刑事が座っていた。もちろん天草だろう。「やっほー、あゆみちゃん、来たよー」と田名瀬が気軽に挨拶したが、天草は「お疲れです」と答えて軽く頭を下げただけだった。
「鳥毛の何を知りたいんでっか」
テーブルを挟んで天草の向かいに座り、門木は聞いた。本来なら「資料を見せて」で済むところを呼び出されたので、何か他の事情があるに違いない。
「まず、傷害事件の概要を聞いていただけますか」
「どうぞ」
「通報があったのは昨日の日曜日です」
110番ではなく、救急(119番)からの通報だった。つまり被害者である鳥毛が119番に電話をかけ、状況から傷害事件であろうということで警察にも連絡が来た、という次第。
現場は鳥毛が住むマンションの部屋。鳥毛はリビングにいたところを、誰かに後ろから頭を殴られ気絶。自然に覚醒したところで怪我に気付き、通報したらしい。
「ところが本人は日付を1日勘違いしていまして」
「どういうこと?」
「つまり、丸一日以上、気絶していたようなのです。しかも暴行を受けた状況を、本人は憶えていません。傷の具合から、金曜日の夜かそれ以降に殴られて、日曜日の午後になって覚醒したということのようで」
記憶がはっきりしないのは、金曜の夜に泥酔して帰ってきたからであるらしい。会社帰りに同僚と飲みに行き、二次会でもしこたま飲んで、家に付いたときにはズブズブに酔っていたと。
行動の記憶ははっきりしないが、“酔って帰ってきたこと”だけはしっかり憶えているという、泥酔者によくある記憶状態だ。
「つまり起きたとき、本人は土曜日やと思ってたと」
「そういうことです」
「それとDVとはどうつながんのかな」
「帰宅したとき、同居人と喧嘩をしたかもしれない、と本人が言うのです」
DVは元々配偶者に対して適用される法律だったが、同居中の恋人にも適用されるよう、後に改正された。
「で、同居人は何と」
「喧嘩どころか暴力を振るわれて、手が付けられないのですぐに家出して、実家……というのは変ですかね、同居人なので。とにかくそこへ帰っていたと」
同居しているだけで、結婚していないのだから、実家ではなく自宅が正しいだろう。しかしそんなのは些細なことだ。
「同居人が仕返しに殴ったと考えられる状況?」
「全くわからないんです。本人は否定しています」
「鳥毛は……憶えてないんか」
「そういうことです」
これが第三者(あるいは同居人)によって鳥毛が倒れていたのが発見されたなら、「現場の状況」がいろいろとわかるのだが、今回は違った。
鳥毛が自ら覚醒したしたとき、リビングのソファーの上で、うつ伏せになっていた。そしておよそ以下のような状況。
――頭が痛いので二日酔いかと思ったのだが、痛むのは後頭部。触ったら、かさぶたのようなものが手に付いた。もう一度触ってみたら、ズキズキと痛む。
慌てて周りの状況を確認すると、ソファーにいくつか血痕が付いている。洗面所へ駆け込み、合わせ鏡で後頭部を見てみたら、かなり大きな裂傷ができていた。傷の周りの毛は血だらけ。幸い出血量が多くなかったためか、自然に血が止まり、大事には至らなかったと気付いた。
119番に電話して、警察にも来てもらうことになった。待つ間にリビングの状況を確認したところ、ソファーの横のテーブルに植木鉢が載っていた。よく見ると、底に黒くなった血痕がこびりついている―――
その植木鉢が家の中にあったか、鳥毛は思い出せなかったのだが、やって来た警察の調べと、同居人への問い合わせにより、部屋の入り口近くのサイドボードの上に置いてあったものと判明。
鉢には桔梗が植えられていたのだが、咲いていたはずの花は「細かく切り裂かれてソファーの周辺に落ちていた」(実況見分調書の記載より)。もっと正確には、紙ふぶきのように小さくちぎられて撒かれていた(検分した鑑識員の感想)。
「花をちぎって撒くなんて、昔の推理小説の判じ物やあるまいし」
門木は横溝正史の『獄門島』を思い出していた。何番目かの殺人で、被害者の周りに萩の花が撒かれていたのではなかったか。
「もちろん、鳥毛自身がしたことではないです。それどころか覚醒した時点で、彼は花に全く気が付かなかったと」
「傷に驚いて洗面所へ駆け込んだから?」
「そうです。撒かれたのはもちろん何か理由があるのでしょうが、今は
「なるほどね。田名瀬」
「うい」
田名瀬が、ようやく出番が来たかという感じで、クリアファイルを天草に差し出す。同居人が
鳥毛には現在の同居人だけではなく、以前同居していた別の女性からもDVの被害届が出ていたのである。もちろんどちらも田名瀬が主担当、門木が補佐として(被害女性の)相談に乗った。
天草はクリアファイルの中の二つの資料を取り出して見ていたが、少し怪訝な顔をした。
「二人だけですか」
「二人だけでんな」
「実はもう一人
「知らんなあ。田名瀬?」
「はい、届けが出たのは二人だけでーす」
現在の同居人は
(続く)
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