第2章 パーティーにて (前編)
パーティーは予定どおり開かれた。
会場は
ワインバー『バッカス』の1号店は同じ南館の2階にあるのだが、さすがに100人規模のパーティーを開けるほどの広さはない。ただ、ワインや料理はバーからホールへ運ぶし、客は内装を見るためにバーへ行ってもらってもいい、ということにしてある。
Dホールには大型スクリーンがあるのだが、それは使わず簡易舞台を設置し、社長の六軒裕助や店長の挨拶は舞台ですることになっていた。
基本的に着席形式なのだが、テーブルは会場の周囲に配し、舞台に近いところと中央は空けてある。そこに小さなテーブルをいくつも置き、立席形式にもできるようにしていた。
最初に料理と共にワインを出し、後の方はワインだけとなるので、自然と中央に集まって歓談したり、席に戻って休んだり、とできるようにという配慮だ。
この日のための準備で、輝紗は帰国後ずっと忙しかったが、パーティーが始まってからも忙しかった。
準備では、ワインを出す順番に従って、店内で適切な時間に抜栓したり、デカンタージュしたり、バーテンダーにその指示をしたり。
ワインをサーブする時はホールへ行って各テーブルへ注ぎに回り、味の特徴を説明する。
もちろん輝紗だけではなく、この日のために臨時で雇ったソムリエたちと分担するのだが、それでも忙しかった。会場に来ている客の顔も全部見られないほど。
客の多くはレストラン『ヴェスタ』の愛用者と、食通として知られる関西の有名人、それになぜか政治家。政治家を呼んだのは、バーの開店に当たって何らかの便宜を図ってもらったからかもしれないが、それは輝紗の関与するところではないので、気にする必要もない。
むしろ「なぜこんな人が」と思うような客がいて、戸惑うことの方が多かった。ただし、それを顔に出すようなことはしていない……はず。
一番気になったのは、外国人と日本人の女性二人組。どちらも並外れた美形であるだけではなく、服装が奇抜だったから。
服装についてはパーティーであるからもちろん正装ということになっていて、奇抜とはいえそこから外れているわけではない。
しかし外国人の方は女性にもかかわらず、白のタキシードなのだった。結婚式で新郎が着るような、あれ。胸が大きすぎるのか前の合わせが広く開いているが、デザイン的に不格好というほどでもない。もしかしたら特注なのか。
日本人の方はダークブルーのマーメイドドレス。上半身から膝までがタイトなラインで、膝から下がスカート状に広がっている形状。肩から上を出した“デコルテ”で、外国人には及ばないもののプロポーションもよく、周りの男性の目を引いている。
しかしどちらかというと彼女の顔の方が男性的で、二人の衣装は逆ではないのか、という印象を輝紗は受けた。
さらに彼女は何かしら不満があるらしい表情で、輝紗が接する限り口数も少なく、ひたすらワインをあおっているようだった。男性客からセクハラでも受けているのかと心配するくらいに。
逆に外国人の方は終始楽しそうにしていて、他の客は主にそちらと話しているようだ。
パーティーが進むにつれて、少しずつ余裕ができてくるので、輝紗は他のソムリエやウェイターに、二人のことを聞いてみた。いったいどういう客なのか。
「ドレスの方は森村杏様です。ヴェスタのお得意様でして」
ヴェスタの住吉店から手伝いに来てくれたウェイターが言った。
「すごくきれいな方だけど、何のお仕事かしら。モデルか女優? それともアナウンサー?」
「いえ、刑事さんです」
「は? 刑事?」
絶対に信じられなかった。今は仏頂面をしているものの、美形は隠しようもない。美人の刑事がいるのはテレビドラマか小説の中だけで、現実にはいないと輝紗は信じているのだから。
「ええ、確か湾岸署だから、すぐそこの……」
「それがどうしてヴェスタの常連に?」
「お住まいから近いからだと思いますけど」
ATCの前を通っている新交通ニュートラムの起点は住吉公園駅だが、そこに警察の女子寮があるらしい。ヴェスタ住吉店へは地下鉄四つ橋線に乗って玉出駅まで5分、そこから徒歩で10分くらいか。
確かに近いが、聞きたいのはそういうことではない。
「ワインがお好きなのかしら」
「ええ、それはもう。店にある銘柄やヴィンテージは一通りお飲みになってますし、新しいのが入ったとお知らせするとすぐにお越しになります。逆に、ボジョレー・ヌーヴォーの案内なんてしようものなら『生搾りジュースに興味はない』って怒られるくらいで」
ボジョレー・ヌーヴォーは、フランス・ボジョレー地区で作られる即醸ワインで、例年11月の第3木曜日から一般に販売される。その年の葡萄やワインの出来を判断するための“試飲用”であり、それ以上の意味はない。熟成を経ていないので美味しいはずもない。
だからボジョレー・ヌーヴォーを解禁日に喜んで飲む日本の“自称ワイン通”は、本当のワイン通からは“ワインのことを何も解っていない素人”と蔑まれているのである。
もちろん、レストランやワインバーは商売であるから、ボジョレー・ヌーヴォーを飲みたいという客のために提供することもあるが、少なくともヴェスタでは「解禁日の午前0時からイベントを」などという浅はかなことはしない。バッカスでも予定はない。
「でも今日はあまり機嫌がよろしくないようだけど」
「さあ、一緒に来る予定だった方がキャンセルになったからじゃないですか。受付がそう言ってたように思います」
確かにあのドレスはかなり気合いが入っているのは明らかで、外国人はタキシードであるものの、それに合わせようとしたわけではないだろう。
「じゃあお相手の外国人女性は?」
「代理でしょうけど、存じないです」
気になったので、輝紗は次のワインをサーブした後で、受付を担当したウェイトレスに聞いてみた。彼女も住吉店からの手伝いだ。
「招待券は森村様にお二人分差し上げて、参加のお返事には男性を同伴となっていたのですが、本日になって女性に変更したいというご連絡がありまして……」
「その男性と同伴でヴェスタへいらしたことはないの?」
「記憶にないです。いつもお一人か、女性数人と……たぶん寮の女子会だと思いますけど」
すると機嫌が悪いのはやはり相手の男性がキャンセルしたからか。警察だから、緊急の事件が入ったのかもしれない。しかし代理の外国人についてはやはり「存じないです」とのことなので、たまに一緒に来るような女性刑事も全て出払っていたということだろう。
では、外国人は誰なのか。
「受付で記名いただきましたが、“三浦エリ”というお名前だったはずです」
「外国人に見えるのに……」
ますます訳がわからない。職業については聞かないが、少なくとも刑事ではないだろうということくらいしか……
しかし一部の客のことにばかり興味を持つわけにはいかなくて、そろそろ目玉のワインをサーブする時間だ。例のロマネ・コンティ1945年物。このために半日前から抜栓して“呼吸”させ、最適な状態になるよう準備している。
ただ、輝紗は抜栓後にほんの一口(小さじ1杯分くらい)
スケジュールに従い、裕助にロマネ・コンティを出す時間であることを告げる。裕助が壇上に立って「ここで本日の趣向として、特別なワインを……」と案内を始める。その間に輝紗はホール脇の控え室に行き、ロマネ・コンティの瓶をホールに運び込んだ。
精密機械を運ぶ時のような“無振動ワゴン”に載せられたワイン瓶は、段取りに従ってスポットライトが当てられ、しずしずと移動していく。
まるで金塊かダイヤモンドのネックレスが持ち込まれた時のように、会場の視線がワゴンに集まっているのがわかった。輝紗は晴れがましい気持ちさえしたくらいだ。チャペルの結婚式で、バージンロードを進んで行く時でもこんな気持ちにはならないだろうというような……
さざ波のようなざわめきがワゴンと共に移動していたが、舞台の前にたどり着くと、会場が水を打ったように静まりかえった。輝紗は自分が注目されているかのように興奮した。だが、自分がこれを飲むことはできない……
「ご覧のとおり1本きりですので、残念ながら全員に振る舞うことができません。申し訳ありませんがご招待した中からは6人きりとさせていただきます。皆様を代表して味わっていただき、感想を述べていただくことにしましょう。こちらから指名されていただきます。まず関西ワイナリー協会会長の飛田様……」
裕助が名前を読み上げると、会場から次々に壇上へと集まってきた。皆、晴れがましい表情に見える。そう、その表情は、超高級ワインを試飲する人が見せるものに違いなかった。
名前を呼ばれた5人が壇上に立つ。そこに裕助自身を加えた6人が飲むことができるのか……というと、実は違う。輝紗は細心の注意を払って、七つのグラスにワインを注いでいた。
一般に750mLのワイン瓶は、6人から7人で分けることになっている。6人なら116mLずつ、7人なら100mLずつだ。50mL余らせるのは、
「さて、あと一つグラスが余っておりますが、これは会場の皆様の中から抽選で選びたいと存じます」
裕助が言うと、どよめきが一瞬にして会場中に広がった。「受付にお持ちいただいた招待状に番号が」と裕助が言っているが、果たして聞こえているのかどうか。
「当初はもうお一人、資産家でワインコレクターとしても有名な
拍手が自然と沸き起こった。会場の真ん中辺りにいた和服姿の蘭堂が、悠揚とした態度で周りに頭を下げる。年の頃合いは裕助と同じくらい。大阪で代々続く有名な高級料亭の経営者で、ワインだけでなく日本酒やウイスキーのコレクターとしても知られている。
輝紗はワゴンの下に置いていた抽選箱を取って、蘭堂のところへ持って行った。番号が書かれた札が入っていて、蘭堂が札を取り、読み上げることになっている。
蘭堂は、大事な抽選とは思えないほど無造作に1枚取り出し、しわがれた声で「88番」と読み上げた。やけに縁起のいい番号だ。
「フォルトレファー! アン様、当たりましたですよ!」
ざわめきの中で、ひときわ大きな声が響き渡った。あの外国人に違いなかった。
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