第2章 判断基準 (前編)
臨海署では生活安全課の刑事が対応してくれた。紙幣や公正証書類の偽造は刑事課の担当だが、書画骨董類だと生活安全課になるらしい。おそらくは金額がはっきりしているかどうかに関わっているのだろう。
担当は猿のような顔をした
事のあらましは、落語家顔のベテラン骨董商がほとんど説明してくれた。門木刑事は話を聞きながら、ちょっと中途半端な表情でうんうんと頷いていたが、骨董商が「捜査できますやろか?」と訊くと、「もうちょっと詳しい情報がほしいですなあ」と言った。
「と言うと?」
「この書はどれも持ち主がわかってると言うてましたな。それと、どこの店から買ったかも。まず、その一覧が欲しいです。それと、持ち主やら店やらに、警察が捜査しまっせ、という許可というか、お断りを入れといて欲しい。というのは、住所氏名のリストは個人情報ですんで、あなた方のほうに使用制限があるはずですやろ。それと、中には警察には協力せんとか言う偏屈な人もいてはると思うんで、そこんところをクリアしといて欲しいんですわ」
「わかりました。もしかしたらリストに欠けが出るかもしれまへんけど、それでもよろしいんやな?」
「うん、協力でけへんとか、しとうない言う人は、初めから外しといてくれたらよろしいんです。それとこれ、調べるために、もしかしたらちょこっと切り取ったりするかもしれまへんけど、よろしいかな。贋作でもええ、傷付けんと返してくれて言う人もおりはるやろし」
つまり、紙や墨の質を科学的に調べるために、サンプルとして部分的に採取する場合がある、ということらしい。
「復元できまへんの?」
「そらあ、難しいですなあ。そういうのは美術修復家の仕事ですんやけど、絵ならともかく、書はねえ。紙をつぎあてたり、後で筆が入ったりしたら、一発でわかりますやん。そやから、贋作なんかどうなってもええというんが一番助かりますわな。ただ、比較対象として、本物の書もできれば提出いただきたい。いや、個展に出すのと違うやつでええんですわ。何やったら、羽生先生が書いた失敗作でも全然構いまへんねん」
サンプル採取の件は、持ち主のリストを提出するときに、一緒に承諾書を取ることにしよう、ということで落着した。本物のサンプルの提出は麗羅の役目だが、それは何の異存もない。
「届けの受付は
「はい、何なりと」
「まずはこの贋作を見て、誰がやったか心当たりはありますか」
「それは……」
訊かれるかも、とは思っていた。ただ、確証がないし、疑うべきではないような気もするし……
「……警察の方だけに言う、ということにしてはいけませんか」
「ん? ああ、他の人がおったら言いにくいと。そうですな、そうしたら、他の方、申し訳ないですが、別室へ案内しますんで、そこで待っといていただけますか。リストを作るための相談をしといてもろうても結構です。田名瀬、よろしく」
「はーい」
ずっと黙ってメモを取っていた田名瀬刑事が立って、個展の主催者と骨董商たちを会議室の外へ連れ出し、しばらくして戻って来た。
「さて、お心当たりは」
「兄弟弟子の誰かではないかと思います」
偽筆をじっくり観察したわけではないが――そんなことをしたら気分が悪くなってしまうからだが――自分の筆遣いを真似られるのなら、自分に近い誰かだと思っていた。疑うのは心苦しいのだが。兄弟弟子の名前を、一通り告げる。
「お師匠さんは?」
「師がこんなことをするはずがありません」
「するかどうかではなく、できるかどうかを答えてもらえまへんかな」
「それは……やろうと思えば、できると思います。しかし、聞いて下さい。私の手跡はまだまだ師には及びません。師が、自分よりも下手な弟子の手跡を真似て何になるのでしょう?」
「お金になるから真似るんでしょう。贋作っちゅうんは、真似るだけでは犯罪にならへん。それを真作と偽って売るから、詐欺であり、犯罪になるんです。しかし、おっしゃりたいことはわかりますよ。お師匠さんは苅田寧山先生でしたかな。有名人で、お金には不自由してはらへんはずやし、わざわざあなたの筆跡を真似て、小遣い稼ぎなんかする必要ありまへんわな。まあ、言い方は悪いですけど」
確かにひどい言い方で、わかっているのなら訊かないで欲しい、と抗議したいくらいだった。しかし、警察というのは誰でも一通り疑うのが仕事で、彼以外でも同じことを訊いて、師を容疑者の一人に含めるのだろう。むしろ彼は、一応の理解があると思うべきかもしれない。
「それから、あなたの作品ね。科学的に調べるとは思いますが、紙と墨がどこのものか教えてもらえますか。それと、同じものを使っている人がいるかどうか」
麗羅はそれらの銘柄と入手先を答えた。一門の中では同じものを使っている人が何人かいることと、入手しようと思えば誰でも、それこそ一般人でも、手に入ることを伝えた。それはかつて雑誌のインタビューで答えたことがあったからだ。
「保証書、というんでしたか。何ちゅうんでしたっけ。それも特別な紙でしたかな?」
「真筆証明書ですか。いえ、紙自体は市販品です。鳥取の製紙業者に注文しました」
「印刷は業者ですか」
「はい。ストックがとてもたくさんあるので、最近は注文していませんが」
「そや、贋作に付いてた証明書も提出してもらわんとあきまへんな。後で骨董商さんたちに頼んどきますわ。田名瀬、憶えといて」
「はーい」
「それから、この他にも贋作が世に出回ってると思いますが、それを見つけるんはどうしますか。少なくとも、誰があなたの作品を持ってるかは、警察やのうて骨董商さんが調べる方が早いと思いますが」
「あっ、そうですね、それは相談します」
「他の贋作を見つけたら、順次警察へ届けて下さい。京都の、一番近い警察署でよろしいんで」
「わかりました」
「ところで、贋作を見分けるポイントは何です?」
「それは……」
なぜか、言葉に詰まってしまった。自分が見て偽筆と思ったから。それで本当にいいのだろうか。
「私が見て、違うと思ったのが贋作ですが……」
「そこですなあ。他の人がおったときは言いにくかったんですけど、何をもって真贋を判定するかが大事でね。もちろん、あなたが贋作やと思ったから贋作、それで結構ですよ。あなたの作品の問題ですからね。しかし、できれば第三者が判定できる方がありがたいんですわ。筆跡鑑定みたいにね。まああれも、100%正しく判定できるとは限らへんのやけど」
「そういうことなら……今回、真贋の判定を手伝ってくれた方がいます。渡利さん……渡利鑑識事務所というところの方です。そうだ、フルネームを知らない……」
「渡利……」
門木刑事が黙り込んでしまった。田名瀬刑事は口を尖らせてひょうきんな顔になっている。さっき、骨董商が説明してくれたときには、彼の名前は出さなかった。言い漏らしたのか、言う必要はないと思ったのかがわからないのだが、もしかしたら言ってはいけなかったのだろうか。
「あの……そういうことではないんですか?」
「あー、いや、別に渡利鑑識でも構いまへんよ。ここの近くにある事務所でっしゃろ。ああ、そういうことね。ふーん」
この微妙な反応は何なのだろうか。麗羅には訳がわからなかった。
「ほんでも、できれば他のところでもわかるようにしておきたいですなあ。いちいちあそこへ持ち込むんも手間でねえ。他に鑑定できる人がおったら、紹介して欲しいんですな。できれば、あなたの家に近いところの人がええと思いますけどね。今すぐでのうても結構ですわ。後で思い付いたり見つけたりしたときで」
「……わかりました」
今一つ納得がいかないが、承諾した。渡利という鑑定家を、専属の鑑定人にして、なぜいけないのだろうか。一瞬しか見ていないので、好感を持つとかそういう次元ではないのだが、少なくとも鑑定眼は信用できる。それが大事なのであって、それ以外はどうでもいい。
ともかく、警察は被害届を受理するが、持ち主と売買先のリストと一緒に提出、ということになった。リストを作るのに時間がかかるが、おそらく個展の会期中にはできるだろう。
会議室を出て、主催者や骨董商たちがいる部屋へ行こうとしたときに、案内役の田名瀬刑事がそっと耳打ちしてきた。
「羽生麗羅さんの本物に会えて、ごっつうれしいです。テレビとかで見て知ってるんですけど、まだ本物の作品見たことないんです。今度の非番に、個展見に行きますね」
「……それはどうも」
やはり刑事の中にも、こういうミーハーな人がいるんだな、と麗羅は思った。かろうじて笑顔で返事することができた。握手して下さいとか、サインして下さいと言わないだけましか。
続けて、田名瀬刑事が言う。
「そうそう、さっき、渡利鑑識さんの話が出たときに、門木が一瞬黙りましたやん。あれ、何でか教えときますわ」
「は?」
「こういう鑑定って、科捜研とか他の研究所では難しいから、門木は後で渡利鑑識さんに持っていくつもりやったんやと思いますわ。あそこ、警察指定の外部委託所なんです。それが、既に渡利さんが鑑識したってわかったんで、当てが外れてあんなこと言い出したんやと思います」
「はあ……そういうことでしたか」
それなら余計話が早い。やはり、彼を専属の鑑定人に指名しよう。田名瀬刑事に渡利鑑識事務所の住所を教えてもらった。もちろん、フルネームも。
いったんATCに戻って、今後の打ち合わせをすることにした。それに、会場の中も再点検しなければならない。外された偽筆の代わりに、真筆の展示が終わっているはずだ。予備の作品は明日、麗羅が会場入りするときに、持ち込むことになった。
(続く)
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