第2章 判断基準 (後編)

 個展の初日は金曜日の午後からだったが、予想以上の人出だった。おそらく、展示予定の作品に贋作があったというのが、裏で広まったからだろう。

 もちろん個展のスタッフには、外部に漏らさないよう厳重に注意した。しかし、おそらくは一人二人の不届き者がいて、匿名の掲示板などでバラしたに違いない。

 しかし、噂になることはある程度覚悟の上だったから、気にしないことにしよう、と麗羅は思っていた。むしろ、展示作品が全て真筆だと証明できることがうれしい。

 そして、個展自体も楽しむことができた。展示するだけでなく、ちょっとした趣向も凝らされていて、例えば会場の一角で麗羅が色紙に揮毫をするとか、あるいはサングラスで変装をして会場内を歩き、来場者に話しかけて反応を見るとか。

 そういったことの合い間に、控え室で骨董商たちと、偽筆についての相談をした。該当する「真筆証明書」を全部集めたので、本物と見比べることができた。

 葉書大の和紙に枠線を印刷し、作品名、日付、署名を自筆――麗羅愛用の万年筆――で書き込み、落款印を押してある。自筆部分の筆跡に若干の違和感があった。ただしそれ以外は本物とそっくりだった。

 唯一、本物とはっきり違っていそうなのは、証明書の下半分の、骨董商の店名や住所を入れる欄だ。たいていはゴム印を押すことになっているのだが、手書きのこともある。そして偽筆の証明書は、みな手書きだった。ただし、どれも実在する骨董商のものだ。

 骨董商によってはそこに何も記入しないこともあるし、そういう場合は別の骨董商の手に渡ったときに記入されることもある。だから、記入されているのが最初に取り扱った骨董商とも限らない。麗羅の記録と全く違っている記載もあった。

 つまり、真筆証明書も偽造したのだ。かなり巧妙な手口と言える。

 リストは既に完成したのだが、持ち主や関連する骨董商への連絡がまだ終わっていない。中にはなかなか連絡が取れない持ち主もいたりする。

 また、別の客や骨董商から、「持っているものが真筆と確かめるのはどうしたらいいか」という問い合わせが何件か来ているらしい。最初の問い合わせは骨董商が処理してくれるが、最終的には麗羅が全部対応しなければならないだろう。しばらく忙しくなりそうだ。書に影響が出そうで、心配になる。集中力が、保てるかどうか……

 そうだ、集中力!

 麗羅は、昨日のことを思い出した。鑑定家に見られながら半紙に名前をしたためるという、奇妙なことをさせられたが、めったにないほど集中できた。普通は、視線を意識すると集中できないものだ。しかしあの時は、見られていることをはっきり意識しながらも集中できた。それに、あの不思議な感覚……

 何と言うのだろうか、見られていることが楽しいような、それでいて恥ずかしいような。もしかしたら、露出趣味というのは、ああいう感覚を楽しんでいるのではないのかという気がする。しかし、自分に露出趣味がないことは、麗羅自身ではっきりとわかっている。

 そのことを、あの鑑定家に訊いてみたいし、礼も言いに行かなければならない。合い間の時間に、教えてもらった番号に電話をかけた。

「南港共同法律事務所でございます」

 落ち着いた声の中年女性が出た。法律事務所に電話がかかるのは、聞いていた。「羽生麗羅という者ですが、鑑識のことでご相談が……」と言いかける。

「あらまあ! 羽生先生ですか。昨日はご利用ありがとうございました。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「昨日のお礼を言いに行きたいんです。それと、昨日の鑑定の件でご相談が……」

「申し訳ありませんが、お礼のためにお越しいただくのはお断りしておりますんよ。それと、鑑識結果の件でご質問がある場合は、電話で承って、折り返しこちらからご報告するということにさせていただいてるんですが」

 意外な答えだった。そんなに忙しくて時間がないのだろうか。

「そうすると……何か見てもらう物がないと、そちらに伺ってはいけないんですか?」

「はい、そういうことにさせていただいております」

 質問があるのは、鑑定内容ではない。その前の「見られてドキドキしたこと」に関してだ。そんなことを、電話で言うわけにはいかない。かといって、無理矢理訪問するために、真筆とわかっている物を持っていくような真似はしたくない。相手にも失礼だろうし、麗羅自身の信用を落とす。別の偽筆が見つかってからにするしかないようだ。

「わかりました。では、私からお礼の電話があったことだけを、渡利さんにお伝えください」

 それだけ言って、電話を切った。次の偽筆は、いつ見つかるだろうか。しかし、案外早いかもしれないという気がした。


 1週間の個展は、大盛況のうちに終わった。特に、予定外だった「未公開作品」の展示が大きな話題だった。それらは麗羅が過去に書いたもののうち、特に自信のある作品だったのだが、売れなかったためにお蔵入りしていたものだ。

 今回展示したことで、ほとんど全てに新たな買い手が付いた。ただ、偽筆が発覚したばかりだけに、特別な真筆証明書を発行することにして、引き渡しはしばらく待ってもらうことになっていた。

 そして最終日の夕方には、警察に提出するリストの用意も調った。偽筆15点のうち、約半分の8点にしか許可が出ず、残りは持ち主の名前だけは警察に知らせるけれども、それに関連する捜査は行わない、ということになった。

 許可が出なかった理由を麗羅は聞けなかったが、おそらく騙されて偽筆を買ったことを、持ち主が警察にも知られたくなかったのだろう。許可が出なかったものは、等倍コピーを取って、持ち主に返すことになった。

 次の日には、京都府警から呼び出された。リストを見ながら、質問を受ける。そのリストによれば、偽筆とされたのは、どれも麗羅の作品を数点しか扱ったことがないような、零細な骨董商だった。その中に偽筆は1点か2点。しかも転売の履歴が途中から不明になっている。共通性は、すぐには見出せそうになかった。

「零細骨董商は狙われやすいいうことなんですかなあ」

 担当の垂井刑事が独り言のように呟いた。浄瑠璃人形のように、目をぎょろりとさせながら。

「そうかもしれません。私の書をたくさん扱ってくださる骨董商さんは、転売で入手すると、私のところに確認の連絡をしてくるんです。本物かどうかの問い合わせではなくて、取り扱わせてもらいます、という挨拶のようなものですが」

「なるほど、しかしそれが効果があるのかもしれまへんな。もしかしたらあなたが、その作品は別の誰それさんのところにあるはずですが、とか思い出したら、偽物であることがバレることもあるわけですやろ」

「そうですね。それに大手の骨董商さんは、転売履歴があやふやなものは扱わないようにしてるらしいですから」

「その確認で、偽物が発覚したというようなことはおまへんの?」

「なかったように思います。もしかしたら、私に連絡してこないだけで、怪しいものだから取り扱わなかった、ということがあるのかもしれませんが」

「今回の個展を手伝ってくれた骨董商さんに、それを訊いてみましたか?」

「いえ、訊いてません。でも、知っていたら何か話してくれたんじゃないかと思ってますが」

「なるほどねえ、やっぱり信用が高い骨董商さんのとこへは、贋作が回らんようにしたんやろうなあ」

 それから麗羅は、持ってきた兄弟弟子の書を見せた。兄弟と言いつつ、姉や妹、つまり女性の書家も何人か混じっている。垂井はそれを見て、おやおやという顔をした。

「みぃんなあなたと全然違う筆跡ですな」

「そうです。別に、師の筆致を真似るわけではありませんからね。大成しようと思ったら、他の人とは違う筆致で書けるようにならなければいけないんです。見ればその人であることがわかる、というようなものを」

「なるほどなあ、もうちょっと絞れまへんかなあ」

「さあ、それは……特に疑わしい人はいませんし」

 本当はいないこともないが、疑っているのがうっかり相手に伝わったら、関係が悪くなってしまう。それは避けたかった。

「そうすると、捜査がかなりなごうかかることになる思いますけど、よろしおすかなあ」

「どういうことです?」

「それはですなあ」

 垂井刑事は座り直してから言った。まずは、贋作とされる作品の出自を追っていく。要するに、前の持ち主をどんどん調べていく。多数の都府県に散らばっているから、時間がかかるだろう。途中で切れなければ贋作者にたどり着くが、切れることもあるだろう。いや、きっとどこかで追いにくいようにしてあるに違いない。

 だから、逆方向から、つまり贋作をしそうな人から調べる。もちろん表立って訊くわけにはいかないから、本人にそれとなく探りを入れたり、周りの人に質問して回ったりする。当然時間がかかる。疑わしい人の数が増えれば、更に時間がかかる。

「時間がかかるからいうて諦めることはありませんのやけど、人を絞り込めるとそれだけ時間が短縮できるんで、何か思い出したことがあったり、新たに発覚したことがあったら、すぐに知らせとおくれやす。そのうち、別の贋作が見つかるかもしれまへんし、それも情報提供よろしゅうお願いしますわ」

「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いします」

 一応頼んではみたものの、麗羅の方から積極的に動かなければ、捜査が滞りそうなのは目に見えていた。何とか自分でも時間を作って、情報を集めてみた方がいいだろう。

 しかし、慣れないことをすると、書の方に影響が出るに違いない。何かいい方法はないものだろうか。


(続く)

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