第4章 スペイン語の特徴 (後編)

 "La"という定冠詞はフランス語にもあったはず。しかし、全てが"La"ではなく、使い分けがあって……

 というところまで思い出して、利津子はピンときた。

「もしかして、単語に男性形と女性形がありましたか?」

「ヴンダーバー、ヴンダーバー! よく思い出しましたね。そうです。"La"は女性の単語の前に使うのです。男性は"El"、中性は"Lo"です」

 エリーゼがまた手放しで褒める。さっき「ボイン」という言葉が出てきたせいか、エリーゼの胸の揺れが、利津子には少し気になった。

「じゃあ、"del"の方にも……」

「はい。"del"は"de el"を縮めたものです。"de"の次が"la"や"lo"なら縮めません」

「つまり、5文字の単語が女性形で、6文字の単語が男性形ですね」

「そうです。そして女性の単語は、ほとんどの場合"a"で終わるのですよ」

「あっ、確かにそうですね! 例外が少しだけあった気がしますけど」

 "cion"あるいは"sion"で終わる単語は女性名詞。他にもパターンがあった気がするが、利津子はすぐには思い出せなかった。

「そのとおりです。でも文字数が少ないですから、"a"でない場合を調べても大して時間はかかりません」

「なるほど、そうです。私でも1時間くらいで見つけられそうです」

「しかし残念ながら、当てはまる単語はないのですよ」

「そうでしたか。じゃあ、“エリェ”が2番目に来る単語ですね」

 今度はエリーゼの代わりに利津子が組み合わせを書いた。


  xLLaX、xLLax、xLLiX、xLLix、xLLoX、xLLox


 しばらく見て考えたが、どうもしっくりこない。

「こんな単語、なさそうな気がしますね」

 しかも女性形。末尾が母音だとすると、二つ続くことになるが、スペイン語にそんな単語があっただろうか。あるいは"ad"で終わる単語が、女性形だったかもしれない……

「そういう勘が働くのはいいことです。おっしゃるとおり、これもありません」

「じゃあ、“エリェ”が3番目ですね。あら、これはありそうな感じがします。とくに、"a"で終わるものが」


  XxLLa、XxLLi、XxLLo


「またまた素晴らしい勘です。そのとおりですよ。リッちゃんに辞書を調べてもらってもいいのですが、ここにはありませんし、私が答えを言ってしまいます」

「どうぞ」

「“スィリャ”です。"silla"。“椅子”という意味です」

「椅子ですか。なるほど」

 エリーゼの答えを聞いて、利津子は文章と文字の数を書き直してみた。


  "La silla del XXXXXX"


  A=1、B=1、D=1、I=1、L=1、O=1

  E=0、S=0


「『“何とか”の椅子』ですね。そして6文字の単語にはA、B、D、I、L、Oがどれも一つずつ使われます」

「どうです。これだけわかれば、残りの6文字の単語は、全ての組み合わせを調べても大したことはない、と思いませんか?」

「思います……と言いたいところですけど、どうでしょう? 組み合わせはたくさんありそうな気がしますね。どうやって計算するんでしたっけ」

「リッちゃんは冷静ですね。計算上手というのでしょうか」

「計算高い、ですね。でもそれは褒め言葉じゃないんですよ」

「おや。そうでしたか。とにかく計算方法は、6×5×4×3×2×1です。720ですね」

「ほらほら、それはやっぱり大変ですよ。それに、6文字の単語の方に“エリェ”が使われるかもしれませんから、それもちゃんと調べないと」

 利津子が言うと、エリーゼは急にすっくと立ち上がり、右手を胸の前に置いて深く頭を下げた。

「あら、どうしたんですか?」

「リッちゃんにフェルボイグンクいたしました。もちろん、敬意を示したのですよ。探偵たるもの、そこまでちゃんと考えなければいけません」

「いいえ、エリちゃんにほとんど教えていただいたので、私はちょっと思い付きを言ってみただけなんです。私こそ、エリちゃんに敬意を表します」

 利津子も慌てて立ち上がり、両手を下腹の前で重ねて礼を返した。エリーゼが、どうぞお座り下さいと手で示すので、ソファーに座り直す。

「これを解くときは、私もリッちゃんと同じように、全ての場合を考えたのです。しかしそれはとても長い道のりなのですよ。仕事の合い間に考えたので、2ヶ月くらいかかってしまいました。ただ、残りは6文字でA、B、D、I、L、Oがどれも一つずつで、"La silla del"に続く、となったときに、私はある一つの単語を思い付いたのです」

「あら、じゃあ、何か有名な言葉の一部なんですか?」

「はい、その単語は、"diablo"です」


  "La silla del diablo"


「“ディアブロ”って何でしたっけ。英語の"devil"ですか。“悪魔”? ドイツ語は思い出せません」

「素晴らしい記憶力です。ドイツ語はこの際どうでもいいですよ。そのとおり、“悪魔”です」

「“悪魔の椅子”ですか。あら、とても怖そう。でも、海賊の宝の在り処だとすると、似合いの言葉かもしれませんね。“悪魔の座”とする方がそれっぽいかも」

「それはいい翻訳ですね! リッちゃんは作家になれるかもしれません。私の探偵物語を小説に書いて下さいますか?」

「うーん、それは難しいと思います。私、作文が上手じゃなかったんですよ。読書感想文も苦手で、感想じゃなくて本の解説みたいって先生に言われてました」

「とても残念です。さて、暗号は解けました。しかし、海賊の宝の在り処は、これだけではわかりません」

「そうですね。カリブ海で金貨を見つけたからには、カリブ海のどこかに“悪魔の座”があるんでしょうけど」

「私が調べたところ、"La silla del diablo"という名の場所は、世界にいくつかありました。たいてい、椅子のような形をした、とても大きな岩なのです。自然の岩のこともあれば、崩れた城の石垣の一部のこともあります。こんな椅子のようなものが、なぜできたかよくわからない、たぶん悪魔が作ったのだろう、という感じで名前を付けてしまうのです」

「うーん、それはありそうですね。日本なら悪魔じゃなくて、天狗の腰掛けとかそんなのになりそうです」

「そもそも、私が"diablo"を思い付いたのには理由があります。エドガー・アラン・ポーの『The Gold-Bug』という小説をご存じですか。海賊キッドが隠した宝を、暗号を解いて見つけるのです」

「エリちゃんとお知り合いになってからホームズを読み始めたんですけど、ポーのそのお話は読んでないですね。ポーは詩集を読んだことがありますけど」

「暗号を解くと、その中に"devil's seat"という言葉が出てくるのですよ。宝を探す手がかりになる場所です。もちろんポーの創作ですが、椅子に似た岩にそういう名前を付けるのは、外国人にはよくあること、というのを示す例と思いませんか?」

「確かにそうですね! 例えば海賊がどこかの島の絶壁か崖を見て、そこに椅子のような窪みを見つけたら、航海の目印として“悪魔の座”と名前を付けることはありそうです」

「そういうことです。しかし、その島がどこかはわかりません。この暗号を解いただけでは」

「そうですね。金貨が見つかった場所がわかれば、その近くを探すといいのかも」

「私もそう思いました。すると手がかりは、ヨットの航路です。これはGPSデータがあります。警察が調べましたが、私は見せてもらえません。他には、デイヴさんの日記です。しかし彼の家族がスペインへ持って帰ってしまいました。私は連絡を取ることができません」

「じゃあ、クララさんならわかるかもしれませんね」

「私もそう考えました。そこでスペインのクララさんへ連絡を取って、話を聞いてみようと思いました。ただその前に、アキラ様へ報告しなければなりません。素晴らしいヒントをいただきましたからね」

「じゃあ、また大阪へ来たんですか。今度こそ渡利さんにお会いした?」

「いいえ、会いませんでした。ハト様にお手紙を渡すだけにしたのですよ」

「うーん、遠慮深いんですね、エリちゃんは」

「まだ“イチニンマエ”ではありませんでしたから。しかし驚いたことにハト様は、またアキラ様からのお手紙を預かっておられたのです」

「えー、またエリちゃんが来るのがわかったんですか?」

「そのようです。その時は、前の日に預かったとおっしゃってました。アキラ様は私が暗号を解くのにかかる日数までおわかりだったのです。しかし私は1日余計にかかってしまったので、これではいけないと反省したのです」

「でも、他のお仕事をしながらだから、仕方ないじゃないですか」

「慰めていただきありがとうございます。さて、アキラ様からのお手紙です」

「はい」

「生き残った女性に、真相を語ってはならない、と書いてありました。もちろん、ドイツ語でしたけれど」

「あら! じゃあ暗号のことも話してはいけないと?」

「私はそう解釈しました。そして、東京へ帰る新幹線の中で、また考えました」

「その理由をですか」

「はい。新幹線の中では思い付かなかったので、寝ながら考えて、翌朝、ようやく気が付きました」

「それはどんな?」

 利津子は思わず身を乗り出した。


(続く)

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