第4章 スペイン語の特徴 (前編)
『困りますですよ、白井さん。代理を依頼するときに、グループ分けだけではなくて、順番もわかるはずと言いましたです』
『順番なんか、向こうもわかってないって。だって、テーブルの上で適当にぱぱぱって並べてただけやで。数えるために、僕がわざわざ並べ替えたんや』
『そんなはずはありませんよ。最初の並べ方に、意味があったはずなのです。写真を撮らなかったのですか?』
『撮らへんよ。それに、僕が並べ替えるときに、向こうは何も言わへんかったで。そやから、順番に意味なんかないとわかったんや』
『違います。順番があるはずなのです』
『君、勘違いしてるよ。こんなんにグループ分けも順番もあらへんって。それにあの鑑識はインチキや。よう見もせんと、テキトーな仕事しとんねんって。君は騙されとる。警察も何であんなん信用しよるんやろ。典型的な詐欺師やわ』
『そんなはずがありませんです。絶対に順番がありますし、あの方はおわかりになるのです。もう一度聞いてきて下さいよ。電話でもいいです』
『それ、再依頼やで。もっかい依頼料出してくれる? 3万円。それと、僕、この後、別の仕事あるから、それが終わってからやな。たぶん明日になるやろな』
「……という感じの会話があったのです。モリオちゃんがアキラ様のところから帰ってきた後で。海東事務所の近くの喫茶店でした」
「エリちゃんって標準語でお話しになるのに、大阪弁の再現もできるんですね」
「気になったのはそこですか。しかし、私も初めて大阪の言葉を聞いたときは困りましたよ。私の言葉は相手に通じますが、相手の話している内容がとてもわかりにくいのです。ロンドンの一部で話されているコックニーよりももっと不可解でした」
「大阪弁はイントネーションと語尾が独特ですからね」
「それはさておき、依頼料をもう一度払うなんていやですし、海東事務所に苦情を言う時間もありませんでした。何よりアキラ様の能力を疑われたのが悔しかったのです。諦めきれなくて鑑識事務所まで行ったのですよ」
「渡利さんにお会いしたんですか?」
「会いませんでした。会わないと決めてましたからね。それに他の人の鑑定結果を、私に教えてくれるはずがありません。私も代理をお願いしたなんて言えませんし」
「それはそうですね」
「アキラ様が、確かにそこにいるということだけを、感じ取りたかったのです。入ると、受付にハト様がおられました。外国人を見慣れているのは意外でしたね。法律事務所に外国人が来るのだそうです。ずっと後でハト様に聞いたのですけれど」
「まあ、そうだったんですか。弁護士の天川先生が、外国人から信頼されてるんでしょうね」
「そうです。さて、私はハト様に、アキラ様のことを少しだけ質問しようと思いました。お元気そうですかとか、お仕事はたくさんありますかとか。そうしたらハト様の方から、『もしかしてエリーゼちゃん?』と聞いてきたのですよ。飛び上がりそうなほど驚きました」
「あら! じゃあ渡利さんがエリちゃんのことを、鳩村さんに教えていたんですか」
「そうなのですが、それが『ついさっき』だとおっしゃるのです。モリオちゃんが帰ってしばらくしてからだったそうです。そして私の顔の特徴を教えて、来たら渡してほしいものがあると」
「どうしてエリちゃんが来ることがわかったんでしょう?」
「それはまだアキラ様に聞いていませんが、おそらく金貨でしょう。私が触ったので、手の匂いが付いていたに違いありません」
「あら、じゃあ渡利さんはエリちゃんの手の匂いを知っていたんですね」
「アキラ様は何でも憶えているのですよ」
「手をつないだことがあるとか?」
「ホップラ! そんなことは……」
エリーゼが急に真剣な顔になって、考え込んでしまった。過去のことを思い出そうとしているのかと、利津子は思った。手をつないだこと? あるいは……
3分ほどして、妙に複雑な表情をしながら、エリーゼが言った。思い当たることがなかったのか。
「とにかく、何でもご存じなのです」
「そうですか」
「それで、ハト様が渡して下さったものです」
「はい」
「今、お見せできませんが、このように書いてありました」
エリーゼは先ほど書いたグループ分けの下に、丁寧なブロック体のアルファベットで書き足した。
"La XXXXX del XXXXXX"
書かれた文章と、笑顔に戻ったエリーゼの表情を見比べながら、利津子は少し考えた。
「"La"と"del"は、たぶんスペイン語の単語ですね。"La"は定冠詞で、"del"は英語の"of"、ドイツ語の"von"と似たような意味じゃなかったかしら?」
「ヴンダーバー、素晴らしい! リッちゃんもマルチリンガルの素質を持っていますね」
「旅行好きなので、単語をいくつか憶えているだけですよ」
「他の"X"は何を意味するかわかりますか?」
「2番目の単語が5文字で、4番目の単語が6文字ということでは?」
「リッちゃんはやはり探偵の素質もあります」
「ありがとうございます。でも、これはどういうことでしょう? 渡利さんが、エリちゃんにヒントを下さったんですか?」
「そういうことです。アキラ様は、鑑識依頼に私が関わっているのをお気付きになると、ときどきこうしてヒントを下さるのですよ」
「お優しいんですね」
「はい。ですが、ヒントを下さるのは、私がまだ“イチニンマエ”と思われてないということです。やはり私はまだ会う資格がない、とその時改めて感じました」
「でも、このヒントでわかるものなんでしょうか?」
「アキラ様はわかるはずだと思ってらっしゃるから、こうしたのですよ。リッちゃんも少し考えてみますか?」
「うーん、どうしようかしら。あっ、でも、"La"と"del"がわかったので、さっきの数字が変わってきますね」
「そこに気付きましたね。すばらしい。つまり、こうなります」
$1=A=2
$2=B=1
$4=D=1
$5=E=0
$9=I=2
$12=L=3
$15=O=1
$19=S=1
「Eがなくなりましたけど、まだこんなにたくさんありますね。そういえば、英語にはEが一番多く使われるって聞いたことがあります」
「はい。よく出てくる順番を憶える"etaoin shrdlu"という言葉があって、それで解くことができる暗号もありますね。ですがこれはスペイン語です」
「スペイン語にもそういうのがあるんですか」
「知りません。しかし、なくても解けるのですよ。実際に私が解いたのですから」
「うーん、何か他のヒントがあるんですか」
「ですから、5文字の単語と6文字の単語を作るのです」
利津子はしばらく考えてみたが、とてもわかりそうにないので「降参です」と白旗を揚げた。エリーゼはにんまりと笑いながら紙のある点を指差す。
「注目すべきはLです。三つも使われるのですよ、たった11文字の中に」
「あら、本当ですね。最初は五つもありましたし」
「三つということは、どちらかの単語にLが二つ以上使われるということになります。3と0か、2と1という組み合わせになるはずですね?」
「そうですね」
「たった5文字や6文字の単語にLが二つ使われるとは、どういうことだと思いますか?」
「例えば最初と最後に使われるとか……あら、そういえば、スペイン語ではLが二つ続くことが多かったんじゃないかしら。確か発音が難しくて、リャリュリョになったりヤユヨになったりジャジュジョになったり」
「フラー! リッちゃんはやはり探偵になるべきでしたね。どうしてそれがすぐにわかりましたか?」
エリーゼが、両手をバンザイのように挙げて喜んでいる。文字どおり手放しの褒め方なので、利津子の方が驚いてしまった。
「エリちゃんがヒントを下さったからですよ。私一人で考えていたら、辞書を買ったりスペイン語講座の本を買ったりして、何日もかかったと思います」
「私は東京へ帰る新幹線の中で考えて、家で寝ながら考えて、次の日の仕事中にも考えて、ようやくわかりました。寝る前に、アキラ様が夢の中で教えて下さることを期待しましたけど、出てきて下さいませんでした」
「渡利さんの夢を見たりするんですか?」
「週に一度は見ますが、全て過去の思い出の場面で、話しかけて下さったことは一度もないですね」
「それでも夢で逢えるのは素敵ですね。私ならずっと寝ていると思います」
「私は起きて仕事をして、“イチニンマエ”にならなければなりません。とにかく、Lが二つ続く“エリェ”がヒントです。リッちゃんがおっしゃったように発音が各地で違って、“エイェ”や“エジェ”とも呼ばれますが、とにかくそれです」
「はい」
「その後に必ず"a"、"e"、"i"、"o"、"u"のうちのどれかが続きます。つまり、単語の最後が“エリェ”で終わることはありません」
「なるほど。でもこの場合、"o"と"u"はないんですね」
「そうです。そして単語の先頭でない場合、“エリェ”の前は"a"、"e"、"i"、"o"、"u"のどれかです。ところで、"a"、"e"、"i"、"o"、"u"を日本語で何と言うのでしたっけ?」
「母音のことですか」
「ボインとは胸が大きい人のことと思っていました」
「そういう意味もありますね。エリちゃんは胸が大きくて羨ましいです」
「苦労するときも多いですよ。それで、ボインでない音は?」
「子音ですね」
「ありがとうございます。つまり“エリェ”は単語の先頭でない場合、前も次もボインなのですよ」
「なるほど、限定されてしまうんですね」
「しかし、先頭になる場合から考えていきましょう。ボインを小文字の"x"、シインを大文字の"X"で表すと、5文字の単語の場合、こういう組み合わせになります」
LLaXx、LLaxX、LLiXx、LLixX、LLoXx、LLoxX
「そして、子音"X"は"B"、"D"、"L"、"S"のどれか、最後の母音"x"は"a"、"e"、"i"のどれかなんですね。少ないですね!」
「そうでしょう。それに実はもう一つ、隠れたヒントがあるのですよ」
「何ですか?」
「"La"です」
エリーゼが、"La XXXXX del XXXXXX"の先頭を指しながら言った。それきり黙っているので、利津子はまた考えた。
(続く)
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