第9話 金屏風の謎

第1章 屏風と評論家 (前編)

 尾形光琳の『燕子花かきつばた図』によく似た金屏風を前にしながら、エリーゼが言った。

「コットー屋で調べてもわからないのなら、今から私が言うお方に調べてもらってくださいますか。もしかしたら、すぐに素性がわかるかもしれません」

「ええ、構いません。骨董の鑑定士ですか?」

「鑑識です。あらゆる物の真贋を知るお方です」

「すみれさん、その方は骨董に限らず、美術品のことにとてもお詳しいですよ。私のお皿も、一目でマイセンとおわかりになったんです」

 すみれの質問にエリーゼが誇らしげな口調で答え、利津子が口添えしてきた。そういうことなら、とすみれはエリーゼから名刺のコピーを受け取った。その後、マンションの部屋に戻って少しだけ話をし、お開きにした。料理もワインも、ティナがほとんど全部を平らげていた。


 翌日、すみれは名刺の連絡先に電話をかけた。“渡利鑑識事務所”というところで、大阪市の咲洲にあるらしい。エリーゼの事務所からも近いということだった。

「はい、南港共同法律事務所です」

 若々しいようなそうでないような、中途半端な響きの声の女性が電話に出た。法律事務所に電話がかかることは教えられていた。

「鑑識事務所に依頼があるのです。屏風の鑑定をしていただきたいのですが」

「屏風ですか。どれくらいの大きさですか?」

 もちろん、あらかじめ測っておいた。高さが150センチくらいで、幅が240センチくらい、それが2枚と説明する。

「それでしたらお持ち込みではなく、出張鑑識になります。出張料金がかかりますが、場所はどちらですか?」

「堺市の竜神橋町の……」

 近いので、2千円とのことだった。交通費込みで。

「屏風は別々のものですか、それとも対のものですか?」

「対のものだと思いますが……」

「それでしたら鑑識料は千円です。合計3千円ですね。お名前とご連絡先とご都合のよい時間を教えていただけますか?」

 今日の午後はどうかと訊いたら、いいとのことだったので、1時にした。連絡先には携帯電話の番号を伝えて、南海の堺駅で待っていると告げた。

「あら、お迎えはいりませんのんよ。行き先は現地でお願いします。お宅とか会社とか。その他の、場所を知られて困るところは行けしませんの」

 相手の大阪弁が急にきつくなった。

「いえ、駅から歩いて行ける場所ですけれど、わかりにくいかと思って…‥」

 それでも不要とのことだったので、すみれは蔵の所番地を伝えた。そこで待っていればいいらしい。


 12時半。約束の30分前にすみれが蔵へ行くと、前に男が立っていた。薄手の黒いコートを羽織り、グレーのボタンダウンシャツに、紺のスラックス。身なりは悪くないが、薄い色のサングラスをかけているので人相がわかりにくい。しかし、どうやら若いようだ。

 何となく声をかけにくい雰囲気だったが、どいてくれないと蔵を開けられない。

「あの、うちの蔵に何かご用でしょうか?」

 恐る恐る声をかけると、男が顔を半分だけすみれの方へ向けた。

「梅村すみれさんですか」

「そうですが……」

「鑑識事務所の渡利あきらです」

 鑑識というとテレビドラマのイメージがあって、もっと年配の人が来るとすみれは思っていた。こんなに若いとは意外だった。20代ではないか。差し出された名刺を見ると「渡利鑑識事務所 所長 渡利亮」とある。そこに書かれた電話番号は、朝にすみれがかけたのと同じだった。

「1時にお約束していたはずですが……まだ準備ができていないのです」

 蔵の錠を開けて、屏風を入り口の近くまで出しておくつもりだった。そのために早く来たのに。

「1時になるまで蔵に入るつもりはありません。見られて何か都合の悪いことがあるなら離れていましょう」

「いえ、都合の悪いことは何もありませんが……」

 こちらの意図を外されているようで、何となく調子が狂う。しかしとりあえず渡利には門の前からどいてもらい――蔵の陰の、見えないところへ行ってしまった――錠を開けて、すみれは蔵の中に入った。狭い窓から日が射しているので、昼間なら灯りを点けなくてもそれなりに中は見える。

 目指す屏風は2階にある。価値がよくわからないものはとりあえず全部2階に上げる、という方針に基づいている。

 屏風は一番奥の壁際にあった。しかし、そこへ歩く間に見たが、手前の方には置き場がなかった。広げるとすれば下へ持っていくくらいしかないが、階段を降ろすのは一人では無理だ。大きさ的にも重さ的にも……だから、その場で広げるしかなかった。

 他の骨董品をよけて、何とか場所を確保する。薄暗いが、灯りを点ければ何とか見られるかもしれない。

 結局、その準備だけで20分近く要した。屏風類は遠目で見ないとわからないことがあるはずだと思って、少しでも遠くから見られるように、その他のものを動かしているうちに、1時になった。

 下に降り、外へ出て、渡利を呼んだ。渡利は蔵の2階へ上がり、屏風を一目見ただけで言った。

「模写です」

 淡々とした口調だが、つまらないものを見たという感じではなかった。

「ということは、有名な画家が描いたものではないのですね?」

「落款に印がなくて、最後に『うつす』とある。捻った字だが、どうやら『せっきくうつす』と書いてあるらしい」

 確かに、左隻の屏風には左下隅、右隻の屏風には右下隅に、それぞれ落款がある。3文字であることはわかったが、すみれにはとても読めない。そしてそこに赤い落款印は見られなかった。

「つまり、元絵を雪菊という人が写したのですね」

「その名前に心当たりはありますか」

「いいえ、全く……」

 誰か知らない人の模写なのだから、この絵は実は何の価値もないのかもしれない。しかし、どうしてそんなものがここにあるのだろう。鑑定はそれで終わりかと思ったが、渡利が続けて言った。

「元絵はどうやら光琳の『燕子花図』の構図を手本にしているらしい。琳派の特徴をよく掴んでいる。描いたのはおそらく神坂かみさか雪佳せっか。しかし、雪佳の作品にはこの絵はないはず。その弟子に雪菊という画家もいない。おそらくは雪佳に個人的に絵を習っていた人がいて、その号が雪菊。雪佳はその人から依頼されて元絵を描き、雪菊が写した。そういうことでしょう。元絵がどこにあるのかはわかりませんが」

「神坂雪佳ですか……」

 その名前を、すみれは聞いたことがあった。明治から昭和初期の日本画家で、琳派の画風を研究し、作品に活かしたのではなかったか。それ以上のことは憶えていないが……

「それと、花は燕子花ではなく矢車菊です。6曲のところを4曲に描いたので狭苦しいが、どうやらそれは意図したものらしい」

「狭くなるように意図したのですか?」

「いや、そうではなく、4曲に描かねばならない理由があったと考えられる。しかし、その理由はわからない」

「それは……誰か他の方に調べていただかないといけないということですか」

 もちろん、探偵には頼むつもりなのだが。

「それと、できれば日本画の鑑定士に見てもらって、この絵の不自然さが何かを調べてもらう方がいい。この構図には疑問がある。ただ、それは美的なものであって、数量的には示せない」

「鑑識ではそういうものは出せないということですか? 鑑識と鑑定の違いがよくわからないのですが……」

「鑑識と鑑定は同じです。一般的に、鑑定の意味が拡大解釈されている。鑑識も鑑定も、真贋を判定すること。美や価値を判定するのは査定。美術の鑑定士の多くは査定もできるというだけです」

「では、あなたは査定ができないのですね」

「そう。だが、この場合は査定をしてもらうのではなく、どこが不自然なのかを見てもらうこと。つまり、骨董商ではなく、評論家に見てもらってください」

「私には評論家の知り合いはいませんが、どなたか探すことにします」

「結構。鑑定結果を書きますので、棚をお借りします」

「どうぞ」

 渡利は近くの棚の上で、ウエストポーチから取り出した紙に、何かを書き始めた。しばらくして渡された紙には「鑑定結果、金屏風、四曲、矢車菊図(写)、作者雪菊(不詳)、元絵神坂雪佳」。その下に「渡利亮」のサインが入っていた。これをエリーゼに渡せばいいだろう。

「これは仮のものです。正式なものは後で郵送します」

「正式版があるんですか」

「骨董商に通用する書式というのがあって」

「はあ」

 それが必要あるのか、という気がすみれにはしたが、いりませんとは言わないことにした。

「鑑定料と出張料、合わせて3千円です」

 すみれが3千円入りの封筒を渡すと、領収書が返ってきた。但し書きは「屏風鑑識料として」。

「もし、これの元絵となる屏風が見つかったときも、あなたに見ていたければいいでしょうか?」

 さっさと帰りかけた渡利に、すみれは聞いてみた。

「本物であるという鑑定結果が必要なのであれば」

「あなたの他に、雪佳の絵に詳しい鑑定士がいらっしゃれば、教えていただけますか?」

「白土大樹さん」

 すみれの知らない名前だった。

「評論家ですか」

「はい」

「連絡先は……」

「京都。しかし、こちらが紹介するより、梅村の名前を出す方がいいでしょう」

「わかりました。調べてみます」

 渡利は帰っていった。すみれは蔵の錠をかけ、鑑定結果をエリーゼに伝えるため、電話をかけて「今から行きます」と言っておいた。


(続く)

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