第5章 探偵と泥棒

 エリーゼの“予言”どおり、1週間後、利津子のもとにエリーゼから連絡があり、すみれのマンションへ行くことになった。また堺の駅前で待ち合わせる。しかし、約束の1時間前にした。訪問の前に喫茶店へ入り、先週何があったかをティナに聞く。

「そんなん言うたら、泥棒やって非難されるんちゃうん?」

 ティナはエリーゼと同じことを心配している。利津子はまた、人助けのために必要ならそれもしかたない、と言ってティナに話を促す。

「別に大したことやないねん。お手洗いへ行くって言うて、行ったふりして、桑名の書斎に入って、小説を探した。それだけ」

「でも、ほんの数分でしたよね。そんなにすぐに探せたのですか」

「んー、男の人が物隠すときって、だいたい単純やねん。たいていは寝室の洋服ダンスの中」

「鍵は……確か、ほとんど全部の部屋に鍵がかけられるんでしたよね?」

「あの程度の錠はあたしにかかれば一瞬や」

「鍵なしに開けられるんですか」

「もちろん」

「でも今回は書斎ですよ。どうせ私が指摘したところに入っていたのでしょう」

 エリーゼが横から得意そうに口を挟む。

「はいはい、正直言うて、そうやったわ。ようそんなところ思い付くなあ」

「どこだったんでしょう。また推理小説がヒントになったのでしょうか?」

 以前エリーゼは、別荘の中から黒真珠を探すのに、ナポレオンフィッシュの絵の裏から見つけ出した。それはある推理小説がヒントになっていた。今回も同じように考えたのだろうか。

「書斎には戸棚があることがわかっていました。平面図を見ましたね?」

「はい」

「その中の、旅行鞄に入っているだろうと言ったのですよ」

「それは何か根拠が?」

「大切な物だけに、すぐ持ち出せるようにしているはずだと思ったのです」

「そもそもどうして書斎だと?」

「小説は書斎で書くものでしょう」

「なるほど」

 わかったようなわからないような理屈だった。

「じゃあ、どうやって外に持ち出したんですか?」

「それこそ簡単やん。布鞄に入れて、窓から外にポーンと。一応、小型パラシュートを付けといたけど」

「でも鞄は……そういえば、玄関までは持っていたのに、応接間に入ったときは持っていませんでしたね?」

「玄関で靴を脱いだときに、箱を取り出して、鞄だけ折りたたんで靴の脇に置いといてん。防犯システムの話をしたんは、桑名の注意を逸らすためや」

「あら、そうだったんですか。そういえば途中で泥棒みたいな人が来たことになってましたけど、あれは関係ないんですか」

「あれはエリちゃんが上がってきて、開けるふりしただけ」

「エリちゃんも鍵なしで錠が開けられるんですか」

「もちろん、だって、エリ……ふごっ!」

 横に座っていたエリーゼがティナの脇腹を突いた。ティナが苦しそうに悶える。

「もちろん、合い鍵を使ったのです」

「使わせてもらえたんですか。管理人さんに頼んだ?」

「そういうことです」

「何のために?」

「リッちゃんたちが途中で帰るためですよ。お皿を売り買いする契約はできっこありませんし、ああいう邪魔が入った方が帰りやすいでしょう。リッちゃんの危機を救うこともできましたしね」

「それで、小説の内容は?」

 エリーゼがティナを見る。ティナはようやく突かれた痛みから立ち直ったようだ。

「あたしは読んでへんねんけど、後で梅村の社長さんから聞いたんは、桑名が付き合ってた女性たちをいかに騙したかっちゅう、おかしな恋愛小説やったらしいわ。女性本人しか知らんことがいっぱい書いてあったみたいで、たぶんすみれさんのことも書いてたんちゃうかなあ。そんなん読んだら、さすがに目が覚めるわな」

「ああ、だから弱点なのですね。結局、すみれさんは桑名さんと別れんでしょうか」

「もちろん。マンションからも追い出したらしいし、梅村社長と会長からも感謝されたわ」

「すると、請け負った依頼を解決したということですね。でしたら、海藤事務所の所長さんから私に、謝礼を預かっているはずですが」

 またエリーゼが口を挟んできた。

「わかってるがな、渡すがな」

 ティナは渋々という感じで、コートのポケットからのし袋を取り出し、エリーゼに渡した。エリーゼはすぐに中身を確認し、領収書を出してきて、金額を書いてティナに差し出した。

「確かに受け取りましたです」

「何の謝礼ですか?」

「モリオちゃんが中途半端に終わった調査を、私が代わりにやったことに対するものですよ」

「あら、じゃあ、本当なら白井杜夫さんがその小説を手に入れることになっていたんですね」

「そういうことです。もっとも、私は隠し場所と持ち出し方を提案しただけで、実行はティナちゃんに任せました。だからティナちゃんと分けているはずなのですけどね」

「あたし一人でもできたんやけどなー」

「そういえば、私もエリちゃんに依頼料の残りを払わないといけないのでした」

「スミレ様からお皿たちを返してもらってからで結構ですよ。そろそろ行きましょうか」

 喫茶店を出て、すみれのマンションへ向かう。以前、訪問するには警察へ相談……と言われたのだが、それはもう不要になったらしい。

 迎えてくれたすみれは、先週とは大違いの優しい表情をしていた。これが本来の姿と思われる。挨拶をする口調も全然違っていた。

 通された応接間からは、大阪湾を一望に見渡すことができた。今日は天気が良く、遙か向こうの明石海峡大橋まで見えている。

「リッちゃん、そろそろ座ってくれへんと、すみれさんが話でけへんのやない?」

「あら、そうですね、失礼しました。つい見とれてしまって」

 ティナに指摘されて利津子は素直にソファーへ戻った。目の前のテーブルにはオードブルのような軽食とワインが並んでいる。ティナは話が始まる前にそれを楽しんでしまっているようだ。

「さっそくですが、マイセンの借用書の件です」

 すみれが柔らかな笑顔を浮かべて切り出す。

「はあ、はい」

「先日とは考えが変わって、私が返そうと考えている品を、全てお返しすることにしました。つまり、ティーセットとなっている6種21点です。もちろん、マイセンの代わりである柿右衛門のお皿6枚も含めてです」

「そうですか。ありがとうございます。鳳凰寺財団に問い合わせましたら、返してもらった場合、引き続き私の方、つまり砂辺家で保管するようにとのことでしたので、私が受け取らせていただきます」

 なぜすみれの考えが変わったのか、聞く必要はないだろう。桑名がいなくなったからに決まっている。それからすみれの進言により、受領書を利津子が書くことになった。借用書がはっきりしなかっただけに、受領書だけはしっかりしておこうという考えだ。引渡人、受領人、品目、受領日付。立会人としてエリーゼとティナの名前も入れた。

「では、さっそく引き渡しをしましょうか。蔵へ行きましょう」

「後でもっぺん戻ってくる?」

「どうしてティナちゃんはそんなことを気にするのですか」

 一人立ち上がろうとしないティナに、エリーゼがツッコむ。

「だって、まだ料理とかお酒とか残ってるし」

「もちろん、戻って参りましょう」

 すみれが笑顔で言うと、ようやくティナも立ち上がった。エレベーターで下へ降り、フェニックス通りを横断して蔵のある一角へ。すみれは持ってきた鍵で鉄柵の南京錠を開け、それから蔵の鉄扉の和錠に手をかけた。

「ご覧になりますか。古いものですが、とても複雑な錠なんですよ」

「はあ、では見せていただきます」

 利津子の見ている前で、すみれが錠のあちこちを動かす。確かに知恵の輪のようだ。だんだんと形が変わっていき、最後に正面の、牡丹の花のような絵柄が彫られた板が動いて鍵穴が現れた。ビデオで撮っていないと、とても手順は憶えられそうにない。

 最後にその穴に古い真鍮の鍵を入れて捻ると、ようやく閂が外れた。扉を開くと中は真っ暗だったが、すぐにすみれが灯りを点けた。中は二層構造になっていて、一階の一隅へ行く。

「洋食器はこの辺りです。マイセンのティーセットも、確かこの辺りに」

 棚にはいくつもの箱が並んでいた。ウェッジウッド、ミントン、リチャード・ジノリ、ロイヤル・コペンハーゲン。ボール箱もあれば、アタッシェケースのような立派な箱もある。

 その中から、すみれが大きめの木箱を取り出そうとする。ティーセットがまとめてそこに入っているらしい。落とさないように皆で手伝う。中の箱はどれも埃を被っているが、開けるとティーカップやソーサー、ポットなどが出てきた。どれも確かにマイセンで、揃いの絵柄だった。柿右衛門の皿もよく似ている。洋食器にしては一回り小さいな、と思われるくらいだった。

「では、確かにお返しいたします。長らくありがとうございました」

「とんでもないです。こちらこそ、今まで大切に保管いただき、ありがとうございました」

 利津子はあらかじめ宅配便の送り状を用意していたので、蔵の前まで取りに来てもらうことにした。それを待つ間に、「他の品をお目にかけましょう」とすみれが言う。

「これと並ぶくらい古い逸品があるのです。それも初期マイセンの柿右衛門写しなのですよ。6枚物の色絵皿です」

 そして近くの棚から箱を取り出す。開けると、大ぶりの花鳥文の皿だった。上に枝を伸ばす松、下に枝を這わせる梅、そしてその間を飛ぶ鳥、周囲に配された色とりどりの花……

「あら、えーと、これは……」

 どう見ても先週、利津子が桑名のところに持っていったものと同じだった。桑名は確か、博物館と大阪の某資産家のところにしかないと言っていたはず。いったいどういうことだろうか。

「いかがですか。手に取ってご覧になっていただいても結構ですよ」

「では失礼して」

 皿の裏を確認したが、双剣マークもペインター番号も、あの皿と同じだった。エリーゼに見せてみたが、「ヴンダーバー! 素晴らしいですね」と感心するばかりだ。

「他にも何か、珍しいものをお持ちではないですか」

「ええ、いろいろありますよ。お時間がある限り、何でも……ああ、そういえば」

 すみれは何かを思い出したらしく、利津子たちを2階の一角へ連れて行った。そしてそこにあった金屏風を開く。植物が描かれていて、江戸時代の屏風絵に見える。

「あら、光琳ですかしら」

「いいえ、違うんです。『燕子花かきつばた図』によく似ていますが、花の形が……」

 カキツバタは花びらが丸っこいはずだが、屏風の花はもっと細い花びらが群れているように見える。同じ紫の花ではあるのだが。

「本当ですね。何の花でしょう?」

「わからないのです。私の祖母の家に100年ほど前から伝わる屏風なのですが、由来も不明なんです。ただ、大切にしなければいけないと言われていて……」

「するとスミレ様は、この屏風が何であるかという調査を、誰かに依頼されたいのでしょうか?」

 エリーゼが目を輝かす。また出番が来たと思っているのだろう。

「ええ、できれば。骨董屋に聞いても全くわからなくて……」

「ティナちゃんはいかがですか」

「あたしパス。こういう辛気くさい調査って苦手やねん。地味なエリちゃんにぴったりやわ」

「そんなに地味ですかね。この服はかの有名なジル・サンダーなのですが」

 エリーゼはネクタイの形を整えながら言った。服装には誇りを持っているらしい。

「ジル・サンダーは存じていますが、この件を引き受けていただけるのですか?」

「もちろんですよ。ただし、私の事務所に依頼人としてお越しいただく必要があります。出先での依頼はよほどの時でないと引き受けないことにしているのです」

「わかりました。お伺いします」

「どーせ、またあの面倒くさい儀式するんやろ」

「必要だからするのですよ。儀式ではないのです。マスグレイヴ家ではあるまいし」

「マスグレイヴ家とは……」

「おや、リッちゃん、宅配便の人が来たようですよ」

「あら、本当。皆さん、運ぶのを手伝ってくださいませんか?」

 どうやら次の依頼者はすみれになりそうだ。


(終わり)

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