第4章 皿と交渉 (後編)

「探偵なんて、存じ上げません」

 利津子はなるべく平静を保ったまま答えようとしたが、背筋が冷たくなるのを感じていた。桑名は、今にも蛙を一呑みにしようとしている蛇のような邪悪な笑顔を浮かべている。

「とぼけても無駄だよ。つい先日、鳳凰寺のティーセットの件で、人に会ってくれと言われた。どんな奴がそれを頼みに来たのかと思って、梅村の会社に聞いてみたんだ。あそこの受付の女性は、俺の友人でね。彼女が、外国人風の女性探偵と、良家のお嬢様風の女性が訪ねてきたって言ってたんだ。どうやら探偵とその依頼者らしいって。それがあんたらのことだろう? このマイセンは見たところ本物だが、探偵が用意したに違いない。裏のマーケットに流れてる品だろうな。それで、俺の何を探りに来た? この部屋へ泥棒に入るための偵察に来たか?」

「いえ、私はそんな者では……」

 言い淀んで利津子は応接間のドアの方を見た。ティナがお手洗いに行ったまま戻ってこない。どうしたのだろう。

「ああ、探偵の方は、ちょいと邪魔になるので、しばらく手洗いに籠もってもらうことにした。外から鍵がかかるようになっててね。この部屋もそうだが、鍵がないと出られないようになってる。どうやら気付いて暴れ始めたらしいな」

 応接間の外から、ドンドンと壁を叩くような音が聞こえる。はっと気が付いて利津子が桑名の方を見ると、応接テーブルの上に手を突いて、身を乗り出しながら利津子を見下ろしていた。

「別に、帰さないとは言ってない。正直にしゃべってくれるだけでいいんだ。その後で俺の話も聞いてもらう。そうしたら、あんたも俺の味方になってくれるだろう。残念ながら、男にはこの手は効かないんで、白井って奴のような目に遭う羽目になるんだがね。おっと、この皿を傷付けたら大変だ。あんたは暴れないと思うが、念のために……」

「いやー、お手洗いが広うて居心地がええから、つい長居してしもうたわ。それに、鍵の外し方が難しゅうて。もうちょっと簡単に外れるようにならへんのかなあ。それで、どうですやろ、お皿の売買は成立しそうなん?」

 すっきりした顔のティナが、応接間に入ってきて言った。利津子はそちらを見て、それから桑名の顔を見たが、桑名は亡霊でも見たかのように呆然としている。

「あんた……鍵を……どうやって……」

「ん? あれ、やっぱり壊れかけてましたん? まあ、一人でここへ住んではんのやったら鍵はかけへんやろうし、壊れてても気ぃ付かへんのですやろなあ。ほんでも、お客さんのために早う直しといた方がよろしいんちゃいます?」

 ティナの言い様に、桑名は返す言葉もない様子だったが、沈黙を打ち破るようにチャイムが鳴った。

「お、お客さんや。はーい。あ、あたしが返事してもしゃあないんやった。桑名はん、出た方がよろしいんと違いますか?」

「桑名さん、おられますかー。非常通報があったので来ましたー。警備会社と、警察でーす」

 普通、家のインターホンは、中で受話器を上げるかボタンを押すなどの操作をしないと外と通話できないはずだが、なぜかこのときは外の声がスピーカーを通して聞こえた。ちょうどティナが立っている、応接間を出たすぐの廊下にインターホンがあるようだ。

「うわ、警備会社と警察やて。何があったんやろ。あたし、何も変なところ触った憶えないけどなあ。ついさっきまでお手洗いの中におったし。桑名はん、私が代わりに出ましょか?」

 桑名は血相を変えてインターホンのところへ行き、外と会話し始めた。何も異常はないから帰れと言っているが、相手はそれはできないと答えているようだ。その間にティナはソファーのところへ戻ってきて、皿を箱の中へ戻した。撤収準備だろうか。

 押し問答の末、桑名はドアを開けて警備員と警官を中へ入れざるを得なくなった。

「失礼しまーす。ありゃ、お客さん来てはったわ。門木さん、どうします?」

 制服の警備員二人に続いて入ってきたのは、何と不二恵だった。その後に、猿のような顔をした、背の高い男が入ってきた。彼がエリーゼの言っていた「モンキーさん」「顔は面白いが、とても優秀な刑事」だろう。

「驚かせてしもうてすいません。大阪臨海署、生活安全課の門木です。こっちは田名瀬。この部屋の玄関の鍵が不正に開けられそうになったという警報が入ったんで、警備会社と一緒に調べにきましてん。警備会社の人は防犯装置の検査をやりはるんで、その間にあなた方はちょっと聞き取りをさせていただきたい。そしたら、わしが桑名さんの聞き取りするんで、田名瀬はお客さんの方を」

「あい」

 不二恵が利津子とティナの方へ来た。この前、エリーゼの事務所で顔を合わせたのに、知らないふりをしているように見える。訪問の目的を聞かれたので、マイセンの皿を売る相談に来た、と正直に答える。が、桑名から脅されたことは言わなかった(ティナが目で止めた)。二人の聞き取りはあっという間に終わり、不二恵は門木と桑名の方へ戻った。その会話が聞こえてくる。

「不正に開けられそうになったというのは……」

「錠が開け閉めされたけど、ドアは開いてないようなんですなあ。だから誰も出入りしたものはおらへんはずで。もう一人警備会社の人が来とって、今、管理人室で、防犯カメラの映像を確認してますんやけど」

 それから警備員とも話をし、門木が言ったとおりの状況だったことが確認された。カメラ映像を確認した警備員とも連絡が取れ、「通報があった時間帯に、誰かが玄関前まできて、1分ほどで去っていった」ということが知らされた。

「人相は? ……帽子とサングラスとマスクで隠れててわからない。身長は? ……160センチから170センチくらい」

 警備員の電話の会話の後で、門木が口を開いた。

「桑名さん、心当たりは」

「人相も背格好もよくわからないんだから、心当たりなんてあるわけがない」

「ごもっとも。被害届、出しはります? 出しはったら、捜査しますけど」

「誰も家に入ってないなら、被害は……いや、ちょっと待って」

 桑名は言い残して、廊下へ出ていった。門木が後を追おうとしたが、「来るな」と言われたようだ。しばらくしたら桑名は戻ってきて、応接室に入るなりティナの方をきっと睨んで言った。

「彼女の身体検査をお願いしたい」

「え、あたし? でも、お手洗い行ったとき、手ぶらやったんですけどー?」

「検査するにしても、何を探したらよろしいんかな」

「それは……か、紙の束を」

「紙の束でっか。大きさとか、何枚くらいとか」

「原稿用紙を、十数枚……いや、もっと……」

「そんなん隠す場所ないですやん。何ならスーツも脱いで裏も見せますよー」

「とりあえず、田名瀬、頼むわ。そっちのお嬢さんも、検査させてもらえますか。桑名さん、どっか別室は」

「キッチンを……」

 そのキッチンへ、脱いだコートやマイセンの皿も持って行き、利津子とティナは身体検査を受けたが、もとより紙一枚出ない。結果を聞いて、桑名が不満そうな表情をする。

「原稿用紙に何か書いてましたんやろか。内容は?」

「それは……」

「盗られて、被害届出すんやったら、内容がわからんと」

「…………」

 桑名は何も言わず、結局被害届は(侵入未遂の件も盗難の件も)出さないことになった。警備員たちが帰るときに、ティナが桑名に言う。

「何やドタバタしてしまいましたんで、このまま売買の契約とかできそうにないですし、私ら出直しますわ。ほんなら、ご機嫌よろしゅう」

「さようなら」

 渋い顔の桑名に見送られ、警備員たちと共に部屋を出た。エレベーターの中では、不二恵が意味ありげな笑みを浮かべて利津子を見たが、何も言わなかった。

 マンションの外へ出ると、エリーゼが待っていた。

「危ない目には遭いませんでしたか」

「遭いそうになりました」

「事務所で聞きましょう。ティナちゃんはこれを梅村シャチョーへ届けてください。お迎えも来てますよ」

「お迎え? うわ、助さんやん!」

「あら、それは?」

 向こうに黒塗りの車があるのは利津子にも見えたが、それよりもエリーゼが今、ティナに渡した布製の鞄の方が気になった。それは桑名のところへ皿を持っていくとき、ティナがそれに木箱を入れて肩から提げていたはず。同じものがもう一つあったのだろうか。

 しかも、よく見たらティナは鞄を受け取った代わりに、木箱をエリーゼに渡しているではないか。

「鞄ですか。これも後で説明しましょう。ではティナちゃん、アウフ・ヴィーダゼーエン」

「それ、何やったっけ、『さいなら』やった?」

 ティナはなぜかむすっとしながら黒塗りの車の方へ歩いて行った。そこに立っている、顔が四角く、身体がごつい男が、助さんこと助村新得刑事だろう。

 利津子は、エリーゼが待たせていたタクシーに乗って探偵事務所へ行った。

「結局、今回は失敗したのでしょうか?」

 桑名の部屋であった出来事の一部始終を話し終え、コーヒーを飲みながら利津子はエリーゼに聞いた。そういえば、桑名のところで出されたコーヒーは一口も飲まなかった。質問などの受け答えに忙しかったからだ。

「いえいえ、大成功ですよ。先ほど、私がティナちゃんに鞄を渡しましたね? あの中に、成果が入っているのです」

「成果、って何ですか?」

「それを言うと、リッちゃんが私のことを、泥棒の仲間だと言って非難するかもしれないのですよ」

「泥棒? そういえばあの時、桑名さんは部屋の中から何かを盗まれたようでした。それでティナちゃんと私は、刑事さんから身体検査を受けたんです」

「当然何も出てこなかったでしょう。それは既に、私が持っていたのですから」

「何でしょう? もしかして、この前ティナちゃんからもらった報告書にあった“小説”ですか? 桑名さんは原稿用紙を探してほしそうでした」

「そのとおりです。それがあれば、スミレ様はクワナと別れると思うのですよ」

「内容に問題があるんですね?」

「そう確信していますが、残念ながら私は読んでいません。読む時間がなかったと言うべきですかね」

「桑名さんの部屋から盗んだんですか? どうやって? 警備員さんは、誰も忍び込まなかったって言ってましたけど」

「盗んだと言うと、リッちゃんは私とティナちゃんを非難しますか?」

「すみれさんや梅村の会長さん、社長さんたちを助けるのに必要なら、それもしかたないと思いますけど」

「リッちゃんが正義の心を持っているようで、嬉しく思います。とはいえ、私もマンションの前に落ちていた鞄を拾ってティナちゃんに渡しただけなので、盗んだつもりはないのですけどね」

「あの鞄はマンションの前に落ちてたんですか? ティナちゃんはいつ落としたんでしょう。桑名さんの部屋に入るまでは肩から提げていたように思いますけど。その中に、どうやって原稿用紙が?」

「さあ、それはもっと後になってからティナちゃんから聞けるでしょう。今日はリッちゃんもお家へお帰りください。そのうち、スミレ様からお皿の件で話をしたいという連絡があるに違いありませんから」

「そうですか。何が起こったのか私にはよくわかりませんけど、それまで待つことにします」


(続く)

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