第3章 蔵と錠前 (後編)
エリーゼはティナを皮肉っぽい笑顔で見ながら、事もなげに言った。
「エントシュルディグンク、失礼しました。適切な言葉が思い浮かばないのですよ」
「南国美人でええねん」
「イタリア人には見えないのですがね」
「あんたの南国のイメージはイタリアかい!」
「それはそうと、クラの錠は見てくださいましたか」
「見たよ。和錠やん。これはそーとー難しいでえ。昼間開けるんは無理やな」
「開けていただかなくてもいいのですよ。クワナが簡単に開けられないとわかればいいのです」
「ワジョウって何ですか?」
エリーゼとティナにすっかり置いて行かれた気がしたので、利津子は聞いてみた。何だか二人とも、蔵に忍び込むかのような話をしている。それはしないとエリーゼは言っていたはずなのに。
「和錠っちゅうのは戦国時代とか江戸時代に使われてた、日本式の古い錠前のことや。装飾に凝ってるんが多いな。それだけやのうて、“からくり錠”っちゅうか、めっちゃ複雑な構造のやつもあるねん。ここのはアワ錠。アワは阿波踊りのアワ。鍵穴が隠されとって、それを見つけるところからやから、難易度高いんや」
「はあ、そんな錠前があるんですか」
「まあ、見てみいな」
鉄柵の門は普通の南京錠だったが、そこから透かし見た蔵の扉には、やたらと横長で装飾の多い、古めかしい錠が付いていた。
「そうすると、あれは普通の泥棒では開けられないんですか」
「いや、開けようと思ったら開けれるで。ベテランの錠前屋とか、あたしとか、エリ……ふごっ!」
不意にエリーゼの手が横から延びてきて、ティナのみぞおち辺りを突いた。軽くやっただけのように見えるのに、ティナは胸を押さえて苦しがってる。
「余計なことは言わなくていいのですよ、ティナちゃん。さてもう一つ依頼である、クワナの情報は持って来てくださいましたか」
「持っ……げほっ、持って来た。あんた、ひどいことするなあ。今の治療代として千円余分にもらっとくわ」
「恋人である白井モリオちゃんのカタキを討ってあげるのですから、我慢してください」
「なんで杜夫が恋人やねん! ええ加減にしてや。ところで、こんなとこで話すわけにいかへんから、どっかの店に入って何か食べながら話しよ。もちろん、エリちゃんのおごりで」
「勝手に決めないでください。そんな契約はしていませんよ」
ティナはお好み焼き屋へ連れて行こうとしたが、エリーゼが断って喫茶店へ行った。利津子とエリーゼはコーヒー、ティナはパンケーキセットを注文した。ウェイトレスが去ると、ティナが鞄から大ぶりの茶封筒を出してきた。エリーゼはそれを受け取り、突き出したままのティナの手に、ポチ袋を掴ませた。情報提供とその報酬だろう。
「まいど!」
「どうせ日本語で書かれているのでしょうね。リッちゃん、私の代わりにこれを見てくださいますか。これから私が言うことが書かれていたら、教えてください」
「ああ、エリちゃんはおしゃべりはお上手でも、読むのは少し遅いのでしたね。わかりました」
利津子はエリーゼから封筒を受け取り、中の書類を取り出した。『調査報告書』だった。作成者は白井杜夫となっているから、怪我をさせられたという探偵が途中まで調べたものなのだろう。
エリーゼはまずクワナの住所を尋ねた。
「梅村すみれさんと一緒に住んでいるって書いてますよ」
「他にも家かマンションの部屋を持っていると思うのですがねえ」
「そうなんですか。あら、本当。いくつもあります」
報告書の次のページを見ると、住所が五つも書かれていた。
「不思議ですね。どうしてこんなに家をお持ちなんでしょう?」
「クワナが結婚詐欺師だからですよ。お金持ちの女性と何人も付き合ったことがあって、その人たちからもらったのです」
「まあ! 皆さん、返してもらおうと思わなかったのでしょうか」
「騙されたと思っていないのです。それが結婚詐欺の困ったところなのですよ。それで、どこを一番多く使っているか、書いていますか?」
「はい、住之江区南港中3丁目……」
「ホップラ! そんな近くでしたか。そこは臨海署の管轄ですね。フジエちゃんから情報がもらえるかもしれません」
「ああ、女性刑事の」
六甲の別荘に来た、優しげな女性を利津子は思い出した。のんきそうで、刑事にはとても見えなかったことも。
「お皿や絵に興味があるというようなことは書いてますかね」
「ええ、美術品に造詣が深くて、特に陶磁器のコレクターだと」
「すると、お皿の話をすると乗ってきてくれそうですね。それから、何か弱みがあると書いていますか? モリオちゃんなら調べているはずなのです」
「ちょっと待ってください。ありました。小説を書いていると」
「小説? 何の小説で、どうしてそれが弱みなのでしょうか」
「さあ、それは書いていません」
ちょうどコーヒーとパンケーキセットが運ばれてきた。コーヒーの香ばしい匂いと、バニラフレーバーの甘い匂いが入り交じる。それにメープルシロップの匂いも。利津子はお腹が減るのを感じた。
「パンケーキおごってくれるんやったら、追加で情報あげてもええけど?」
2枚重ねのパンケーキに、ナイフでバターを塗りながらティナが言った。
「追加情報があるのですか?」
「その報告書、作りかけなんや。他に杜夫から直接聞いた話もあるねん」
「それは小説に関することなのでしょうが?」
「もちろんやがな」
ティナはパンケーキにナイフで切れ目を入れている。シロップはかけないのかしら、と利津子が気にしていると、切った後でかけていた。
「パンケーキ何枚分なのです?」
「もちろん、これ全部」
「コーヒー代は出しません」
「相変わらずケチやなあ」
「情報には適切な値段があるのですよ」
「大事な情報やと思うけどなあ」
「隠し場所に関わるような内容ですか?」
「さあ」
ティナは八つに切ったパンケーキを、2枚重ねのままフォークに突き刺し、大きな口を開けておいしそうに食べた。
「では、わからないままにしておきましょうか。問題ありません。小説であるというだけで十分です」
「ええー」
二つ目の切れ端をフォークに刺したティナが、不満そうな声を上げた。2枚重ねのうちの一つが、ポロッと皿の上に落ちた。
「何ですか?」
「ほんまに教えんでええの?」
「いりませんよ。だいたい想像できますから」
「言うてみ?」
「必要ないでしょう。私の想像は当たっているに決まっています」
「ちぇー」
皿に落ちた切れ端をフォークに指し直し、ティナはパンケーキを頬張った。心なしか、口を尖らせながら食べているように見える。
「さて、ティナちゃんからもらえる情報はこれくらいですか。私はいったん事務所へ戻ることにします。リッちゃんはどうしますか?」
「そうですね、どうしましょうか。エリちゃんに付いて行っていいですか?」
「もちろん、構いませんとも。ティナちゃん、ダンケ・シェーン。私のコーヒー代はここへ置いていきます。次は段取りが整ったらお知らせしますよ」
「りょーかい」
エリーゼは小銭をテーブルの上に置き、席を立った。利津子もそれに従う。ティナは手を振りながらパンケーキを頬張っていた。
堺の駅前から、エリーゼはバイクに乗り、利津子はバスに乗る。住之江公園駅からニュートラムで、探偵事務所の最寄りのポートタウン東駅に着くと、駅前でエリーゼが待っていた。
「私はここで昼食を買って帰ろうと思うのですが、リッちゃんもいかがですか?」
「あら、焼き肉。ええ、大好きですからもちろんご一緒します。でも、どうしてさっきのところでは何も食べなかったんですか?」
「私が高い物を頼むと、ティナちゃんが可哀想だからですよ」
自分の方がリッチであると言いたいらしい。上カルビ弁当を買い、事務所へ行った。また温かい弁当を食べながらエリーゼに聞く。
「ティナちゃんのお仕事は何なのでしょう?」
「一応探偵ですが、仕事としては情報集めですね」
「じゃあ、他の探偵のお手伝いをしているんですね」
「そんなところです。さて、フジエちゃんに話を聞きたいですが、何時に来てくれますかねえ」
エリーゼは右手にスプーンを持って弁当を食べながら、左手でスマートフォンを操作し、メールを打った。すぐに返事が来たらしく、「1時に来てくれるようです。きっとモンキーさんが休みなのですね」と言った。
「モンキーさんって誰ですか」
「フジエちゃんの上司で、教育係です。顔は面白いですが、とても優秀な刑事なのですよ。今回も本当なら協力して欲しいところですが、作戦に乗ってくれるかどうか」
「あら、もう何か作戦を考えているのですか?」
「それもフジエちゃんの情報次第なのですがね」
1時にやってきた不二恵は事務所に入るなり「わあ、焼き肉の匂いや。ええなー」と言った。鼻が利くらしい。エリーゼがコーヒーを3人分淹れた。
「さて、クワナ・タカミツのことを教えて欲しいですが」
「あ、結婚詐欺師ね。て言うても、詐欺で訴えた人は誰もおらへんねんけど」
結婚詐欺というのは基本的に民事案件であって、刑事告訴されるのは「結婚すると思わせて金品を騙し取る」、つまりお金が絡む場合のみであるらしい。桑名の場合はマンションや家まで女性からもらっているのだが、女性側が「騙された」と思っていなければ、刑法での詐欺罪には当たらない、ということになる。
「そやから、うちで扱ったんは、マンション内でのトラブルだけやねん。人が来たら桑名が大騒ぎするから迷惑や、ていうだけ。今は堺? そっちでも同じようになってるんちゃうかったかなあ。担当は確か助さん、助村新得巡査やったと思うけど」
「そちらには何も聞いていないのですよ。堺署には私の苦手な人がたくさんいるので」
「ファンもおるのに」
「少数派なので肩幅が狭いようですね」
「ちゃうちゃう、“肩身が狭い”やで」
「ホップラ! そうでしたか。ところで、マンションの持ち主だった女性が出て行ってから、クワナはしばらくそこに住んでいたのですよね。そのときにも臨海署はまだ見張りをしていたのですか?」
「担当は私やないけど、やってたはず。ときどきバンちゃんが担当に当たってて、夜ばっかりで嫌やって言うてた」
「クワナ以外に人の出入りはありましたか」
「もちろん、女の人がいっぱい。あ、一晩に来るのは一人やけど、毎晩のように違う人っていう意味ね。浮気性で、みんな呆れとったわ」
「他にも家を持っているのに、どうして咲洲のマンションをよく使ったのでしょうね」
「さあ、ここが一番人目が少ないからちゃうんかなあ」
確かに、報告書では梅田や天王寺などの一等地にもあった。そういうところは夜でも人通りが多い。それからエリーゼは、マンションのセキュリティーレベルを尋ねた。不二恵によると、咲洲では最高であるらしい。
「最上階のペントハウスみたいな部屋で、そのフロアへ入るには、エレベーターでも階段でも鍵がいるねん。しかも、フロアに入ってから一定時間以内に部屋に入って、防犯システムを解除せんと、自動的に管理人室と警備会社に連絡が行くねん。警備会社も近いから3分くらいで着くし」
マンションの詳細な図面やフロアの平面図を見せてもらい、錠前のメーカーとタイプ、警備会社の名前も聞く。
「すると大切な物があれば、そこに置いているでしょうね」
「そうなんちゃうかなあ。銀行の金庫室に住んでるみたいなもんやろうし」
「リッちゃんはフジエちゃんに何か聞きたいことがありますか?」
「警察の方って、みんな鍵のことに詳しいんですか?」
聞くべきポイントが違うような気もしたが、話を聞いていて感心したので尋ねてみた。不二恵は嬉しそうな顔になって言った。
「私、生活安全課やから、防犯教室で住民の人に案内するくらい詳しいんです。特にあのマンションの防犯システムは、紹介するとみんなすごい感心してくれるんですわ。ただ、咲洲島内の人はほぼ全員知ってるので、最近は紹介しても『前に聞いたで』って
不二恵が帰ると、ちょうど田村から電話がかかってきた。すみれと桑名に面会を申し入れたが、すみれは承諾してくれたものの、桑名には断られたらしい。すみれとの面会は明日の午後。場所は梅村ビルの応接室。
「リッちゃんも来てくださいますね」
「ええ、もちろん」
利津子はどんな服を着ていこうかと考えながら、エリーゼの事務所を出た。
(続く)
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