第8話 赤い龍の謎

第1章 割れた龍の皿 (前編)

 砂辺利津子は、立ち上がったエリーゼに向かって言った。

「鳳凰寺家からお預かりした骨董のお皿があるんですけれど、6枚組のうち1枚が割れていて……」

「コットーというと、美術室にあったようなものですか?」

 その美術室に向かってエリーゼが歩いて行く。そこにある絵画をもう一度鑑賞するためだ。先ほどは推理に集中していて、十分鑑賞していなかったとのことで。

「ええ、ここにあるのはボーンチャイナですけれど、砂辺家でお預かりしたのは日本のものです。ただ、素性もよくわからなくて」

「割れているのなら、コットーを扱う店で見てもらえばよろしいのではないですか」

「あら、割れたことが問題じゃないんです。お皿を入れた箱に『借用書』と書いてあるんですけれど、それらしきものが入ってないんです。どうやら割れたお皿そのものが借用書らしいんですけれど、鳳凰寺財団に問い合わせても、よくわからなくなってしまっていて。だから、誰に何を貸したかのか調べていただきたいんですよ」

 廊下を歩いていたエリーゼが、口笛を吹きながら立ち止まった。そして利津子の顔を見て気取った笑みを見せる。

「シャクヨーショというのは、お金や物を借りた時に作る書類のことですね。それが割れたお皿なのですか。とても興味深いです。まず、その箱とお皿を見なければなりません」

「もちろん、お見せします。私の家にあるんです」

「しかし、持ち運べるものなら、私の事務所へ持って来ていただきたいのです。リツコ様のお家へ行きたくないと言っているのではありませんよ。依頼を受ける時の規則なのです。事務所でなければ前払い金の領収書も発行できませんし」

「わかりました。持って行きます。明日でもいいでしょうか?」

「結構ですとも。来る前に時間を教えてください。しかし、先に写真を送っていただくのがいいでしょうね。それで調べられることもあるかもしれませんから」

「そうですね。では、家に帰ったら写真を撮って送ります」

 美術室でエリーゼたちが絵を見ている間に、女性刑事が来た。有馬温泉で足湯と炭酸煎餅を堪能してきたらしい。宇佐美詩歌と茶石千寿はすぐに帰らず、刑事にも絵を見ることを勧めた。刑事は別荘の広さと豪華さに驚いていたが、美術品にはたいして感動しなかったようだ。


 利津子はかげの自宅に帰ると、割れた皿の写真を撮って、エリーゼにメールで送った。エリーゼからはすぐに電話がかかってきた。

「グーテン・アーベント、リツコ様。写真を拝見しましたよ。確かにコットーのお皿ですね。ところで、割れているのにどうしてそのままお持ちなのですか?」

 その割れた皿は、ソファーに座った利津子の目の前にある。大きさは直径24センチほど。“龍文”という模様で、周囲には赤い龍と宝珠文、中央に絡み合う鳳凰が描かれている。明らかに年代物だが、残念なことに割れて三つの破片になっているのだった。

「鳳凰寺家からお預かりしたときに、修復してはいけないと言われたらしいんです。たぶん平蔵さんが亡くなる数年前のことですので、もう32、3年は……」

「シューフクとは?」

「割れたお皿に接着剤を付けて、元の形に戻すことです。骨董では漆を接着剤に使って金をまぶす“金継ぎ”っていう方法を使うことが多いみたいですね」

「フェルシュテーエン、レパラトゥーアのことですね。そして、割れたまま持っておくのがシャクヨーショとしての条件なのですか。ところでさっき『言われたらしい』とおっしゃいましたか? リツコ様ではなく、別の方が預かったのでしょうか」

「ええ、私の祖父が」

 ちょうど利津子が生まれた頃の話なので、ごく簡単にしか事情を聞いていないのだった。

「お祖父さまから詳しいお話は聞けるのですか」

「祖父はもう亡くなりました」

「では、預かった時の詳しいことを知っている方は他におられますか」

「父は祖父から聞いていると思いますので、私が聞いておきます」

「お父上は依頼者として来られないのですか」

「数年前に足を悪くしたので、外出が大変なんです」

 そのため、今日別荘へ行ったのも自分であることを利津子は説明した。

「フェルシュテーエン、了解です。ところで、もし割れていないなら、どれくらい価値があるかわかっているのですか?」

「わかっていないんです。他にも骨董の陶器や磁器をいくつかいただいて、そちらの方の価値は調べたんですけれど」

 他の陶磁器は元客間だった部屋に置いてあり、陶磁器以外の骨董も含め、骨董品置き場のようになってる。今のところ邪魔にはなっていないが、父の物であり、もし利津子が引き継ぐとしても売ってしまうかもしれない。あるいは鳳凰寺財団に返すか。

「トーキとジキですか。どれも価値が高いのですか?」

「ええ、有田とか伊万里とか九谷とかいろいろあって。このお皿は、模様から見て柿右衛門だと思うんです。あらでも、エリーゼさんは有田焼とか酒井田柿右衛門とかはご存じなのかしら?」

「価値はわかりませんが、名前はよく知っていますよ。ドイツにもマイセンやヴィレロイ・ウント・ボッホという有名なポルツェランがありますからね。マイセンはドイツの誇りですが、日本のイマリ焼を手本に発明されたと言われているのです。だから私は日本のトーキやジキにも敬意を払うのですよ」

「あら、マイセン! 私もティーセットを一組持っているんです。ブルーオニオンの。去年、ドイツへ旅行した時に買ったものなんです」

 マイセンへ行って、タール街にある磁器製作所や、最初に製作所となったアルブレヒト城も見てきた、とエリーゼに話した。外国を一人で気ままに旅行するのは楽しくて、利津子は年に一度は行っている。

「リツコ様はトージキのサムラーなのですか」

「サムラーって何ですか?」

「好きで集める人のことですよ。シューシューニンとでも言うのですか?」

「ああ、蒐集しゅうしゅうですね。英語ならコレクターです。私はコレクターではないですよ。好きなのでいくつか集めているという程度です」

「ドイツ語と英語は知っていますが、日本語は知らなかったのですよ。ところで明日、私の事務所へ依頼に来ていただくに当たって、一つお願いがあるのですが」

「何でしょう?」

「来る前に、割れた皿の価値を調べてくださいますか」

「価値ですか。割れていなかったら、いくらくらいかということですか?」

「ンー、ちょっと言い方が悪かったですね。その皿はどこで作られたものなのか、有名な皿なのか、それともレプリークなのかを確かめていただきたいのです。割れた皿だけではなくて、他の5枚も一緒に。レプリークであるとは思っていないのですが、万が一ということもありますから」

「レプリークって、レプリカ、模造品のことですか?」

「そうです。リツコ様がカキエモンだとおっしゃるので、そのとおりだと信じているのですけれどね。しかし、もう少し詳しいことがわかればいいと思っているのです」

「ああ、そういうことですか。わかりました。他のはいただいたんですけれど、これはお預かりしただけなので、価値や真贋を調べるのはよしてたんです。でも、一つ困ったことがあって」

「何でしょうか?」

「他の物の価値を教えてくれた骨董屋さんが、既に廃業しているんです。大阪の方でどこかいいお店を、エリーゼさんはご存じありませんか?」

 神戸ではJRの三宮駅から元町駅にかけて、いくつか骨董屋やアンティークショップがある。以前、父が行ったのは元町の近くの店だったが、店主が老年になったためか店を畳んでしまったのだった。

「そういうことならアキラ様にお願いするのが確実ですね。ただし、有料ですが」

「有料なのは構いませんけれど、大阪のどこですか? 梅田辺り? エリーゼさんのところへ行く途中で寄れるといいんですけれど」

「咲洲の渡利鑑識事務所です。私の事務所にとても近いですから、たいへん都合がよいと思いますよ。料金は千円です」

「千円ですか。わかりました。でも、どうしてそこの所長さんをアキラ様とお呼びになるんですか? もしかして、エリーゼさんの恋人?」

「ナイン! 決してそんなことはありません。申し訳ありませんが、私とアキラ様の関係については聞かないでいただきたいのです」

「わかりました。その事務所の場所を教えてくださいますか?」

 咲洲の駅を出てから南へ真っ直ぐ歩いたところにある、法律事務所の中、ということだった。煉瓦色の壁の重厚なビルで、住宅地の外れに建っているので見つけやすいらしい。予約の電話を入れておいた方がいいとのこと。

「ただし、私から紹介されたことは絶対に言ってはなりませんし、気付かれてもいけませんよ。よろしいですか?」

「ええ、もちろん善処します」

「ゼンショとは何ですか?」

「頑張りますと言えばわかっていただけます?」

「アレス・クラー、了解です。よろしくお願いいたしますです」

 電話を切った利津子は、皿を探偵に調べてもらうことを父に言って、預かった時の事情について聞いた。しかし父も詳しい事情は知らず(預かることになった事情すら、祖父はあやふやにしか言わなかったようだ)、「皿と揃いの絵柄のティーセットがある」ということだけがわかった。ティーセットがあるのなら洋食器なので、皿は柿右衛門とは違うのかと考えたが、父は祖父から「柿右衛門と聞いた」とのことだった。やはり鑑定士に調べてもらわないといけない。

 その後は、皿を運ぶ準備に特に時間をかけて過ごした。食器の梱包を解く作業はよくするけれど、梱包をすることはなかなかない。しかし、意外に面白いものだと利津子は思った。


(続く)

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