第5章 一粒の発見 (後編)
いろは歌が47文字だったのでは、と詩歌は思ったが、言い出せないでいるとエリーゼが言葉を続けた。
「では、47という数字に加えて、この真珠がリューキュー真珠という、沖縄で作られたものであるということを合わせれば、どうでしょうか?」
「ああ!」
利津子が嬉しそうな声を出し、小さく拍手するように手を動かした。千寿は口を「あ」の形に開いたまま呆然としている。
「つまり、真珠は各都道府県に対応していて、外れている一つはその県に隠してあるということですか?」
詩歌が言うと、エリーゼは右手を胸に当てて軽く頭を下げた。敬意の礼だろうが、そこまでされるほどのことかどうか。
「そのとおりでございます。さて、それはどこの県でしょうか? 真ん中から右へ四つ目です。トドーフケンには順番があります。日本工業規格のX401で決められています。真珠も工業製品の一つですから、その規格に従うというのは合理的でしょう。ただそれには、1番目の真珠はどれかを知る必要があります。ネックレスには留め具がありますが、その隣のどちらかが1番目です。シーカ様、ネックレスをお持ちいただきましたか?」
「ええ」
答えながら詩歌はハンドバッグの中を探り、ネックレスケースを取り出した。蓋を開けてテーブルに置き、エリーゼに見せる。エリーゼはしかし、それをテーブルに置いたまま、皆の方に見せるように回した。そして少し屈み、蓋の裏側にある、ネックレスの留め具の辺りを指で示した。
「留め具といってもいくつかの形があるのだそうです。それらには全て呼び名が付いているのですが、ここでそれを紹介するのは省略しましょう。大事なのは、左右で形が違っているということです。このネックレスの留め具のは“引き輪”という形で、一方がつまみの付いた輪、もう一方が穴の開いた板です。そしてネックレスの左右どちらかの端を持つ時は、輪の方を持つものだそうです。ネックレスを傷付けてはいけませんので、ここではしないことにしましょう」
エリーゼはまた背筋を伸ばした。3人の目が、ネックレスからエリーゼの方へ移る。視線を浴びるのが殊の外楽しいかのように、エリーゼはにんまりと微笑んだ。
「つまり、1番目の真珠は輪の方というのが、決まりなのです。ネックレスを着けたり外したりするときに、右手で輪のつまみを動かすからでしょう。右利きの人が多いから、そうなったのですね。それはともかく、輪の方というのは皆様から見て左側です。『向かって左』と言うのですか? そちらが1番目です。真ん中は24番目。そこから右へ四つ目とは、28番目のことです」
言った後で、エリーゼは蓋を閉めてケースを詩歌へ返してきた。傷を付けないようにか。3人の視線が一瞬ケースへ移り、またエリーゼの方へ戻る。
「では、28番目の県はどこか。X401によれば、1番はホッカイドーで、47番はオキナワ県です。真ん中の24番目が、真珠に大いに関係のあるミエ県というのも興味深いことです。そして28番目はヒョーゴ県でした」
「ここですね!」
利津子がまた嬉しそうに合いの手を入れる。エリーが目を細めながら大きく頷いた。
「では、ヒョーゴ県のどこか。アコー市はヒョーゴ県にあるので、やはりそこか。しかし、ホーオージ家には結びつかないのです。他のところで、ホーオージ家に関連するのは? 店や工場はたくさんあります。しかし、物を隠すのにそんなところは選びません。人が大勢いるところは、見つかってしまう可能性が高くなるからです。できれば普段人がいないような場所がいい。そうであれば、別荘は最適ではないですか。鳳凰寺家の別荘が六つあると聞いたときから、私はその中のどこかだろうと思っていたのです」
「そうすると、この別荘の中に真珠が隠してあるんですか?」
詩歌よりも利津子の方が謎解きに興味を持っているようだ。詩歌があまり関心が持てないのは、たとえ真珠が見つかってもそれを鳳凰寺家に返すことにしているからだが、利津子は純粋に“宝探し”を楽しんでいるのか。あるいはエリーゼの大袈裟な“パフォーマンス”を面白がっているのか。
「いかにも私はそのように考えました。最初、鳳凰寺家の持つ別荘を調べたとき、イコマ山にあるものしかわからなかったのですが、そこへ行ったら、とても大きな建物でした。別荘地なので聞き込みをする相手がほとんどいなかったのですが、ようやく数人見つけて聞いたら、美術品も置いているはずと言うのですね。過去に何回か公開されたこともあったのだそうです。ですから、他の別荘にも置いてあるだろうと思いました。シーカ様、吉野の別荘ではどうでしたか?」
「ええ、ありました。美術室に置いてあって、その部屋だけ年中空調を入れてあるらしくて」
吉野のことを詩歌はあまり思い出したくないが、琴絵に連れて行かれて美術室を見たときは、さすがに感心した。その部屋の絵画に見入っているときに、うっかり閉じ込められたのだった。絵画があるおかげで退屈しなかったのが唯一の慰みで……
「やはりそうでしたか。さて、リツコ様。この神戸の別荘にも、美術室があるのではないでしょうか?」
「はい、ありますよ。でも、真珠のネックレスは置いてませんけれど」
利津子はハンドバッグを探り、見取り図と鍵束を取り出してきた。ようやく自分の出番が来たと思ったのか、ひときわ楽しそうにしている。
「真珠を真珠とわかるように置いていたら、隠していることにならないではないですか。30年前から、ここは何度もホーオージ家の人たちやそのお客様に使われたのでしょう?」
「そうですね。でも、探すために美術品を傷付けないでくださいよ」
「フェルシュテーエン、心得ていますとも」
リビングから美術室へ向かう。複雑な形状の廊下を進んで、重そうな木のドアの前に利津子が立ち、鍵を開けた。入ると学校の教室くらいの広い部屋で、もちろん、空調が適切に効いていた。リビングの暖かさに比べると涼しい感じがする。
壁には絵画、中央辺りには棚やガラスケースに多種の美術品が陳列されていた。絵画は西洋画が中心。外国人の作も、日本人の作もある。天保山美術館で展示したいようなものも。その他の美術品は彫刻、銅像、陶器、銀食器など。
「セッコー像もありますね」
エリーゼが嬉しそうに言う。見ているのは、美術の教材に使いそうな胸像だった。詩歌は石膏像に詳しいわけではないが、見たことのない作品で、それほど価値が高そうには思えない。
「ありますよ。この中に隠してあるんですか?」
利津子が答えた。別荘の管理だけではなく、この部屋の美術品の管理者も自認しているかのようだ。
「黒真珠といえばセッコー像の中に隠すのですよ」
「あら、そうなんですか?」
「探偵としては常識なのです。ただ、それを取り出すには壊す必要があるので、困っているところですよ」
「ええ、壊されては困ります。さほど高価な品ではないですけれど、真珠一粒のためにはさすがに」
「その一粒は高くないでしょうが、あのネックレスの真珠が全部揃うと、価値がとても高くなるのですよ」
「確かに、そうですね。今なら300万円くらいと伺ったような」
それにはさすがに詩歌も驚いた。真珠のネックレスが300万円! 超高額の絵画と比べたらさほどでもないように思えるが、アクセサリーとしてなら破格だろう。「給料の3ヶ月分」の結婚指輪など比べものにならない。しかし、一粒足りない今の状態は、30万円以下とエリーゼが言ってたのではなかったか。一粒でそんなに違うものなのだろうか。
だがエリーゼは、美術品を眺めているだけで、真珠を探そうとしない。しばらくして、利津子に聞いた。
「美術品の一覧はありますか」
「はい、ここに。一つずつ調べていきますか?」
利津子がエリーゼに紙を差し出す。詩歌も、見るともなしにそれを見た。絵画、彫刻、陶器などの種類毎に、作品名、作者、製作年が列挙されている。
「予想していたものが、見つからないのですよ。美術品はここにあるだけですか? まさか、屋根裏に隠し部屋があって、そこに置いていたりはしないでしょうね」
「屋根裏はありませんが、倉庫はあります。そこには陶磁器を置いています。壺とかお皿とか。絵画や彫刻は全部ここに出しています。それに、倉庫の中の陶磁器もこの一覧に含まれてますよ」
「フェルシュテーエン、了解です」
「何をお探しなんですか? 言ってくだされば、見つけることができるかもしれません」
「ナポレオンの絵はありませんですか」
「ナポレオンですか。ないと思います」
利津子はエリーゼから紙を渡してもらい、上から下までざっと見てから、エリーゼに返した。
「ありません。真珠を隠すならナポレオンの絵の中なんですか?」
「そうですよ。探偵としては常識なのです。しかし、ないのでは別のを探すしかありませんね。他の部屋に絵を飾っていますか?」
「水彩画が何点か。でも美術品とは言えないものです。安物ではないですが」
「ホーオージ家の主人がいつも使う部屋には?」
「いらっしゃるときだけ、絵を飾ることになっていたと思います。ここから持って行くんです」
「飾る絵はいつも同じでしたか」
「同じではなかったと思いますが、海の絵を飾ることが多かったと聞いていますね」
「海の絵ですか」
「ここは山ですけれど、海が近くてよく見えますから。海がお好きなのでは」
エリーゼは当てが外れたのか、中途半端な表情で、かろうじて笑みを保っているかのようだった。そして一覧を見ながら、左手に持っていた中折れ帽を被った。たぶん、考えるときの無意識の動作なのだろう。どういう訳か、彼女は別荘の中を移動するときも、帽子をずっと手に持っているのだった。安心毛布のようなアイテムなのかもしれない、と詩歌はぼんやりと考えていた。
「その海の絵をどれでもいいので、見せてくださいますか」
「はい、こちらへどうぞ」
部屋の隅の方へ利津子が案内する。「海の絵」という言葉から連想するのとは違って、それは海の中の絵だった。言い換えれば、魚の絵だ。色とりどりの熱帯魚。エリーゼは帽子の山に左手をかけながら、気のない視線でそれを眺めていたが、突然、「これは何という魚ですか」と利津子に尋ねた。
「さあ、私、魚の名前には詳しくないので……絵のタイトルは『鳥羽の魚』です」
「鳥羽というと、三重県でしたね」
「ええ。画家も三重県の有名な方です。鳳凰寺の遠い親戚のはずです」
「そこにも別荘があるのでしたね」
「ええ、あります。管理は私たちではなくて、牧野という者です。鳥羽の別荘にも行かれますか? それなら私の方から連絡しますよ」
「いいえ、その必要はありませんです。ところで、鳥羽には水族館がありましたね」
それを言うエリーゼの目に輝きが戻ってきたように、詩歌には見えた。
「ええ、あります」
「水族館の魚を描いた絵は他にありますか」
「あったかしら。ああ、ありますね、これとか」
利津子は二つ隣の絵にエリーゼを案内した。青緑色で頭の出っ張った、ユーモラスな魚が描かれている。エリーゼは絵を見ながら帽子を格好よく被り直した。絵の中の魚も、帽子を被っているように見える。
「題名を教えてくださいますか」
「これは『南紀のメガネモチノウオ』ですね。画家の名前も言いましょうか?」
「必要ありません。この魚の別名はご存じですか」
「ええ、ナポオンフィッシュですよね」
「ドイツではナポレオンリップフィッシュというのです。同じ絵が他の別荘にもあるのではないですか」
「さあ、どうでしょう。よく知りません」
「ありましたよ、他のところにも。確か生駒と、鳥羽と、白浜に」
詩歌が言うと、エリーゼが振り返った。その嬉しそうな顔!
「これと同じ絵ですか」
「全く同じではなかったと思いますけど、タッチはそっくりで構図も似ていますし、少なくとも同じ画家の絵かと」
ずっと以前、まだ吉平と仲が良かった頃、各地の別荘に連れて行ってもらい、そのときに見た。無名の画家で、さすがに美術館に飾るものではないが、地方の美術展に出せば賞が取れそうか、と思っていた。憶えていたのは、その絵とあと数枚だけが、他とトーンが違って浮いている気がしたからだ。
吉野の別荘にも美術室はあったが、似た絵はなかった。鳳凰寺家の所有でなかったからかもしれない。
「教えていただきありがとうございます、シーカ様。確信が持てました。リツコ様、この絵を外していただくことはできますか」
「ええ、もちろん。いつもは業者さんにやってもらうんですけれど」
利津子は言いながら、額を壁から外し、部屋の中央の、棚の空きスペースに置いた。
「裏返してくださいますか」
「裏を見るんですか」
エリーゼに言われるままに、利津子は額をひっくり返した。
「裏の板を外してもよろしいでしょうか?」
「ええ、外すくらいなら」
二人で手分けして裏の爪を外す。そしてエリーゼが裏板をそっと持ち上げた。そのとき、エリーゼがくくっと息を漏らしたように詩歌には聞こえた。
「ご覧なさい、木枠の中に何か入っていますよ。それを取ってくださいますか」
「あら、本当。ちょっとお待ちください」
利津子が取り出したのは小さな革袋だった。紐が付いていて、巾着のような形をしている。エリーゼは裏板を元に戻し、革袋を利津子から受け取った。そしてポケットから白いハンカチを出してきて、裏板の上に広げた。そして革袋の紐を緩め、ハンカチの上でひっくり返してそっと振った。中から黒っぽい粒がこぼれ落ちた。
「あら!」
「まあ!」
詩歌は思わず声を上げた。利津子も明るい驚きの声を出す。千寿は言葉を失っているようだ。エリーゼは右手で帽子を取って胸の前に当て、恭しく頭を下げながら言った。
「淑女の皆様、ホーオージ家のネックレスから失われていた黒真珠の一粒でございます」
確かにそれは黒い光沢を放つ、真珠の一粒だった。よく見ると、ネックレスに通していたとおぼしき小さな穴も開いている。利津子は嬉しそうに拍手をしたが、詩歌はどうしようか迷っていた。千寿は相変わらず固まっている。
「素晴らしいですね! どうしてこの絵に真珠が隠されているとわかったんですか?」
利津子が、まるで我が事のように喜びながら聞く。エリーゼは尊大とも見えるほど勝ち誇った表情になって言った。
「ナポレオンの絵を探していると言いましたよ」
「どうしてナポレオンなんですか?」
「もう一度言いますが、探偵としては常識なのです。ゾーヴィゾー、絵を元に戻して、最初の部屋へ行きましょう。そこで説明いたします」
リビングに戻り、エリーゼがボディーバッグから出してきたのは、あらかじめ作ってあった調査報告書だった。つまり、ここで真珠を見つける前に、結論が書かれていたのだ! 唯一空欄になっているのは、“どこから”見つけ出したか。それがナポレオンに関係ある理由は既に書かれていた。「コナン・ドイルのある作品における真珠の隠し方に従い……」。その「ある作品」は「あえて書かない」となっていた。知りたければエリーゼに聞けということか。
とにかく、報告書を見て詩歌は少し呆れた。事実の前に、推理ありきとは。しかし、彼女が推理したとおりに見つかったのだから、何も文句が言えない……
「では、依頼料の残りをお願いします。3万5千円です」
エリーゼは詩歌に得意満面で言った。
「そういえば、心配して吉野まで来てくださったことについては……」
「あれは善意の行動ですし、警察から表彰されたことで十分です。もっとも、スンシという名目でガス代と食費ももらったのですよ」
詩歌が3万5千円を渡すと、エリーゼは領収書を出してきた。
「ありがとうございました。フジエちゃんを呼んでください。リツコ様、待つ間、もう一度美術室を見せてくださいますか。先ほどは推理に集中していたので、よく見ていなかったのですよ。私もたまには美術鑑賞を楽しみたいのです」
「もちろん、どうぞ。ああ! そうそう、私もエリーゼさんに探偵をお願いしたいことがあるんです」
「なんでも伺いますよ。1件4万円です」
エリーゼは立ち上がりながら言った。
「鳳凰寺家からお預かりした骨董のお皿があるんですけれど、6枚組のうち1枚が割れていて……」
どうやら次の依頼者は利津子になりそうだ。
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