第5章 一粒の発見 (前編)
週末、詩歌がエリーゼに呼び出された先は、鳳凰寺家の六甲山の別荘だった。エリーゼがそこを使いたいと希望したからだが、詩歌には関係のない物件だし、鳳凰寺
私設博物館は、旧・鳳凰寺私設美術館が絵画コレクションを天保山美術館へ寄贈した後に改称したもので、鳳凰寺財団が経営している。鳳凰寺財団は、鳳凰寺家の六つの別荘も管理していた。財団を作ったこと自体が税金対策であるらしいのだが、それが図らずも役に立ったというところだ。
不二恵の運転する車で詩歌と千寿が別荘に到着すると、既にエリーゼが玄関の前で待っていた。バイクで来たはずだが、さすがに寒いのか、黒と緑の派手なウインドブレーカーを着ている。そこに中折れ帽を被っているが、残念ながら似合っていない。横には見知らぬ女性が一人立っていた。見たところ30代前半。長い髪の、上品な顔立ちで、すらりと背が高い。
「砂辺利津子と申します」
「この別荘を管理してらっしゃる方ですよ。普段はここではなく、この下のミカゲに住んでおられます」
女性の自己紹介に続いて、エリーゼが補足した。それを言うのになぜそんな得意そうなのかと聞きたくなるような笑顔だ。砂辺家は鳳凰寺家の親戚筋で、利津子の父方の祖父と平蔵が従兄弟であるらしい。平蔵の事業拡大に貢献したので、今は財団の嘱託をしているとのこと。
「では、フジコちゃんは後で迎えに来てください」
「フジコやなくて不二恵です。でもここ、臨海署から1時間もかかるんですよ。めんどいから別荘の中で待たせてもらわれへん? 話とか絶対聞かへんって約束するし」
「聞こうと思わなくても、何かのはずみで聞こえてしまうかもしれないではないですか。署に戻るのが大変なら、有馬温泉で休憩してきてはどうですか」
「わあ、そうや、ここって有馬温泉に近いんやった。うーん、そうしようかなー」
本当にそうするかはわからないが、不二恵が車で行ってしまってから、4人は別荘に入った。詩歌が軟禁された吉野の別荘もそうだったが、ペンションか旅館でも経営できそうなほど部屋がたくさんある。1階のリビングは広くて内装も豪華で、ホテルのロビーのようだ。掃除も行き届いている。財団の所有物とはいえ、鳳凰寺家は既に吉平一人しかいないのに、どうしてこんな物件を遊ばせておくのかと、詩歌は要らぬ心配をしてしまった。
お茶を用意してきた利津子がソファーに座ると、エリーゼがすっくと立ち上がって、背筋を伸ばした。ウインドブレーカーを脱いで、いつものスリーピースだ。そして自信たっぷりの笑顔で言う。
「では、さっそく始めることにいたしましょう。皆様、先ほど互いに自己紹介を済まされましたが、私の分がまだでした。改めて、自己紹介させていただきます」
詩歌は、またあれをやるのかと思った。隣に座った千寿が「は?」と言うのが聞こえた。向かいの席の利津子は穏やかな笑顔でエリーゼのすることを見守っている。
「湾岸探偵事務所の所長で探偵のエリーゼ・ミュラーでございます! これ、探偵業届出証明書! 写しですけど!」
そう言って、内ポケットから取り出した紙を見せつけた。事務所の壁に架かっている証明書を写真に撮ってプリントアウトしたのだろう。次にノートをボディーバッグから取り出す。
「従業員名簿! 従業員は私一人ですけど! 身分証明書! マイナンバーカードです! 運転免許証も持ってますよ、国際免許ですけど!」
次々に内ポケットから取り出しては見せ、最後に得々とした笑顔で千寿と利津子に名刺を差し出しながら言った。
「ご安心ください、警察から表彰されたこともあります」
たぶん、吉野の件を通報したことを言っているのだろう。大阪府警ではなく、奈良県警に表彰されたというのを、詩歌は不二恵から聞いた。さっき、ここへ来る車の中で。
大仰な挨拶を聞いた千寿は完全に引いていたが、利津子は全く動じず、受け取った名刺を嬉々としながら見ている。
「ご丁寧なご挨拶をありがとうございます。財団経由で探偵さんからお電話を受けた時にはとても驚きました。ご依頼いただいた別荘の見取り図を持って来ましたが、すぐにお見せした方がよろしいですか?」
「いえ、それは後で結構です。さて、この別荘にお集まりいただいたのは、ウサミ・シーカ様が受け取られた宅配便の謎を解明するためでございます。ナイン、正確に言い直しましょう。1年前の天保山美術館の館長宛に送られた、黒真珠のハルスケッテ、ネックレスの謎を解明するためです」
そうなのだが、それを利津子にまで聞かせる理由が、詩歌にはわからなかった。あるいは彼女は、財団側の代表者なのだろうか。それとも、送り主と関係があるのか……
「宅配便は受け取られてから1年間放置されていましたので、当時の館長に代わってシーカ様が中身を確認され、美術館にふさわしくない贈り物であること、そして送り主に全く心当たりがないことから、私に送り主を調べるよう依頼されました。調査結果についてはシーカ様がおられない間に、代理人としてチズ様へ報告したのですが、全く事情をご存じない利津子様もおられることですし、改めて説明いたしましょう」
エリーゼは送り主の名前と住所を調べたところから、鳳凰寺家のネックレスを盗んで逃げた人物がいると気付き、それが鳳凰寺
「さて、送り主であるヤスヘイ様の意図が、ネックレスを鳳凰寺家へ返すということであると考えられましたので、ヤスヘイ様を探す必要はないと私は判断しました。ヤスヘイ様はネックレスが不完全なものであったことから、返すと決意をされたのでしょう。盗んだ理由もわかっていませんけれど、そこまでは調べる必要もないと思いました」
「あら、盗んだ事情なら、私は存じていますけれど」
利津子の意外な発言に、エリーゼが珍しく驚いた表情をした。対して利津子は落ち着き払っていて、さっきからエリーゼの芝居がかったパフォーマンスを楽しんでいるように見えた。
「ユバーラッシェント! 驚きました。どうしてご存じなのでしょう。ヤスヘイ様の居場所もご存じなのですか?」
「いいえ。でも、鳳凰寺の親戚はみんなその話を知っているんです。財団へお問い合わせになればわかったと思いますけど」
「残念ながら、私は警察ではありませんので、お話しいただけなかったのだと思います。どういうお話か聞いてもよろしいですか?」
「ネックレスは元々、
「フェルシュテーエン。そうすると、ヌイ様はカケオチの相談をカズヘイ様からされて困ってしまい、ヤスヘイ様と相談した。するとヤスヘイ様は、先手を打ってカケオチしようと誘ったのですね」
「そうです、そうです! 駆け落ちしたら財産は継げませんから、当面の生活費にするために、ネックレスを盗んだんです。でもそれはとても有名な品でしたから、国内の全ての業者は知っていて、売ることができなくて」
「しかもそれは不完全なものだったのですよ。売れたとしても三十万円くらいにしかならないのです」
「あら、それは知りませんでした。でもとにかく、駆け落ちした後も、二人で力を合わせて何とか生活できたのでしょうね。赤穂に住んでいたとは知りませんでしたが」
「アコーにいるかどうかはわかりませんよ。しかし、もはやそれは調べなくてもよいことですから」
「確かにそうですね」
「リツコ様、とても興味深いお話をありがとうございました。さて、ネックレスのもう一つの謎を解明することにしましょう。申し上げたとおり、それは不完全な品でした。それについて、シーカ様はご存じです。ネックレスをアキラ様に鑑定していただき、リューキュー真珠であるとわかりましたが、同時に真珠が一つ足りないことがわかったのです」
「アキラ様ってどなたですか?」
いいタイミングで利津子からの質問が入った。エリーゼは少し怪しいイントネーションながらも淀みなく日本語をしゃべるのだが、その微妙な息継ぎの合間に利津子が割り込むのだ。しかしエリーゼは、いいことを聞いてくれた、と言いたげなしたり顔で答えた。
「渡利鑑識事務所の所長、渡利アキラ様のことです。真珠や宝石に限らず、あらゆるものを鑑識することができて、アキラ様一人で警察のカソーケンに匹敵するとされる方です。アキラ様にできないのは
「まあ、素晴らしい能力をお持ちの方なのですね。割り込んで失礼しました。どうぞお続けになってください」
「ありがとうございます。アキラ様のことをお褒めいただくのは、私にとっても実に喜ばしいことです。さて、アキラ様はネックレスだけでなく、そのカステンの異常についてもお気付きになりました。分解してみてはどうかとおっしゃったのです。シーカ様、ご説明くださいますか」
「ええ、ネックレスケースをバラしたら、中に紙が入っていて……」
カステンがドイツ語なのはもはや説明する必要がないと詩歌は考え、そこに入っていた紙と、書かれていた内容を言った。『盗難予防として
「ありがとうございます。そして外されていた真珠は、真ん中から右へ四つ目のものとアキラ様はおっしゃいました。私はそれが隠し場所のヒントになると考えたのです」
「それも赤穂義士に関係があるのですか?」
利津子がまたタイミングよく聞いた。
「おや、どうしてそう思われましたか?」
「真珠は本来47個あったのですよね? そして、一つ外れていたのは逃げ出した寺坂吉右衛門と関係しているのではないですか?」
「素晴らしい想像力です。ヤスヘイ様も同じように考えて、アコーで真珠を探されたのかもしれませんね」
「あら、では違ったんですか」
利津子ががっかりした表情を見せる。
「いいえ、私もそれを可能性の一つとして考えたのですよ。でも、ホーオージ家とアコーギシがどうしても結びつかないので、別のことを考えたのです。しかし、47という数字は大事なのです。この数字から何か他に想像することは」
エリーゼはまた例の得意気な笑みを浮かべながら、詩歌、千寿、利津子の顔を順々に見た。謎解きを人に聞かせるのが楽しくてたまらないという表情だ。
(続く)
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