第4章 探偵の意見 (後編)

「ナラ県にはないのですね」

 エリーゼが笑みを浮かべながら呟く。確かに近畿一円に広がっているのに、奈良県には別荘がない。

「そうやけど、生駒山は大阪と奈良の県境やからな」

「でも、別荘があるのは大阪側なのでしょう?」

「そう」

 所在地は大阪府東大阪市上石切町。「石切さん」として親しまれている石切つるぎ神社の奥の院(かみしゃ)がある。別荘は山の上だが、稜線よりも大阪方にあるので、大阪の景色は見えるが、奈良は見えないはず。

「なぜナラ県にはないのですかね」

「知らんがな」

「あるはずだと思うのですよ」

「そうは言うても、ないもんはないんや」

 しかしエリーゼはしつこく食い下がった。

「どこも有名なところではないですか。六甲山に比叡山、白浜に鳥羽。宮津というのは確か、天橋立があるところでしょう? 山か海の、景色のいいところばかりです。そうするとナラ県の、例えば吉野山にあるべきだと思うのですよ。桜で有名ですからね」

「なんでそこまでこだわるんや」

「チズ様にお願いがあります。ホーオージ家の資料に、別荘のことが載っているか、探していただけますか?」

「別荘ですか。そういえば伝記か何かに、どこかの別荘の写真が載ってたような……」

 千寿がまた伝記をめくる。しばらく探して「ありました」と言い、地図の描かれているページを開いた。エリーゼが嬉しそうに覗き込み、門木の描いた略地図と見比べる。

「ほら、奈良にもあります。これはどうなったのでしょう?」

 確かに奈良の吉野にも別荘があることになっていた。ご丁寧に、写真まで載っている。モノクロだったが、別荘というよりは屋敷か旅館のように大きな建物だ。

「しかし警察の調べでは、そこに別荘はないで。いつかはわからんけど、誰かに売ったんとちゃうか」

「相続の時に、そういうのはよくありますね。しかし、鳳凰寺家でない人のものになる可能性が、もう一つあるでしょう」

「何ですか?」

 千寿が聞いたが、門木にはエリーゼの言いたいことがわかってきた。エリーゼが家系図の方を指し示す。

「この人は結婚して鳳凰寺家の人ではなくなったのですよね。しかし、結婚のお祝いに別荘を与えるということがあるかもしれませんよね」

「うわー、そんなん、めっちゃ羨ましいわー」

 こういうとき不二恵は敏感に反応する。それはともかく、エリーゼが指したのは、門木が思ったとおり“和乃”の名前。今は羽仁和乃ということになるだろうか。

「あるかもしれませんね」

「この別荘の場所はわかりますか?」

「それは私の方ではどうにもならないですけど」

「わかったらどうするんや?」

 警察で調べればわからないこともない。ただ、何の根拠もなく調べることはできないし、それをエリーゼに無条件で教えることもできない。

「そこにシーカ様がいらっしゃるかもしれませんよね」

「その根拠は?」

「ホーオージ家のハルスケッテのことを知っている可能性があるのは、ヨシヘイ様と、ヤスヘイ様と、この……」

 エリーゼが困った顔をして千寿の顔を見る。“和乃”が読めなかったようだ。

かずさんです」

「ダンケ・シェーン。カズノ様と、その夫に当たる人ですね。何と読むのです?」

羽仁はにひろしさんでしょうか」

「ダンケ・シェーン・ノッホマル。4人のうち、ヤスヘイ様は30年前に失踪、ヨシヘイ様は現在行方不明ですから、カズノ様かハニ・ヒロシ様がハルスケッテのことを知ろうとして、シーカ様を呼び出したのかもしれませんよね」

「別荘はどう関係するんや?」

 門木が聞くと、エリーゼは門木を小馬鹿にするように目を細めた。

「人を閉じ込めるには、別荘の方が都合がいいではないですか。自宅だと近所の人にすぐ知られてしまいます」

「羽仁博または和乃は、宇佐美館長と連絡が取れるんか?」

「あ」

 エリーゼに言ったのに、千寿が何か思い当たったらしい。執務デスクに置いてあった紙を取って、その上に指を滑らす。その紙は、昨日と今日の職員の出欠予定をプリントアウトしたものだ。

「これ……この、羽仁琴絵さんって、もしかして博さんと和乃さんの娘とか?」

 門木が見ると、住所は奈良県奈良市になっていた。奈良から大阪へ通うのは、それほど遠くない。近鉄線と地下鉄で1時間くらいだろう。そして昨日、今日と休みを取っている。

「その人は何の仕事を?」

「キュレーターです。半年くらい前に入ってきた人です。私は経歴をよく知らないんですけど、詩歌さんが誰かから推薦されたとか……」

「鳳凰寺家の係累やったら、推薦されることもあるかもしれんわな。その人に連絡は取った?」

 門木は不二恵の顔を見た。不二恵は、なんで私に聞くんですか、という表情をしていたが、関係者の聞き取りを任されていたのをようやく思い出したらしく、メモ帳を繰り始めた。憶えとけっちゅうねん、と門木は言いそうになった。また腹が減ってきたんとちゃうか。

「えーと、自宅に電話したんですけど、お手伝いさんが出て、ご主人と奥さんはヨーロッパへ7泊8日で旅行中ってうてはりました。ご主人はお医者さんでお金持ちらしいです」

「いや、それは羽仁博と和乃のことやろがな。琴絵は?」

「お嬢さんはお友達と一泊旅行へ行ったらしいです。場所とか連絡先とか携帯電話の番号は教えてもらえませんでした」

「別荘の住所」

「まだ聞いてませんよ」

「そやから、すぐに聞いて」

 余計なことをエリーゼたちに聞かせないよう、不二恵には廊下に出て電話するように言った。

「しかし、羽仁琴絵がなんでネックレスのことを知ってるんや?」

「お母上のカズノ様から聞いていたのでしょう。元々、鳳凰寺家の物なので、取り返すか、横取りしようとしたのですよ」

「違うがな。宇佐美館長がネックレスを持ってることを、羽仁琴絵がなんで知ってるんや?」

「コトエ様がここに勤めているからですよ。それがわかったのは、さっきそれを聞いたからですけれど」

「でも、彼女にはネックレスのことは言ってないですよ」

 千寿が反論した。不安そうな顔をしているが、詩歌が行方不明になった責任の一端が、自分にあるような気がしてきたからだろう。

「でも1年前の宅配便のことを、美術館の人たちに聞いて回ったのでしょう?」

「はい、でも彼女には聞いてないです。半年前に入った人ですから」

「何と言って聞いて回りましたか?」

「え? えーと、1年前にネックレスが入った宅配便が送られてきたけど、心当たりはないですかって……聞いたのは、1年前にいた人だけです」

「そうだろうと思いました。しかしそれは美術館の中で密かに噂になったのではありませんか? 持ち主のわからない貴重品のことは、噂になりやすいものです。そうするとコトエ様も噂として聞いたかもしれないですよね」

「あ」

「しかし、羽仁琴絵がネックレスの受取人に心当たりがあって、それを館長に言うたんやったら、館長はお前のところへ電話して、依頼のキャンセルか中止を言うやろ」

 門木がそう言った時に、電話を終えた不二恵が戻ってきたが、「ちょっと待て」と言っておいて、エリーゼに返事を促す。

「シーカ様がそうしなかったということは、別の理由で呼び出されたのですよ」

「何かあるんか」

「例えば、まだ知られていないホーオージ・コレクツィオンを見せるとか」

「なんで羽仁琴絵がそんな物を持ってるんや」

「カズノ様が別荘を与えられたときに、ホーオージ・コレクツィオンの一部も一緒に与えられた、ということにしてはどうですかね」

 さすがにエリーゼは警察でないだけあって、大胆な仮説を立てる。ただ、何の証拠もない。明日、羽仁琴絵は出勤予定になっている。そのときになってから聞いてもいいかもしれないが……

「別荘の住所は?」

 ひとまず、それを不二恵に確認する。

「えーと、奈良県吉野郡吉野町吉野山……」

 番地まで詳しく言ってしまってから、不二恵が「あれっ?」と呟く。

「これって個人情報やのに、エリちゃんたちに教えてしまってええんでしたっけ?」

 余計なことに気付きよるなあ、と門木は思った。うっかり口を滑らしたことにしておけば、探偵が勝手に調べに行くだろうと考えていたのに。電話で住所を聞くのに、やけに時間がかかってたから、廊下でおやつを食べていたのだろう。それで頭に栄養が回ったか。どうせなら番地を言う前に気付けよ。

「残念ながら住所がわかっても、何か証拠がない限り家宅捜索はでけへん」

「そらそうですよねえ。それにうちら、大阪の警察ですし」

 教えてもよかったかという疑問は、早くも不二恵の頭から消えたらしい。

「ただし、善意の一般市民が別荘を訪問したときに、何か不審な人物を見かけたとか、音を聞いたとか、そういうことがあれば、所轄の警察署へ通報したらありがたいわな」

「善意の一般市民の身の安全も保証していただきたいですよ」

 エリーゼが冷めた笑顔で門木を見ながら呟く。どうやら自分の役回りは理解したようだ。

「チズ様、12月の吉野というのはどれくらい寒いのですか」

「え? いえ、私は行ったことないから、よく知らないですけど……」

「雪は降りますか」

「さあ……」

「吉野に雪が降るのは、いつもなら2月頃。今から行くと日が暮れるから、気温は0度くらいかな」

「さすがにジュンサブチョーさんは何でもご存じですね。ところで、伺いたいことがもう一つあります。誰に伺っていいのかもよくわからないですが」

「そしたら独り言やな」

「そうしたくはないのですが、言いましょう。この件の調査費用は、どなたが払ってくださるのです?」

 エリーゼは千寿、門木、不二恵の顔を順々に見ながら言った。笑顔だが、いつもの自信ありげではなく、ある種の諦観を漂わせている。

「さあな。善意やから、無料かな。あるいは、宅配便の件の調査結果を依頼者へ報告するために、自主的に依頼人を捜し回ってたら、たまたま……」

「結果報告は私の事務所へ来ていただくか、依頼人の指定の場所でという決まりがあるのですよ。しかし、今回はしかたありませんね。"Werヴェア Aアー sagtザクト, mussムス auchアウフ Bベー sagenザーゲン"。せめて、これと同じ意味の日本語の諺を教えてください」

「意味は?」

アーと言う者はベーとも言わなければならない。英語は知っているのですよ。"Inイン forフォー a pennyペニー, inイン forフォー a poundパウンド"です」

「わからんなあ」

「あ、はーい、知ってます」

 不二恵が嬉しそうに手を挙げている。まさかと門木は思った。

「言うてみ」

「『乗りかかった船』です。洋楽の歌詞にあるんです。やると決めたら最後までー、って訳した人もいましたけど」

「素晴らしい。まさにそういう意味ですよ。ありがとうございます、フジコちゃん」

「フジコやなくて不二恵です」

 おやつの効果おそるべし、といったところか。


 夜になり、エリーゼから臨海署へ「別荘に車が停まっていました」という報告があった。それは吉平の車だったが、詩歌がそこにいるという確証がなかったため、警察は踏み込めなかった。

 翌日になって美術館へ出勤してきた羽仁琴絵に、門木が昨日と一昨日の行動を聞くと、詩歌を別荘へ連れて行ったことをあっさり白状した。連れ出すのに使った口実はエリーゼが想像したとおり「羽仁家に委譲された鳳凰寺コレクションを見せる」。翌朝には美術館へ送り返すと言っていたが、そのまま別荘に軟禁してしまった。

 琴絵は黒真珠のネックレスが美術館へ送られてきたこと、宛先が前館長であったことから、それが鳳凰寺保平の持ち逃げしたものであると推測し、横取りしようとしたのだった。

 吉平を前日から別荘へ呼んで相談し、連れて来た詩歌を見張らせ、その間に館長室へ忍び込んで盗み出そうとした。もちろん、吉平にネックレスのことは言わなかった。吉平は詩歌さえいれば満足するからだ。警察がネックレスの存在に気付くことはないと思っていたため、何食わぬ顔で出勤し、詩歌から奪った鍵で執務デスクを開ければ簡単に……と琴絵は考えていたらしい。

 結局、エリーゼの推理は、吉平が共犯であること以外、大筋で正しかったのだった。

 僅か2日の監禁だったため、詩歌は救出されたその日を警察病院で休んだだけで、次の日には美術館へ出勤した。エリーゼからの報告は、その週末に聞くことになった。


(続く)

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