第3章 館長不在 (後編)

 美術館を出るときに、門木はエリーゼへ電話をかけた。「美術館の宇佐美館長のことで話がある」と言うと「ニンイドーコーは拒否します」。

「考えとくて言うたんちゃうんかいな」

「考えた結果ですよ」

 事情聴取のために事務所へ行っても、基本は拒否される。ドアチェーンを外そうとしないのだ。女性刑事なら入れるのだが……

 しかたがないので、他のことを調べる。まず、すぐ近くの地下鉄の駅へ。昨夜の乗車記録があるか聞いてみる。普通なら令状が必要なのだが、詩歌の場合、ストーカー被害に遭っていて、近隣の施設の協力を得られることになっている。交通ICカードの番号がわかっているので検索してもらったが、昨夜の分はなし。

 次に改札前カメラの録画映像。7時半から8時の間に、詩歌の姿はなかった。やはり美術館前から車に乗ったのではないか。

 他の防犯カメラについては、まだその段階ではないと門木は考え、いったん署へ戻った。ストーカーである鳳凰寺吉平よしへいを調べなければならない。大阪市内の、住居に近い交番へ電話をかけ、在宅状況を確かめてもらう。ちなみに、そちらの方にも協力体制が敷かれている。

「いてません」

 数分後に電話がかかってきて、巡査が言った。

「いてない? いつから?」

「一昨日の夕方からです。向かいの住人が憶えてました」

 もちろん、それも協力体制の結果だ。

「昨日は一日不在?」

「はい、そうみたいです」

 怪しいが、行動が一日ずれている。丸一日、詩歌を見張ってから呼び出した、というわけではあるまい。そもそも、呼び出しに応じるはずがない。

「どこへ行ったかはわからん?」

「さすがにそれは」

「出掛けたときの荷物の量とか」

「それもわかりません」

 しかし、出掛けたということがわかっただけでも聞いた意味はある。礼を言って電話を切り、次はどうするか。行き先の宛てがあるにはあるのだが、その前に……

 門木は刑事課へ電話をかけ、同僚の女性刑事を呼び出した。

「おう、モンちゃんか。どうした、珍しいな」

 電話口に出た女性刑事は快活な声で言った。相変わらず粗野な話し方だ。

「ある件で、探偵に任意同行ニンドウかけたんやけど、断られたんや。何かええやり方ないかな」

「エリに? それはもちろん断るだろう。代わりに私に行けとでも?」

「そうは言わへんのやけど」

「私より田名瀬に行かせるのがいいんじゃないのか。いないのか?」

「いや、もうすぐ帰ってくる。やっぱりそうか。おおきに」

「そんなすぐに切るなよ。この前の借りはいつ返せばいい?」

「……貸したままにしとく」

 門木は電話を切った。他に頼める女性刑事がいないのでは、言われたとおり不二恵を待つしかないか。しかし、昼までは帰って来ないだろう。

 その間に、ストーカーが行く宛てについて調べることにする。鳳凰寺家は近畿2府4県に六つの別荘を所有している。泊まりがけで行くのなら、その中のどこかにいると思われる。六つの所轄に電話をかけ、在宅状況の確認を依頼する。しかし、1時間以内に集まった結果は全て「不在」だった。別荘の管理人に問い合わせ、刑事あるいは交番巡査が現場に行って実見もしたらしいから、間違いないだろう。

 そうなるともう後は、Nシステムに吉平の車のナンバープレートの番号を入力して、行き先を追跡するくらいしかないのだが、たぶんそれは認められない。何しろ詩歌はで外出したのだから、吉平の行動に不審な点が見られない限り、Nシステムの利用許可が下りないと思われる。

 門木は諦めて、不二恵が帰ってくるまで待つことにした。1時過ぎになって、ようやく帰ってきた。機嫌が悪い……というよりは、元気がない。腹が減って力が出ないのだろう。

「田名瀬、探偵の任意同行ニンドウの件やけど」

「お昼ごはん食べた後にしてくださいよー」

 不二恵がこの世の終わりのような情けない声を出す。たかが昼食くらいでそれか、と門木は呆れた。常に食べ物が必要やったら、ポケットにピーナッツチョコバーでも入れとけ。

「食べてええから、その前に館長の護衛記録だけ見せて」

「うい」

 署のサーバー上の電子ファイルに記録することになっているのだが、さっき覗いたときには先週以降の記録がなかった。不二恵が手帳に記載している分の転記をサボっているのに違いない。不二恵は机の抽斗から弁当箱を取り出した後で、手帳を門木に差し出してきた。手帳を渡すのを先にせえよ、と言いそうになる。たかが数秒の違いでしかないが。

 しかし中のメモを見た途端、門木はまた椅子に座ったまま飛び上がりそうになった。

「渡利鑑識へ行ったん!?」

 不二恵は弁当をがっついている最中なので、無言でコクコクと頷く。早く食べないと誰かに取られるとでもいうような勢いだ。

「あそこへ……何をしに行ったかは、わからへんのやな」

 また不二恵が頷く。門木は不二恵に、渡利鑑識へ行くなと言いつけているので、それを忠実に守りました、と言いたいくらいだろう。

「そもそも、探偵とか鑑識とかへ行ったときに、何か気付いたことはないんか?」

 食べながら不二恵が首を捻る。しかし、おそらくは食べることに集中しているだろうから、首を捻っているのは単なるポーズだろう。「考えてますけど?」というときの。しかたなく、門木は不二恵が食べ終わるまで待つことにした。弁当箱が空になっても、その後デザートが抽斗から出てくることはわかっているが。

 15分が経過して、ようやく不二恵の昼食+デザートが終わった(ただし食後の飲み物を楽しんでいる途中)。普段なら30分ほどかけて、スマートフォンをいじったり雑誌を読んだりしながらなので、半分の時間で終わったわけだ。飢えというのは恐ろしい。ただし、最初の勢いだと10分で食べ終わったと思われるのに、5分余計にかかったのは、途中で満腹中枢の一部が機能して、スピードが落ちたからだろう。

 門木は改めて「気付いたこと」を訊く。

「うーん、何かあったかなー」

 さっきは空腹のためだったが、今度は満腹して思考力を失ったらしい。

「鑑識へ行ったんやったら、なんか持ってたんちゃうの」

「あ、そや、ちっさい段ボール箱持ってました。宅配便のマーク付いてたかな。その中でも一番小さい箱ですよ。あの、やつ」

 宅配便の箱にはおおよその規格があって、縦横高さの長さを合計した数字で呼ばれる。「こんなくらいの」と不二恵が手で示した大きさだと、「60サイズ」と呼ばれるもののようだ。例えば25センチ×20センチ×15センチ。もちろん、各社でその長さに数センチの揺れはある。

「そんなに小さいということは、絵やないんやな」

「そうでしょうね。それに、館長さんやったら絵の鑑定くらいは自分でできるんちゃいます? わざわざ鑑識へ行かんでも」

 不二恵にしては的確な指摘だ。そして、ジュースを飲み終わったと思ったらもう一つ思い出した。

「エリちゃんのとこからの帰りには、その段ボール箱を持ってはりませんでした」

「ほんまか。とすると、置いてきたということか」

「忘れ物ないですかって聞いたときに、一瞬、手を見はったんですわ。それが、持って帰る物っていうふうに見えたんです」

 またしても不二恵にしては的確な記憶。頭に栄養が回ってきたのか。

「つまり、探偵はその送り主を調べるんやな」

「そうでしょうね。茶石さんにも聞いたらええんとちゃいますか」

「聞いといて。それから、探偵のところへ行ってほしいんやけど」

「え、なんでですか。門木さんが任意同行ニンドウかけたんちゃいますん」

「拒否された。でも、お前やったらOKするかもしれへん」

「来てくれるかなあ。エリちゃんも困ったって言うてたから、情報交換しよって持ちかけた方がええんちゃいます?」

 さっきから不二恵はやけに的確なことを言ってくる。しかし、情報交換については門木も考えないではなかった。エリーゼが何を調べているかは不明だが、彼女だけでは調べきれないこともあるだろう。時間をかければ調べきるに違いないが、それを既に警察が知っていれば教えてやれる。

 そして門木のによれば、エリーゼが調べていることと、詩歌の失踪には、何かつながりがあるのだ。例えば、詩歌がそれを調べることを思い立ったから、誰かがそれを察知し、詩歌を呼び出したというような……

「それやったら、警察でもあいつの事務所でも場所が良うないな。美術館がええか。茶石さんが同席したら、エリーゼもしゃべりよるやろ。茶石さんも何か知ってそうやし」

「そんな感じしますね」

「セッティングして。なるべく早く」

「うい」

 自分の意見がことごとくれられたせいか、不二恵は機嫌よく電話をかけ始めた。そして3時に美術館で待ち合わせすることになった。

「今度はおやつ持って行かな、倒れてしまうわ」

 そんなところまで頭が回るようになったらしい。


 3時に門木と不二恵が美術館へ行くと、エリーゼが既に通用口の前で待っていた。職員専用駐輪場の中に、彼女の大型バイクが停まっていた。ヘルメットを脱いで小脇に抱えていたが、中折れ帽を被っている。わざわざ持って来て被ったということか。

「グーテンターク、お二人様。警察でなく、こういう中立地帯なら会おうと私も思っていたのですよ」

「中立地帯やからって、一般市民と同じとちゃうで。あくまでも探偵として話を聞くからな」

「私は悪魔ではありませんが」

「違うがな、あくまでもっちゅうのはやな……」

 しかし、適切な言い換え語が思い付かない。「とにかく、一般市民やなくて、探偵として扱う」と言い直す。

「依頼者の許可が得られれば話すのですがね。でもシーカ様はおられないのでしょう?」

「代理人がいてれば問題ないんやろ。委任状はないけど、紹介者で、依頼の裏事情も知ってるんや。詳しいことは中で話す」

「フェルシュテーエン、了解です」

 千寿に頼んで中へ入れてもらい、館長室へ行く。椅子が一つ足りないので、千寿が事務用のキャスター付き椅子を運び入れていた。それに千寿自身が座り、門木と不二恵がソファーにかける。そしてエリーゼが館長用の椅子にふんぞり返り、長い脚を組んだ。スリーピース姿であることとあいって、まるでアメリカ映画の探偵のようだ。


(続く)

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