第3章 館長不在 (前編)

 火曜日。かどは朝から天保山美術館に来ていた。観覧のためではない。この美術館はまだ開業もしていない。館長の宇佐美詩歌を探すためだ。さて、どうやって探そうか。

 まず、事情聴取だ。警察に連絡してきたのは、館長の姪でキュレーターの茶石千寿。朝8時半、出勤してきたら、ここにはずの詩歌がいなかった、スマートフォンにかけても出ない、と通報してきた。出掛ける、という連絡はもらわなかったらしい。

「私ももらってません。というか昨日は私、非番なんで、バンちゃんが代わりでしたし」

 横にいる田名瀬不二恵がけろりとした顔で言う。保護対象者が行方不明になって、責任も感じへんのか。

 いや、正確には保護対象者ではない。単なる身辺警護だった。保護対象なら、警察署や病院などの入出監視が可能な施設に収容しなければならない。詩歌にはストーカーがいて、その接近から守る必要はあったが、生命が脅かされるような状態ではなかったはず。だから美術館から出るときに付き添い、必要なら覆面パトカーで送迎をすることになっていただけ。

 ただ、それも詩歌が警察に要請する必要があった。要請がなければ刑事は何もしない。刑事がいないときに何があっても、警察の非にはならない。ならないのだが……

「板東も知らんのは間違いないんやな」

「はい、確認済みです」

 板東ふみは門木らと同じ生活安全課の女性刑事。自称臨海署のヒロイン。それはどうでもいい。署の女性らは普段、下の名前で呼び合うことが多いが、彼女だけは自ら「バンちゃん」と呼ぶよう、皆に言っている。本当にどうでもいい話だ。

「とりあえず、事情徴収」

「うい」

 茶石千寿とともに3人で館長室に入る。8畳くらいしかない。白壁に、ダークグレーのカーペット。そこに執務デスクと、応接セット。デスク背面の書類棚は空きが多い。窓際の低い棚の上に、小さな鉢植えと如雨露じょうろ。応接セットの横に観葉植物。美術館だが、絵の一枚も掛かっていない。ここに飾るくらいなら館内に、ということだろう。隅に布製の簡易クローゼットが置いてあるが、そこに詩歌の着替えが入っているのに違いない。

 応接セットのソファーは、二人掛けのものが二つ向かい合っているが、そのうち一方が肘掛けを下げるなどして簡易ベッドの状態にしてある。つまり詩歌は普段ここで寝起きしているわけだ。シーツとブランケットが畳んで置いてあって、座るのが憚られるので、千寿には執務デスクの回転椅子を持って来てもらい、門木は不二恵と並んでソファー(もちろんベッドになっていない方)に腰掛けた。そして千寿に聞く。

「まず、昨夜の状況から」

「詩歌さん以外で最後に館を出たのは、事務員の飛野さんです。本人に聞きました。7時前……6時50分か、55分くらいだそうです」

「ここは、電子ロックでしたな」

「はい、記録は調べてませんが」

 開業前なので、正面玄関はシャッターが降りていて、出入りできない。従業員は裏の通用口を使うが、そこに電子ロックが付いていて、「入」も「出」も壁の端末にIDカードをかざすことが必要だ。最終入出館者は、その記録を見ればわかるはず。

 貴重品がたくさんあるのに警備員がいないのは、まだ絵を展示していないため。全てバックヤードに置いてあり、その出入り口にも電子ロックがかかっている。つまり、二重に守られているわけだ。開業が近付いて、館内に絵を展示するようになったら、警備員を置く予定になっていた。展示室はロックがかけられないからだ。もっとも、その時にはセンサーによる警備装置が働くようになるはず。

 警備装置は今のところ一部だけが稼働していて、通用口と、バックヤードへの出入り口の防犯カメラが動いている。映像が記録されているが、それを見るには警備会社に依頼しなければならない。間もなく警備員か作業員が派遣されてくる。

「昨日の夜に来客の予定は」

「ないはずです。従業員以外に来るのは工事業者だけですし、それも5時過ぎ……6時前にはみんな帰ってしまいます」

「館長さんは、昨夜出掛ける予定は」

「ないと思います」

「館長さんの予定って、誰が管理してるんでっか?」

「詩歌さん自身で」

「予定表はメモ帳? それとも電子?」

 最近はスマートフォンでスケジュール管理ができて、オフィスに置かれたPCと連動することもできるから、PCを見れば予定がわかるかもしれない。執務デスクにノートPCが置いてある。

「スマホで管理してたと思いますけど、そもそも予定自体が少ないですから。来客は1ヶ月に一人あるかないか、外出の時は警察そちらに連絡してるはずです」

「私、全部記録取ってますよ。でも、週に1回か2回ですね。ゼロの時もありましたけど。買い物で気晴らししないんですかって聞いたら、そんな趣味ないってってはりましたし」

 不二恵が呆れたような感心したような声で言った。買い物に行かないなんて信じられないとでも言うつもりか。

 ちなみに、シャワーは警備員室に簡易のものがあり、洗濯はバックヤードの片隅に洗濯機があるので、食事以外の生活は何とかこなせるようだ。

「最近出掛けたのはいつ、どこ?」

「えーっと」

 なぜか不二恵が言い淀む。まさか、記録を忘れたわけではあるまい。

「わからへんのかいな」

っていいんですかね」

 なぜか不二恵が千寿に聞く。千寿は「いいと思いますけど……」と言うが、こちらも何となく歯切れが悪い。

「言わな。いつ、どこ?」

「土曜日に、エリちゃんとこです」

「エリ……え、探偵!?」

 門木は座ったまま飛び上がりそうになった。

「はい」

 答えた後で不二恵は「私、知りませーん」という顔になった。別に、責任取れなんて言わんわい、と門木は思った。しかしまさか、探偵がこの美術館に関与しているとは。

「何の用で?」

「向こうの業務上の秘密やから、聞いてません」

 不二恵が澄ました顔で言うので、門木は千寿の顔を見た。別に睨んだつもりはないが、千寿は少し怯えた表情になった。

「何か、知ってまっか? 行方不明に関係があるようやったら、ぜひ話してほしいんやけど」

「関係なさそうな気がしますけど……」

 言い方がまずかった、と門木は悔やんだ。ほんまは関係なくても話してほしい。別に、そう訊き直してもいいのだが。また不二恵の方に顔を戻す。

「まさか、昨夜も探偵のところへ行ったんやないやろな」

「さあ、ちゃうと思いますけどねえ」

「とりあえず、聞いて」

「館長さんに何かあったんですかって聞かれたら、何て答えます?」

 それくらい、自分で考えろよ。

「ええよ、正直に、行方不明やて言え。あいつやったら、他に漏らすことないやろ。何か知ってそうやったら、任意同行ニンドウかける」

「きっと、『どうぞ』って言われるやろうなあ」

 ぶつくさと言いながら不二恵はスマートフォンで発信した。「もしもーし、不二恵です。エリちゃん、元気ぃー?」から始まって、最初の挨拶が長い。門木はちらりと千寿を見たが、呆れたような顔をしていた。失敗した、と門木は思った。部屋の外でかけてこいと言うべきやった。警察と探偵がツーツーやと思われたら困る。

 ともあれ、不二恵の会話の様子から、詩歌が昨夜エリーゼのところへ行ってないことはわかった。任意同行の話も出たが、その後で不二恵が意外なことを言い出した。

「エリちゃんも館長さんへ報告したいことがあるのに、電話に出てくれへんで困ってるらしいです」

 そんなもん知るかい、と門木は言いたくなった。

「後で任意同行ニンドウかけて、この件と関係あるか聞く、て言うといて」

 不二恵はそのままエリーゼに伝えた。

「考えておきます、って」

 大阪の商人の「考えときまっさ」は「要りません」「お断りします」の意味だが、エリーゼがその意味で言ったのかはわからない。とにかく、最近接触した人物の一人として事情聴取は必須だろう。

 電話が終わったらちょうど警備会社の作業員が来たので、警備室へ行く。入出記録を調べてもらうと、7時半に詩歌が館を出たことになっていた。防犯カメラの映像も、出て行く姿が記録されていた。

「つまり、自分の意思で出て行ったということやな、迎えも呼ばんと」

「そうですね」

 門木が呟き、不二恵がそれに相槌を打ったが、これは「自由意志での行方不明は警察に非がない」ということをさりげなく主張するためだ。その上で、門木は千寿の方に向き直る。

「予定はなかったと言うてはりましたけど、出て行ったようですな」

「そうですね」

「慌てた様子がなくて、ぴったり7時半に出たところを見ると、急な呼び出しやなくて、予定の行動のように思えるんですなあ。隠してたんですかな。昨日、何か変わった様子はなかった?」

「いえ、特に……」

「最後の人は7時前に出てますけど、これは普段より早い? 遅い?」

「あっ」

 千寿が、何かを思い出した顔をした。鎌掛け成功。

「……そういえば、『今日は早めに帰ったら』って言われた気がします」

「なるほど。他の人にもちょっと聞いてみてくれまへんかな。普段遅くまで残りそうな人だけでええから」

 聞いてきます、と言い残して千寿は警備室を出て行った。7時半に予定があるから、7時前に皆を追い出しにかかったのではないか、と門木は予想したのだが、たぶん当たっているだろう。

 千寿がいない間に、作業員と一緒に防犯カメラの映像を見直す。内から外を見るようにカメラが設置されていて、詩歌の出て行く後ろ姿が映っている。ドアはステンレスの枠にガラス入りなので、ガラス越しに外の一部が映っているが、人が待っている様子はなかった。しかし、近くの道路に停めた車で誰かが待っていたのではないか。

「外にカメラは?」

 付いておらず、付ける予定もない、と作業員は返事をした。周辺の道路を探せば、防犯カメラがいくつかあるだろう。その映像を調べることもできるが、で外出した人の行動を追うべきか否か。

「まずは、ストーカーの行動を確認する方からかな」

「呼び出されて出て行ったんやったら、しゃあないですもんねえ」

 不二恵が気の抜けたような声で言った。たぶん、腹が減ってきたのだろう。普段なら朝のおやつの時間だ。

 しばらくして千寿が戻ってきて、詩歌が数人に早帰りを勧めていたようだ、と報告してくれた。

「つまり、秘密の外出予定があったと」

「ですね」

 門木はまた不二恵と確認し合った。問題は会う相手が誰かだ。ストーカーはもちろん調べるが、可能性は低い。そして詩歌はめったに外出せず、付き合うのは美術館関係者だけ。そうなると……

「他に今日来てない人は?」

 門木が千寿に聞くと、「人事に聞かないと……」という返事。人事課へ行って、昨日と今日の出欠予定と実態をプリントアウトしてもらった。何人か、有休を取っている者がいる。その連絡先を教えてもらうことにした。

「そしたら、田名瀬は板東を呼んで、他の従業員の聞き取り」

「えー」

 不二恵が情けない声をあげる。何十人いると思ってるんですか、ということだろう。しかし、刑事が聞き込みを嫌がってどうするか。

「全員やなくてええねん。普段、館長と話をするような人だけや。そこは茶石さんと相談して」

「門木さんはどうするんですか」

「探偵に任意同行ニンドウかけに行く」

「私もそっちの方がええなあ」

「雑談するんとちゃうんやで」

 真面目にやれ、と門木は言いそうになったが、それはなんとか我慢した。


(続く)

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