第2章 欠けた一粒 (後編)
探偵事務所に戻り、結果をエリーゼに報告する。本物だったこと、琉球真珠だったこと、どうやら一粒足りないらしいことも。
「おや、リューキュー真珠だったのですか。それは予想外でしたね。しかし、アキラ様の鑑識なら100%信用が置けますから、カイン・プロブレム、心配いりません」
アキラ様、と名前でエリーゼは呼んだ。単なる知り合いではないようだが、詩歌は詮索しないことにした。
「一つ足りないというのも興味深いですね。とにかく、本物であるのなら、この件を私に依頼されるということですね?」
「ええ、よろしくお願いします」
「送ってきた人を捜すのでしたね。名前と住所が解っていますが、実在しないとしても、手がかりにはなるでしょう。ところで、その人を見つけたら、ネックレスをどうするつもりなのでしょうか?」
「それは……それが誰かにもよると思います。送り返すかもしれませんし、私が受取人でないのなら、正しい受取人に渡すか送るか」
「送った人の意図を確認するということですね。フェルシュテーエン、了解です。さて、調査を開始するに当たって、教えていただきたいことがいくつかあります。あなたは送った人をご存じないとのことでしたが、美術館の他の人が知っている可能性はありますか?」
「それについては、できる限り調べました。でも、連絡が付く人で、その名前や住所を知っている人はいませんでした」
「連絡が付かなかった人もいるのですね。できればその一覧もいただきたいですが、個人情報の問題というのがあるらしいので、必要になってからにしましょうか」
言いながらエリーゼは、スマートフォンで段ボール箱に貼られた送り状を写真に撮った。それから何かを紙にメモした後で、スマートフォンを操作し始めた。
「住所のこの文字は、ヒョーゴ県のアコー市と読むのでしたね。おや、ここからはなかなか遠いですね。しかし、私の単車でも行けないことはなさそうです。シーカ様は行ったことがおありですか?」
「ないです」
「アハン、受け付けもアコーなのですね。これは何と読むのです?」
「えっ?」
エリーゼがスマートフォンを見せてきた。画面に「詳細情報」「伝票番号」「配達完了」などの文字が並んでいる。しかし、読めないのはそれではないらしい。
「下の方に表がありますね?」
「ええ」
「表の2行目をごらんなさい。『荷物受付』と書いてあるでしょう」
「ええ」
それも漢字なのだが、これくらいならエリーゼは普通に読めるらしい。地名や人名が苦手なのかもしれない。
「右側に日付と時刻がありますね。そのさらに右側の『アコー』と『センター』の間に何と書いてあるのです?」
「これですか。『かりや』でしょう」
赤穂仮屋センター。小学生でも読めそうだが、エリーゼには読めなかったようだ。
「つまり、そこがこの荷物を発送した宅配便会社の支店の名前です」
「でも、この情報ってどこから……」
「この送り状からです。荷物の配達状況を確認するための番号が書いてあるのはご存じでしょう」
「あれで受け付けた店までわかるんですか」
「そういうことです。さて、箱はこのまま参考としてお預かりしたいですが、よろしいですか?」
「ええ、どうぞ。構いません」
「ハルスケッテはお預かりしません。お持ち帰りください。30万円くらいとはいえ、傷を付けたり無くしたり盗まれたりしても、弁償できませんから」
ハルスケッテはネックレスのことだろう。ドイツ語だ。詩歌は聞いたことがあった。しかし、エリーゼはそれより気になることを言った。
「30万円くらいってどういうことです?」
鑑識事務所ではネックレスの値段の査定はしてもらえなかったし、どこからその金額が出てきたのだろう。
「これは通常の宅配便の送り状です。この宅配会社は通常便だと補償額が30万円までなのです。品名に『アクセサリー』と書いていますね?」
「ええ」
「そう書くと、受け付けの時に、30万円を超えるものか聞かれるはずなのですよ。それより高いと、通常の宅配便ではなく、別の送り方をしなければならないのです。だからそのハルスケッテは30万円以内と考えられるのです。もっと安いかもしれませんが、アキラ様が高い評価をお付けになったのですから、30万円に近いと考えてよいでしょう」
送り状だけでそんなことがわかるのかと詩歌は感心した。エリーゼはネックレスを預からない代わりに、写真を何枚も撮った。ケースから出して――もちろん詩歌が――首に提げるような時の形にして撮ったりした。真珠が一つ足りないというのが、この時はっきりわかった。
「さて、後はこのカステンですね。分解した跡があるとアキラ様はおっしゃったのですね?」
「え? ええ、バラしてみたらどうかと」
カステンはドイツ語でケースのことだろう。いちいちドイツ語でエリーゼが言うので少し混乱する。それはともかく、詩歌にネックレスを持たせたまま、エリーゼはケースを左手で押さえ、内側のクッションの部分を右手の指で摘まんで引っ張った。クッションはあっさりと外れた。接着剤を剥がした跡があったが、以前のものであるのは明らかだった。底に細長く折りたたんだ紙が入っていた。少し古びているだろうか。
「警察の捜査なら指紋を気にするところですが、触っても構わないでしょう。何か書いていますね。シーカ様、読んでくださいますか」
紙は二つ折りになっていて、エリーゼがそれを開いて詩歌に見せてきた。和紙だった。縦書きの達筆で、行書に近かったが、これくらいの崩し方なら詩歌でも読める。
「『盗難予防として
「ホップラ! タマというのは真珠のことですね。一つ足りないのは、わざと外したのでしたか。完全だととても価値が高いとアキラ様はおっしゃったそうですが、低くして盗まれないようにしたのですね。しかし、そういうことをするのは初めてですよ」
「そうですね、聞いたことがありません……でも、低くするといっても、その状態で30万円くらいするのでしょう?」
30万円の真珠のネックレスといえば、かなりのものだろう。詩歌が礼服用に買ったネックレスでも、10万円はしない……
「そうです。しかし、たぶんこういうことでしょう。そのハルスケッテは実はとても有名なもので、一つでも真珠が足りないと、ウンフォルシュテンディッヒ……日本語が思い浮かびませんが、完成品でないとでも言えばいいですか。つまり、宝石店が買ってくれないのでしょう」
このままでも十分売れそうな気が詩歌にはするのだが、宝石業界のことは知らないので何とも言えない。渡利鑑識で、粒ごとの鑑別が必要か聞かれたが、もしかしたら一粒ずつなら売れるのだろうか。
「私は売るつもりはないので、それについては気にしません。でも、首飾りを見よ、とは? 何か書かれているようにも見えませんけど」
もし書かれていれば、鑑定してもらったときに渡利が言ったに違いない。一目で宝石の真贋や大きさの違い、一粒欠けていたことまで見抜いたのだから。
「書かれていたら、泥棒にその一粒を見つけられてしまうではないですか。おそらく、すぐにはわからないようにしてあるのですよ。よく考えればわかると思いますね」
「あるいは、送ってきた人を見つければ、わかるかもしれませんね」
「そうかもしれません。さて、これは写真に撮って、元に戻しておきましょうか」
エリーゼは文面をスマートフォンで撮り、元通りにネックレスケースへ入れて、クッションも戻した。詩歌はそこにネックレスを収め、ハンドバッグに入れた。ここへ持ってくるまでは、段ボール箱ごと書類棚に入れていたが、この大きさならデスクの抽斗にも入りそうだ。もちろん、鍵をかけておかなければ。
「では、調査を始めますが、依頼料の前金を払っていただきたいです。5千円です」
依頼料4万円の半分くらいを払うのかと詩歌は思っていたが、それより全然安かった。財布の中にちょうど5千円札があったので、それを差し出した。
エリーゼは「ありがとうございます!」と嬉しそうな声を上げ、札を大事そうに手に取ると、デスクのところへ飛んで行った。引き出しを開け閉めし、「金五〇〇〇円」の預かり証を持って戻ってきた。「金」の字が、漢字ではなくまるで図形のように見える。但し書きのところは「調査代金前金」の文字がハンコで押されていた。漢字を書くのも苦手のようだ。
「アコーという遠いところへ行かねばならないので、それだけで一日かかってしまうと思いますが、3日くらいで結果がわかるでしょう。もし何もわからなかったら、この前金もお返ししましょう。たぶんわかると思いますけど」
「3日ですか」
名前と住所が架空のものだったとしても、それだけでわかるのだろうか。詩歌は少し気になった。それに、赤穂へ行く旅費くらいはかかるだろう。必要経費はどうなるのか? 後から追加請求されても困るので聞いてみたが、エリーゼは「依頼料に全部含まれているのですよ」と得意そうに言った。つまり、何もわからなければただ働きだ。よほど自信があるのか。
「さて、結果はどうやってお知らせしますか。できればここへもう一度来ていただきたいですが、また護衛付きになるのは大変ということであれば、私の方から伺っても構いませんですよ」
「美術館へ来ていただく方がありがたいのですが、平日は夜の遅い時間しか会えないと思います。ですから、来週の土曜日にでも」
「電話での報告は必要ありませんか」
「では、何かわかったらまず電話をくださいますか」
「了解いたしました。私は夜が遅くなっても構わないのですよ。この近くに住んでおりますからね」
詩歌の自宅は大阪の北部で、地下鉄と阪急電車を乗り継いで1時間くらいかかる。美術館に泊まり込めるのは、通勤に時間がかからないという点ではありがたいのだが、何かと不自由なのは否めない。
警察に電話をかけて女性刑事を呼び出した後で、エリーゼが指を一本立てながら聞いてきた。あと一つ、ということらしい。
「シーカ様がアキラ様のところへ行っている間に調べたのですが、シーカ様は最初、副館長だったそうですね。そのとき館長だった人は、今、どうしているのです?」
「自宅にいると思いますけど……実は、よくわからないんです。一切連絡を取らないことにしているので」
「それはなぜです?」
できれば言いたくないが、少し迷った後で、詩歌は答えた。
「彼が私のストーカーだからです。3年ほど前から付き合いがあって、そのときからしつこく追われていたんですが、私が副館長に就任してからどんどんひどくなって」
「マイン・ゴット! それは嫌なことを聞いてしまいましたね。申し訳ありませんです」
女性刑事が迎えに来て、詩歌は美術館へ帰った。
(続く)
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