第3章 水曜日 (後編)

「さて、何か考えてきましたですか」

「書いてきました」

 考えたことを書き留めたレポート用紙を、エリさんに見せた。ただの時刻の羅列やけど。


  ○第1案

   石垣空港発  12時30分 - 与那国空港着 13時00分

   与那国空港発 18時30分 - 石垣空港着  19時00分

  ○第2案

   石垣港発   14時30分 - 波照間港着  15時30分頃

   波照間港発  16時20分 - 石垣空港着  17時20分頃


「これは何と書いてあるのですか」

 エリさんが細目でレポート用紙を見ながら言った。見えなくて細目なんやなくて、笑ってるんやろなー。

「あれ、エリさん、漢字読めないんですか?」

「大阪の地名はたいてい読めるようになりましたが、沖縄の地名なんて主要なところ以外読めませんですよ。独特の読み方をする場合が多いと聞いてますしね。それは私だけではないでしょう。でも、石垣はわかります」

「こっちが“よなぐに”で、こっちが“はてるま”です」

 エリさんはさっそくスマホで何か調べ始めた。

「アッハ・ゾー。“よなぐに”は日本の最も西にある島で、“はてるま”は一般人が行ける最も南の島なのですね。お父上はそういうところへ行きそうなのですか?」

「はい、北海道の宗谷岬とか納沙布岬にも行ったことがあるって言ってました。あ、宗谷岬は日本の最も北で、納沙布岬は最も東です」

 北方領土と南鳥島を除いて、なんやけど、それは言わへんでもええやろ。波照間かって、沖ノ鳥島を除いてっていう条件付きの最南端やし。

「フェルシュテーエン。しかし、せっかく最も南と最も西が近くにあるのに、片方だけ行くというのは不経済ではありませんか?」

「不経済って……あ、効率が悪いっていうことですね。でも、7時間だとどっちか一つしか行けませんし」

 私がそう言っている間にも、エリさんは何かをスマホで調べていた。

「“はてるま”にはタクシーやレンタカーはないのですね。そうすると、滞在時間50分で島の最も南へ行くのは大変難しいでしょうね。“よなぐに”にはレンタカーがあるので、5時間半もあれば島の最も西の“いりみさき”へ行くのも、島を一周するのも可能ですね。では、“よなぐに”へ行ったとしましょうか」

「……それで?」

「決まっているではないですか。また航空会社へ電話をして確認するのですよ」

「ですよねー」

 昨日の夜、飛行機の時間を調べて、与那国に往復できるとわかったとき、電話をしようと思ったけど、夜が遅かったのでやめた。今日、学校が終わってから時間があったけど、どうせすぐに探偵事務所へ行って相談するんやからと思って、それもやめた。

 今日も結局遅い時間になったけど、航空会社に電話をして(ANAやなくてJAL)、その便に父が乗っていたか訊いてみた。航空会社の人はやっぱり親切に教えてくれた。父がそれに乗っていたのがわかった。

「どうもありがとうござい……あ、すいません、もう一つだけ教えて欲しいんですけど」

 お礼を言って電話を切ろうとしたら、エリさんが私のレポート用紙の裏に何か書いて、見ろ見ろという仕草をしていた。えーと……?

「父の隣に乗っていた人の名前って教えてもらえますか? ……家族ではないです。ダメですか。はあ、わかりました。じゃあ、その人が帰りの便に乗っていたかどうかは……それもダメですか。わかりました。ありがとうございました。……あの、これってどういうことですか?」

 電話を切ってからエリさんに訊いた。航空会社の人に追加で尋ねた二つの質問は、エリさんがレポート用紙の裏に書いていたものだった。小学生みたいな下手な字で「となりの人の名まえ」「かえりにものった?」。

「さっき言ったとおりですよ。最も南と最も西が近くにあるのに、片方だけ行くというのは不経済であると。ですから私は、お父上は一人でそこへ行ったのではない、誰かと一緒に行ったのだろう、と思ったのです。てんじょー、というのでしたっけ? いい日本語が思い出せません」

「天井……あ、添乗ですね。付き添い?」

「ヤー、付き添いです。お父上のご友人が、そこへ行きたいと希望した。しかし、一人では行けなかった。だからお父上が付き添いで行った。一緒に行ったのなら、隣の席に乗っていただろうと思ったのです」

「なるほど。でも、2番目の質問は?」

「飛行機の時間を調べてわかったとおり、石垣に19時に戻ってくるのでは、大阪へは日帰りできないのです。ですから、一緒に行った人は、石垣か“よなぐに”に泊まったのでしょう。帰りは一人でも可能なのか、または別の人が付き添うのかもしれません。その人が帰りの便に乗ったかどうかがわかれば、石垣と“よなぐに”のどちらに泊まったかがわかるのです」

「わかったらどうなるんですか?」

「石垣にはたくさんホテルがあるのでどうにもならないかもしれませんが、“よなぐに”のホテルは少ないようなので、電話をかけて調べることができます。この前の日曜日に、大阪から来て泊まった人がいますか、とね。落とし物を拾ったので届けてあげたいとか、親切にしてもらったのでお礼がしたいとかの理由を付けて尋ねるのです。運がよければ教えてくれます。まあ、最近は教えてくれないことの方が多いですがね」

「嘘をついているみたいで、気がとがめますね」

「お父上が何をしていたのか知りたいのなら、それくらいは我慢しなければなりません。しかし、一緒に行った人がいるかどうかすらわかりませんでしたから、どうせこの手は使えないのです」

「じゃあ、どうするんですか?」

「まだ手がかりがあります。お父上が、なぜ石垣からの最終便に乗り遅れたか。それだけでなく、次の日の最初の便にも乗らなかったのです。何か大変なことがあったのですよ。そしてそれは会社の人に言えないようなことだと思うのです。付き添いの人に何かあったか、または事件に巻き込まれたかのどちらかです」

「本当にそれだけなんかなあ」

他人ひとごとのように言わないでください。あなたが考えるべきところを、私が手助けしてあげているだけなのですよ」

「……ごめんなさい」

 私が謝ると、エリさんは顔の前に人差し指を立てて振った。それだけの仕草で、あんなに胸が揺れるなんておかしいと思う。

「謝る必要はありませんよ。私は何も困っていないのですから。さて、石垣では19時に到着して19時25分に出発ですから、出発ロビーから外へは出ていないはずです。にもかかわらず、飛行機に乗れなかったのですから、出発ロビーから出なければならなくなった、ということです。チケットをなくした、というような単純なことでないのはわかりますね。買い直せなかったとしても、次の日の最初の便に乗ればいいはずなのに、乗っていなかったのですから」

「はい、わかります」

「それなのに、出発ロビーから出なければならないとすれば、それは航空会社が出るように指示したということになります。例えば迷惑な乗客とかですね。しかしお父上が迷惑をかけるような方とは思えません。それ以外だと、警察からの指示というのが考えられますね」

「警察!? どうしてですか? あ、事件に巻き込まれたって、そういうことですか?」

「そういうことですが、あくまでも仮説なのですよ。お父上は、誰かの付き添いで“よなぐに”へ行ったのではないかと言いましたね。もしその誰かが、家族に無断で行ったのだとしたら、どうなりますか。家族がお父上のことを誘拐の犯人だと考えて警察に連絡して、それで石垣の警察がお父上を任意で事情聴取するかもしれないですよね。“よなぐに”へ行った人も、次の日の朝、石垣へ呼び寄せて、二人揃ってから事情聴取となれば、お父上の石垣出発は10時とか11時とかになるかもしれないですよね」

「はあー」

 どこからそんな考えが出てくるのかわからなかったけど、一応筋は通っている。時刻表で調べてみた。与那国から朝一番の便は石垣着9時30分。事情聴取というのがどれくらいかかるのかよくわからないので、支社の人から電話があった時刻、2時半頃やったと思うけど、父がその時羽田にいたと考えて逆算すると、石垣発10時35分、羽田着13時30分、乗り継ぎが羽田発14時30分、新千歳着16時00分。もしかしたら、その次の便かもしれないけど、これだと確かに札幌に夕方着くということになる。

「じゃあ、父が警察に事情聴取を受けたかどうかは、どうやったらわかるんですか?」

「石垣の警察に電話すれば良いのです。あなたが家族だと言えば、教えてくれるかもしれませんよ」

「そんなの、怖くて訊けません……」

「警察のことは警察に訊いてもらうというのもできますね」

「田名瀬刑事さんですか。あれっ?」

 何か今、頭に閃いた。石垣島の警察で何かあったら、こっちの警察にも問い合わせとか来るんとちゃうの? それやのに、田名瀬刑事さんとかが何も知らへんのは、おかしいんとちゃうんかな。エリさんに言ってみた。

「マイステンス・グートです。もしお父上が誘拐犯人として取り調べられたのなら、会社かこちらの警察に身元照会があるはずですね。そのときに、石垣の……これは何と読むのですか、“はちじゅうやま”ですか?」

「え? ああ、“やえやま”ですね」

 エリさんはいつの間にかスマホで石垣島の警察を検索していた。八重山署だった。

「その“やえやま”署から問い合わせがあれば、会社か臨海署が、お父上が沖縄へ行ったことに気付くはずです。しかし、誰もそれを知らないのですね。ということは、警察は関係しなかったということです。誰かが石垣空港の人に頼んで、乗り継ぎしようとしているお父上を呼び出してもらったのでしょう。きっとその人も、石垣空港にいたはずです」

「そうですね。後からの飛行機で行ったんでしょうね。与那国まで行ってもよかったけど、その飛行機はすぐに折り返してくるはずやし、それに父が乗っているのがわかってたら、石垣の空港で待っていればいいっていうことですね」

「しかし、あなたならどうしますか。警察には何も知らせずに、誘拐犯人と話をしようと思いますか?」

「うーん、警察に言うなって脅されてたら言わないかもしれませんけど、そうやなかったら知らせると思います。その上で私も石垣島まで行くと思いますけど」

「では、誘拐ではないとわかっていたらどうしますか?」

「誘拐やない……っていうことは、犯罪やないから、警察は関係ないっていうことですか。そうか、民事事件なんですね。その場合は、うーん、確かに警察を入れないで話し合いをしようとするかも」

「しかし、それなら電話でもできる話ではないですか」

「そうですね。父と一緒に与那国へ行った人は、携帯電話を持ってへんかったんかなあ」

「しかも、お父上を呼び出した人は、なぜ名前を知っているのですか? 知らないと呼び出せないのですよ?」

「あれっ!? そうか……」

 確かにそのとおりだ。航空会社に訊いても、同乗者の名前は教えてくれない。ということは……

「じゃあ、こういうことですね。父はある人を与那国へ連れて行った。その人は家族に黙って出て行ったんやけど、後から行き先と、父と一緒に行ったことを家族に知らせた。そうしたら家族が後から追いかけて来て、石垣で父と話し合いをしようとした……でも、どうしてわざわざ石垣まで行ったんやろ。家に帰ってくるまで待ってたらええのに」

「では、その理由を明日までに考えてきてもらうことにしましょうか。明日にはこの件を解決したいものですね」

「でも、ここまでわかったらもういいような気がしてきたなあ」

「それを決めるのはあなたですよ。お父上がどこで何をしているのか知りたいと言ってきたのは、あなたなのですからね」

「わかりましたあ」

 今までで一番難しい宿題な気がする。これを考えるには、父の友人のことを知らなければいけないと思う。でもそんなのどうやって調べたらええんやろ。父宛てに来た年賀状を見るくらいしかないけど、父がどこにかわからへんし、探し出しても勝手に見るのは悪いし。うーん。


(続く)

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