第5話 留守番電話音声の謎
第1章 月曜日 (その1)
(筆者からの注釈)この話は2019年のこととしてお読みください。
10月に入って期末テスト、そして2年生の修学旅行をもって、夕凪高校の前期日程が終わりを告げた。翌週から後期が始まり、しばらくは大きな行事の予定はない。
うららかな秋の午後、物理の授業中に、教室のドアにノックがあった。先生が板書を中断してドアを開けると、廊下から女の人の声がした(それは国語の江沢先生だった)。小声で何ごとか話していたが、突然「麻生さん」と呼ばれた。
「はい」
「お家の方で急用ができたみたいやから、帰り支度をして、江沢先生について行って」
驚いたけど、言われるままに教科書やノートを閉じて、鞄の中に詰め込んで、教室を出た。周りの生徒は誰も声をかけてくれなかった。友達が少ないからしかたない。
「家で何があったんですか?」
廊下で江沢先生に訊いてみたけど、「お家の方から電話があって。詳しいことは職員室で話すから」という答え。授業中なので廊下で話しながら歩いていると、みんなに迷惑をかけるからかもしれない。しかし、家からということはたぶん母からだろう。渡り廊下の途中でまた訊いてみた。
「妹のところにも連絡は行ってますか?」
妹は近くの中学校に通っている。ただし、今日から宿泊の校外学習でキャンプに行っている。
「それはお家の方が判断したから、学校の……私たちの方ではわかりません」
職員室へ着くと、教頭先生がいた。担任はいなかった。たぶん、別のクラスの授業だろう。「さっき、お家の方から電話があって……」と教頭先生が話し出す。詳しい理由はわからないけど、父の会社から電話があり、とにかく「緊急で話さなければならないこと」があるため、帰ってきて欲しいということらしい。
「母の電話が要領を得なくてすいません」
思わず謝ってしまった。そんな曖昧な理由では教頭先生も判断できなくて、困ったに違いない。
「いや、麻生君が謝ることやないですけど、とにかく急いで帰ってください。早退の手続きは担任の先生と相談してこちらでやっておきますから」
教頭先生は父に大変なことがあったので、母がパニックになっていて、詳しいことがしゃべれなかったんやろうと思ってくれてるかもしれない。しかし、実は違うと思う。母は日常以外のちょっとした出来事でもすぐにおろおろしてしまって、父や私に何でもかんでも相談してくる。おそらく今回は、会社から電話があったというだけで、パニックになってるんやろう。
しかし、確かになぜ会社から電話があるのか、私にもわからない。父は昨日の日曜日から、北海道へ出張に行っている。月曜日から関連会社と会議があるはずやけど、その事前資料を現地支社の人と作らないといけないというので、前乗りしたらしい。だからもし父が現地に着いていない、というのがトラブルなら、昨日の夜に連絡があってもおかしくない。月曜日の午後なんかになるのは遅すぎると思う。
駅までは急ぎ足で歩き、ホームで電車を待っている間に家に電話をした。長いコールの後で、ようやく母が出た。急いでるんとちゃうの、早く出てよ。
「もしもし、今、学校から帰るところ」
「ああ、
授業中やもん、電源切ってるに決まってるやん。学校の規則やし。
「……それで学校へ電話したら担任の先生がおらへんいうて、知らん先生に話したから、あんたまで伝わってへんかったらどうしよと思って」
「伝たわらへんわけないやん、学校やのに。それより、どこから電話あったん? お父さんの研究所からなん、それとも北海道の支社?」
「北海道の支社の、あれ誰さんやったかしら。メモ取ったのにどこかへ行ってしもうて」
「名前なんかどうでもええから、どういう電話やったん?」
電車が来てしまった。乗ったら電話を切らなければならない。社会のマナーやし。
「お父さんがまだ向こうへ着かへんのやけど、いつ家を出はりましたかいうて」
「昨日やって答えたん?」
ドアが開いてしまった。もう乗らなければならない。
「言うたよ。そしたら、今朝の9時ということになってたのに、まだいらっしゃいませんいうて、それで……」
「ちょっと待って、電車乗るわ。すぐ家に着くから」
そう言う前に電車に乗ってたけど、ドアが閉まる前に電話を切った。家の最寄り駅までは2駅、5分もかからない。
でも、支社の人の問い合わせは、確かに変。父とは昨日の午後から会うことになっていたはずやのに。どこで会うのかは知らんけど、その打ち合わせは何かの都合でキャンセルになったん?
それに、母が午後になって電話をしてきたのもおかしい。父が朝9時の打ち合わせに来なかったのなら、支社の人は遅くとも10時には問い合わせの電話をすると思う。研究所へ先にかけてからやとしても、うちの家へはたぶんその数分後。その電話を受けた母がパニックになったとして、午後になってから学校へ電話してくる?
電話で聞いてても、どうせ埒が開かへんやろうから、コスモスクエアの駅に着いても家へは電話を架けんといた。歩きスマホは危ないし。
マンションに入り、エレベーターで6階まで上がる。ドアの鍵を開けて入ると、玄関に黒い革靴がいっぱい並んでいた。何よ、これ。会社の人が心配してきてくれたとか?
「ああ、伶ちゃん、帰ってきてくれた、よかった。今、警察の人が来てて……」
母が玄関に出てくるなり言った。はあ、警察? 何で? お父さん、行方不明なん? そんなん、電話で先に言うてよ。
黒い靴は全部で4足あった。一つだけ、女性用のエナメル靴が混じっているのを見落としていた。
「警察って、何で?」
「会社の人が、電話してくれはったらしいんよ。事故とか誘拐とか心配してくれたんやろか」
いや、訊いてるの私やから! でも、こんなことやったら警察の人も、何が起こっているんかわからなくて困ったんとちゃうやろか。
「それで、何で学校に電話したん?」
「伶ちゃんが帰ってきてくれんと困るから」
「そやから、何が困るん? 何に困ってるんよ?」
警察の人たちがどこにいるかは知らんけど、玄関でしゃべっていることは筒抜けなのは間違いない。たぶん、居間やと思って入っていくと、見知らぬ人たちが4人、ソファーに座っていた。男の人が3人と女の人が1人。男の人は四角い顔の人と、細長い顔の人と、猿みたいな顔の人。女の人はほのぼの系の美人。そのうちの、四角い顔の人が立って、私の方へ近付いてきた。精一杯愛想よくしてるように見える。
「麻生伶さんですか。大阪臨海署の角藤です」
警察手帳を開いて見せてくれた。テレビでは見たことあるけど、本物は初めて見た。他の3人は細長い顔が細川刑事、猿の人が
「わざわざ来て頂いてありがとうございました。あのそれで、どういう連絡を受けて来られたんですか?」
「ああ、それはこれから説明します。どうぞ座って……座るとこないな」
ソファーは4人分しかない。私が座るところがないし、母が座るところもない。母は警察の人が来てからさっきまで、どこにいたんやろ? もしかしてずっと立ってたんやろか。母ならあり得るけど。しかもお茶すら出してないし。
椅子を取ってきます、と言ってダイニングの椅子を二つ持ってきた。母にはお茶を用意するように頼んだ。きっちり膝を揃えて座り、角藤刑事さんの顔を見る。椅子はソファーよりだいぶ座面が高いので、刑事さんたちを見下ろす格好になってしまった。
「まず、署の方へは麻生
父は電機会社の研究所に勤めているけど、それほど重要な仕事をしているとは思ってない。残業しても8時には帰ってくるし、20年以上勤めてるのに管理職になってないし。
「でも私は母の知っていること以上は、何も知らないんですけど」
それとも母がパニックになって説明しきれなかったんやろうか。でも、父はどこへ行くとかのメモを残していったと思ってるし、それを母が見せたらいいだけのはずで。
「ああ、それでですな、お家の留守番電話に秀真さんのメッセージが残っておるということなんで、それを聞いてみようかということになったんですな。ところが、あなたのお母さんは再生するための操作方法がわからんと。新しく録音されたメッセージの再生方法は知ってるけど、前のをもう一度再生するやり方は、あなたと秀真さんしか知らないとおっしゃるんです」
「はあっ!? 私、それだけのために呼ばれたんですか?」
「電話機のマニュアルがあったので、我々の方でやろうかと提案したんですが、操作を間違えてデータを消したら大変とお母さんがおっしゃるんで。まあ、あなたがすぐに帰ってきてもらえそうということで待っておったんです」
呆れた。何としょうもない頼み。私はそれだけのために学校を早退してきたんか。高校に入学してから今日まで欠席も遅刻も早退もしなかったのに。父が行方不明になったというのなら確かに心配やけど、留守電の操作くらい母の方で何とかしてよと思わないではいられない。
(続く)
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