第1章 月曜日 (その2)

 しかし、とにかくメッセージの再生はやらないといけない。電話機のコードを延ばして、ソファーの間のテーブルの上に置いた。

「メッセージっていっても、さっき空港に着いたよっていう短いものなんですけど」

 私はたまたま出掛けていたから聞けなかった。でも普段、東京などへ出張に行くときは、父は電話なんかかけてこない。今回は飛行機だったのでかけてきたのかもしれない。それがなぜ残っているのかもいまいちよくわからない。母は聞いたはずなのに、なぜ消してなかったのかとか。

「ああ、それでも結構です。周りの会話とかから、何かわかるかもしれませんので」

 ボタンを操作して、過去のメッセージを再生した。

『もしもし、今空港に着いた。携帯の電源はしばらく切ってるから、もし何かあったら留守電サービスに入れておいて。それじゃあ』

 これだけだった。録音された時刻は10時26分。他に聞こえたのは、どかどかいう大きな足音くらい。周りの人の声が少し入っていたけど、小さくて何を言ってるのかわからなかった。

「なるほど」

 角藤刑事さんが呟いたが、これだけでは何もわからんなあと思ってるのに違いない。そらそうやわ。

「もう一回再生してもらえますか?」

 別の刑事さん、確か門木さんが言った。もう一度再生すると、身を乗り出して聞いている。

「小さいチャイムの音が聞こえましたな。空港のアナウンスの前に鳴らすやつかな」

「そんなん聞こえたかな。もう一回お願いできます?」

 言われるままに、また再生した。

「なるほど、確かに聞こえたような気がするな。あれで確かに新千歳空港やとかわかるんかな」

「さあ、そこまでは。科捜研に出してみます?」

「出してもええけど、優先度がなあ」

 殺人事件ではないから後回しにされるかも、ということやろうか。電話機を持って行かれたら、その間の代わりの電話機はどうすればいいのやら。まあ、スマホがあるからそんなには困らへんと思うけど。

「あの、一つ訊いていいですか?」

「何です?」

 角藤刑事さんがこっちを見た。ほんま、四角い顔やなあ。

「そもそも……」

 しゃべろうとしたら、いきなり電話機が鳴りだした。みんなびっくりしてたけど、お茶を持って来た母が一番びっくりしていた。

「出てもいいですか?」

「ああ、お願いします」

「いや、ちょっと……」

 細面の細川刑事さんが何か言いたそうにしていたが、角藤刑事さんが片手でそれを制し、私の方にどうぞと手を振った。そうか、さっきもこんなやりとりがあったから、私の電話に出るのが遅れたんや。ナンバーディスプレイ機能がついてたら、そんなんで迷わへんのに。

 受話器を上げる。男の人の明るい声で、「麻生さんのお宅でしょうか」という問いかけの後、先方が言った。

美陵みささぎ電機株式会社、北海道支社の清水と申します。お世話になっております。今朝方、麻生秀真さんのことで問い合わせいたしましたが、先ほど、秀真さんから連絡をもらいまして、本日夕刻に支社の方へ到着予定とのことでした」

「あっ、そうなんですか。知らせていただいてありがとうございます」

 その後、まずはご一報までとかいう向こうの口上に受け答えしながら、周りの様子を見た。みんな思いっきり私に注目している。ただ、電話を切っても誰も何も言い出さなかった。たぶん、身代金要求があったとは思ってないやろうけど。

「北海道支社の人からでした」

「ほう、それで」

「父から連絡があって、夕方向こうへ着くとのことでした」

「おお、そら良かった」

 角藤刑事さんはそう言ったけど、あんまり良さそうな顔はしていなかった。無駄足やったなあと思っているんやろな。まさにそのとおりやからしょうがない。細川刑事さんはむすっとしていて、門木刑事さんはまだ何か考え込んでるように見えた。田名瀬刑事さんだけが、一人にこにことしている。もっとも、彼女は最初からずっとそんな感じやったように思うけど。

「そしたらこの件は一応解決したということで、我々はこれで退散します」

「はい、どうもありがとうございました。ご面倒をおかけしました」

 母の代わりに礼を言いながら、刑事さんたちが帰るのを見送るために玄関へ出た。誰もお茶を飲まなかった。角藤さん、細川さんと順次外へ出ていったが、門木さんが靴を履いた後で私の方を見ながら言った。

「そういえばさっき、何か訊きかけてはりませんでしたか」

「あっ、はい、あの……」

 “事件”は終わったのに、訊いてもええもんやろか。田名瀬さんが靴を履くために、門木さんは身体を横へ避けていたが、猿に似ているせいか、刑事らしくなくてあまり怖そうに見えなかったので、思いきって訊いてみた。

「どうして刑事さんがこんなにたくさん来たのかと思って。人が行方不明になったら、4人も来るものなんですか?」

 誘拐事件なら家中が刑事さんだらけになるというのはドラマで見たことがあるけど、行方がわからなくなってたった一日で、これほど大ごとになるとは思えなかった。

「うん、一応、この二人と向こうの二人では部署が違っとってね。我々は生活安全課で、行方不明者の担当。彼らは刑事課で、誘拐の心配もあるということで一応来てもらったんですわ」

 なるほど、電話がかかってきたときに、細川さんが反応した理由がわかった。誘拐犯からの身代金要求電話かもしれないと思ったんやろう。もしそうやったら逆探知がどうこうとかいう話になってたのかも。

「誘拐されたという根拠もないのに、来てくれたんですか」

「詳しい事情は言われへんけど、会社から府警察へ強い要請があったと思っといてください。何にしても、連絡が付いてよかったですな。ほな、失礼します」

「よかったですねぇ、失礼します」

 田名瀬さんが満面の笑みを浮かべながら言った。めっちゃ優しそう。絶対刑事に見えへん。

「はい、どうもありがとうございました。ご面倒をおかけしました」

 刑事さんたちを見送るために、玄関の外まで出た。頭を下げながら、4人がエレベーターに乗ってしまうまでそこにいた。隣で母が安心したように言う。

「ああ、よかった、お父さん見つかって」

 私、帰ってこんでもよかったやん、と思いながらそれを聞いていた。それより、会社がこれほど父のことを心配してくれていて、なおかつ警察を動かす力があるなんて思ってなかったので、そちらの方を主に気にしていた。それに、解決したとはいっても、父が一日以上も“行方不明”になっていたのは間違いない。その間、父はどこにいたんやろ?


 急いで学校に戻れば6時間目の授業の最後には間に合う時間やったけど、すっかりやる気をなくしてしまったので私服に着替え、部屋の中で考え始めた。父は昨日からどこにいたのか?

 父が朝から空港へ向かったのは間違いない。伊丹空港から乗ると言ってた。8時40分出発やけど、早めに家を出て行ったし。

 スマホで飛行機の時刻を調べたら、その飛行機は新千歳には10時25分に着くことになっていた。電話をしてきた時間ともぴったり合う(留守電の時計は1、2分違ってるはずやけど)。メッセージに残っていた、どかどかいう大きい足音は、きっとボーディングブリッジを歩くときのもの。つまり、飛行機を出てからすぐに電話をしてきた。

 そこから駅へ向かったとして、札幌方面へ行く電車は……調べると、10時30分か45分。空港と駅がどれくらい近いのか知らんけど、30分のは厳しいかもしれない。45分に乗ったとして、札幌に着くのが11時22分。午後から支社の人と打ち合わせを予定していたのなら、ちょうどいい時間。

 でも、実際はそうやなかった。支社の人はさっき電話で言った。「本日夕刻に支社の方へ到着予定」。言葉的には、まだ札幌に着いていないということを意味しているようにも聞こえる。それどころか、時間的にはまだ新千歳空港にも着いていないとか?

 でも、昨日の飛行機が事故で欠航になったとしても、その振り替えに丸一日以上必要とも思えへんし。飛行機のことに詳しい友人でもいれば訊くこともできるけど、そんな友人はいない。

 じゃあ、誰に訊けばいい? ふと、どこかで聞いた噂を思い出した。この咲洲には、私立探偵の事務所があるらしい。けどそこはネットのホームページを持っているわけでもなく、誰か知っている人に紹介してもらうことでしか依頼できないという。

 依頼するとしたら、誰に紹介してもらえばええんやろ。母がその紹介者を知っているとはとても思えない。マンション内の噂話にすら疎いし。しかし私自身にも伝手の当てがない。友達が少ないし、何より友達に探偵のことを尋ねたら、そっちの方が校内で噂の種にされてしまう。

 それなら、マンションの管理人さんはどうか。管理人さんなら色々な人と接触があるやろうから、探偵のことも知ってるかもしれない。管理人さんとは挨拶をしたりするので顔見知り程度には付き合いがある。しかし、これも避けた方がいいと思う。マンション内で密かに噂の種にされても困る。さて、一体どうしたものか……

 スマホで探偵事務所を検索してみる。探偵って、警察に届け出がいるんか。知らんかった。ということは、警察に訊けば探偵事務所がどこにあるかわかる?

 届け先は生活安全課。さっき、その課の刑事さんが家に来た。訊くだけ訊いてみてもいいかも。少なくとも、警察に質問しても学校や近所の噂にはならない。臨海署の番号を調べて電話をかける。生活安全課に回してもらう。

「もしもし、私、麻生伶という者ですが、生活安全課の田名瀬刑事さんはいらっしゃいますか?」


(続く)


※本作の飛行機の運行時刻は2019年10月のものに基づいています。

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