第4章 探偵、大和川へ (後編)
「おおい、あんたら!」
河原から声がかかった。見ると、制服の警官がいる。
「そこで何しとんの!?」
「落とし物を探しているのです!」
エリーゼが答えた。
「何を落としたの!?」
「時計です」
「見つかりそうか?」
「そのうち見つかるでしょう」
「転んで川にはまらんように、気ぃ付けぇよ!」
「ダンケ・シェーン!」
警官は手を振ると、堤防を上がって行った。茉莉の方へ振り返ったエリーゼが、上を指差す。何人かが、橋からこちらを見下ろしていた。
「誰かが通報したのでしょう。この近くに、交番があるのですよ。心配することではありません」
「はあ……」
心配はしなくても、恥ずかしいのは間違いなかった。しかし、大事な時計のためだからやむを得ない。
なおも20分ほど探し回ったが、結局時計は見つからなかった。河原に戻り、足を拭く……が、その前に、エリーゼがリュックからミネラルウォーターのペットボトルを出してきた。そしてそれで惜しげもなく足を洗う! 何とも用意がいい。
もちろん、茉莉もその残りで足を洗った。ちょっと贅沢な気がした。タオルもエリーゼから借りた。
「さて、我々は時計が落ちたと思われる場所を推定し、十分に探しましたが、見つかりませんでした。探し方が足りないとか、場所が間違っているのではなく、既に誰かが拾ったからだと思うのですが、いかがでしょうか?」
靴を履き、たくし上げたスラックスを下ろしたところで、エリーゼが言った。そしてペットボトルに残った水を飲んでいる。
「はい、そうかもしれません。でも、誰が……」
「それをこれから探すのです。参考までに、私は誰かが既に拾ったことを予想していました。先ほど、川に入る前に、私が川の中を覗き込んだこと憶えておられますか。あれは、川の底の砂の乱れを見ていたのです。その結果、最近誰かが川の中に入ったと思われる跡がありました」
「そうだったんですか……」
「しかし、時計ではなく、別の物を拾うために川に入ったのかもしれませんから、断定はしませんでした。ただ、これだけ探しても見つからなかったのですから、やはりその人が拾ってしまったのだと考えるわけです」
「わかります。でも、誰が……」
「昨日の夜に、この付近にいた人でしょう。拾ったのはおそらく、夜のうちです。お気付きのとおり、落ちた地点の上には街灯があるので、探すことができたのでしょう。川に入る前に、地面を見ましたが、濡れているところは全くありませんでした。ですから、夜が明けてから拾ったのではないと考えます。誰が拾ったのかはわかりませんが、普通の人は古そうで価値がありそうな時計を拾ったら、どうすると思いますか?」
「交番へ届ける……」
「そうあって欲しいところですが、先ほど来た警官は、時計のことは何も知らなかったようですね。もっとも、あれは住之江区の交番の警官でしょうから、堺市の交番へ届けられたという可能性もあります」
橋を渡って堺市に入り、道沿いに200メートル足らずのところに交番があった。懐中時計の落とし物があるか訊いてみたが、ないという答えだった。
「さて、落とし物として届けなかったのなら、次にどうするでしょう?」
「家に持って帰る……」
「そうなると見つけ出すのは難しそうですね。別の可能性を考えましょう。水に沈んだのですから、修理しようと考えるかもしれません。そうすると、時計屋へ持っていくことが考えられます。もう一つ、骨董の懐中時計ですから、骨董屋か質屋へ持っていくかもしれません。もっとも、水に沈んだ時計はそのままでは売れませんけれどね。しかし、いくらくらいの価値になるかを見てもらうことならできます」
「でも、この近くの店に持ち込むとは限らないのでは……」
「いえいえ、夜に河原をうろつくような人が、遠くから来るわけがないのですよ。この辺りは釣りに来る人すらいないのです。ですから、すぐ近くに住んでいると考えるべきなのです。近くの骨董屋と質屋へ行ってみましょう」
堺市のこの辺りにはそういう店はないようなので、住之江区の方へ戻る。住ノ江公園駅から地下鉄を一駅乗った、北加賀屋駅の近くに2、3件の質屋があった。最初の店はちょうど店が開いたところで、懐中時計を持ち込んだ人がいるか訊いてみたが、いないとの答え。2軒目も同じ。しかし、3軒目では「おったよ」。
「昨日の晩な、店を閉める直前に、きったない服着た中年の男が、いくらくらいになるんや言うて訊きに来よったわ。あれ、ホームレスと
中年と老年の間くらいの店主が答えた。
「ブランドを憶えておられますかね?」
「ああ、タバンの古ーいやつやったわ」
エリーゼが茉莉の方を振り向いて、得意気な表情を見せた。茉莉は心臓をドキドキさせながら、時計の特徴を店主に伝えた。ことごとく一致していた。
「それで、質入れは……」
「ああ、水没しとったから、そらあかん、直してから持って来て、て言うたら帰りましたわ。そのまま引き取ったら、どんどん錆びていくだけやし、こっちが修理代やらクリーニング代やらを出す義理もないし」
「その人の名前は?」
「さあ、初めて来た客やし、知りまへんわ」
茉莉はがっかりしたが、エリーゼが引き継いで質問をした。
「査定はされましたか?」
「ああ、綺麗にして、動くんやったら1万円」
「そのお客に、何か変わった様子はありませんでしたか?」
「変わった様子なあ……そういえば、外でもう一人待ってて、出て行ったところで何や相談しとったような。何言うてたかは聞こえへんかったけど」
「もう一人の特徴は? 若いですか、お年寄りですか、男ですか、女ですか」
「たぶん、若い男やな。よう見えへんかったけど、それもホームレスと
「売れたらお金を山分けしようとしたのですかね」
「さあ、そこまではわかりまへんな」
情報を提供してもらったためか、エリーゼはQuoカードを店主に渡して店を出た。
「さて、時計を拾った人の特徴がだんだんとつかめてきましたですね。おや、どうしのですか?」
「さっきからちょっと体調が……」
地下鉄に乗った頃からだと思うが、茉莉は頭痛と吐き気がしていた。寝不足の上に、朝食も摂らずに歩き回っていたせいかもしれない。川の中を探すまでは気が張っていたが、見つからなかったことで少し気落ちして、その後、さっきの質屋で動悸がして……
「ホップラ! それはいけません、すぐにお家へお帰りなさい。地下鉄では無理ですね? タクシーをつかまえましょう」
幸い、なにわ筋に近いところだったので、交通量は多い。茉莉が道端にしゃがみ込んでいる間に、エリーゼがタクシーを呼んできた。運転手とエリーゼに手伝ってもらい、ようやくのことで乗り込む。
「この後の調査は私一人で致しますよ。ご心配なく。それから、茉莉様の会社のお友達に聞き込みをしてみたいのですが、問題ありませんね?」
「いいですけど、どうしてそんなことを?」
「あなたがお付き合いしている男の人や、その他のお友達のことを知りたいのですよ。あなたに訊くべきなのですが、体調がお悪いのでは無理していただきたくありません。それでは、お大事に」
タクシーが出発した。タクシーの中の匂いは、茉莉はあまり好きではないのだが、今は我慢するしかなかった。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます