第4章 探偵、大和川へ (前編)
ニュートラムが住之江公園駅に着いた。駅を出て、南へ歩くと大和川の堤防に出る。架かっているのは阪堺大橋だ。大阪市内と堺市を結ぶ橋の一つで、長さは240メートルほど。すぐ西に並行して、銀色のガス管が通っている。
茉莉が憶えていた場所は、大阪方から二つ目の街灯の、すぐ北側。その位置で、エリーゼと二人して、歩道の欄干越しに川を覗き込む。水深は浅く、底の川砂が見えているが、時計は見つけられなかった。砂に埋まっているのかもしれない。
「この下を探せばよさそうですが、もう少し場所を限定しましょうか」
エリーゼがリュックを降ろし、中からビニール袋に詰められた物を取り出してきた。白い塊がたくさん入っている。
「何ですか?」
「庭にまく石ですよ。タマジャリというはずです」
「どうしてそんな物持ってるんですか」
「過去の依頼の報酬として付いて来たのです。まさか役に立つ日が来るとは思っていませんでしたけれどね」
その「どうして」ではなく、何のために持ってきたかを茉莉は訊きたかったのだが、欄干を離れて、道路との間のガードレールのところへ行ったエリーゼを見て、理解した。時計の代わりに石を投げて、どこに落ちたかを推定しようというのだろう。
「時計が捨てられるのを思い出すのはおつらいでしょうが、どれくらいの速さや角度で飛んで行ったかを見ていて欲しいのです。そうすれば、落ちた場所を限定できると思うのですよ」
「わかりました」
川砂も白っぽいが、エリーゼが持っている石くらい真っ白なら、見つけられるだろう。大きさも直径数センチはありそうだし。
「さて、男性はどんな感じで投げたのでしょう?」
「どんな感じと言っても……軽くぽいっと投げるような……」
飛んでいった軌跡は憶えているが、手つきは憶えていない。
「車の窓から手を出して投げましたか?」
「いえ、こう……胸の前から、手を開く感じで……」
茉莉は実際にやって見せた。フリスビーを投げるときのような投げ方だ。
「おや、左手ですか。なるほど確かに、ここではそうでないと投げられませんね」
「はい、そうです」
進路は北向きで、西側に投げたのだった。そういえば、彼はいつも煙草の吸い殻を、そうして窓から外に捨てていた……
「車のステアリングも左側にあったのですね」
「はい、そうです」
「外車ですね。お金持ちなのでしょう」
「はい、外車で、高級車だと言ってたように思いますけど、私は車の形とか値段とかはどうでもいいので、気にしてませんでした」
「いいのですよ。車種などどうでもいいことなのです。さて、私は右利きなので右手で投げますが、同じような軌跡を描くか、見ていてください」
「わかりました」
「同じところへ飛んで行って、石が時計に直撃しないことを祈ってください」
「あ、ええっ!?」
茉莉の悲鳴をよそに、エリーゼが胸元から手首のスナップを利かせるようにして石を放り投げる。石はぎりぎり欄干を越えて下に落ちていった。
「どうですか?」
「もう少し強めだったと思います」
茉莉が言うと、エリーゼは力を強めながら二つ、三つと石を投げていったが、五つ目でガス管に当たって、大きな音を立てた。通行人が怪しげな目でこちらを見ている。
「もちろん、時計はあの銀色の管には当たらなかったのでしょうね?」
「はい、当たった音はしませんでした」
当たっていたらもっとショックは大きかったに違いない。もう2、3個、エリーゼが石を投げてから、茉莉だけが北側の河原に降りた。正確には河原はなく、コンクリートの護岸だ。幅は10メートルほどあり、川に向かって緩やかな坂になっている。
スマートフォンで連絡を取り合い、エリーゼがさらに五つほど石を投げた。どこに落ちたかを、茉莉が見届ける。橋から10メートルほど、河原から20メートルほどだろう。落ちたときの水音まで聞こえる。
「石は上からでも川の底にあるのが見えましたが、横から正確な位置を見ていて欲しかったのですよ」
後から河原に降りてきたエリーゼが言った。茉莉は石が落ちた場所の目印になるようなところに立っていた。橋やガス管と平行な線を、河原まで延ばしてきた位置だ。
「これから川に入るんですよね?」
茉莉は訊いてみたが、エリーゼは石が落ちた場所ではなく、茉莉の足元や、川縁を覗き込んでいる。
「あの、何してるんですか?」
「川に入る前に、いろいろと観察しておくべきことがあるのですよ。しかし、それは終わりました。さて、入りましょうか」
エリーゼはリュックを降ろし、靴と靴下を脱ぎ、スラックスをまくり上げ始めた。モデルのように長くて形のいいふくらはぎが露わになる。すね毛もちゃんと剃ってある! そしてエリーゼは茉莉にも靴を脱いで、裾まくりをするよう促す。
もちろん、茉莉もそのつもりでスラックスを穿いてきた。だがエリーゼは更に用意周到で、まくり上げたスラックスがずり落ちないように、ピン止めを持って来ていた。それに、まくった袖を止めるためのゴムバンドまで。
そして、脱いだ物を入れるためのナイロン袋。これを河原に置いておいて大丈夫かと茉莉は心配したが、エリーゼは「それを持って、川の中に付いて来てください」と言う。
「でも、こんなの持ったまま、石は拾えませんけど……」
「拾うのは私がやります。茉莉様は石を見つけてくださればいいのです。もちろん、時計を見つけたら教えてください」
そして二人して川の中に入る。深さは足首を超えるほどで、ふくらはぎまでもないくらいだった。
綺麗な水のように見えるが、魚はいない。大和川といえば10年前までは全国ワースト2位の水質の川として有名だった。近年では若干だが改善してきているが、河口の辺りはまだまだのようだ。
「石と時計って、同じように飛ぶんですか? 重さが違うと思いますけど……」
石の落下地点に向かいながら、茉莉は訊いてみた。重い物は、もっと手前に落ちる気がしたからだ。
「おや、日本人は高校でガリレオ・ガリレイの実験を習うと聞いていたのですが、憶えておられないのですかね。空気抵抗が無視できる場合は、物体が重くても軽くても同じように落下するのですよ」
「でも、水平方向の飛び方は……」
「それは投げるときに使う力が、重い物ほど必要だというだけです。同じ速度になるように飛ばせば、重くても軽くても同じ軌跡を描いて飛ぶのです」
本当にそうなのか、茉莉はよく憶えていなかった。しかし、エリーゼを信用することにした。
落下地点に着いた。ガス管の橋脚がちょうどいい目印で、そこから1、2メートルほど橋寄りのところに落ちているはずだった。目を凝らすまでもなく、白い石がいくつか沈んでいるのが見える。
「私が投げ込んだ石は、全部回収しなければなりません。不法投棄になってしまいますからね。全部で14個です。もちろん、時計が落ちているのなら、石の近くにあるはずです。よく探しましょう」
「わかりました」
自分のバッグや、靴を入れた袋を持っているので、茉莉はかがみ込むことができない。それでも白石を5、6個は簡単に見つけることができた。しかし、時計は見つからない。エリーゼは石を拾い上げながら、石と石の間の砂も手で探っているようだ。
「砂に深く沈んでいるということはありませんか?」
「落ち方にもよると思いますが、水面に落ちた瞬間に大きな抵抗を受けるので、そんなに深くは沈まないはずなのですよ。少なくとも、砂に埋まってしまうことはないはずです」
本当にそういうものなのか、茉莉にはよくわからない。しかし、エリーゼを信用するしかない。10分もしないうちに石は全部回収できたが、時計はなかった。
石が落ちていた辺りの外側まで捜索範囲を広げる。茉莉は手で底砂をさらうことができないので、足で少し砂を掘りながら探した。
(続く)
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