第6章 結果発表

 数週間後、かどは不二恵が昼休みに珍しい雑誌を読んでいるのを見かけた。『ジュエリーワールド』? 業界誌か。

「エリちゃんにもらったんです」

「探偵か」

 エリーゼのことは臨海署の生活安全課員ならもちろん全員知っている。いい意味でも悪い意味でもなく、咲洲さきしまで唯一営業している探偵だからだ。問題行動を起こしたことは一度もない。

「あ、ご心配なく。別に事務所へ遊びに行ったわけやないですから」

 ほんまかいな、と門木は思った。臨海署の女性刑事はどういうわけか全員、エリーゼに好印象を持っているらしい。そしてみんな彼女のことをエリとかエリちゃんと呼ぶ。別に、刑事と探偵が仲良くしてはいけないということはないはずだが、必要以上の接触は避けるべきだろう。ましてや、探偵事務所へ遊びに行くなど。

「なんでそんな雑誌もろたんや」

「番屋早理ちゃんのことが載ってるからって」

「バンヤサリ?」

「えー、知らないんですか、ジュエリーBAN-YAバンヤの社長のお嬢様で、CMにも出てる超美人ですよ。アングラのファンクラブがあるくらいなんです」

BAN-YAバンヤは一応知ってるけどな」

 夜の遅い時間にテレビを見ていると、ジュエリーショップのCMを見ることがあるし、BAN-YAバンヤは特に有名だ。何より、盗難事件を扱ったことがある。しかし、バンヤサリという名前は知らない。どのCMに出ていたのかもわからない。

「ほんで、そのバンヤサリがどうしたって?」

「イケメンのジュエリーデザイナーと結婚するらしいです。ファンクラブの会員は全員大ショックです」

 業界誌にファンクラブのことまで載っているわけがない。そこは不二恵の妄想だろう。あるいは知り合いに会員がいて、そいつから聞いたのか。

 不二恵は弁当を食べながら熱心に記事を読んでいるので放っておいたが、突然、「わあ! これ、見たことあるやつ!」と言う。イケメンデザイナーというのが知っている顔だったのだろうが、「見たことある奴」とは口が悪い。

「門木さん、見て下さい、これ、この指輪!」

 不二恵が雑誌を門木の机の上に広げた。不二恵の雑然とした机と違って、門木はきちんと整理整頓しているので、弁当――コンビニの――の横に雑誌を広げられてもまだ余裕がある。しかし、「見たことあるやつ」はデザイナーではなく、どうやら指輪だったらしい。

「この指輪が何か?」

 誌面は見開きで、番屋早理らしき美人の写真と、文章が半々くらい。それといくつかの指輪の写真。そのうち、不二恵の指は薄い青の宝石が載った指輪を指している。青の宝石といえばサファイヤだが、これはあまりにも色が薄い。水色どころか、ほぼ透明に近い。キャプションを見るとアクアマリンとある。

「これ、2ヶ月くらい前に私が骨董屋さんへ確認に行ったのと同じです! ほら、品触書しなぶれしょに載ってたやつですよ」

「そんなアホな……」

 いくら何でも、盗品が堂々とこんなところに載っているわけがない。おそらくはその複製品か何かで……考えているうちに、思い出してきた。先週か、先々週のことだ。

「あれ、品触書から削除っていう通達が来ましたよねえ。これの他の三つと一緒に」

「ああ、そうやった」

 不二恵も思い出したらしい。自分が扱った件だったからだろう。そしてその削除の理由は何だったか? 確か、届出人が被害届を取り下げたから、だったはずだ。そうなるのは「盗られたのではなかった(勘違い、あるいは別の物が盗られたのと混同した)」か「取り戻すことができた」かのいずれかだ。前者はまずない。後者でも、窃盗犯が捕まったとは聞いていないから、「窃盗犯が返しに来た」か「裏取引により買い戻した」というくらいか。

「記事にその指輪のこと書いてある?」

「まだ全部読んでないです」

「読んでみて」

 不二恵は雑誌を自分の机の上に戻して、弁当を食べながら読んでいたが、やがて「書いてないです」と言って、また雑誌を門木の机に置いた。読んでみてくれということか。

「置いといて。後で読む」

 弁当を食べ終わってから、門木は雑誌を取り上げた。写真はどうでもいい、と思ったが、番屋早理という有名人のことを知っておいた方がいいと考え直し、一応見ておく。言われてみれば、という感じの見覚えがある顔だった。

 ジュエリーショップのCMというと、外国人女性か、外国人を思わせる“きらびやかな”ルックスの日本人モデルが出ている印象があったが、彼女はもう少し柔らかい感じと思ったのを憶えている。

 写真はお決まりどおり、正面から撮ったものや、笑顔で話す斜めからのアングル、薬指の指輪――ガーネットらしい――を見つめているところ、そして水色の建物の脇から庭園を眺めている姿など。庭園は四天王寺? 建物はその中の? あそこにそんなもんがあったんか、知らんかった。しかし、何でそんなところで。

 不二恵が言った「イケメンデザイナー」の写真はない。どうやら本文にしか出てこないらしい。

 その記事を読む。番屋早理の経歴もあるので斜め読みする。東京のいい私立大学を出ているところなど、確かにお嬢様らしい経歴だ。読み進めると、デザイナーと結婚、というか婚約に至るきっかけのところに目が留まる。父から与えられた課題を解決した?

 デザイナーは優秀な宝石職人、つまり研磨師であり彫金師でもあったが、訳あってBAN-YAバンヤを退職。しかしそれは実は社長の密命であり、さらなる課題に挑戦するためだった。デザイン書なしに記憶だけで指輪のレプリカを作る――ただし単純なコピーではダメで、わずかに違いを出しながら、本物に見劣りしないない美しさを出す――という課題。そうして作られたレプリカと、本物を見分けるのが番屋早理の課題。二人ともがその課題を達成したため……

 読むのはそこまででよかった。これは警察が踊らされた、と門木は気付いた。つまり、盗難届が出されて品触書に載ったのが本物で、骨董屋に入質されて不二恵が見に行ったのがレプリカだ。「レプリカの可能性に注意せよ」という匿名のタレ込みも、実はBAN-YAバンヤの関係者からだったのに違いない。あるいは質入れした本人……たぶん、イケメンデザイナーではないだろうか?

 そして番屋早理は、骨董屋にレプリカが入質されたことを探り当て、それを首尾よく回収した。もちろん、レプリカと知った上で。あの指輪に対しては盗難品ではないという結論により、骨董屋に保管命令は出されなかったから、回収すなわち質請けすることができた。

 しかし、番屋早理はどうやってレプリカの在処を知ったか? 入質されたレプリカはBAN-YAバンヤにも確認依頼を出したが、どこの骨董屋あるいは質屋に入質されたかを知る機会はBAN-YAバンヤ側にはなかった。なぜなら、いったん府警がそれらを回収して、一括してBAN-YAバンヤに確認依頼したからだ。もちろん、どこから回収したかは明かさずに。

 であれば、どうやって? 当然、あの探偵が関わったのだ! 骨董屋は探偵に頼まれれば、品触書を見せることがある。探偵が協力してくれることもあるからだ。もちろん、自店に該当品あるいは類似品が入質されているかどうかをばらすことはないが、探偵が鎌をかければうっかり漏らしてしまうかもしれない。

 それに、入質者との取り次ぎをすることもある。うまく交渉すれば高く買い取ってもらえて、店も入質者も得をする可能性があるからだ。全ての店に対して取り次ぎを頼みに行ったとは思えないが、“課題”というからには何らかのヒントがあって――きっと警察が知らないヒントだ――それに従って店を絞り込んだのだろう。

 そして、番屋早理がレプリカを全て質請けした時点で、被害届が取り下げられた。課題達成、というわけだ。警察は被害届に対する捜査と、品触書を作るという手間を取らされた。捜査については、盗難があってからずいぶん経った後なので、簡単なものだったと聞いている。被害届の取り下げ自体も稀にだがあることだし、品触れ書は作ってばらまくだけなので、被った迷惑はそうたいした規模ではない。だが、それが彼らの“課題”のためだったとなると……

「あかんなあ」

「何がですか」

「いや、何でもない、こっちの話」

 つい独り言が出て、不二恵に気付かれたが、ごまかしておいた。実際に犯罪がなかったのに警察を使ったとなると、偽計業務妨害罪に問うことができる。しかし、おそらく証拠がない。くだんのデザイナーは“本当に”無断で指輪やデザイン書を持ち出したのであって、裏取引をしたのは「社の信用に関わるので伏せることにしたのだ」「社長の娘とデザイナーを結婚させたのも、業界誌にこんな記事を載せたのも、社の信用を守るためだ」などとBAN-YAバンヤ側が主張すれば、それがいくら言い訳に聞こえても、警察は黙って引き下がるしかない。

 指輪を見た鑑識屋はもしかしたら真相に気付いてるかもしれんな。それをエリーゼに何らかの形で伝えたかもしれん。しかしどうせ真相は藪の中や。

 門木はため息をつきながら雑誌を不二恵に返した。

「何かわかりました?」

「何もわからんわ」

「そうですか。でも、早理ちゃん綺麗やなー、私も会いたいなー」

 興味は指輪やなくてそっちか! 君ももしかしてファンクラブの会員か! 門木は思わず突っ込みそうになった。


(第2話 終わり)

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