第3章 行方不明 (後編)
門木はフロアの一角にある小さな応接スペースの方へ、須田を誘った。そこには年季の入ったソファーと、脚のガタつきを段ボールの紙片で補正したガラスのテーブルがある。新しい警察署なのに、備品は他の署の余り物や中古で間に合わせているのだった。新しい建物はいつできることやらわからない。
「門木さん、私は?」
田名瀬が訊く。後はわし一人でやるわ、という言葉を期待しているに違いない。そうはいかんで。
「ええ勉強になるから、ちょっと一緒に聞いときや。そや、お茶持ってきて。お客さんの分やから、一つでええで」
「はーい」
「それから、わしの机の上のタブレットも」
「はーい」
いい返事だが、心の中では「めんどくさいわー」と思ってるに違いない、と門木は考えた。しかし、行方不明の届け出は適切に処理できるようにならないと、つまり、どういうときに出すことができて、何を届け出なければならないかを、届出人にわかってもらえるよう、説明できなくてはならないのだ。
須田と向かい合わせに、古ぼけたソファーに座ると、門木は言った。
「まあ、その縁谷さんのことが心配なんはわかりましたけど、行方不明いうのは一般家出人と特異行方不明者いう二つに分かれてましてですなあ」
要するに、行方不明になった状況などを検討した結果、事件性があれば特異行方不明者になり、これは警察の捜索対象になる。事件性がなければ一般家出人になり、警察は情報を全国の警察と共有して、その人が発見されたら、届け出がされていることを本人に伝える。
「伝えるだけでっか?」
「そうですわ。判断力のある大人が自由意志で家出したと考えられるわけやから、強制的に連れ戻すことはでけへんいうことなんです。とにかく、捜すには情報を公開して、目撃者を募ったりはしますんやけどね、こんなふうに」
門木は田名瀬が持ってきたタブレットを使って、ブラウザで大阪府警のウェブサイトを開き、そこで公開されている「行方不明者を捜すコーナー」を表示した。そこには30人ほどの男女の写真が掲載されていて、その写真をタップすると名前や年齢、身長、体重、その他の情報を見ることができる。タブレットを持ってきた田名瀬は、手持ちぶさたそうに座って、よそ見をしている。
「なんや、爺さん婆さんばっかりですな」
「失礼なこと言いなや、たまには若い男や女も……まあ、それはどうでもええとして、とにかく写真がなかったら、こうして公開することもでけへん。そやから、まず写真持ってきてもらわんとあかんのです。資格はどうにでもなるんですわ。たとえばあんたがこの縁谷さんの婚約者やとかいうことにしてもええねんから」
「こ、婚約者なんちゅうことはありません!」
ええ年して、何をそんなにムキになっとるんや、と門木は思った。やっぱりこの男、行方不明の女に惚れとるんやわ。
「ところで、行方不明の縁谷さんは住之江区の咲洲に住んではんの?」
「いや、阿倍野区です。僕も阿倍野区……」
「そら、同じマンションに住んどるんやったらそうやろ。ほんでも、それやったら阿倍野署に届けんとあきまへんで」
「彼女のお父さんは一時、この近くの老人専用マンションに入っとったんです」
「そんなん関係ありまへんで」
「彼女はお父さんの遺品を整理するために、たびたびお父さんの家へ行っとったんです」
「その家はどこ?」
「確か天保山のあたりやと……」
「そこ、水上署の管轄ですわ。
「でも埋め立て地は全部臨海署の管轄やと聞いとったんで。とにかく、彼女が遺品を整理してた時に、何やら奇妙な物を見つけた言うて、マンションの奥さん連中に相談しとったらしいんですが、それでもわからん言うて、いろいろ調べ回ってて……」
「それより、まずはどこの署が担当するんかをはっきりさせんと。お父さんの家の詳しい住所は?」
「それは知りませんけど」
「そういうのも調べてから来てくれまへんかな」
「まあ、待って下さい。さっき刑事さんは『事件性』て言いはりましたけど、それやったらあることはあるんです」
須田曰く、彼女のお父さんは妻に先立たれ、他に身寄りがないため、彼女がもちろん遺産相続人である。お父さんは電機会社に勤めていて、数年前に定年退職したけれども、そこそこいい役職に就いていたらしく、かなりの金を貯め込んでいたらしい。趣味に金を使う方ではなく、たまに釣りに行くくらい。なおかつスマートフォンのアプリを作ったことがあって、ちょっとした儲けもあったらしい。
「飲んだ酒の銘柄を記録するアプリらしいですけど、知りまへんか?」
「知りまへんな」
「とにかく年寄りにしてはパソコンのことも詳しかったようなんですわ」
ところが、遺品を整理しても、銀行や郵貯の通帳が見当たらない。もちろん、パソコンの電源も入れて中を見てみたが、ほとんど初期状態。ただ、おかしなメモを見つけたので、それを調べてみようと思っている……という話をつい先日彼女から聞いた後で、連絡が取れなくなってしまった。
「それだけでは、事件性があると判断すんのはどうでっかねえ」
「いや、それだけやのうて、彼女のお父さんが死んだちゅうのをどこから聞きつけたんか、元旦那が電話してきよったらしいんですわ。彼女は元旦那に遺産を分けるつもりはないんやけど、ことによったらその元旦那が彼女を誘拐して、遺産を奪おうとしとんのやないかと……」
「そうやとしても、証拠がないとどうにもなりまへんなあ」
「どうしたらええんです?」
そんなん、自分で考えんかいな、と門木は言いそうになった。
「まず、お父さんの家へ行くことですな」
「そやかて、住所知りまへんねん。警察で教えてくれるんでっか?」
「そら、無理。個人情報やからな。近所で、お父さんの葬式に出席した人、おりまへんのかいな」
「……探してみますわ」
探してから来いよ。
「他には、そうやな、彼女の元旦那に話聞いてみるとか」
「連絡先知りませんねん」
「素行に困って離婚したんやったら、興信所に相談しとるかもしれん。それも、近所で訊いてみたらどないですか」
「訊いてみますわ」
訊いてから来いよ。
「お父さんの家の場所も、興信所やったら調べられるやろ。葬儀会社とか斎場とか回ったらわかるねんから。ただ、下手なところに頼んだら、何十万もかかるから、気ぃ付けんとあきまへんで」
「警察では紹介してくれませんの?」
「なんで警察が興信所紹介せなあきまへんのや……インターネットで、いくらでも探せるやんか。まあ、一つだけ注意しとくと、人捜しみたいなんは、大手に頼んだ方が効率がええんですわ。個人事務所に頼んだら、時間かかるだけでっせ」
「はあ、そうですのんか。ところで、行方不明者届の方は……」
「そやから、写真持って来て。写真がなかったら情報公開もでけへん。10年前の写真でもええんやから」
「はあ、わかりました。何とかしますわ」
「この書きかけのやつは、こっちで預かっときますけど、出すんやったら
「ほんでも、阿倍野署が受け付けてくれへんかったら……」
「大丈夫やて、阿倍野署は優しいから。うちより絶対優しい。それに、あんたも阿倍野区の住人なんやから、話しやすいですて」
まだ納得がいかなそうな顔をした須田を、ようやくのことで門木は追い返した。自分のデスクに戻ると、「門木さん、優しすぎますわ」と田名瀬が言った。田名瀬は引き出しからおやつを取り出して食べ始めている。
「君がああいう応対できるようにならなあかんのやって」
「私も優しくしよう思うんですけど、粘られたらだんだん面倒くさなってくるんですわ。だって、何べん同じ説明しても、『そやかて、そやかて』の繰り返しですんやもん。ええ加減にしてーよ、て言いたなりますわ」
「そんな応対したら、また苦情来るがな……今日のを参考にして、もっと丁寧にやってや」
「はーい」
今度の返事は、元気がなかった。警察の仕事は忍耐が大事。捜査のためにひたすら歩き回るのも忍耐だが、人の話を聞くのも忍耐だ。話が聞けなくては、刑事としての仕事はできないのである。
(続く)
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