第4章 監禁発見 (前編)
次の日の、ちょうど同じくらいの時間に、生活安全課に電話がかかってきた。若い男性刑事が電話を取り、門木を呼んだ。門木はちょうど、給湯室から戻ってきたところだった。
「誰から?」
「昨日、行方不明人届を出しに来た、須田さんという人やそうです」
「ああ、あの人か。ほんでも、わし、あの人に名前教えてないはずやけど」
「そやかて受付が、猿に似てる人呼び出してくれて、言われたらしいでっせ」
「誰が猿やねん!」
しかし実際のところ、同じように言われたことは何度もあった。印象に残りやすい顔をしているというのはいいことだが、それを「猿に似てる人」と表現されるとうれしくない。というか、うんざりしている。
とりあえず、電話に出なければならない。自分のデスクの電話に転送してもらい、受話器を取る。せっかく煎れてきたコーヒーが冷めないよう、短めに切り上げたい。インスタントだが。
「はい、お電話代わりました、門木です」
「ああ、刑事さん! 大変なんです、すぐ来て下さい!」
確かにこの前の、行方不明人届を出しそびれた男の声だった。しかしものすごい声の大きさで、門木は慌てて受話器から耳を離したが、隣の席の田名瀬が、驚いてこちらを見たほどだった。
「ああ、落ち着いて落ち着いて。今、どこにいますか? 住所は言えますか?」
「あ、えーと、ここどこでしたかいな、港区の……」
いや、港区はわかってんねん。たぶん、またこの辺に来てて、そこから電話かけてきたんやというくらいはお見通しやねん。
しかし、電話の向こうの男はだいぶ混乱しているらしく、誰かと話しているような声が聞こえる。門木はボールペンを持って男からの返事を待った。コーヒーはまだ熱くて飲めない。
「港区の……コウセイ? コウセイの……」
男がたどたどしく告げる住所をメモ用紙に書き取り、電話を切る。
「田名瀬! たなせー、出動やでー」
「えー、何で私ですのん」
防犯教室の資料とにらめっこしながらミルクティーを飲んでいた田名瀬が顔を上げ、頬を膨らませた。
「昨日の行方不明者届出人が、来てくれ言うてるんや。行方不明の女の人が、見つかったんやて」
「それやったら、喜んで連れて帰ったらよろしいですやん」
「それが、お父さんが住んどった空き家に監禁されてたらしいんや。港署に調べてもらうけど、事情はわしらも知っとるんやから、口添えしたったら話が早いやろ」
「そんなん、門木さんが一人で行ってくれはったらええのにー」
「これもええ勉強になるんやから、一緒に
渋る田名瀬を連れ出し、覆面パトカーに乗って、男が告げた住所へ向かった。明らかに管轄外なのだが、港署員が男から話を聞いたら、門木のところに問い合わせが来るに決まっているのだ。途中で田名瀬に命じて、港署へ連絡させた。
そういえばあの男には、阿倍野署に届け出をするよう言うたのに、せえへんかったんやろか。興信所を使って捜せば、というようなことも言うた憶えもあるから、そちらの案を実行したのかもしれん。さっき電話してきたとき、そばに他の男がおったようやし……
住所を探し当てると、そこは運河に面した住宅街だった。すぐ向こうには堤防と、そこに上がる階段が見える。堤防に上がると、運河と、係留された船が臨めるはずだ。
家は昭和の香りを漂わせる古ぼけた一軒家で、隣には同じく年季の入った文化住宅が建っていた。門も庭もなく、道路からすぐ玄関に面していて、横開きの扉の脇には、植木が置いてあったとおぼしき砂の跡がある。そこに男が一人立っていたが、昨日来た須田譲ではなく、若い、といっても30代くらいの男だった。玄関と、その横の窓が大きく開け放ってある。
「警察の方ですか?」
男の方から声をかけてきた。心配そうな顔をしてはいるが、妙に落ち着いているように見える。
「臨海署の門木です。あなたは?」
門木は警察手帳を見せながら訊いた。ついでに田名瀬にも手帳を提示させる。
「須田譲さんと一緒に行動していました。帝塚山興信所の
男はそう言って、『大阪中央調査業協会』の身分証を出してきた。氏名のところに「
「須田さんは?」
「中です。風呂場に、縁谷さんが監禁されとって、付き添っててやりたい言わはって、まだそこに……」
「女の人の意識は?」
「ありません。しかし、どうやら気絶してるだけで、命に別状はなく……」
「現場保全のこと説明しといた方がええな」
田名瀬を外に残し、望見の案内で、家の奥の風呂場へ行く。脱衣所がなく、型ガラス入りの扉は台所兼食堂に面していて、浴室の中に女性が横たわっており、そのそばに須田がしゃがみ込んでいた。
「ああ、刑事さん!」
「落ち着いて落ち着いて。それが、あなたが捜しとった女の人? 息はあるんやな?」
「はい、生きてます。でも、気絶してて、身体もだいぶ弱ってるみたいで……」
門木は女性の顔を覗き込んだ。たしか40歳のはずだが、もっと若く見える。気絶していてこれだから、普通の状態ならさらに若く見えるに違いない。
いや、待てよ。この女、どこかで見たことがある。どこで見たんやったか……あかん、思い出されへん。
身体の上にはバスタオルが掛かっているが、おそらく裸か半裸だったので、見るに忍びなくて、須田か望見が掛けてやったのだろう。そのバスタオルの下から、風呂場の混合栓に向かってロープが伸びている。バスタオルの下は見えないが、おそらく手を縛られているのだろう。監禁されていたことは間違いないようだ。
「もうちょっと待っててや。すぐに、港署から本隊が来るから。あんたはそこから一歩も動いたらあかんで。それと、物に触ったらあかん。もう触った物はしゃあないけど、これ以上、他の物は何も触ったらあかん」
重々言い聞かせてから、望見と外へ出る。しかし、玄関脇の小部屋を通るときに、窓が開いているのが見えた。
「あそこの窓を開けたんは?」
「私です」
「それやったら、保全になってないがな。閉めとかんと。探偵やったらそれくらいわかるやろ」
「しかし、中へ入ったらすごい匂いやったんで……香水やと思うんですが、とにかくきっつい匂いで」
「それでもあかんがな。窓閉めんと」
「はあ……」
管轄外なので手を出すべきではないが、とりあえず窓を閉めるだけでもと思い、門木は部屋に入った。確かにものすごい匂いだった。満員電車で香水のきつい女と密着したときのようだ。しかし、やはり窓は閉めねばならない。ガスが漏れているのなら、開けておく必要があるが……
四畳半の和室に絨毯が敷いてあり、学習机のような本棚付きのデスクが置いてある。その横にはスチールラックがあるが、コンピューター関連の雑誌が1冊だけ置いてある。箪笥や戸棚の類いがないため、書斎に使っていたように思われる。デスクの上はきれいに整理されていたが、ノートPCのものと思われる電源コードが置き去りにされていた。
一渡り部屋を見回してから、門木が部屋を横切って窓のところへ行こうとしたとき、絨毯の一角がきらりと光った。ガラスの破片らしい。一つではなくて、いくつか散らばっている。1センチくらいのものもあった。曲がり具合から見て、小さな瓶の破片のようだ。
それを踏まないように歩き、窓を閉めた。窓を開けていてこれなのだから、発見したときはもっとひどかっただろう。
(続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます